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第十九話 元没落令嬢は同棲をはじめる

 夕食を終えて、薄暗い廊下を一人で歩く。

 ふと、エントランスに人影が見えた気がして、慌てて曲がり角の陰に隠れた。

 訪問者などいないはずの時間帯だし、玄関には鍵もかけていたはず。なのにどうして……。

 ストーカーが入ってきたの?


 小刻みに身体が震え、さぁっと血の気が引いた。


「おや。もしかして、エステルですか? お邪魔しています」

 低く柔らかな声に、ほっと胸を撫で下ろす。

 ストーカーじゃない。これは、オーウェン様の声だ。


 曲がり角から顔を出すと、金色の瞳と視線が重なる。

 どうやらオーウェン様はちょうど館にやってきたところのようで、大きな荷物を床に置いてにこにこ微笑んでいた。


「司祭様から鍵をお借りしていたんです。すみません、驚かせてしまいましたね……。今日から一週間、お世話になります」

 

「あっ、ふつつか者ですが、よろしくお願いします」

 騎士様相手に失礼があってはならないと慌てて飛び出し、姿勢を整えて頭を下げる。

 顔を上げると、オーウェン様はなぜか嬉しそうに目を細めていた。


「いいですね、こういうの。なんだか新婚さんみたいで」


「ふぇっ⁉」

 何気なく発せられた爆弾発言に、奇妙な声が口から漏れ出る。

 カーテンを敷いて分けるとはいえ、これから同じ部屋にずっとオーウェン様がいることになるのだ。しかも、一週間も。


 昨日の夜は不安から『今夜さえしのげれば』なんて思っていたけれど、実際にこうなってしまうと心臓がうるさいほどに暴れて、落ち着かない。


「こっ、こちらへどうぞ」

 平静を装おうとすればするほど、動きはぎこちなくなり、普段の自分でいられなくなった。



「部屋のこちら側をお使いください」

 部屋は真ん中のカーテンで仕切っており、ドア側半分の空間を手で示す。


 すでにオーウェン様用の棚や机、ベッドは運びこんでいて、棚と机は壁際に、ベッドは近所の大工さんがカーテンにぴったりと横づけする形で置いてくれていた。


「ありがとうございます」


「もし、夜に書類整理や読書などすることがあれば、こちらのテーブルとランプを使ってください。お荷物はこの棚に入れて大丈夫です」


 最低限の家具しかないけれど大丈夫だろうか、なんて思いながらオーウェン様を見る。


 心配はどうやら杞憂だったようで「ここまで準備をしていただけるなんて、ありがたいです」と、喜んでくれた。


「では、私は奥側で聖書の勉強をしていますので」


「僕も片付けなければならない書類があるので、机とランプをお借りしますね」

 和やかにオーウェン様との同棲が始まったことに拍子抜けして、私はイスに腰掛けた。


 聖書と解説の本とを見比べる作業を続けていると、カーテンの向こうから物音が聞こえてくる。


 サインを終えて紙をよけたのかしら、とか、本をめくって調べ物をしてらっしゃるのかもとか、物音でなんとなく行動が予想できてしまうのが楽しくて、少しドキドキする。


 子どもの頃は、いまと同じようにルームメイトと住んでいたけれど、こんな感覚にはならなかった、なんて、初めての感覚を不思議に思う。



 いまは数えるほどの人しか住んでいない聖職者の館も、あの頃は、隣国と戦争をしていたこともあり、老若男女、大勢の人が住んでいた。


 例えば、戦いが激化する前は、行儀見習い先の見つからない騎士様やご令嬢。

 激化してからは戦争のせいで、育てられなくなってしまった子どもや、夫を亡くした未亡人。

 修道院も飽和状態だったから、私はここに来たんだっけ……。


 終戦後のいまは修道女を目指す者も激減し、院も空きが出て受け入れが可能になっているらしい。

 それなのに、私は未だここにいる。


 未練がましくて嫌になる。

 修道女になることを望んでいるはずなのに、考えと行動がまるで違うなんて。


 トラウマ発作を治せるわけなんて、ないのに。

 ナナリス教の修道女として生きるほか、ないのに。

 修道院に入ると、他の道が閉ざされる気がして、それを怖いと思うなんて……。


 カタリとペンを置いて、机に突っ伏す。

 どうして私はこんなにも、意思が弱くて浅ましいのだろう。


「なんで、こんなにダメなの……」

 しっかりしないと、ちゃんとしないといけないのに。

 こんな私では、お母様からだけではなく、皆からも嫌われてしまう。


 思わず独り言をこぼすと、隣から声が聞こえてきた。


「エステル?」


「っ、申し訳ありません! 疲れてしまって、つい弱音を……」

 うっかりしていた。カーテンの向こうにオーウェン様がいたことを失念していたのだ。


「いえ、構いません。たとえ、思うようにうまく行かなくても、自分を責めたり、追い込んだりしないほうがいいですよ。苦しいだけで、いいことは何もありません」


 「お勉強もほどほどに」と、オーウェン様は付け足す。


 そうか、勉強のこと。

 心の中を読まれたのかと焦ってしまった。


「そうかもしれませんね。ありがとうございます、今日はもうおしまいにします」

 温かな言葉に救われて、心が軽くなる。

 本と聖書、紙とペン、そして自分の至らなさを責める声を、まとめて引き出しの中にしまった。

 


「そうだ、エステル。ちょうど僕も書類整理が終わったところなので、よければ少し遊びませんか?」


「え?」

 遊ぶ……遊ぶって、どういう意味で……?


 固まったまま、ぐるぐると思考がめぐる。

 オーウェン様の声質が穏やかでどこかしっとりとしているせいもあり、なぜか妖しい意味や危険な誘いに聞こえてしまう。


 どう返答したら、なんて考えていると、オーウェン様は楽しげに笑った。


「僕ね、トランプを持ってきたんですよ。一緒にやろうと思って」

 トランプ……って?

 まさかあの、カードゲームのトランプ⁉


 まさかすぎる誘いに、耳を疑った。


 この間は惜しげもなく色気を振りまいていたから、またあんなふうに迫られてしまうのではないか、キスをされるのではないか、と心のどこかで緊張していたのに……。


「トランプをするのは、子どもの頃以来で懐かしいです。ぜひ、ご一緒させてください」

 案外子どもらしかったオーウェン様に、思わずくすりと笑ってしまったのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] あああー、この回めっちゃ好きだなぁ…… 二人の距離感とか、付き合ってないのに同棲するドキドキ感とか……! ニコニコもニヤニヤも止まらない♡ めっちゃ良かったー!!
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