第十七話 元没落令嬢は、指輪を借りる
どんなインテリアがよさそうか一緒に話を続けているうちに、オーウェン様は冷めきった紅茶をゆっくりと飲み干した。
「長居してすみません。ごちそうさまでした。そろそろお祈りの時間でしょうから、お暇します」
立ち上がるオーウェン様を見て不安が募り、思わず手を伸ばそうとしてしまう。
けれど、すぐに我に返り、机の下へ手を引っ込めた。
私、いま何をしようとした?
一人になるのが怖いからって、引き止めようとするなんて……。
まるで、聞き分けのない子どもみたいだ。
見られていなくてよかった、と小さく息を吐き出し、オーウェン様を見送るために私も立ち上がった。
「そうだ、エステル。これを預かってくれませんか?」
オーウェン様は何かを思いついたような声を上げ、右の人差し指から金色の指輪を抜き取って、私の手のひらにそっと載せた。
「指輪を? なぜです?」
「これ、王国騎士団に入ったときに買ったアミュレットリングで。僕は先の戦争にも出て、幾度も死線をくぐってきましたが、怪我もなくこうやって生きています。お守りの効果は抜群だと思うんですよね」
「そんな大切なもの、お預かりできません!」
慌てて突き返すと、オーウェン様は両手で包むように私の手に触れてくる。
骨ばってすらりとした手の温かさに、どくんと鼓動が跳ねた。
「今晩は城で晩餐会の警護があって、貴女のそばにいられないんです。だから、これをお守り代わりに。さ、薔薇の花をください。全部もらっていきますので」
穏やかな笑顔が眩しくて、まともに見ることができないまま、私はうつむくように頷いた。
◇
やがて夜がやってきて、一人で布団に潜り込む。
夜鳥の鳴き声が静かに響いて、木の葉の擦れる音が聞こえる。
キィと遠くで門扉がきしみの音をあげて、びくりと身体が震えた。
風で門が揺れているだけだ。
普段ならそう思うのに、不安のあまり、またストーカーがやってきたのかもしれないと疑心暗鬼になってしまう。
草葉の擦れる音も、風が窓を叩く音も、夜鳥の羽ばたきも、全てが恐ろしく思えて、ベッドで丸まり耳をふさいだ。
不安が募って恐怖に震えていると、ふと鏡台の上に柔らかく光る金色が目にとまる。
窓を警戒しながら鏡台に向かい、指輪を握りしめてすぐにまたベッドへ戻り、横になった。
カーテンの隙間から入る微かな月の光に指輪をかざすと、光を集めてきらきら輝いた。
鋭さもあるけれど、どこか暖かな金色だ。
はちみつみたいに甘く澄む、オーウェン様の瞳の色によく似ている。
なぜか、どくんと心臓跳ねて、胸が高鳴り、苦しくなる。
あの日の優しくて強引なキスを思い出してしまい、オーウェン様の甘く熱っぽい瞳と、穏やかな笑みとが頭に浮かんだ。
指輪を柔く握り、ひたいに当てて、小さなため息を一つこぼした。
私、なにバカなことを考えているんだろう。
明日になれば、一人じゃなくなるから大丈夫。今日の夜さえ乗り越えられれば、次の夜からはそばにいていただけるから……だなんて。
告白に応えていないのに、自分可愛さにオーウェン様の好意に甘えようなんて、最低だ。
こんなに身勝手では、オーウェン様からも、いつか嫌われてしまうかもしれない。
そうなったら、これまでのように話しかけてくださらないかもしれない。
そうやって不安に思う一方で『オーウェン様ならこんな私も受け入れてくれるかもしれない』という淡い期待も浮かんでいるなんて、本当に私はどうかしている。
……ごめんなさい、オーウェン様。いまだけは、貴方にすがることをお許しください。
懺悔のように指輪を挟んで両手を組んで、そっとまぶたを閉じた。
◇
ほとんど眠れていないまま朝が来て、お祈りの時間がやってくる。
修道女見習いの衣装をまとい、ぼんやりした頭のままで玄関へ向かった。
「ちょっと、エステル! 庭に置いてあったんだけど、これ何なの……?」
シスターカミラが青ざめた顔で駆けてくる。
手にしているのは真紅の薔薇の花束と封筒、そしてキラキラ輝く紫色の小瓶。
「今朝も……どうして……」
呆然としていると、シスターカミラは不安げな顔をして口を開いた。
「『今朝も』って、エステルもしかして貴女、誰かに付きまとわれているの? 近衛騎士様が『エステルと一週間同棲する』とか『なるべくエステルのそばにいるように』とか、そんなことを言って帰ったから、変だと思っていたの」
心配をかけたくないし、誤魔化さなければ。そう思ったけれど、言葉が上手く出てこない。
無言のまま立ちつくしていると、シスターカミラは贈り物を乱暴に床に置いて、私に両手を伸ばしてきた。
「何も気づけなくって、ごめんなさい。怖かったし、辛かったでしょう? もう大丈夫よ」
恰幅のいい身体に、きゅっと優しく抱きしめられる。
シスターカミラは温かくて柔らかくて、その優しさに思わず身を任せたくなってしまう。
けれど、シスターカミラをこんな不気味なことに巻き込みたくなんかないし、万が一私を守ったことで逆恨みをされるようなことがあってはならない。
私は彼女を軽く押し返して、にこりと笑顔を見せた。
「シスターカミラ、大丈夫。きっと、こんなの気まぐれでしょうし、すぐに飽きますよ。私、部屋に置いてきますね」
「エステル……」
不安げに呟くシスターカミラを背に、私は贈り物を拾い上げて、逃げるように部屋へと駆けていった。