第十六話 元没落令嬢は、甘え下手
そのあとオーウェン様は、私を館に送ってくれた。
一人にならないほうがいいからと気を使ってくださったのと、私がクローゼットに押し込んだ薔薇を受け取るために、だ。
懐かしい昔話をしながら門扉を開けて庭に入り、私たちはほとんど同時にそれを見つけて、立ち止まった。
「また……ある……」
玄関先に置かれた真紅の花束に愕然とする。
姿の見えない誰かに見張られているようで気味が悪くて、冷たい汗が頬をつたった。
「いち、に、さん……全部で、十二本。十二本の薔薇は確か『私の妻になってください』でしたか」
オーウェン様は眉を寄せて、不愉快そうに呟く。
「花言葉、ご存知なのですか?」
「主要なものくらいは」
かがみこんだオーウェン様は、花束のそばに置かれた封筒を手にとり、中身を出した。
隣からおそるおそる覗き込むと、今回はいつものような手書きのラブレターではなかった。
だけど……。
「……っ、何これ……!」
ひゅっと喉の奥が鳴り、言葉を失って後ずさる。
「エスカレート、していますね」
あのオーウェン様のお顔からも笑みが消え去り、いまばかりは険しい表情をしていた。
封筒の中に入っていたのは、結婚を神に誓う『結婚誓約書』だった。
名前のところは空欄で、私に新婦の欄に署名をしてほしいということなのだろう。
「こんなものを渡してくるなんて、どういうつもりなの……」
カタカタと全身の震えが止まらない。
十二本の薔薇と結婚誓約書とに無言の圧力と狂気を感じとってしまい、怖くて怖くて仕方がない。
こんなことをするのは、誰?
私への嫌がらせのつもり?
それとも私にひどい恋着をしているの?
これから私はどうしたらいいのだろう。
本来なら、花束を受け取ってはならないし、しっかりとお断りするべきなんだろうけれど『他人から好かれなさい』という教えにとらわれる私は、それをするのが難しい。
もし今後、ストーカーが姿を現したとしても『迷惑です』の一言を伝えられる気がしないし、無難にやり過ごそうとしてしまうのが目に浮かぶ。
でも、そんなことを続けていれば、ストーカーも煮えきらない私にしびれを切らし、逆上する日が来るだろう。
好意がいずれ、悪意や殺意に変わる。
そうなってしまったら、私は……。
「……エステル。あの、エステル、聞こえていますか」
「っ、すみません!」
オーウェン様の問いかけに、反射のように飛び上がる。
ずいぶん長く考え込んでしまっていたようで、オーウェン様は「大丈夫ですか?」と心配そうに尋ねてきて、私はいつものように微笑んだ。
「はい、大丈夫です。ご心配なく」
ふと、オーウェン様の視線が私の手に向いているのに気づく。
小刻みに震える両手を、慌てて自分の背中の後ろに回して誤魔化した。
「オーウェン様、お見送りありがとうございました。すぐにお花をお持ちしますね!」
このまま花束を渡して強引にお別れしてしまえ。
玄関のドアに手を伸ばして開けようとすると、強く手首をつかまれた。
「すみませんが、少しのどが乾いてしまいまして。もしよければ、お茶を一杯いただきたいのですが」
こんなの嘘だと、さすがにわかる。
オーウェン様は、怯える私を心配してそんなことを言っているのだ。
だから『お気づかいなく』と笑ってお見送りをするべきで、オーウェン様にご心配をおかけしないようにするべきだ。
お忙しい方を引き止めてはいけないし、私なんかのために貴重なお時間を使わせるわけにはいかない。
それに、オーウェン様には迷惑をかけてばかりいるから、甘えてばかりいてはそろそろ嫌われてしまう。
このまま別れるべきだと、ちゃんとわかっていたのだけれど……。
「美味しいお茶をいただいたので、ぜひ上がっていってください」
口から飛び出た言葉は、頭の中で用意していたものとは全くの別物で……。
弱くてずるい自分が情けなくて、深いため息が溢れ出た。
◇
オーウェン様を部屋に通してイスに座っていただき、私はお茶を淹れる。
来客室を使おうとも思ったけれど、どうせ明日から同棲をするんだしと、深く考えずに普通に部屋にお通ししてしまった。
「物、ほとんどなにもないんですね」
きょろきょろとオーウェン様は部屋を見渡して言う。
たしかに私物は少ないと思う。
部屋にあるのは机とイスと、鏡台、ソファとベッドくらいで、小物も文房具と櫛、ティーセットと本くらいのものだから。
「そうかもしれません。あまり欲しいものもなかったもので」
シスターカミラからいただいたセイロンティーを運びながら言うと、オーウェン様は私の顔を見上げてにこりと微笑んだ。
「なるほど。それなら今度一緒にデートに行きましょう」
「へ?」
動揺のあまり、勢いよくティーカップを置いてしまい、がちゃんと甲高い音が鳴った。
デート、ってあのデート?
聞き間違いではなく?
オーウェン様を見つめて様子をうかがう。
「はい、デートです。この部屋に置くインテリア小物を買いましょう。観葉植物でもいいし、小さなランプでも絵画でも水槽でも、大して実用性のないものならなんでもいいので。部屋がもっと明るく楽しくなりますよ」
「殺風景でしたか?」
苦笑いをして尋ねる。
没落してからずっと、私の部屋はこうなのだ。
お父様が亡くなって住まいが離れにうつってからは、些細な贅沢も許されなくなり、お勉強の道具ばかりが部屋に詰め込まれた。
やがて、母と離れてファオン伯爵に保護されてからは『いつかここを出なければ』とわかっていたから、私物を増やすことをしなくなった。
さらに修道女見習いになってからはアクセサリーもドレスも不要になったため、ますます物が少なくなってしまったのだ。
殺風景か、なんてわかりきった質問を投げられたオーウェン様は、困ったり悩んだりする様子もなく、穏やかに微笑んだ。
「そうですね、少しだけ。なので、今度一緒に何か買いに行きましょう。決して一人で買ってきてはいけませんよ」
オーウェン様の念押しがまるで、幼子にお手伝いを頼んでいる親のようで、思わず笑みがこぼれる。
なにか物を増やす、というのは、ここ何年も考えたことがなかったけれど、そういうのもいいかもしれない。
壁に絵を飾ったり、机にオシャレなランプを飾ったり……考えるだけでもわくわくと心が躍った。
でも、一人で買いに行くのはいけないのね。
「ふふっ、私に任せると変なものでも買ってきそうですか?」
自分でも、慣れない買い物をして失敗する姿が目に浮かぶから、オーウェン様もそんな私を想像をしているのかしら、なんて笑う。
けれど、オーウェン様はどこか熱っぽい瞳で私を見つめて、ゆったりと首を横に振った。
「いいえ、僕がそうしたいんです。理由がわからなければそのうち教えてあげますから、楽しみにしていてくださいね」