第十五話 元没落令嬢は、激しく後悔する
「どっ、同棲!? なんでそうなるんです⁉」
混乱する頭で必死に考えてみるけれど、どう考えても同棲をする流れではなかったし、私たちは恋人同士ではない。
困惑する私とは反対に、オーウェン様はいつもの笑みを浮かべて、こてんと首をかしげた。
「なぜってエステル、賭けに負けたじゃないですか」
「そういうことではなく……!」
付き合ってもいないのに、同棲なんて普通するものじゃない。
ましてや私は元子爵の娘。籍も入れないまま年頃の男女が同じ部屋に住むなんて、とてもじゃないけれど考えられなかった。
「本当は『一週間なるべく一緒に過ごすこと』にしようと思っていたんですよ。ですが、昼夜問わずストーカーが館まで来ているとなると、ね。夜も誰かと一緒にいたほうが安全でしょう?」
「そうかもしれませんがオーウェン様、私、これでも修道女見習いなのですが……」
ストーカー行為は、たった一晩で不気味さを増しているし、ここからまた加速していくかもしれない。
騎士であるオーウェン様がそばにいれば安全という理屈はわかる。
けれど、私は修道女を目指す者。
男女が同じ部屋で暮らすのを許されるわけがない。
そんな私の心配などどこ吹く風とばかりに、オーウェン様は穏やかな表情のまま口を開いた。
「心配ご無用です。僕がエステルのお部屋に泊まりますから。エステルは、これまでどおり修道女見習いの仕事をしてください。幸い、僕は館で生活したことがあるので勝手もわかりますから、問題はありません」
「ええと……」
「エステルの部屋も、元々は二人部屋だったでしょう? 十分な広さがあり、カーテンをつければ簡単に部屋を分割できたはずです」
「あの、仕事や設備の問題ではなくてですね、その、倫理的にといいますか……」
しどろもどろになっていると、オーウェン様はようやく私の懸念に気がついたようで「ああ」と納得したような声をあげた。
「そちらもご心配なく。以前お伝えしたとおり、貴女の許しがなければ、僕はキスより先のことはしません。それに、同棲の件も、シスターカミラなら喜んで許可してくださると思いますし。難関は司祭様ですが、三番目の引き出しに何がしまってあったかお話しすれば、きっとお許しいただけるんじゃないかな、と」
にっこりという言葉がよく似合う笑みを浮かべるオーウェン様に、苦笑いが止まらない。
たしかに、シスターカミラは他人の恋の話が大好物で、喜んで許可する姿が見えるようだ。
けど、司祭様へのそれは『脅し』というやつじゃ……。
引き出しの中身はよくわからないけど、なぜかそんな気がした。
「エステル、これはトラウマを克服する最後のチャンスです。貴女は、このままトラウマに振り回されて、何でも仕方ないと諦める人生でいいんですか?」
発破をかけるような物言いに、心がぐらりと揺らぐ。
トラウマ発作を克服できるなんて考えもしなかったし、できるわけがないと思い込んでいた。
でも、オーウェン様なら、あるいは……。
無理だと諦めていたのに、どこか希望の光を感じはじめている自分に驚く。
オーウェン様は、もし近衛騎士になっていなかったら、詐欺師として頂点を極めていたかもしれない。
それほどに、人をその気にさせるのが上手い。
「……わかりました。約束は約束ですし、私もこの機会にトラウマを乗り越える努力をしたいと思います。同棲のお話、お受けいたします」
かつて、ファオン伯爵のもとでお世話になっていて、ハロルド様やご兄弟とも一緒に住んでいたこともある。
それに、オーウェン様とも昔、ひとつ屋根の下で暮らしていたんだ。
男女の仲にはならないと約束もしてもらえているから、一週間だけだし、きっと大丈夫。
それに、同棲で男性との関わりに慣れて、お母様の幻聴だって薄まるかもしれない。
オーウェン様もきっと、それを狙っているはずだ。
前向きに理由を並べてみると、どうにかなりそうな気がしてくるし、思ったより悪い話ではないのかもしれないという気がしてくるから不思議だ。
「オーウェン様。明日から、よろしくお願いします」
深々と頭を下げると、オーウェン様はにこりと微笑む。
「はい。明日が待ち遠しいです」
どこか熱のこもったような金の瞳を見られなくて、視線をそらし、きゅっと身をすくめた。
「どうか、お手柔らかにお願いしますね」
牽制のつもりでそれとなく言ったのだけれど、オーウェン様はくすくすと笑った。
「お手柔らかに、ですか。お断りします」
「え……?」
予想外な返答に、跳ねるように顔を上げる。
オーウェン様は先ほどのにこやかな笑みとは違う、真剣な表情を浮かべており、まっすぐに私を見つめていた。
「あ……」
まるで、自分が獲物になったかのような錯覚を覚える。
金色の瞳が綺麗で、とろんと甘くて、どこか鋭くて、目が離せない。
どくんどくんと心臓が高鳴り、期待と不安とで身体が震えた。
「お手柔らかに、なんて願いは聞けません。僕は貴女を愛していますから」
指先でそっと手の甲を撫でられて、手を重ねられ、ぴくんと身体が跳ねた。
「――っ!」
くすぐったさと不安とで心が乱れ、息が苦しい。
また、お母様の声が聞こえてきたらと思うと、次第に呼吸が荒くなっていく。
「愛の言葉が、怖いですか?」
静かに問うオーウェン様に、こくりとうなずく。
愛の言葉は、お母様の幻聴を呼ぶ引き金だ。
ひとたび幻聴が始まったら、息ができなくなって倒れる以外の選択肢がなくなってしまう。
苦しいのも、怖いのも、人前で卒倒する恥ずかしさも、発作の全てがつらくて、これ以上ないほどに嫌なのだ。
ぎゅっと目を閉じて呼吸に集中しようとすると、どんどん苦しくなって、私を叱責しようとするお母様の気配を感じる。
また、発作が始まる……?
「幻の声なんか探らないで、僕の声を聞いて。目を開けて、そう、僕の瞳を見て」
私の手を包むように握られて、温もりに心が和らぎ、言われるがままゆっくりまぶたを開けた。
「そう、じょうず。エステル、人前でされたくなければ、そのまま僕の言うとおりにしていてくださいね」
オーウェン様を見ると、自分の唇をそっと指さしていて、あまりの艶っぽさに思わず視線をそらしてしまった。
「っ、どうしてこのようなことを……?」
オーウェン様には過去を話しているし、私のトラウマのことだってご存じのはずだ。
あえて傷をつついて、発作を起こそうとするなんてひどいにもほどがある。
思わず睨みつけると、オーウェン様は困ったように笑った。
「先日語ってくれた貴女の夢のためにも、僕の恋のためにも、トラウマを克服していただきたいからです。荒療治なのはわかっていますが、発作を起こさずにいられたという実績が、きっとこれから貴女の自信に変わる。だから……」
オーウェン様は、にいっと妖しい微笑みを浮かべて、私の耳元に顔を寄せた。
「愛の言葉は危険ではないと貴女が心から理解できるまで、僕は追撃の手を緩める気はありません」
囁くような宣戦布告に、全てを楽観視して同棲を受け入れてしまった自分に激しく後悔した。
コロナにかかって、更新遅れました。
すみません(>_<)