第十四話 元没落令嬢は、不気味な手紙に怯える
朝のお祈りを終え、庭の掃き掃除をしつつ、花束の送り主は誰かと考える。
城壁で囲われているとはいえ、城の外庭までなら比較的警備が緩く、貴族や業者ならば簡単なチェックで入り込めてしまう。
字の雰囲気からして男性だろうとは思うけれど、それ以上のことは何もわからない。
今朝の手紙に何か手がかりになるものが書いてあるかもしれないし、やはり手紙を開けないとだめね……。
「エステル! おっはよー」
遠くから明るい声がして顔を上げる。
声の主は近衛騎士のハロルド様で、手を振りながらこちらにやってきていた。
「おはようございます。って、あれ……?」
いつも一緒のオーウェン様が隣にいなくて首を傾げると、ハロルド様は、にぃと目を細めた。
「ここ、気になるぅー? 残念でした、今日はオーウェンは非番だよ。アイツ寝起き悪いから、まだ寝てると思う」
ハロルド様は左隣の空間を指さして笑う。
「そうだったのですね。朝いつも一緒にいらっしゃるから、なんだか不思議で」
「ふぅん、朝いつも、ねぇ」
「なんでしょう?」
私、なにか変なことを言った……?
「んー、なんでもなぁい。いつもどこかから見かけてるんなら、もっと話しかけてやればいいのに、って思っただけ。それと……」
ハロルド様はかがみ込んで私の顔を覗き込み、再び口を開いた。
「エステル、なんかクマできてない? 顔色もちょっと悪い気がするんだけど」
「あ、えと……なんだか昨日は寝つけなくて」
さすが近衛騎士様だ。
司祭様もシスターカミラも気づかなかったのに、こんな些細なことに気がつくなんてと目を丸くする。
けれど、ストーカー被害を受けているなんて恥ずかしくて言えずに慌てて誤魔化すと、ハロルド様は「ふーん」なんて言いながら、さほど興味もなさそうに頭の後ろで手を組んでいた。
「って、やべやべ。急いで食べないと仕事に間に合わねーや。じゃーね!」
ハロルド様は慌てる様子を見せて、食堂に向かって駆けていく。
もしかしたらいまのこんな何気ないやり取りも、ストーカーに見られているかもしれない。
そう思うと、不安で身体が震えた。
館の中のお掃除も終えて、封筒を手にして外へ出る。
中身を見るのは嫌だけれど、なにか手がかりがあるかもしれないし、読まないわけにはいかない。
一人で見るのが怖くて、遊んでいる子どもたちが視界に入る、見晴らしのいいベンチに腰掛けて便箋を取り出し開いた。
「やっぱり、同じ人……」
昨夕の手紙と同じ字体だ。
昨日のように『愛してる』の羅列がないだけで幾分かホッとする。
「愛するエステルへ。 撫子の花のように たおやかで美しい貴女。ゆう がな微笑みは私の心を掴んで離してくれません。 星が瞬く夜も 白百合が太陽に照らされて揺れる頃も いつも貴女を想います」
ぽつぽつと声に出して読み上げる。
不幸中の幸いで、声と手元が震えるほどに不安と恐怖は強いけれど、お母様の幻聴が始まる気配はない。
手紙の内容は、区切れ目や文章がどこか不自然で、それがまた不気味に見えた。
「これはこれは」
耳元で聞こえてくる穏やかな低い声にびくりと身体を震わせて、勢いよく立ち上がりながら振り返る。
そこにはベンチの背もたれに前かがみにもたれかかるオーウェン様がいて、ストーカーではなかったことに深い安堵の吐息が漏れ出た。
オーウェン様は、驚きで飛んでしまった便箋を拾い上げて、じいっと見つめながら読み上げる。
「あなたがほしいですか。この上なく気持ちが悪くて、暴走気味で危険なラブレターですね」
「え……?」
よくわからない詩的な内容だっただけで、そんな直接的なことは書かれていなかったように思うけれど、と首をかしげる。
「これ、誰からです?」
一番見られたくなかったオーウェン様に見つかってしまい、気まずい気持ちが押し寄せてきて、視線を落とした。
「わかりません。昨夕から、いただいているんです。あの、オーウェン様。貴女が欲しい、ってなんのことです? 確かにそんなことが書かれていたら危険な気がしますけど、どこにも書いてなかったと思いますが……」
「いえ、たしかに書いてあります。ここの改行、不自然ですよね。これは、最初の文字を繋げて読むんです。そうすると……」
貴女が欲しい……。
ぞわぞわと全身に悪寒が走って、鳥肌が立った。
こんな気味の悪い、隠れたメッセージになんて気づきたくなかった……。
花束を受け取ってしまったことで、ストーカーはそれを肯定と受け取ったのか、昨日よりも内容が過激になっている。
もしもこのままストーカーの暴走が止まらなかったら、私の身が危ない。
ばくばくと心臓がうるさいほどに音を立てて、頭のてっぺんから、さあっと血の気が引いていく。
熱烈な愛の言葉にお母様の気配を感じて、頭を抱えてベンチに座り込むと、オーウェン様は隣に腰掛けて私の手の甲に手のひらを重ねながら、顔を覗き込んできた。
「おや。また、しましょうか?」
その言葉と手のひらから伝わる熱に昨日のキスを思い出してしまい、ぼっと火が着いたように顔が熱くなる。
「いえ、大丈夫そうです」
慌てて手を引き抜いて、顔の前で両手をぶんぶんと振った。
いまの言葉が衝撃的すぎて、迫りつつあったお母様の気配もどこかへ消えてしまったみたいだ。
オーウェン様はくすくす笑ったあと、どこか怒ったような顔をして深く長いため息を吐き出す。
「それにしても、ラブレターに縦読みを仕込むなんて、シャレてるつもりなんでしょうかね。ハロルドの言葉を借りるなら『マジでセンスないし、死ぬほどキモい』です。贈られたのは、これだけですか?」
金色の瞳が冷たく光っているようで、びくりと身体が震える。
「他には、薔薇の花束を……」
「薔薇ね、なるほど。それ、僕にください」
「え……」
にっこりと微笑むオーウェン様の言葉に耳を疑った。
他人に贈られたものを『欲しい』だなんて、普通言わない。
しかも薔薇の花束なんて、どうするつもりなのだろう、と怪訝な目で見つめた。
「いいじゃないですか。どうせ貴女のことです。捨てるに捨てられなくて、どこかに隠したんでしょう?」
図星を突かれて、ぎくりと身体が強張る。
「大丈夫、花に罪はありませんし、代わりに僕が騎士たちの食堂の机に活けておきますから。エステルもそのほうが、気がかりが一つ消えていいではないですか」
全てお見通しのオーウェン様に、苦笑いが止まらなくなってしまう。
結局、花が無駄にならず、私ももうクローゼットの中を気にしなくて済むのならと、オーウェン様に花束をお渡しすることにした。
「ハロルドが『エステルの元気がない』と話していたのは、これが原因だったのですか……。そういうことなら、賭けの件は早めたほうがよさそうですね」
世間話をするようなトーンで語られた言葉に、ぎくりと身体が強張る。
正直なところ、いまはストーカーのことでいっぱいいっぱいで、賭けの件にまで頭が回らない。
「あの、そのことですが……」
どうにか先延ばしにできないか交渉をしようとしたけれど、オーウェン様は私の言葉を無視して声をかぶせてきた。
「エステルの身が危険ですし、早速、明日の朝から、適用しましょうか」
「あの、適用って、何をです……?」
どこか楽しげなオーウェン様に不安が募る。
おそるおそる内容を尋ねると、オーウェン様は楽しそうな微笑みを浮かべて、とんでもないことを口にした。
「賭けに負けた貴女は、一週間僕と同棲していただきます」と。