第十三話 元没落令嬢は、ストーカーに悩まされる
そのあとオーウェン様は私を聖職者の館まで送ってくださり、玄関前でお別れした。
城に向かう背中を見ていると、なぜだかきゅっと胸が切なく痛む。
散々振り回されたのに、離れてしまうと心細くて寂しいと思ってしまうのが不思議だった。
角を曲がる直前、オーウェン様は振り返って、ひらひらと手を振ってくださって……。
たったそれだけのことで高揚してしまい、胸がとくんと動いた気がした。
◇
「ただいま戻りました」
館の扉を開けると、廊下の奥から中年で恰幅のいいシスター、カミラが現れ、私のほうに駆けてきた。
「エステル! 貴女ってば、いい人がいるんじゃないの。それならちゃあんと言いなさいよっ!」
ずいずいと身体を寄せられて、思わず両手を上げて、降参のポーズをとってしまう。
いい人? まさか、オーウェン様のことを言っているのだろうか。
変に意識してしまって、顔がどんどん熱くなっていくのが自分でもわかる。
告白はされたけれど、そういう関係じゃない。
恋人なんていませんと伝えようとしたら、シスターカミラは「ちょっと待ってなさいね」と、エントランス近くの部屋の扉を開けて、中から何かを持ってきた。
「ほうら、エステル宛てに薔薇の花束! 十五分くらい前に持ってきたの。数えてみたら、なんとびっくり、二十四本もあるのよ。お名前は教えてくれなかったけど『エステルなら、きっとわかるから』って」
シスターカミラは真っ赤な薔薇の花束を抱えて、私に差し出してくる。
二十四という数を聞いて、ぞっと身をすくませた。
二十四本の薔薇は『いつも貴女を想っている』という意思表示なのだ。
しかも、十五分前に届けに来たということだから、差出人はオーウェン様では……ない。
「あらまぁ、びっくりして固まっちゃった。愛しのエステルへ渡してほしい、だなんてロマンチックよねぇ。私と違って貴女は若いしこれからなんだから、修道女になるのを保留にすることも選択肢に入れてみなさいな。さ、ほら、どうぞ」
必死に考えてみても差出人が誰だかわからないし、気持ち悪くて受け取りたくない。
けれど、突き返されてもシスターカミラはきっと困るだろう。
こんなことに他人を巻き込みたくなんかないし、どうにか一人で解決しないと……。
「綺麗な花束ですね。預かってくださり、ありがとうございます」
いつもの作り笑いを浮かべて受け取ると、シスターカミラは微笑ましいとばかりに目を細め「今度詳しく聞かせてね」なんて言って、もと来た廊下を戻っていった。
部屋に戻り、花束を机の上にドサリと置く。
綺麗な薔薇の花束のはずなのに、色も香りも気味が悪く感じて仕方がない。
「これは、手紙……?」
花と花の隙間に封筒が挟んであるのに気づき、おそるおそる手に取る。
『愛しのエステルへ』と癖のある字で宛名が書かれているけれど、差出人の記載はなかった。
かすかに震える手で封を開けて、手紙を取り出し広げる。
「……っ⁉ いや……っ!」
思わず、不快な虫を払うように遠くへ手紙を投げ捨てた。
書かれていたのは、出会った日からずっとエステルだけを見てきたという愛の言葉の羅列。
そして、私がいつ頃、誰と何をしていたかという細かな記録。
『貴女は、私を誤解している』『どうか結婚してほしい』というプロポーズの文の下に、びっしりと書かれた『愛してる』の言葉……。
唐突な愛の告白と、気味の悪いメッセージとで呼吸が乱れ、息が苦しい。
告白により、お母様の気配が強まり、幻聴の発作が始まる。
お母様が私を叱責する声と、見知らぬ相手の不気味な『愛してる』の声とが、交互に頭の中でうるさいほどに響く。
吐き気がひどくなり、だんだん気が遠くなって視界が暗転し、そのまま床に崩れ落ちた。
◇
「エステル、夕ごはんよー! 返事してー! 寝てるの?」
シスターの声がして、慌てて飛び起きる。
どうやらまた気を失っていたらしい。
床に倒れたせいでギシギシと身体が痛むけれど、幸い打ち身のような強い痛みはなかった。
「すみません、シスターカミラ。寝ていました」
扉の向こうに話しかけると、シスターカミラの笑い声が聞こえる。
「あらまぁ、ねぼすけさんね。夕飯食べに来れる?」
「すみません、まだぼおっとしていて。あとでいただきます」
「貴女いつも頑張っているから、疲れが出たのかもしれないわね。とっておくから、あとでゆっくりいらっしゃいね」と、シスターカミラは去っていく。
机の真ん中には真っ赤な存在感のある薔薇の花束があり、これ以上目にしたくなかった私は、枯れるのを承知で、クローゼットの奥にしまい込んだ。
その日はなんだか怖くて、なかなか寝付けないまま朝を迎えてしまった。
朝一番のお祈りをするため、支度を済ませて司祭様とシスターカミラとともに、外へ出る。
ふと玄関横に視線を送って見えたのは、小さな薔薇の花束と封筒で……。
身体が強張り、ひゅっと喉の奥が鳴る。
司祭様とシスターカミラは楽しそうに雑談をしていて、花束に気づいている様子は、ない。
そのまま門を出たところで、私は司祭様とシスターカミラに声をかけた。
「申し訳ございません。祈祷の道具を忘れてしまいました」
「おや、エステルが忘れ物をするなんてめずらしい。シスターカミラなんて月に一度は必ず忘れ物をしていますから、気にしなくていいですよ」
「そうそう、私ってば毎月……って、司祭様、それは言わないでくださいって!」
二人はからからと笑い「先に始めていますね」と、礼拝堂のあるほうに向かっていく。
一人になった私はすぐに踵を返して薔薇の花束を手に取り、部屋へと戻った。
「今度は、九本……」
メッセージは『いつも一緒にいてほしい』だ。
背すじに悪寒が走り、震えが止まらない。
こんなことをするのは、誰なの……?
いまは封筒を開けるのが怖くて、花束だけクローゼットに乱暴に押し込む。
迫る不安と恐怖から逃げるように、ナナリス教のシンボルがついたネックレスを握りしめて、礼拝堂に駆けていった。