第十話 元没落令嬢は、賭けにのる
それから私は、ぽつりぽつりとオーウェン様に過去を語った。
優しかったお母様が、お父様を亡くして狂ってしまったこと。
部屋に閉じ込められて、一日中お勉強を強いられ、上級貴族に見初められるような振る舞いを徹底的に叩き込まれたこと。
上級貴族ではない者から告白をされたり、なにか失敗をしたりしたら、お母様と教育係に叩かれたり、食事を抜かれたりしていたこと。
過去を思い出して言葉に詰まり、不安に襲われたりもしたけれど、オーウェン様が急かしてきたり、私を責めたり、途中で口を挟んできたりすることはなかった。
それどころか、私が言葉に詰まったときは肩をさすってくれたり、手を握ってくれたりと、静かに話を聞いてくれて。
過去を話せたのは、ファオン伯爵様とお医者様、司祭様以外にいなかったし、自分から『もっと聞いてもらいたい』と思ったのは、これがはじめてだった。
「長くなってしまって、申し訳ありません。つまらない話をお聞かせしてしまいました」
話し終えて心が軽くなるのを感じるとともに、ご厚意に漬け込んでしまったことに罪悪感を覚える。
けれど、オーウェン様は首を横に振り、優しく微笑んでくださった。
「いえ。また一つ、貴女を知ることができてよかったです」
女性慣れした言葉に『誰にでも言っているのかしら』なんていらない詮索をして、心がもやつく。
オーウェン様が誰とどんな会話をしていても、私には関係がないはずなのに……。
視線を落とした私を心配してくださったのだろう。
オーウェン様は穏やかに柔らかく微笑み、私に手を伸ばしてきた。
「頑張りましたね、エステル」
手は私の頭に着地して、そのまま髪を撫でられる。
低くて温かな声と優しい手つきに強く鼓動が跳ねて、目の奥がじんと熱くなった。
オーウェン様は『何を』とは言わなかったけれど、私のこれまでの日々を慮ってくださり、認めてくださっているのではないかという気がした。
「オーウェン様は……八方美人で、誰からも好かれたいと思う私を、浅ましいとお思いにならないのですか?」
気になっていたことをおそるおそる尋ねると、オーウェン様はこてんと首を傾けた。
「他人を喜ばせたい、好かれたいと願うことの何がいけませんか? 貴女は、外見や地位などの安易な褒め言葉は吐きませんし、相手を見て意見を変えているわけでもありません。誰かを見下したり、利用しようとしたりすることもない」
こくりと静かにうなずく。
好かれなければとは思うけれど、見下したり利用したりする気はなかったから。
オーウェン様は、私の手の甲にそっと右手を重ねて柔らかく目を細めた。
「それはね、八方美人ではなく、褒め上手と言うんですよ。貴女の長所ではないですか。多少の打算が働くのも生きていれば当然のこと。僕なんて、打算と策略にまみれて生きてます」
「私は、このままで大丈夫なのですか?」
「むしろ、もっと打算的になったほうがいいくらいでは? エステルは僕を含めて厄介な者たちに、まとわりつかれてますから」
オーウェン様は口元に手を当てて、くすくす笑う。
あっけらかんとした態度に、なんだか自分の悩みが急に小さくなったような気がして、私も笑った。
「オーウェン様は先ほど、消去法じゃない答えを聞きたいとおっしゃいましたよね? 私、本当はやりたいこと、たくさんあったんです」
「やりたいこと、ですか」
「……はい。お菓子作りが好きだからパティシエールへの憧れもありましたし、子どもたちが安心して暮らせるように、孤児院で働くのも夢でした。ですが……強迫観念にとらわれて発作が起こる以上、諦めるしかないのかな、と」
「貴女らしい夢なのに?」
諦めていいのですか? と、でも言いたげに、オーウェン様は困ったように笑う。
私は自分の夢や望みと決別するために、こくりとうなずいた。
「男性から告白をされると、必ず発作が出て倒れてしまいます。未だにお母様の声が私を責め立ててくるのです。お医者様や司祭様に心のケアをしていただいたりもしましたが、これはもう治らないと言われました」
すぅと息を吸い込んで、オーウェン様のお顔を見つめて再び口を開く。
「私のトラウマを治そうと、調べてくださっていると聞きました。ありがたいことなのですが、治る見込みのないことなので、もうやめていただきたく……」
「エステル、僕と一つ賭けをしませんか?」
「え?」
脈絡のない返答に、言葉を失う。
なぜいまここで、賭け事の話が出てくるのかさっぱりわからない。
混乱を極めている私を見たオーウェン様は、くすくすと楽しそうに笑った。
「もしもエステルが次に告白されたとき、発作による失神が起きなければ、僕の勝ち。一週間、僕のお願いを聞いていただきたいのです。もしも過呼吸の悪化と失神を防げなければ、貴女の勝ちです。僕は貴女のトラウマを治す方法を調べるのをやめますし、修道女になれるように全力でサポートいたしましょう」
「なぜ、そのような賭けを……」
「そうでもしなければ、僕たちはお互いに退かないからです。エステルのほうは『治らない』と、医者と司祭からのお墨付き。ずいぶん貴女に有利な賭けだと思いますが、いかがですか?」
オーウェン様の言いたいことはよくわかる。
私はこれ以上ご迷惑をおかけしたくないし、治る可能性が低いものにオーウェン様のお時間がさかれるのは耐えられない。
一方、オーウェン様はこうと決めたらそれに向かって突き進むお方。
諦めて、と伝えただけで『わかりました』と納得して退いてくださるような方ではないから。
負けたときのリスクは大きいけれど、負ける可能性が万に一つもないのなら、リスクを考える必要はないのかもしれない。
「わかりました、賭けにのりましょう。ですが今後誰かに告白されるとは限らないのでは……?」
私はいつも予防線を張っているし、修道女見習いであるため、告白をされることは滅多にない。
この賭けは結局無効になるのでは? なんて思って問いかける。
けれど、オーウェン様は「いいえ」と首を横に振った。
「されますよ。いますぐに、ね。告白に怯えていた貴女から、愛を告げるお許しをいただけたんですから」
「え……」
思わず跳ねるように立ち上がって、後ずさる。
「僕は、この機を逃すつもりはないですからね?」
オーウェン様は獲物を狙う猛禽のような目をしながら立ち上がり、妖しく微笑んだ。