23:ボーイズラブ『ますくぅぁぉっとったらマスカット』
ボーイズラブ
朝イチで営業に出掛けた先で、マスカットを貰った。
種無しで、しかも皮ごと食べられるらしい。
会社に戻り、流水でさっと洗ったマスカットを紙皿に乗せ、ポットの横に置いておいた。
きっと皆が喜んで食べるだろう。
「うぉー!! やったぜ!! ブドウだ!!!」
喜びに打ち震える野太い声が、フロア一帯に響いた。
「益岡さん、それマスカットですよ」
冷静な銀縁眼鏡、艶のある黒髪七三ヘアーで白マスク着用の武藤の声掛けにより、益岡さんがピシリ、急速冷凍で固まった。
本人のキャラ的に、だっははははっ、などと豪快に笑い飛ばしてしまえばよかったものを、益岡さんの恥のボルテージはどうやら目盛りを振り切ってしまったようだ。
声を発せず、微動だにもしない益岡さんがいたたまれない。笑ってはいけない、そんな重苦しい空気が、火災時の煙並みの速度で広がっていく。
「さて、ここで、僕から益岡さんに問題です。マスク着用が個人の判断に委ねられることとなり、マスクを外す決断をした、果物がいました。それはどんな果物でしょう?それでは6秒以内でお答えください、どうぞ」
武藤は、冷静沈着なキャラである。勉強熱心で、新卒入社から数えて今年二年目ながらも、自己啓発でティーチングとコーチングを学んでいるという。身につけた問題解決能力を、実践でいかんなく発揮する。6秒でこの静寂を破るべく、益岡さんにクイズ形式で回答を求めたのだ。
ろく、ご、よん、さん、に、いち。
「……マスカット?」
人は6秒あれば心を落ち着かせることができるのだという。
益岡さんが自信なさげに、手を握ったり開いたり、にぎにぎしながら上目遣いで答えた。
筋肉ゴリラの厳ついおっさんが、いい年して一体何をしているのか……。
「さすがは益岡さん、正解です。マスカットがどうにかマスクを着用していたとして、マスカット、マスクァット。皆さんも分かりますね?マスク、と、カット。つまりは、マスク、を、カット、省く、やめる、外す、そんなところてす。益岡さんおめでとうございます。凄い、凄いですよ。良かったら、マスカットも是非召し上がってください」
いつも冷静な武藤から割りとテンション高めに褒められて、益岡さんはやに下がった顔で、頬をかきかき、デレんデレんにデレている。
「おう、じゃあ、早速一粒貰おうか。ああ〜ん、なんてな。だっははははっ」
笑うんかぁーい、そこに恥じらいは無いんかーい、さっきよりもシチュエーション恥ずいわーい、……そう思うのはきっと俺だけではないだろう、と思うのだが、俺はエスパーではないので実のところ他人の心の内までは分からない。
「はい、ああーん」
俺たちは一体何を見せられているのだろうか?
武藤、おまえ何を考えている??
この光景に、皆は何を思っている?
隣の派遣女子は何故目を輝かせているのか……。
小麦色に戻りかけていた益岡さんの顔面は再び真っ赤に変色し、全身は高性能な急速冷凍機能でまた固まった。
「さて、ここでまた、僕から益岡さんに問題です。マスク着用が個人の判断に委ねられることとなり、マスクを外す決断をした、果物がいました。それはどんな果物でしょう?先程とは異なる果物で、6秒以内でお答えください、それではどうぞ」
無限ループ……? 死に戻りか?
だが、今回はマスカットとの回答は認められない。
容赦無く時間は過ぎていく。
……ん、さん、に、いち。
「……マスカット?」
人は6秒あれば心を落ち着かせることができるのだというが……先程と同じ回答が認められない以上、これは明らかに誤回答だろう。
益岡さんがしょんぼりと自信なさげに、体の前で組んだ手をにぎにぎしながら潤んだ瞳で上目遣いで答えた。
筋肉ゴリラのゴツいおっさんが、いい年して一体何をしているのか……。若干、乙女度が増している。
「惜しい、益岡さん。マスクがあっても……マスクを取っても……」
「だぁ~!! 分からん!! ますくぅぁぉっとったらマスカット!!!」
組んだいた手を解いた益岡さんは、元からくしゃくしゃだった髪をよりくしゃくしゃさせている。
「残念ながら違います。正解は……メロンでした」
沈み、黙る、沈黙……。
静まり返ったフロア。
と、そこに豪快な笑い声が響いた。
「だっははははっ、こりゃやられたなぁ。確かにな、そうだわな。だっははははっ、ほら、せっかくだから武藤も一粒食っとけ」
自然な動作で益岡さんの日に焼けたゴツい手が、武藤のマスクにかかる。
紙皿の上の房から一粒もいだもう片方の手を、武藤の口に持って行く益岡さん。
「はい武藤、ああ〜ん」
俺たちは一体何を見せられているのだろうか?
隣の派遣女子と、その隣にいつの間にか立つ総務のお局さんが頬を上気させてガン見している。
「ああーん」
普段は真顔でいることの多い武藤が、嬉しそうに顔をほころばせた。
余程マスカットが美味しいのだろう、きっとそうだろう、そうであるに違いない。
ちなみに益岡さんは破顔し、もっといい笑顔を見せていた。
その日の夕方、誰もがブドウという単語を忘れた頃、武藤が俺に話し掛けてきた。
あの後、武藤は益岡さんに好意を伝え、交際することになったのだという。
へぇ……、で、何故、俺に報告する???
「先輩が置いてくれたマスカットのお陰ですから」
マスカットには恋愛成就効果があるらしかった。
俺も誰かに「ああーん」とすればよいのだろうか。まず、その相手がいないのだが。
あの時、マスクを取った武藤の開いた口の中にちらりと見えた、舌の上を転がるマスカットの粒を思い出した。
後日、益岡さんと一緒に営業に出る機会があった。
武藤との仲について訊いてみた。
二人の交際を知っていることにまず驚かれたが、武藤から聞かされたのだと言うと、あっさり素直に答えてくれた。
益岡さん曰く、交際は順調だという。
「あいつは……まぁ、小悪魔だな」
コーチングやらなんやらの自己啓発による成果なのか、冷静沈着な真面目くんに見えて、実は元からそういうキャラだったのか。
「じゃあ益岡さんは、武藤の手のひらで転がされているんですね」
「ふっ、ベッドの上では俺が武藤を転がすがな」
訊いてねぇ、んなドヤ顔求めてねぇ。
だが、取り敢えず、同僚二人が幸せそうでなによりだ。
・R5.8.25、一番下の子が園の行事で「ブドウ狩り」に行った。シャインマスカット二房を持ち帰った。「え? マスカットじゃん」と思った。皮ごと食べられる種無しだった。ネット検索によると、マスカットはブドウの一種だそうで、マスカットをブドウと言っても間違えではないのだろうけれど、でも自分には違和感が。だって色が違うし。
・R5.9.1、ほぼ終日研修だった。コーチングについてたくさん説明された。職場に戻り、皆で食べていたシャンマスカットの残りを貰って帰った。脳内にマスカット駄洒落発生、供養するため書いてみた結果、BLに。




