40話 胸の印
昨日の夜は、眠ったんだか眠れなかったんだか、自分でもよくわからなかった。
竜種二人が狭い部屋で寝てるもんだから、尾が当たったの当ててないだのの言い合いで、朝まで過ごしてた気がする。
「ところで、昼までは何をしていればいいのかね?」
朝飯を食いながら、レーテが黒に話しかける。
そういや、昼までは何してりゃいいんだ。
「特に指示は受けていませんので、行きたい場所や見たいものがあればご案内します」
「何か、珍しいものとかあるのか?」
「そう言われるとありませんね。この街は商いを生業としているもの以外は、大抵は魔術士や研究者です。街の施設も市場や店舗、住宅を除けば、研究施設や魔導具の工房ばかりなので」
つまりは暇ってことか。
「教授だっけか? そいつにもっと早く会えねえのか?」
「無理に決まってるだろ、今日の午前中は講義二本で潰れてる。午後は魔導工学の研究会に出席されるから、下手をすれば夜まで会えないんだ。昼しか予定が空いてない時点で、少しは考えろ」
コイツ、オレに対してだけ扱い悪いな。
「なら時間はあるのだよね? それならゴーヴァンを洗って欲しいのだけど、いいかね」
「洗って欲しい? その辺の池か川にでも沈めればいいですか?」
「テメェこの野郎、ケンカ売ってんのか」
「オッサンもニイちゃんも、飯食ってる時に止めろよ」
一番年下のカルロに言われるとは。
とりあえず口にもの詰めといて、コイツと口きかねえようにしとこう。
「それで体が綺麗になるならいいんだけどね。そう言うのじゃなくて公衆浴場みたいな、大きな風呂はないのかね?」
「ありますよ。ここからそう遠くない場所になります」
「じゃあそこに連れて行ってくれないかね。ダネルには申し訳ないんだけど、ゴーヴァンに付き合ってくれないかね」
おお、露骨に嫌な顔しやがる。
「なあネエちゃん、オレも行っていいか?」
「ああ、いいとも。ダネルに連れて行って貰いなね」
「ま、待ってくださいレーテさん。その子はともかく、コイツもですか?」
「オレだってコイツと風呂なんざイヤだぞ」
風呂に入るのはいい、あれは気持ちよかった。でもコイツと一緒にってのはゴメンだ、せっかくの気分が台無しになりそうだ。
「とは言ってもね。胸の印、人にはあまり見せない方がいいんだろう」
レーテがカルロを見る。
カルロは自分の胸に触れ、目をわずかに伏せる。
「これは人に見せるなって、よく言われた」
「すいません、どういうことなんですか胸の印って?」
三人でそれぞれの顔を見回す。
カルロは、本人が見せないなら見させないほうがいいよな。しょうがねえ。
「ホラ、見ろよ」
服を捲り上げ、胸を見せてやる。
胸の印を見て黒が何かを察した顔をする。
「ひょっとして、この街に来たのはコレを消すため、ですか」
「そうだね。二人の胸の印を消すために、紹介状を書いて貰って来たのさね」
「それは正しい方法ですね。普通に解呪依頼を出すだけだと、予約空き待ちか当分待たされるかのどちらかです。学院関係者なら一般用とは別の施設が使えますから、解呪の出来る者さえ確保できればすぐにでも消せるでしょうね」
てこは、本当に消せるのか?
「待った。コイツを消すのに死ぬとかないだろうな」
「奴隷印は心臓に直接書き込まれたものだから、何の設備もなしにやればその可能性はあるが、設備の整った場所でやるんだ、そんな事があるわけ無いだろう」
よっし。
思わず小さく拳を握りしめる。
カルロも自分の胸に触れ、どこか安心したような顔をしていた。
「この街に来た理由はわかりましたが、なんでこんな午前から風呂に入るんですか?」
「ああ、それはね」
レーテがオレの方を見る。
「そろそろ必要な頃でね。今夜にでもお願いしようと思ったんだけど、ダネルがいつまでいてくれるかわからないからね。案内を頼める内に、風呂に入って体を綺麗にしてほしかったのさね。」
「必要? 今夜?」
げっ、血ぃ吸うつもりか。
思わず首筋を手で抑えてしまう。
黒は何を思ったのか、察した顔でレーテを見た後に、オレの顔を汚いものを見るような目で見てきた。
「必要って、ネエちゃんとオッサン、何かするのかよ」
「ああ、その為にゴーヴァンを買ったようなものだからね。たまに相手をして貰っているのさね」
「あ、ああ。まあ人の趣味なんて、それぞれ、ですからね」
「コラそこの黒、変なこと想像してんじゃねえぞ! レーテ、オメェも勘違いされるような言い方すんじゃねえ!」
完全に、オレのこと変態野郎だと思われたぞ。
「仕方ないだろう、こればっかりはゴーヴァンにお願いするしか無いのだからね」
「なあ、オッサンにしか出来ないって何してんだよ」
「カルロ、お前は聞くな。」
レーテのせいで、この後は飯を食い終わるまでカルロの質問攻めと、黒の視線が違う意味で辛かった。なんでオレ、こんな目にあってるんだ?
ようやく朝飯を食い終わった後、黒について街をしばらく歩き、風呂屋の入り口でレーテが立ち止まった。
「じゃあ、私はここで待ってるからね」
「オメェは入らねえのかよ」
「この服ね、一人だと脱ぎ着するのが大変なのさね。今朝だって、カルロが手伝ってくれたのだからね」
「だったらもっと楽な服に着替えろよ」
「レオナルドのところで来てた服が、こういうのばかりだったからね。この格好の方が落ち着くのさね」
そんな理由でヒラヒラした格好してたかよ。
服なんて動きやすけりゃ、それでいいと思うんだけどな。
「金は何かあったときのために、カルロに預けておくからね」
「無駄遣いしないで、ちゃんと預かっておくからな」
コイツなら一人でも、万が一のことはないと思うが、本当に大丈夫か?
「そんな心配そうな顔をしないでおくれね。流石に、こんな明るいうち、人通りのある場所で馬鹿なことをやる輩もいないだろうさね」
「この街の治安の良さは保証しますよ。けど、本当に一人で待っているんですか?」
「待つのはそこまで苦じゃないのでね。気にせず行っておくれね」
レーテに見送られ、男三人で風呂屋に入る。
黒が店番と話をし、カルロが財布から金を支払う。
「二人の事情は理解してますから、僕と一緒にいてください」
カルロに話した後、店の奥へ入っていくので後をついていく。
「しっかし細っこい体だな、テメェは」
「お前が幅がありすぎるだけだ」
「おれから見たら二人共でっかいけどな」
まだ子供のカルロはともかく、コイツはこの背丈で横幅なさすぎだろ。
服を脱いで体を直に見ると、やけに細く感じた。
「カルロはこれから、いくらでも背なんざ伸びるだろ」
「でもオッサンくらい大きくなると、着る服困りそうだよな」
「そうそう、何事も程々が一番ということです」
この野郎、本当にケンカ売ってんじゃねえだろうな。
「ウルセェ、戦士がヒョロヒョロの体でやってけるかってんだ」
「僕は戦士としてやっていくつもりはない。技師として、この街の技術を村に持ち帰るんだ。ああ、現金は向こうに鍵のかかる戸棚がありますから、そこに入れて鍵をかけてください」
カルロが金を仕舞いに行くと、黒がオレの胸の印をじっと見てくる。
「本当に奴隷印を入れられてるんだな」
「ハッ、無様っだて笑いてえのか」
「逆だ。その印を入れられて性格を、変えられていないことに驚いてる。普通はその印を刻まれると、他者の命令に従いやすくなったり、性格的にも従順になりやすくなる。あの子もレーテさんに対しては随分と大人しいだろう」
鍵相手に苦戦しているカルロを見る。
確かにオレに対してはあれこれ言うが、レーテに対しては大人しい気がする。
「あの印は、刻印されたものかどうかを無意識に認識できるんだ。だから印を入れた者同士では、本来の性格で接しられるんだ。もっとも、矯正すれば印を入れた者同士でも大人しくなるらしいがな」
黒が息を一つ吐く。
「お前みたいに、それだけの傷を受けても性格が矯正されないやつは稀なんだ。精神に対する魔術に耐性が強いか、生来の精神力の強さか。お前の話を教授が聞いたら、変な興味を持ちそうだ」
「オレが強いわけじゃねえよ、義兄さんが強くしてくれたんだ。」
「お前と攫われた青か。そういえば二人攫われたはずなのに、なんでお前しかいない? もう一人は買われなかったのか? それとも他の誰かに買われたのか?」
言葉に詰まる。義兄さんがいないのは、オレが殺したからだ。
それをコイツに話す必要があるのか? 話したら、オレを攻めるようなことをいうんだろうか。それとも義兄さんを貶すようなことを言うんだろうか。
オレは何を言われたって構わない。それは本当のことだし、コイツ相手なら何かしら言い返せる気はする。けど、義兄さんの貶すようなことを言われたら? ああ、その時はどうしてしまうか、自分でもわからない。
「お待たせ。なんか鍵が固くて時間かかっちまった」
カルロの声を聞いて、考えが途中で止まる。
「何だよオッサン、暗い顔して」
「何でもねえよ。オメェが遅いから、いつ戻るのか待ってただけだ」
カルロの顔を見て、暗い感情が少しだけ流されたような気がした。
答える必要なんざねえし、無駄なこと考えるのは止めだ、止め!
風呂入って、頭の中もスッキリしちまえばいいんだ。