33話 赤色
カルロに街を案内してもらった。
食事をしている間は、ゴーヴァンとカルロの取り合いだった。
食べたいのなら同じ物を注文すればいいのに、コレがいい! とか子供の喧嘩の様なことまで言っていた。
違うね、実際子供だったんだろう。心の年齢とでも言えばいいのか、ゴーヴァンという男は見た目よりも子供で、カルロという少年は見た目よりも大人なのだろう。
二人の心の年齢が近いからか、歳近い兄弟がくだらない事で言い争うように反発してしまうのだろう。
「なんだか兄弟みたいだね」
正直思ったことを言ってみたりした。
「こんな可愛くねえ弟いらねえ」
「こんなデクの坊な兄ちゃんいらねえ」
そうやって言い合う姿を見ていて、どこか微笑ましく思えた。
このときは楽しかった。カルロには弟妹たちの土産にと菓子を買ってやったりもした。
この子にこんなことをしたって、苦しい生活への一時しのぎでしか無いのだろうけど、ゴーヴァンがどこか嬉しそうな、楽しそうな顔をしてくれるから、これでいいかと思った。
孤児院に着いたのは、空がすっかり赤く染まった頃だった。
私から今日の礼金を払い、レオナルドの屋敷に帰ろうとした時だった。
「ネエちゃん、エレオノーラが会いたいって」
「私にかね? なんだろうね」
「おい、なんか焦げ臭くねえか」
カルロが臭いを嗅いでいるのだろう、鼻を鳴らしている。
「ゴミでも燃やしてるんだろ」
「いや、おかしい。臭いが近づいてる」
ゴーヴァンの手が剣にかかる。
臭いが近づくというのが最初はわからなかったが、急に焦げ臭い匂いがしてきたと思ったら、その臭いがどんどん強くなっていく。
ゴーヴァンが睨み、カルロが不安そうに見る方を見ていると、数件先の建物と建物の間、狭い隙間から炎が見えた。炎は意思を持っているかのように私達に向かって進んでくる。
炎の中に大きな蜥蜴の姿が見えた。
「サラマンダーか。ゴーヴァン早く切れ!」
私が言うよりも早くゴーヴァンは動いていた。鞘から剣を抜き取り距離を一気詰めたと思ったら、サラマンダーの首が火の粉を撒き散らしながら宙を舞っていた。
「あっちぃ! 何だコイツ!」
「サラマンダー、魔獣さね。鱗も血も燃えているから、素手なんかで相手にしちゃ駄目だからね」
ゴーヴァンをじっと見ているカルロの肩を掴む。
「カルロ、弟と妹たちを連れて早くお逃げ。この街で水がたくさんある場所はどこだね」
「真水でなくてもいいなら、港が」
「ゴーヴァン、この子達と一緒に逃げるよ、いいね」
「逃げるって、魔獣なら倒しゃいいだろうが」
頭を振る。今は一刻も早く安全な場所に逃げたいけど、説明しなきゃいけないみたいだね。
「サラマンダーはね、体も血も燃えている蜥蜴なんだよ。触れるだけでものを焼くし、血を飛び散らしても火が広まるのさね。一番厄介なのは」
通りの奥から悲鳴が響く。
そちらを見ると、複数のサラマンダーに飛びつかれ、生きた松明に変えられた人間がいた。
「群れで行動するのさね。その上周りは建物だらけ、火事が起きたっておかしくないね」
二人とも理解できたみたいだね。
「カルロ、早く弟と妹たちを連れておいで。ゴーヴァンは悪いけどサラマンダーが来たら仕留めておくれね」
「おうっ、さっさと行ってこい」
「カルロ、家の中の全員を連れてくるよ」
「う、うん」
外にゴーヴァンを残し、建物の中に入る。
「どうしたのカルロ、何か慌てているみたいだけど」
「エレオノーラ、早くここからお逃げね。火事になるかもしれないよ」
「まあ、そうなんですか? じゃあ子供達を連れてこないと」
なんだかのんびりした態度だね。
「そうそう、レーテ様」
「なんだ、ね?」
子供の悲鳴が聞こえた。
エレオノーラの手には細剣が握られていて、私の胸を貫いていた。
「なに、してるんだよ、エレオノーラ?」
「ああカルロ、これはレーテ様をお救いするために必要なことなのよ」
剣が抜き去られ、思わず膝をつく。
エレオノーラは私をそのまま仰向けに倒し、腹の上に乗ると何度も、何度も胸に剣を突き刺してきた。
子供達の悲鳴と鳴き声が聞こえる。
「おい、何があった!」
ゴーヴァン、来たのだね。
「おいテメェ、何して」
「わた、しはいい、から、こども、つれ、にげ」
肺に血が入ったかな、言葉が喋りづらいったら無い。
「ゴーヴァン様、申し訳ないのですが、子供たちをしばらくお預けしてよろしいでしょうか。私、この方の魂をお救いしなくてはなりませんので」
「何言ってんだテメェ!」
「この方、伝承にある吸血鬼、ですよね。死してなお魂が神の元へ還れないなど、とても、とても悲しいことではないですか。ですから私、この方をお救いするのです」
これだから教導会の人間は面倒なのさね。昔のように暴れているわけじゃないのだから、放っておいてくれればいいのに。
「テメェ何分けのわかんねえこと言ってやがる」
「ゴーヴァン! 私はいい、それより子供を連れて、お逃げ」
「ああ、子供たちのことを心配してくださるなんて、なんてお優しいのでしょうか。その魂が清らかなままでいられるよう、少しでも早く、死なせて差し上げます」
心臓を狙って何度も剣を突き立てられる。
視界の端で剣を収めたゴーヴァンが、小さい子供二人を抱えるのが見える。
「カルロ、その子の手を引いて港まで案内しろ!」
「でも、エレオノーラが」
「今は放っておけ、早く来い!」
カルロを連れて出ていく姿を見送る。
押し倒されて、何度も何度も刺された。さて、今まで何回刺されたのだろうね。
服は穴だらけだし、刺された場所は元に戻るとは言っても、やっぱり痛いものは痛い。
「まだ死ねないのですね。でしたら首を切り落として差し上げたいのですけど、この剣では難しいですよね」
エレオノーラが心底憐れむような顔で私を見下ろしている。
それで死ねるなら楽なのだけれどね。
「私を殺すより、逃げるなり子供たちを追うなりしたほうがいいのじゃないかね?」
「子供達のことは心配です。けれどゴーヴァン様がご一緒ですし、きっと安全な場所まで連れて行ってくださいますよね。ですから今は、あなたをお救いすることが大事です」
やれやれ、面倒な女だね。これだけやっても死なないのだから、諦めてくれればいいのに。サラマンダーが出たんだ、下手をすればここもいつ焼かれるかわからないってのにね。
「悪いけど、私はもう行かせてもらうよ」
エレオノーラの腹を狙い、拳を突き出す。
普通ならこの一撃で吹き飛ばしているはずだった。だが、エレオノーラは私の上にはもう乗っていなかった。
後方へ飛んだのだろうが、あの姿勢から飛び退ったにしては距離がありすぎる。
「驚いた、エレオノーラは魔術士だったのかね?」
「魔術士? 違います、これは神が与え給うた奇跡の力です」
「ああ、教導会はそう言うのだったね」
魔術士と同じ力を教導会の連中は奇跡なんていうのだったね。目の前の女がやりにくい相手に変わったことが確かなだけだ。
エレオノーラが十字の細剣を突き出す。体を捻って躱すが、そこへ高速で急所狙いの三段突き。
多少の痛みは我慢するしか無いね、こりゃ。
一撃目を左手で受けて剣をへし折ろうとするが失敗。二撃目は心臓を一突き、引きが早い、指を何本か余計にやられただけだ。ならと三撃目は大人しく受け、自ら深く貫かせてやる。
「少し眠ってておくれね」
剣を握る手を左手で折れんばかりに掴み、右の拳を引き、一気に打ち出す。
顔に一撃。扉を突き破って表のとおりにまで殴り飛ばしてしまったが、無事かどうかなんてどうでもいい。
「上手く逃げて手遅れよね、ゴーヴァン」
外に飛び出ると、夜の空は赤く染め上げられていた。
火の回りが思ってるより早い。何匹サラマンダーがいるってのかね。
「救われぬ魂が彷徨い歩くだなんて、いけませんよ」
まさかと振り返ると同時に肩に痛みが走る。エレオノーラが細剣を構え、私の横をすり抜けていく。
顔面鼻血まみれじゃないか。あんな顔になってまで襲ってこないで欲しいのだがね。
「ええ、ええ。残される方のことが気になられるのですね。ですがそれもまた神の与えたもう試練、悲しみを超えることも人の強さなのですよ」
死にはしないというのに、この娘はそれがまだ理解できてないのかね。
ふとゴーヴァンのことを考える。あの男は優しいから、私にもしものことがあれば心配くらいしてくれるだろう。
だが、それはさせちゃいけない。家族の話をする時に、泣きそうな顔になっていた。私に出来ることはせいぜい話を聞いてやることと、私は何があっても無事であり続けてやることだ。
子供たちには悪いが、エレオノーラには最悪消えてもらう。