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その口吻は毒より甘く  作者: 門音日月
第2章 港湾都市
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30話 夜景、情景、嘱望

「レーテか、来てくれたのかい」

 レオナルドは自室の窓から街を見下ろしながら、酒だろうか、赤い液体をガラス製のコップに注ぎ飲んでいた。

「どうせ寝なくたって構わない体だからね」

 別のコップに同じ物を注ごうとしたが、私の顔を見て止めた。酒を飲んでも酔わないから、飲む意味がないものね。

「それで私を呼んだのは、ゴーヴァンの件でかね?」

「ああ、一つはそれだ。君たちにつけていた者の報告では、旧市街へ行ったらしいな」

 言葉は返さず、首を縦に振って返事とする。

「面白かったかい」

「いいや、別に面白いものはなかったね」

「なら良かった。あそこへは、しばらく近づかない方がいい。なにがあるか、分かったものじゃないからな」

「私なら、何があっても大丈夫、だと思うのだけどね」

「君は平気だろうな。君は平気だろうが、お気に入りの奴隷がどうなっても知らんぞ」

 あの巨漢の偉丈夫をどうにか出来る相手がいるなら、是非お目にかかってみたいものだね。

「ましてや明日の昼には、奴隷印の消去ができるかも知れないんだぞ。その前にどうにかしたくは、ないだろう」

 もっともレオナルドの言い分にも一理あるか。

「気をつけて置くさね。胸の印を消す前に何かあっては、ゴーヴァンに申し訳がないからね。ただ」

「なにかあったのか?」

「教導会の人間に灰になるところを、見られたかもしれないね。旧市街の孤児院の修導女さね」

 大げさなほどのため息を吐くレオナルド。

「教導会か……最近は寄付金の件でただでさえ煩いというのに、その女が余計なことをしてくれなければいいんだが」

「寄付金だなんて、随分と信心深かったりするのだね」

「宗教なんてどうだっていい。ただこの街に立派な礼拝堂の一つでもたてて、祈りの地の一つにでもしてくれれば、ここへ来る信徒たちはこの街に金を落とす。それだけだ」

 酒を一気にあおり、次の一杯をそそぐ。

「この街は」

 窓に近づき、そっと手を触れ外の景色を眺める。

 私もそばに立ち街の景色を眺める。日が暮れてなお、街のあちこちには明かりが灯り、人々の往来はとどまる様子がない。

「祖父の代から今の形に作り変えていった街だ。今の新港を中心に道を整備し、街の区画を整備し、上下水道の整備し、街に明かりを灯し夜でも眠らぬ街へと作り変えていった」

 光の灯され明るい街並みから、古い城壁の向こう暗い街並みへと視線が移る。

「あの古い街だ。せっかく作った料理に虫がたかって、台無しにされた気分だ。」

 目を細め、笑っているのか、睨んでいるのかわからない表情を作る。

「いっそ、誰か焼き払ってくれればいいのに」

「レオナルド、少し酔っているのかね」

「まだ大して飲んではいないさ、酔はしないとも。そうだ、もう一つはそれだ」

 レオナルドの顔つきが変わる。今は私のことを、研究対象としてしか見ていないのだろうね。

「以前君は、味覚がないと言ったろう。血以外では飢えも乾きも満たせないとも。なのに今日、どうして食事をした」

「改めて食事を口にしても、味はわからなかったね。ただ、そういう食感のものを口に運び続けていただけさね」

 ふいにゴーヴァンの嬉しそうに食事をする顔が浮かぶ。

「けどね、嬉しそうに食事をする誰かと、一緒に食事をするというのが楽しくてね。ああ、そんな気持ちが私にもあったのだと、なんだか嬉しくなってしまってね」

「君にも人間らしい感情がある、ということかな」

「さてね。ただゴーヴァンと話しているとね、たとえ取り留めのないことであっても、人と話をするということは意味があるのだと気付かされるね。胸の内に明かりを灯されるように、何かを思い出しそうでね。」

 夜景を眺め、街を照らす明かりを見て、ふとそう思う。

 赤い酒を眺めるレオナルド。

「まさか血を目当てに買った奴隷に、君が感情を持つとは」

「たしかに私は人のことを食べ物のようにしか見えていないけどね、相手と話して、相手を知っていけば、何かしら感情は持つさね」

 レオナルドが低く笑い、酒を一口流し込む。

「人が食べ物か、人を金でしか見ない僕とあまり変わらないな。しかし血か」

「そうだね。こればかりはどうしようもないね。私の体について、新しく分かったことはないのかね?」

「君のことについて、自分でも調べ、研究者にも調べさせている。今は存在しない魔術、禁忌秘術の一つではないかというのが現状の答えだ」

 禁忌秘術、レオナルドと知り合ってから初めて聞く言葉だ。

「禁忌秘術。魔術を学び、研究するものの間ですら忘れられ、その名前と効果だけが噂程度にしか知られていない術、らしい。君は自分が蘇った時の記憶はないのだったな」

 首を縦に振る。本当に覚えていないのだ。意識が遠ざかりすべてが消えた次の瞬間には、目を覚ましていたのだから。

「その際に、何かしらの術を使われたのだろう。その程度の憶測しか出来ない状態だ」

「蘇ったばかりの頃で覚えていることなんて、恐ろしいほどの飢えと渇きくらいだね。今考えれば、両親を襲わなかったのが奇跡のようさね……レオナルドはまだ、私のような体になることは諦めていないのかね?」

「勿論だ。年老わず衰えぬ体、本当に年老いて耄碌する前に手に入れたいものさ」

 窓に映る自分の姿を見て、レオナルドが目を細める。

「別種の君から見れば分かりにくいだろうが、君と会ってからの十年で確かに僕は年を取っている。これ以上年を取って碌に頭も回らないようになるなんて、御免被るよ」

 そんなに嫌なものかね、年を取るってことは。

 もうずっと年も取らない体だから、年を取ることすら羨ましく、輝かしく見えてしまう。

「しかし君に同行を望まれているあの奴隷には、多少は同情するよ。何せこれから先、生涯を君の食料として生きていかなければならないのだからな」

「一生縛り付けるつもりはないさね。私はね、ゴーヴァンがどこかの誰かを本気で好いて、その相手と生涯を共にしたいと願うなら、そこで本当に自由になってもらおうと思ってるさね。ああ、でも」

 両手を見る。

「もしその相手との間に赤ん坊が生まれたら、一度でいいからこの腕に抱かせて欲しいものだね。赤ん坊を腕に抱いたことだけは、今の今まで一度もないからね」

 これはゴーヴァンには言うつもりのないことだ。

 けれど誰かを連れ歩くと決めた時に決めた、私だけの決め事。意味のない時間を過ごすだけの私が、本当に生きている相手の時間をすべて無駄にさせないための決め事。

 レオナルドからは何の言葉も帰ってこなかった。

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