第百八十九話:ただいま
彼等を連れて、僕等は村に帰ってきた。が、村に近付けば近付く程に聞き慣れない音が耳を掠める。
「ガゴン」森に迄響くような重厚で荘厳な音だ。
門に変哲は無かったが、幾許くか前に修復しただろうにもう蔦が絡み付いている。
けれど、見窄らしくは無い。
潜り、そして村中を眺めると広場に人は余り居ない様であった。閑散としている。
広場を横断しようと手押し車を回していた男性は此方に気付くと、あわあわとした様子で駆け寄ってくる。
野菜が地に転がっている事など微塵も気に成っていない様だ。
僕の手を握り締めると「おお! リングだ‼︎ リングが帰ってきたぞ!」
と何度も何度もぶんぶんと大きく上下に振る。
「……あ、うん。ただいま。」
少し許り惑っていた僕だったが、無理矢理に口角を上げ、にかっと微笑んでみせた。
其の様子を見ていたバクダは感心する様に言う。
「仲良いんだね。」「……色々有ったんだけどねえ。」
彼は首を傾げた。
男は後ろに居るヷルトとマリルを見付けると「おお! あんたらも帰ってきたんだねえ」と到底憎めない笑顔を浮かべている。
ヷルトは何時もの仏頂面で頷くばかりだが、マリルは「うん!」と無邪気に返事を返す。
然し須臾、彼女は闇い表情を浮かべた。
男は背後に居るバクダを食い入る様に見ている。「あ、コイツはバクダ・デ・チェグルって言います。僕の家に居候する事に成りました。ほら、挨拶して。」彼の背中をぽんぽんと叩くと、彼はぎこちなくお辞儀をした。
「……外国の人なのかい?」「ええ。」男は眉を顰めた。
ああ、歓迎はされないのかもしれないな。
* * *
「……ねえ。」僕は彼女を家に返そうと土道を歩いている。
だが、彼女の足は快くは無い。とぼとぼと名残惜しそうに歩いている。
「大丈夫だよ。今生の別れでも無いのだから。また会いたくなったらおいで。」
僕は彼女と目線を合わせ、肩に両手を置いた。すると、彼女はえぐえぐと泣き出して了った。
其んな彼女を自分の胸に手繰り寄せる。
彼女はまだ泣いている。彼女の頭を摩ってやると益々泣き出す。
如何したら善いものかと思うが、其の儘、ゆったりと撫でてやる。
すると、彼女は胸から顔を離す。笑っているが、瞼の下は真っ赤に腫れている。
見遣ると、服には大きなシミが出来ていた。彼女は口を開く。
「……ココでお別れ。」
「良いの? 大丈夫なの? 着いてかなくて平気?」
大きく頷く。僕はもったりと立ち上がる。
「じゃーね! さよなら‼︎」と声だけは活気に溢れている。
僕の事も振り返らずに走り去っていった。「またねー‼︎」と大きな声を張り上げると彼女は一瞬、此方を向いた。瞼には涙が溜まっている様に見えた。
大丈なのだろうか。と心配に為るものの、其れは僕の了見違いでしかないだろう。
何時もの妄想だと信じよう。
僕はくるっと後ろを向き足を進めようとするものの、彼女の姿が見えなくなる迄何度も何度も振り返っていた。其んな自分がなんだか情けなく為った。
ゆっくりと階段を上り扉を開けると、右には新聞を読んでいるヷルトが居た。
「……ただいまー。」僕は悄然とした声を発する。ヷルトはいつもの通り声色を変えずに「おかえり」とだけ言う。
「バクダは?」と尋ねると、「今二階の俺の部屋に居る。気持ち悪いんだってさ。」と淡々と言った。
上着を脱いで衣紋掛けに吊るすと、とろとろとした脚付きで二階へと上がっていった。
ヷルトの部屋は結果的に見たことが無い。何だか妙に心臓の鼓動が早まる。
早速、ヷルトの部屋を覗いてみると、ベッドの上に倒れ、布団を目一杯迄に掛けて魘されているバクダの姿が在った。
ヷルトの部屋は迚も簡素だ。僕の部屋の様に余計な物は置かれていない。
棚やベッドや机等、生活に必要な物だけしか置いていない。
だが、一つだけ不思議な物が有る。
机の上に鍵の付いた小さな箱が有るのだ。だが、鍵は見当たらない。何なのだろうか。
と目を奪われていては本題が進まない。僕は布団の上からとんとんと彼を叩いた。
すると彼は此方を向いたが、魂が抜け切った様な虚ろな眼をしている。
僕はベッドの前で腰を屈める。「如何したの?」「……気持ち悪い」だそうだ。
「車酔いしちゃった?」
彼はのたりと首を横に振る。
「いや、違う……多分環境の変化に因るストレスだと思う……。」
「忘れてた……猫とかって環境の変化に弱いんだった……。」
彼は溜め息を吐いた。もぞもぞと布団の中で体を動かす。
「え?」
声帯から疑問符が突い出た。少し首を捻る。経験が全く無いと云っても過言では無い。
「うん……てかなんでリングは平気なのさ……。」
恨めしそうに此方を覗き、もそもそと呪詛の様な小言を並べる。
「……なんでだろうね、昔っから研究だの言ってあちこち飛び回ってたからかなあ。身体が慣れてるのかもしれないね。」
腕を組んで考えるものの、其の位しか原因は思い当たらない。
「嘘だろ……お前猫科として異常だよ……。」
掠れた苦笑いをするしかなかった。
唐突に彼は「おえっ」と苦しそうに噦いた。
「桶でも持ってくる?」
「ううん、ソレは大丈夫……。」
と首を振る。本当に大丈夫なのだろうか。
「……なんか有ったら呼んでね。」
とだけ言い、僕は一階に降りていった。
* * *
バクダが来て四日目、彼はスープやビョーマェㇻ̇の様な流動食しか口に運べなかったが、徐々に体調は佳く成って来ていた。一階で爪を研いでいると、ドダドダとゆったりと階段を降りてくる音がした。
「あ、バクダ。大丈夫?」彼は頷いた。
「ああ、コイツも来た事なら朝餐にでもしようか。」
ヷルトはさっと立ち上がる。台所の方へそそくさと向かう。
「手伝おうか?」「いいや、大丈夫。お前はバクダの事を見とけ。」
らしい。云われた通り、彼の事を見ておこう。と其の前に。
「バクダ、爪研ぎ持ってきた? そろそろ爪長く成ってきてるんじゃない?」
爪の足も削り終えた僕は彼に顔を合わせる。右手には鑢を彷彿とさせる持ち手の付いた金属の平べったい板を持っている。
「あ、そういや持って来てないかも……。」
不安そうに僕から目線を外す。
「分かった、じゃあ予備有るし貸したげるね。」
彼は此方を向いた。目を丸くしている。
「おい、お前さんら、朝食出来たから駄辯ってんじゃないぞ。」
台所からヷルトが顔を覗かせていた。僕等は顔を見合わせる。彼は態とらしく舌を出していた。
ああおかしい! 声帯が震えている。二人ともへへへと反省する気の無い笑い声を発する。
「はいはい」と囂しく返事をすると、僕等は居間へ向かった。
ヷルトが料理を運んでくる。やはりと云うべきか、今日の朝食はビョーマェㇻ̇だった。
それに汁物として出されたヴューㇰ̏。根菜のスープだ。
僕は祈る様なポーズをする。バクダは戸惑っていたが、すぐに僕と同じく指を絡め合わせた。
珍しくヷルトが微笑んでいる。好い雰囲気の中、僕等は同じくして声を発した。
「「「日々の糧に感謝して、そして生き物に感謝し、神様がくれた食物を頂きます。」」」
今回、タイトルを何にしようと考えあぐねた結果、シンプルに「ただいま」で行こうと決意しました。
次からは四章が始まります。お話の区切りが好いのでね。
* * *
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