第十六話:変貌させるには※
三月六日、改稿しました。と序でに後書きも修正しました。
僕は教会の前に立っている。今日はやや肌寒いものの僕が充分に動ける位には暖かい。
其れを見上げる。教会の鐘は無い。いや、塔はしっかりと作られているものの、塔の先に鐘が無い。
つまりは態々外したと思われる。設計時に無かった、と云う説は考え難い。
教会の扉をトントン、と叩く。だが然し、反応は無い。……入っても良いのだろうか。
僕はおずおずとしながらも扉をゆっくりと開けた。ギギギギギ……と云う耳に付く厭な音がする。
「すいませーん…………。」
教会内を眺めた。壁は大理石でも使っているのだろうか、真っ白だ。
黒と白は補色の関係に有る。だからだろうか、僕の姿が薄ら薄らに反射する。
部屋には教会らしく壇が奥の中央に在る。椅子も左右に整列している。
又、右端にはオルガンらしき楽器も在る。けれども、パイプオルガン特有の天迄貫く様な管は無い。
壇には黒い修道服を羽織ったシスターらしき人物が居た。
「悩める貴方に神からの……」と言った時点で、彼女は顔を上げた。
「あら?」と言うと、僕の事を卑しい笑みで見詰めてくる。
白い肌、青い眼、顔だけは綺麗なのに。残念だ。
僕はゆっくりと彼女に近付く。
「悪魔も神に頼る時代なのですね。」
すると、彼女はケタケタと笑いながら僕を指差す。
「いや、悪魔では無いですって。」
「で、悪魔さん、なんの御用事で? 神に祈りますか?」
否定するも、彼女は僕を蔑むように嗤っている。
「いえ……村に一つしかない教会らしいので、何んなもんかな、と、一応見に来ました。」
「悪魔信仰でも広めるおつもりで?」
「途んでもない。挨拶をしに来ただけですよ。」
「面白い冗談を言う悪魔さんですね。」
「ですが、貴方は此処に来た時点で詰みなのですよ。ほら。」
彼女は自分の胸に掛かっている十字架のペンダントを僕に見せる。
そして、ポケットから水の入った瓶を取り出す。キラキラと輝いているが、何かの薬品の類だろうか?
鼻をひくひくとさせる。特に匂いはしない。僕は首を傾げた。
「……で、如何したのですか?」
「え、いや、嘘でしょう⁉︎ 有り得ない! 悪魔にコレが効かない何て……!」
彼女は何故か取り乱す。あわあわとして自分の頭を掻き回す。頭が真っ白に成っている様だ。
僕は大きく溜め息を吐いた。
「……取り敢えず、帰っても良いですか?」
此んな茶番に付き合っては居られまい。彼女は「待ちなさい!」等と言うが、此んな法螺を吹く奴に付き合っている位なら魔法の研究でもしていた方が何倍も有意義に決まっている。
* * *
「ラ゙ヰ゚トㇳ・ズ̌ィチ̇ル̇・ズィーズィ。」
鏡を見ながら、僕は魔法をゆっくりと詠唱する。
すると、体が変化する。脚はガッチリとした犬科特有のソレに変わり、視線の中央には長い何かが生える。
僕は長いマズルと黒色の毛に包まれた犬獣人へと変わっていた。
「おぉ……。」
成功だ。足裏を見る。手の形状も変わっている。
鼻をスンスンとさせると、様々な匂いが鼻腔を通った。思わず「うぷっ」と声を上げて了う。
後に響かすまいが故、僕はさっとソレを解いた。鏡には何時もの自分が映っている。
此の魔法を何度か使ってみて分かった事が一つ。
自分の姿と乖離が激ければ激しい程大量の魔力を必要とする様だ。
人間や魔物に成るのは難しいだろうな。
おまけに生命の無い物と、見た事の無い動物は何度試してみても無理だ。
成る程な。かなりの魔力を喰らうわりには制限が有る魔法なのか。
けれど、他に変身する、と云う魔法は、今迄の魔法学会では議論されてこなかった。
ソレどころか、そもそも議題にすら挙がらない。
もし此れで学会の常識が塗り変えられると思うとニヤ付いた笑みが零れ出て仕方無い。
さあさっさと短縮詠唱の方も使ってみようじゃないか。
「うっうん」と声を出す。喉の調子は悪くはなさそうだ。
「ラウィ……。」
「ラヰ゚トㇳ……。」
僕は頭をさっきから何度も呪文を間違えて了っている。
嗄れた様なR音が出すのが難しい。
日本語や英語、延いてはエカルパル語にすらない音で有るから当然と云えば当然だが、魔導師の面目が無い。
此の位やって当然。……少なくとも僕は其う思っている。
肺腑に空気を送り、調子を整える。次はきっと行ける。行けるに違いない。
自己暗示は必須だ。僕は一字一句間違えぬ様ゆっくり丁寧と詠唱を唱えた。
「ラ゙ヰ゚トㇳ・ギ。」
今度は間違えなかった。僕の毛皮が変わっていき、硬質の毛に覆われていく。
黒が蒼に侵食される。そして四つ足の魔獣、ㇰ゙ルーネㇻ̇に……。
……変わる事は無かった。
「えぇ⁉︎」
僕は声を上げて驚いた。其れも当然、ㇰ゙ルーネㇻ̇みたいな獣人に変わって了っていた。
身長も変わっていないければ指も五本の儘。獣人のソレと魔物を半々で混ぜた様な見た目だ。
奇妙奇妙で奇々怪々。
嘘だろう、と思った。変身を解いて床に座り込む。此の魔法は彼の様な欠点が有るのか。
だが、当然だ。短縮詠唱は使いやすく低燃費にする代わりに、本当に完全な魔法は使えなくなる。大抵の場合は威力がやや弱く成る──と云うのが常だ。
つまり、今回は其の性質が不完全な変身として現れたのだろう。
短縮詠唱だと余り骨格は変えられないのか。
つまりはこの魔法、完全詠唱か無詠唱でしか使い物に成らないのだろう。
納得はいかないが、レポートに追記しよう。
だが、此処数日ずっと魔法の研究許りをしている。故に家に居たくは無い。
気分転換も兼ねて外でレポートを纏めよう。
僕はノートと石筆を持って村の公園に出掛けて行った。
「……はぁ……はぁ……。」
僕は犬みたいにぜぇぜぇ息を切らしている。舌を出したとて猫科には意味は無い。
……走るんじゃあ無かった。猫科には持久力と云うものは無い故に長距離を走るのは苦手なのだ。
僕は公園のベンチに座る。全体重を背凭れに掛けてはあはあと息を吐く。
顔を真ん中に向けた。其処には噴水が在る。チョロチョロと水が出ている。
幸運な事に人は何処を見ても居ない。此んな恥ずかしい姿、誰にだって見せられない。
「あぁ……。」
両手を背凭れの上に広げ、首を曲げて噴水とは反対側を見る。
と、其の時。
異様に耳がむず痒く成ってくる。誰かが耳を触っている様だ。
悪魔だの何だのと云われている僕に興味を示すなど何んな物好きなのだろうか。
眼を動かして確認してみると、例の青い髪の少女が居た。
……覚えている。あの、僕を気にしていた様な素振りをしていた少女だった。
其の時は彼女は逃げて了っていた、那の彼女だ。
僕は首を倒すのを止め、後ろの方を向く。
「……こっちにおいで?」
ニコッと微笑んで隣へ来る様に促す。
牙が見えたからか彼女は少し驚いては居たが、ゆっくりと歩きながら僕の隣に座った。
彼女は何処か不安そうな表情で僕を見詰める。
「……こんな所に一人で如何したの?」
「お手伝いが嫌だから来ちゃった。」
と幼い声で細々と言う。彼女は僕から目線を逸らす。頬っぺたを膨らませて怒っているようだ
お手伝い、か。彼女は小学生位に見える。其の頃、僕は如何だっただろうか。
今世は魔法に熱中していたから師匠に頼りっぱなしでは有るものの、僕はお手伝いを嫌だと思った事が無い。
前世では母親が働いていたからだ。洗い物や、料理や、洗濯物等、やらないと母の負担に成る。
僕は如何アドバイスを掛けて良いか分からない。
「でも、手伝って欲しい、って言ってるのは、君に何かして欲しい事が有るんじゃないかな?」
「……めんどくさい。」
そうか。面倒臭いか……小学生なら、考えるだろうな。気持ちは分からないでもない。
「お父さんお母さんには抜ける、って言ったきたの?」
すると、彼女は首を小さく振る。
「お父さんとお母さんが心配するんじゃないかな?」
僕はついつい其んなコトを言って了った。如何しても子供にはお節介を焼いて了う。
彼女は此方を見る。瞼に涙を浮かべて僕の眼を見る。
……泣かせて了ったか。罪悪感が湧く。
「だって……。」「……ごめんね。」
僕は彼女の頭を摩る。すると、彼女は涙をポロポロと流す。
ハンカチを取り出した。眼窩から溢れ出す涙をそっと拭いてやる。
もしかして、だが。両親と余り上手く行っていないのだろうか?
すると、彼女は案外あっさりと泣き止んだ。然し、顔は曇っている。
両者とも顔をチラッと見るが、其れ以上の行動は起こさない。
僕は彼女を如何扱って良いか分からない。何処か気不味い。
「ねぇ。」「何?」
けれど、其の空気を打ち破ったのは彼女だった。
彼女の顔を見る。
「獣人って人間を食べるの?」
真面目な表情で尋ねてくる。度肝を抜かれた。まさか此んな年端も行かない子が其んな質問を投げ掛けてくるとは思わなかったからだ。
「いいや? 食べないよ。」
僕は首を横に振る。
「……本当に人間を蔑んでいるの? 死んで欲しいの?」
矢継ぎ早な質問。彼女は知りたくて知りたくでしょうがないようだ。──けれど──此の、訳の分からない言い草は既視感が有る。
「ううん、それも思ってないと思うよ。」
少なくとも僕は、だが。元々人間だったんだ。人間の良い所は知っているつもりだ。
昔、啀み合っていたジュデバ国の人は如何思ってるかは知らない。
「……だよね……。」
「大丈夫?」
彼女は顔を下に向けて何かを考えているみたいだ。
「うん……あのね、お父さんがね。」
顔を上げると、辿々しく弱々しくも彼女なりに言葉を紡ぎ始めた。
「獣人には関わるなーって。あいつらは凶暴だって。」
「……でも、そこは……あの……心配してくれてるんだな、って思ったの。」
「けど、なんか……それから……『獣人は人間を殺してる』とか、『獣人なんて本能の無い獣だ』とか、『獣人の命を救うなら人間の命を救え』とか……。」
「なんか……怖かった。お父さんが。」
「わたしには分かんないけど……そーゆうのって、『差別』、って言うんじゃないか、って。」
「でも、言ったら、『正当な区別で、歴史的に見ても獣人は人間の下に居るべき』って言うの。」
「分かんなくなった、お父さんも、獣人も。」
彼女は顔を下げて声を震わす。僕は彼女を背を摩ってやる。
……そうか。君は血筋の有る父親に其んなコトを言われたのか。
実の父親が言うべき台詞で無い事は明らかだろう。何を言っている。
彼女が真剣に、差別は良いのかと悩んでいる彼女の話を聞かず自分の主張だけを一方的に押し付ける何て、ほとほと呆れるしかない。親の責務を放棄しているとも言える。
『悪魔』が、では無く『獣人』がと言う所が如何にも彼らしい。
彼が蔑んでいる『獣人』に此んな事を言われたら激昂するだろうな。
それ程お前の思考が浅はかだと云う裏っ返しだ。
此の儘彼女に差別思想を埋め込まれていたら、きっと彼女の人生は滅茶苦茶に成っていただろう。
明らかに時代錯誤だ。只、救いは有る。此の子は蝌蚪だから。
「……そうなんだね。」「うん。」
僕は和やかに微笑む。彼女はゆっくりと頷いた。
「だから訊いてみたの、本当にそうなのか、って。」
「だったら、じゃなかった。」
彼女は剥れる。頬をリスみたいに膨らまして心の底から怒っている様だ。
「……お父さんに言ってくる。」
彼女はすくりと立ち上がる。そして、僕の眼を凝視してくる。
「大丈夫?」
僕は彼女の眼を見返した。天色の眼には只ならぬ決意が浮かんでいる。
言っても無駄だろうとは言わないでおいた。彼女が父親と向き合う場面を潰したくは無かったからだ。
「……じゃあ明日またここに来て伝える。」
そうして、彼女が足速に公園を後にして了った。
次の日、僕はまたレポートを纏めている。けれど、僕の心は荒波の様にざわざわとしている。
昨夜も上手く眠る事が出来なかった。彼女の事が心配で仕方無いのだ。
何か、音がした。後ろを振り向いた。靄けた小さな人影が見える。
僕は目は良い。だが、ソレは動体視力のお話。純粋な視力は悪いだろう。
とじっと其れを眺めていると、段々と人影の正体が露わに為る。
碧い髪、碧い眼、昨日の彼女だ。只、ゆったりと、そしてとぼとぼと此方に歩いてくる。
そして僕の隣に座ると、顔を下げて膝の上で拳をぎゅっと握っている。
「……駄目だった?」
「うん……。」
彼女の顔を見ようとするも、彼女は僕から目線を逸らす。もったりと頷いた。
「なんかね、そんなコトは無いとか、有り得ないとか……なんか。」
「そしたらもうソイツと関わるなって……。」
彼女はボソボソと声を発する。僕が頭を撫でてやらなねば、きっと此の儘消え失せて了うのでは無いか。
「あぁ……。」
僕は肩を落とした。思わず項垂れる。中々に頑固な親父さんみたいだ。
一体如何したら善いのやら。彼女は僕に目線を合わせた。うるうると瞼に涙を溜めている。
「如何しようかね……。」
彼女を撫でるのを止め、頬杖を突きながら空を眺めた。
雲がゆったりと流れている。彼女の事など微塵も気にしていない様子だ。
「…………もうお父さんなんて大っ嫌い。」
と言ったかと思うと、「ひっひっ」と云う震えた声が聞こえた。
僕は彼女に目線を合わせる。彼女は大粒の涙を零しながら全身を震わせている。
そうやって咽びている彼女に、僕は言葉を掛けて背中を摩る事しか出来なかった。
リングさんは本当に子供に甘いです。砂糖や蜂蜜依りも甘いです。絶対に。
なんでか、と云うときっと彼の過去の記憶が起因しているでしょう。




