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奇妙な味のレストラン

ビデオの化け物

作者: 恵良陸引

 映美えいみから、父親が車を出してくれると連絡が入ったのは7月終わりごろの夜だった。大学の夏季休暇中、サークルの夏合宿をどうするか話し合いをしていたのだが、どこへ行こうにも「アシ」が問題になる。

 「今度は山にでも行きたいねぇ」などと話していたが、「行きたいねぇ」の感想を言うだけで話が終わりそうな雰囲気だった。車を出せるのは3回生のタカハシさんだけで、その車には4人までしか乗せられなかった。サークルのメンバーは7人。あと3人分の移動手段が確保できなかったのだ。レンタカーを借りるという選択はあるが、ぼくも含めて運転に慣れた者は皆無だった。タカハシさんからは、「レンタカーで7人乗りを借りる手もあるけど、そうなると荷物が積めねぇわな」と両手を挙げながら言われた。『打つ手なし』のポーズだった。

 ぼくたちが活動しているのは映画サークルである。小さい規模の単なる同好会だが、40年以上の歴史がある。黎明期は8ミリカメラを回して映画撮影をしていたそうだ。フィルムを使っての映画製作なんて想像できないが、当時はサークルの部員が20人を超えており、何とかなったようだ。最も多いときには40人以上も在籍していたと聞いている。80年代、90年代の先輩方には映画好きが多かったのだ。

 新世紀に入って10年代にもなると、映画好きの人口はどんどん減っていき、今では10人に満たないサークルになってしまった。ただ、密に接することができる分、みんな仲が良く、連れ立って出かけることが多い。出かける先で一番多いのは、もちろん映画館だ。

 かつてのように映画撮影をすることは無くなってしまったが、有名無名を問わず、面白そうな映画を観て、どこが気に入ったのかを語り合う風景だけは昔と変わっていないのではないかと思う。

 そんな連中の集まりなので、夏合宿をどうするかなどと話してはいたが、どこか泊りで映画談議に花を咲かせたいというのが正直なところだ。

 少し前なら、誰もが車の免許を持ち、車を持っている者も少なくなかったらしいが、最近は状況が異なる。ぼくもそうなのだが、車を持つことに多くの学生は魅力を感じていないし、それにかかる金銭的負担を考えると、手も出しにくいのだ。そんな中で、映美の父からの申し出は思いがけない助けだった。彼女の父がぼくたちに助け舟――この場合は助け車と言うべきか?――を出してくれたのは、ぼくたちと浅からぬ縁が在ったからだ。

 映美の父、クロサワさんは、ぼくたちのサークルのOBだった。およそ30年近く前のことだそうだ。当時はすでに8ミリカメラの時代ではなく、ビデオカメラで映画撮影をしていたらしい。40人以上部員がいた時代を知る人物である。

 映画が大好きだということは、大事なひとり娘に「映画」の「映」の字を名前につけたことからもよくわかる。後輩であるぼくたちに好意的で、映美の入部以来、ときどき差し入れを部室に持ってきてくれていた。サークル黎明期から大所帯時代の歴史は、全部クロサワさんから聞いた話である。

 夏合宿の話が持ち上がったとき、クロサワさんに助けてもらえたらなんて考えが浮かばなかったわけではないが、さすがに図々しい考えだと思っていた。それが、向こうから申し出があったのである。ぼくはもちろん、みんなも喜んで申し出を受け入れて、山への夏合宿が決まった。行先は兵庫県と鳥取県の境にある氷ノ山【ひょうのせん】である。

 出発は、クロサワさんの都合に合わせて、今度の土日に決まった。アウトドア好きでもあるタカハシさんと、同じ3回生であるオギノさんがテントを用意し、ぼくがバーベキューセットを持参することになった。残りの者は食材などの買い出しを担当した。

 こうして泊りの用意を整え、ぼくたちは2台の車に荷物を詰め込んだ。そして、意気揚々とキャンプ場目指して出発したのである。


 クロサワさんの車に乗り込んだのは、ぼくと同じ2回生のオカモトと映美、そしてぼくの3人である。

 「悪いねぇ、君たち若いひとの集まりに、僕みたいなオジサンが混ざっちゃって」

 ハンドルを巧みにさばきながら、クロサワさんがぼくたちに詫びた。

 「とんでもないですよ。こうして車を出してもらえなかったら、ボクたち、合宿なんて行けませんでしたから!」

 オカモトはわざとらしいぐらいに大きな声で言っている。映美に気のあるオカモトのことだから、クロサワさんに媚びを売っておきたいのだろう。しかし、クロサワさんが車を出してくれたのは、可愛い後輩のためと言うより、愛娘をひとりで外泊させたくないという気持ちからだと、ぼくは気づいていた。映美は父親の注意をまったく気にかけないところがあるので、外泊を止めさせることができないのだ。止めることができないのであれば、娘の行くところについて行って、良からぬ虫が近づかないよう監視するしかない。ぼくもオカモトも、その良からぬ虫のうちだということをオカモトはわかっていないのだ。

 ぼくはオカモトのお気楽さに心の中で呆れながらハンディカメラを回していた。合宿の様子を撮影し、鑑賞に耐える動画にする。一応、合宿の目的はそれだった。ドキュメンタリーの撮影練習みたいなものだ。

 実際にカメラを回してみると、車内の撮影の難しさがよくわかる。車内は光が乏しいので、普通のカメラだとみんな顔が真っ暗になって見えにくくなるのだ。この日は快晴だが、車内を撮影するには厳しかった。試しに天井のライトを点けてみたが、あまり役に立たなかった。時おり照り返しで陽の光が入ってくるが、逆に明るすぎて返って邪魔だった。夜間モードに切り替えてみたが効果は今ひとつだ。画像が荒い粒子で汚くなるのだ。クロサワさんは、顔をしかめながら撮影しているぼくに気づいたらしく、「光源、持って来るべきやったね」と言った。「大げさやと思ったので」ぼくは半ばあきらめの声で応えた。

 大阪から西宮の集合地まで30分。タカハシさんと合流して改めて出発し、西宮から氷ノ山まで4時間。早朝に出発したのだが、目的のキャンプ場に着いたのは昼前になった。穴場のキャンプ場で、ぼくたち以外の客は見当たらなかった。

 「お疲れさん」

 クロサワさんは、ぼくたちに声をかけた。長時間のドライブだったのに、疲れた様子が見られない。ぼくは恐縮した。「そちらこそ、本当にお疲れさまです」

 カメラ担当のぼくは、車内の撮影をあきらめて、窓から見える景色の撮影に切り替えていた。こちらは十分すぎるほど撮影できた。一方、何の担当もしていないオカモトと映美はすやすやと子供のような寝息を立てて眠っていた。

 「おい、お前ら……」

 ぼくが苦言を口にしかけると、

 「寝顔も可愛いだろ、僕の映美」

 と、脇からクロサワさんが口を挟んだ。ふたりの態度をまったく意に介していない様子だ。本当に娘大好きだな、このひと。ぼくは苦笑いを浮かべながら、ふたりを起こした。

 キャンプ場は氷ノ山の登山口近くにある川辺にあった。冷たそうな川の水は透明度が高く、そのまますくって飲めるんじゃないかと思えた。8月初旬のころで、大阪の空気はすでに息苦しい熱気を帯びていたが、ここでは息苦しい暑さは無かった。山の空気に溶け込んだ草木の香りが、みずみずしさを感じる柔らかな風に乗って漂っていた。

 キャンプ場に着くと、みんなてきぱきと動き始めた。テントを設置する者。バーベキューセットを組み立てる者。みんな、決められた役割をこなしている。車の中で眠っていたオカモトと映美のふたりは充分に英気を養えたと見えて、元気いっぱいに仕事をこなしていた。カメラ担当のぼくは、少しほっとしながらカメラを構えた。運転でお疲れのクロサワさんには、何もせずにくつろいでもらうつもりだ。どこにいるのかと見渡してみると、同じ運転担当のタカハシさんと、川辺に座って缶ビールで乾杯しているところだった。


 昼間は弁当で軽い食事を摂り、あとは周囲の散策をしたり、バドミントンに興じたりして過ごした。日が山の向こうへ隠れそうなころに、ぼくたちは火をおこしてバーベキューの準備に取り掛かった。キャンプ場には食事のできるテーブルとベンチがあった。樹を半分に切って、断面をテーブルとベンチにしたものだ。そこにLEDライトのランタンを置いて、晩餐の用意をととのえた。

 バーベキューは、この日でもっとも楽しい時間になった。みんなよく笑い、よく飲み、よく食べた。昼間から飲んでいたクロサワさんとタカハシさんは、顔を真っ赤にして上機嫌で缶ビールをあおっていた。未成年の映美や、お酒に弱いぼくがいるので、三五〇ミリ缶2ケースは買い過ぎかと思ったが、1ケース目はバーベキューが始まる前にほぼ飲み尽くされていた。ぼくの心配は余計なものだった。

 食材も飲み物もあらかた胃袋に収まると、ぼくたちはランタンを囲んでいろいろな話で盛り上がった。映画同好会らしく、話題の中心はやはり映画の話だった。最近観たものの感想から、何の作品が一番好きなのか、部室でもしていたはずの話だが、ぼくたちは夢中になって語り合った。ところどころでクロサワさんが話題に入ったので、おかげで話がマンネリ化しなかったようだ。

 そうは言っても、映画の話ばかりでは飽きてきた。そういう話は、けっきょく部室でもできるのだから。

 そう感じたのはぼくだけじゃないらしい。誰かが「せっかくだから怪談でもしよう」と言い出した。

 「怪談?」映美があからさまに嫌そうな顔をする。彼女は映画好きだが、ホラーものは大嫌いだ。「そう毛嫌いせずに観てみなよ」と『パラノーマル・アクティビティ』を見せたら、「恐いやん!」と泣きながら激怒された。たしかに、あれを見て大笑いしているタカハシさんのほうがおかしいとは思う。ただ、このエピソードでもわかる通り、彼女の恐がりは相当なものだ。

 「だって、ここ、めっちゃロケーションええやん。周り見てみい。真っ暗で俺たちしかおらんやんか。ここで怪談せえへん選択肢は無いで」

 タカハシさんが辺りを見るように顎をしゃくってみせた。夜はだいぶ更けていて、辺りは本当に闇だった。むしろ星が輝く夜空のほうが明るいぐらいだ。「夜空って、本当はこんなに明るかったんだ」と思わせるほどで、山が黒々としたシルエットで輪郭がよくわかるほどだった。俯瞰してみれば、この景色は壮大で美しい。しかし、ぼくたちが囲んでいるテーブルの周囲は寂しいを通り越して不気味であった。ひと気のないところだから静かだと思っていたが、それをいいことに虫たちが我が物顔で合唱して騒がしい。その割に、ぼくたちの近くでは虫の鳴き声は無く、暗闇が音さえも呑み込んでぼくたちを覆っていると思わせた。ぼくたちを乗せた車は闇の中に溶け込んで姿が見えない。幸い、近くを流れている川は星空を映してほのかに明るく見える。誤って川に落ちる心配は無いだろう。しかし、川をのぞけば安全かつ安心して歩ける所が無かった。さっき、トイレへ行くにもタカハシさんのライターを借りなければならなかった。キャンプ場のトイレには蛍光灯が備え付けられていたが明かりは点かなかった。スイッチを探してみたが見つけられなかった。そのせいで、トイレに行きたい者はタカハシさんのライターが頼みだった。タバコを吸うのはタカハシさんだけなのだ。

 これほどの暗い夜は経験したことがない。それもあって、多少は不便でも、あえて辺りを明るくするための行動は取らなかった。何となくではあるが、「趣がある」と感じていたのである。清少納言が『夏は夜』などと書いていたが、月や蛍が無くても、ぼく個人はこの夜を楽しんでいたのである。ただ、あくまで個人的に楽しんでいたのであって、例えば映美あたりは、この山の夜を心から楽しめているわけではないようだった。

 「こんなところで怪談なんてしてたら、ほんまにアブナイことにならへん? 『魔が差す』って言うやん」

 映美は弱々しい声で言ったが、周囲から賛同は得られなかった。父親のクロサワさんまで、「やろう、やろう」と乗り気だったからである。そんなわけで、『映画同好会 夏合宿納涼怪談大会』が始まった。


 語り部は順番に話し始める、ありきたりのパターンで行なわれた。それぞれがとっておきの怪談話を披露していく。しかし、大部分が手垢のついたような、聞いたことのある話ばかりだった。オチを知っている分、怖さも薄れる。ただ、「その話、知ってる」なんて言うのは興醒めもいいところだから、ぼくは無言で話を聞くことに徹した。

 怖い話が嫌いな映美はともかく、ぼくも披露できるほどの怖い話は持っていなかった。ぼくが両手を挙げて『ネタ無し』を白状すると、場の雰囲気が冷めてしまった。

 「なんや、ネタ無いんか」タカハシさんがつまらなそうに言う。

 「すんません」ぼくは頭を下げた。一方、映美はほっとしたような表情を浮かべていた。本当に怖がっていたらしい。

 「クロサワさんは無いんですか、怖い話?」

 急にオカモトがクロサワさんに話を振ってきた。

 「え? 僕?」

 クロサワさんは驚いたような表情を浮かべた。「やろう、やろう」と言っていた割に、怪談のはじめの部分は気持ちよさそうに寝ていたのだ。昼からずっと飲みっぱなしだったから、完全に酔いが回っていたのだろう。途中から起き出すと、それからはずっとみんなの話に耳を傾けていた。

 「うーん、怖い話ねぇ……」

 クロサワさんは腕を組んで考え始めた。夜空を見上げ、どこか昔を思い出している表情だ。

 「あるにはあるが……、話したものかどうか」

 「どんな話なんです?」

 オカモトが食いついてきた。クロサワさんは苦笑を浮かべた。

 「僕が実際に体験した話さ。ちょうど、君と同じ年齢としぐらいのときに」

 「学生時代の話ですか?」ぼくも興味が湧いてきた。

 「聞きたいですね、聞かせてください」タカハシさんも身を乗り出した。娘の映美だけが、「えー、やめてよ、パパ」と苦い表情だ。

 「君たちが話してくれた幽霊やお化けの話とは、まるで趣が異なるんやけど、それでもええかな?」

 クロサワさんが念を押すように言う。ぼくは、ますます興味を持った。

 「ぜひ、お願いします」

 「わかった。じゃあ、話してみよう」

 クロサワさんはうなずくと、紙コップにペットボトルのお茶を入れ、一気に飲み干した。こぶしで口をぬぐうと、少し身を乗り出すようにして、「それはね……」と話し始めた。


――それはね、僕が3回生になったばかりのことだ。ある昼休みに、食堂で友人を偶然に見かけたんだ。偶然と言うのも、一緒に遊んだり、ノートを見せ合ったりしたのは1回生のときぐらいで、学年が上がってから、お互い忙しくなって顔を合わす機会が無くなっていたんだ。それでも友人なのかって言われるかもしれないけど。そのころ、彼は学校からあまり離れていない場所にあるコンビニでバイトしていた。彼は学校すぐそばのワンルームマンションでひとり暮らしだった。学費は親から出してもらっていたけど、食費などの生活費はバイトでまかなっていたんだ。ただ、バイトが忙しくなるまでは、彼も映画同好会の一員で、僕と一緒に映画を撮ったりしていたんだ。彼のほうがすごいマニアぶりで、撮影道具などを実家から持ってきていたよ。そんな彼と顔を合わす機会が無くなったのは、彼が同好会を辞め、勉強以外の時間をバイトに当てたせいなんだ。一方で、僕はサークル活動で忙しくしていたからね。ただ、僕が「久しぶり」って声をかけると、向こうも「おお、久しぶり」って笑顔で応えたよ。仲違いしてたわけじゃないから、それが自然だったと思うよ。

 「最近、どうしてる? 噂は聞いているけど」

 僕は友人の向かいに座って尋ねた。噂というのは、当時、彼にはすごい美人の彼女がいたんだけど、その子と別れたって話だった。彼女の友人ルートから、その噂話が僕の耳に入ったというわけだ。

 「まぁ、ぼちぼちとね……」と、彼は無難に答えようとしていたけど、声の調子がおかしかった。何か大きな心配事を抱えているような、浮かない表情だったんだ。僕は彼女の件はかなり深刻な問題だったのかなと思って、話題を変えようとした。すると、彼から、「なぁ、黒沢。お前、お化けや幽霊の存在を信じるか?」などと言ってきたんだ。意外な話に僕は面喰った。

 「お化け? 幽霊?」

 てっきり、彼女と別れた件で浮かない表情だと思った僕は、完全に意表をつかれた。おかげで、まともな返事が言えなかったよ。

 それから、彼から浮かない表情だった理由を聞かされた。彼の住む部屋に女の幽霊が出るらしいということだった。

 「出るらしい? 直接見たわけやないのか?」

 僕が尋ねると、彼は自信無げにうなずいた。なんでも、バイトで留守にしているはずの彼の部屋から、女性の顔が外をのぞいていたという話を聞かされたそうだ。しかも、それが1件だけじゃない。別々のひとから複数の目撃証言が現れたと言うんだ。本人にしても、思い当たるフシが無いわけじゃなかった。どことなくだが、出かける前に部屋に置いていた物の位置が変わっているように感じていたらしい。何も無くなっていないから気のせいかなと思っていたらしいが。ただ、複数の目撃話を聞かされると気味が悪い。それで浮かない表情になっていた、ということだ。

 「枕元に女性が立っていたなんてことは……」僕が聞くと、

 「無い、無い。そんなこと」と、即否定されたよ。

 「じゃあ、勘違いやないんか。隣の部屋と見間違えたとか……」

 「2階の角部屋やからな。見間違えるって考えにくいんやけど」

 「そやな……」

 僕も浮かない表情になってしまった。残る可能性はひとつしかない。それで、一番の核心部分に触れることを尋ねたんだ。

 「じゃあ、お前の彼女が出入りしていた、という可能性は……?」

 彼はすぐに首を振った。

 「彼女とは先月別れた。それに、彼女は俺の部屋のカギなんて持ってないから、部屋に立ち入るなんてありえない」

 「そっか……」噂が事実であることは確認できたが、おかげで彼の疑問に対する答えを完全に失ってしまった。僕は、その時点では真相を突き止めることをあきらめかけていた。

 「そっちはどうよ? 最近、ちゃんと活動してんのか?」

 今度は彼が僕に尋ねてきた。辞めたとはいえ、彼も映画好きの仲間だ。彼なりに気にはかけてくれていたらしい。僕はそれが嬉しかった。

 「まぁな。今年はけんが監督で映画を撮るで。ラブコメものになる予定や。学園祭で披露するつもり」

 「ええっ、あいつが? あいつが『アクション』とか言うんか?」

 「そうそう。『はくしょん』としか聞こえんと思うけどな」

 お互い軽口を言い合いながら、僕はさっきのことを考えていた。映画の話をしたことで、さっきの件を解決できるかもしれないアイデアが浮かんだんだ。

 「なぁ、お前の部屋に隠しカメラを仕掛けてみんか?」

 「隠しカメラ?」僕の唐突な提案に、彼は目を丸くした。

 「最近、映画の撮影でハンディカメラを手に入れたんや。ビデオテープとほぼ同サイズって言えるぐらいのコンパクトタイプや。3倍速モードやったら、一二〇分テープで6時間は撮影できる。それでバイトで留守中のお前の部屋を監視するんや。鬼が出るか蛇が出るか。それでハッキリするで」

 僕の提案に、彼はいかにも恐ろしそうな表情を見せた。「マジで? マジもんの幽霊とか映ったらどないすんねん」

 実のところ、隠しカメラのことで乗り気なのは僕のほうだった。彼は最後まで気が進まない様子だった。あの結末のことを考えると、隠しカメラを仕掛けたのが良かったのかどうかは、僕の中で結論がついていない。ただ、あのときの僕は熱心に話を進めて、彼を何とか説得した。彼は渋々、僕の提案を受け入れたんだ。

 話が決まれば、善は急げだ。僕は機材を用意して、彼の部屋を訪ねた。彼の部屋は6畳ぐらいの広さで、真ん中にこたつが置かれていた。壁に大きな本棚があったけど、一番上には本ではなくビデオカメラなど、撮影用の機材がずらりと並んでいた。彼自慢のコレクションだ。コレクションには当時のテレビ撮影に使われたカメラも含まれていた。彼は壊れたカメラを譲り受け、自力で直していた。彼は、そうやって手に入れたカメラをけっこう持っていたんだ。

 僕は、持ち込んだハンディカメラをその機材の群れに混ぜて設置した。彼が持っているカメラは大きいものばかりで、部屋を隠し撮りするには勝手が悪かった。ハンディカメラはドアからこたつあたりまでを撮影できる角度に固定しておいた。こういうことも彼のコレクションではできなかったんだ。

 ハンディカメラは、彼のコレクションにうまく紛れて、棚を見られても隠し撮りされているとは気づかれまいと思えた。すきま風が入るわけじゃないけど、部屋の窓からは風の通る音がいつも聞こえて、カメラがテープを回す音をかき消してくれていた。これなら、お化けだか幽霊だかわからない女に気づかれはしないだろう。僕は自分の仕事にすっかり満足していた。

 カメラの設置を終えて、僕はバイトに向かう彼と別れた。あとは、明日ビデオを再生し、何が映っているか確認するだけだ。彼はずっと不安そうな顔をしていたよ。そりゃそうだろう。彼は当事者で、僕はただの傍観者だったからね。

 翌日、彼の空き時間に部屋を訪ねた。彼は、次の授業までけっこう時間があったんだ。僕は受講しているものがあったけど、こちらを優先させてサボった。

 ハンディカメラは最後まで撮影を終えていた。僕はテープを取り出し、彼が使っているテレビに放り込んだ。今では見かけないけど、ビデオデッキ搭載の14型テレビだよ。線をつながずにすぐビデオが見られるシロモノさ。当時の学生には重宝されていたよ。

 僕はテープを巻き戻すと、最初から再生を始めた。彼も僕の隣で固唾を呑んでテレビ画面に見入っていた。

 ビデオには、無人の部屋の様子が映っていた。動くものはまったくない。こちらも6時間のテープを同じ時間かけて再生するつもりはない。早送りして確認した。しばらくは早送りしても画面に変化は無かったんだけどね。やがて、部屋に変化があったので再生を止め、少し巻き戻してから、通常速度で再生してみた。

 変化があったのはドアだった。ドアノブの上にあるサムターンが動いたんだ。サムターンって、ドアをロックするために半回転させて掛ける錠のことだよ。それがひとりで動いたんだ。こうしてロックが外され、ドアが開いた。部屋に女性が現れた。遠目だが美人だとわかった。

 その女性は慣れた感じで部屋にあがると、まるでずっと前から知っているかのように掃除機を引っ張り出してきた。それはドレッサーの一番下に入っていたんだ。その女性は掃除機の位置を把握していたんだ。

 そのまま様子を見ていると、女性は掃除機をかけ始めた。けっこう丁寧だった。ただ、棚の上を掃除しようとはしなかった。たまたま棚の掃除をする日じゃなかったのか、もともと床を掃除することしか考えていなかったのか、それはわからない。ただ、そのおかげで隠しカメラの存在に気づかれることはなかった。もし、棚の上を掃除されていたら、さすがに隠しカメラの存在は気づかれていただろうからね。

 その女性は掃除機をかけ終えると、掃除機を元あった場所にしまいこんだ。部屋をぐるりと見回して、そのとき棚の上にも視線を向けた。その瞬間はさすがにどきりとした。彼女の目は確実にカメラのレンズと合っていたからだ。ただ、ほかのカメラが並んでいたせいで、彼女は不審に思わなかったようだ。彼女は部屋を出て行った。ドアに注目していると、サムターンが動いて、しっかり錠が掛けられた。それ以降は、いくら早回ししても二度と女性は現れなかった。最後まで再生した後、僕は女性が映っていた場面まで巻き戻した。僕がこうした作業をしている間、お互いまったく口をきかなかった。やがて、女性が映っている場面にまで戻すと、僕は画面を指さした。

 「見ろよ。幽霊じゃなかったよ」

 僕はやや拍子抜けした気分で言った。テレビに映っている女性は、彼が先月までつき合っていた女性だと確信していたからだ。

 「たぶん、お前とヨリを戻したかったんやろ。こうやって世話を焼いて、お前が気づいてくれるのを待っとったんや。やり方はともかく、いじらしい女ごころやな」

 彼はずっと無言でテレビ画面を見つめていた。僕の言っていることが耳に入っていないようだった。さすがに、僕も少しイラっとした。そこで、彼の肩に手を置いて、「おい、聞いてんのか」と声をかけたんだ。すると、彼はぽつりと小さい声でつぶやいた。

 「俺……、この女のひと……、知らん……」


 クロサワさんは、そこで口を閉じた。ぼくたちの反応をうかがっているようだった。ぼくは混乱していた。「知らない……女性……?」

 クロサワさんはうなずいた。

 「まったく見知らぬ女性が、部屋のカギを開けて侵入し、彼の掃除機を使って床掃除をして帰ったんだ。帰り際にきちんと部屋のカギをかけてね」

 「……どういうこと……?」

 オカモトも混乱していた。今度は、クロサワさんは首を横に振った。

 「さぁ? 何が起こったのかは、今、話した通りだ。それ以上のことは起きていない」

 テーブルを囲んでいる者からは、まったく声があがらなくなった。シンと静まり返っている。

 「当時は震災前のことでね。桶川ストーカー事件が起きる前の出来事だった。もちろん、このころには『ストーカー』なんて言葉も聞かれなかった。そのせいか、この出来事は深刻に受け止められなかった。証拠のビデオテープを警察に持って行って、事件の説明をしたんだけど、まともに取り合ってくれる様子はなかったね。そりゃあ調書を取ってはくれたけど、盗まれた物がなく、壊された物もない。つまり、実害は無かったってことなんだ。今は違うと思うけど、当時の警察は、こんな話に本気でつき合う考えは無かったようだね。彼の部屋を調べに行くことすらしなかったよ。次、侵入されたら通報してくださいって、それだけ言われて帰されたよ」

 「警察は動かなかったんですか?」

 オカモトが少し怒った口調で言った。

 「まぁ、具体的な被害は存在しなかったからね。むしろ、無料ただで床掃除をしてくれたぐらいだもの」

 タカハシさんは両腕で自分を抱きしめる格好をしていた。

 「いや、クロサワさん。それ、マジで恐い話やないですか!」

 ぼくも背筋に嫌な感触があった。背筋がゾッとするというのは、本当にあるのだ。

 「じゃ、じゃあ、その話は、それで終わりなんですか?」

 オカモトが余計なことを聞いてきた。続きがあったら、本当に恐ろしい結末しかありえないだろうが。

 クロサワさんは苦笑いしながら手を振った。

 「たしかに、話そのものとしては終わりだね。まぁ、後日談は少しある。当事者である我が友人は、完全に怯え切ってしまった。あの部屋には戻れないと言い出して、それからは友人、知人の部屋を転々としながら部屋探しをして、学校から遠い部屋に引っ越してしまった。あの部屋には二度と戻らなかったよ」

 そりゃ、そうだろう。ぼくだってそうする。

 「翌年には震災が起こり、彼が住んでいたワンルームマンションは半壊してしまった。この間、君たちに会いに行ったついでに、あのマンションがあったところに行ってみたけど、きれいな学生向けマンションに変わってたね。当時を思い出させるものは何も残ってなかったよ。思えば、あのビデオテープもダビングしてから持っていけばよかった。そうすれば、この話をしながら、実際の映像も見せてあげられたんやけどね」

 「やめてよ、パパ! そんな趣味の悪いこと……」

 いきなり大きな叫び声が聞こえた。見ると、顔から血の気の引いた映美の姿があった。彼女は完全に怯えていた。


 翌朝、来たときよりもきれいにと丁寧に後片付けをしてから、ぼくたちはキャンプ場をあとにした。昨夜のクロサワさんの話が衝撃的だったせいか、映美はすっかり大人しくなっていた。ぼくが話しかけても元気な様子は見られなかった。

 帰りの車も、同じメンバーが同じ席に座って帰ることになった。タカハシさんをはじめとする学校付近の下宿組と、ぼくのように地元大阪から通う組に分かれれば、自然とそうなるだけなのだが。

 「いやぁ、楽しかったねぇ。また、何かやるときは声かけてよ。車を出すぐらいなら協力できるから」

 クロサワさんは、ハンドルを握りながらぼくに話しかけた。以前よりも打ち解けられたようだ。この調子でクロサワさんと仲良くできれば都合が良いだろう。実は、映美のことを狙っているのはオカモトだけではないのだ。

 「おや、変だな」

 クロサワさんはバックミラーに目を向けながら、つぶやくように言った。

 「どうかしましたか?」

 ぼくが尋ねると、クロサワさんは後ろ手に後部座席を指さした。

 「いや、ここだけぽっかり空いてしまっているだろ? 行きは誰かを乗せて空きが無かったはずだけどなぁ」

 ぼくは一瞬驚いて、空いた席を見たが、すぐに状況を理解した。その席はバーベキューのために用意した食材が積まれていたのだ。それらはすべて昨夜のうちに、ぼくたちの腹の中に納まってしまった。だから、その席は空になったのだ。クロサワさんだって、そんなことはわかっているはずだ。どうやら、こんな子供だましみたいな話で、ぼくたちをかつごうとしたらしい。ぼくは笑い出しそうになるのをこらえた。

 一方、映美は父親の冗談を真に受けてしまったらしい。彼女は身を縮めながら金切り声を上げた。

 「やめてよ、パパ! ほんと、趣味が悪い!」

この作品のレシピ:

ビデオに映る不気味な女性の姿……。これ、完全に『リング』の貞子を意識しています。ただ、あちらは完全にあり得ない話から醸し出される恐怖でしたが、こちらは「現実に起こりうるかもしれない」ところから浮かび上がる恐怖をテーマにしました。一方で、こんな構成になっているのは、一種のリドルストーリーを狙っていたからです。ひとつは、映画サークルOBが語るガチの怖い物語。もうひとつは、怖がりの娘を脅かそうと、手の込んだ怪談話をでっち上げた父親の物語。どちらの解釈も成立する物語にしました。本当に怖い話は僕も苦手なので。

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