敬称 センゲルの息子セオデンよ!
「日本軍には敬語はなかったのか」とアメリカ人の戦史ファンから尋ねられたことがあります。日本人同士の会話を英語にすると「~であります」「~せよ」といった語尾に込められた上下関係が消えてしまうので、元帥から二等兵までタメ口をきき合っているように読めてしまうようです。
「陛下」「閣下」に始まって、「大佐」といった敬意を込めた呼びかけを総称してhonorific(敬称)といいます。honorific speech(敬語)を語尾で区別しないインド・ヨーロッパ系の言語では、一番基本的な敬語表現は会話の端々に敬称をちりばめることなのです。そうです。「サー! イェッサー!」のサーです。日本語の会話にはこれがないので、英語に直訳するとタメ口になってしまうわけですね。
1980年代から活躍を始めたショー・コスギは、日本ではケイン・コスギの父親として知っている人の方が多いかもしれません。空手を学びアメリカのニンジャ・ブームに乗って多くの映画やテレビ番組に出演しました。日本でわずかに公開された作品を見に行ったことがありますが、朴訥な農夫を演じるショー・コスギ(もちろん正体はニンジャ)がサムライ(風の白人キャスト)に何かと言うと「サイアー」「サイアー」と話しかけていたのを覚えています。「Sir」のもとになった言葉「Sire」です。
英語圏のQ&Aサイトをちらちら見たところでは、「サー! イェッサー!」と答えるTPOは現代では限られているようですね。「ブートキャンプ」のbootは「起動」です。祇園の舞妓さんは最初のうちは(先輩や得意先に欠礼するくらいなら)「電信柱にも頭を下げろ」と指導されると聞きますが、軍隊に入ったばかりの新兵は同期生以外のすべてが先輩です。ですから開口一番「サー!」と1回余計に言っておくくらいが、honorific speechとしてはちょうどよいわけです。それを終わって、軍曹殿から「You are no maggots」と言ってもらえたあとでは、「イェッサー!」と1回でよいのですね。ことさら「サー! イェッサー!」と答えると、「上官はあんただからな」というニュアンスが乗って失礼に聞こえることもあるようです。
敬語のとらえ方は、比較的個人差が大きいもので、一般にこれがルールで知らない奴はニワカだと決めつけるのは困難です。ドイツ兵は新兵古兵くらいの間柄なら名前で呼び合っているようです。ドイツ語では上官を階級名・役職名で呼んだ上にミスターに相当するHerrをつけ、「Herr Hauptmann」などと呼びかけますが、イギリスやアメリカでは階級名だけで良いようです。ソヴィエトではHerrのかわりに「同志」にあたるタヴァーリシをつけて「同志大尉」「同志中隊長」などと呼びかけるのが上官への礼で、「同志ヴォロノフ」などと名前を混ぜるのは友人や目下に対してだけのようです。
庶民に対するhonorificはなかったので、フランス革命期の市民たちはシトエン(市民)という言葉を互いの敬称にしました。英語ではその後、もう少し社会的地位があったり地主だったりする人たちの敬称「Mister」がインフレ化して、相手かまわず使われるようになりました。
Comradeの語源をたどると「同室人」ですが、フランス革命以後の運動家たちや軍人たちは、この言葉を共に戦う仲間への敬称に使うようになりました。日本語にしたとき「同志」「戦友」のどちらに近い語感かは場合によるでしょう。おそらくロシアの社会主義者も同じようなことを言おうとして、別語源のロシア語を選びました。タヴァーリシは「同じ品物」というような意味で、もともと行商人たちが同業者のことをそう呼んだようですが、コサックたちが「戦友」の意味で仲間への呼びかけに使い始めてもいました。
最後に、ロシア語独特の「父称」について触れておきましょう。ソヴィエトのジューコフ元帥はまだ帝政ロシアのころ、毛皮職人をしている叔父ミハイル・アーテミェヴィチ・ピリキンの徒弟につきました。このとき両親はジューコフ少年に、これから叔父のことをミハイル叔父さんと呼ばず、「ミハイル・アーテミェヴィチ」と呼ぶよう念を押しました。つまり、手についた職で成り上がったピリキンにはhonorificがなく、そんなとき父称をつけると一種の敬称になったのです。私の第3外国語はロシア語で、音を上げて初級だけで放り出しましたが、初級ロシア語の先生は父称のことを「父親がはっきりした者というニュアンスだ」と言っていました。「アーテミェンの息子ミハイル」というわけです。まあ父称をいちいち覚えているということが、自分にとって大事な相手だというアピールにはなったんじゃないでしょうか。
8月17日 誤字修正
9月22日 目上だけどそう呼ぶしかない存在として、「同志スターリン」がいました。