Projectile(飛翔体)
もともとprojectという言葉は、「前に」「投げる」という合成語です。未来に自分に丸投げするから「計画」……いやいや、未来のためにいろいろ今から仕込んでおくから「計画」なのでしょうね。映像を前に投げる器具がプロジェクターなのは、もともとの意味を考えるとわかります。
さて、projectileというのはこのように「放たれたもの」をもともと指しました。だから矢とか石とか、まあたいていは害意をもって放たれるもの一般を指したのです。
現代でも「ミッション」が「派遣団」を意味することがあります。ラテン語のmissioには「送る」「放つ」といった意味があり、人を送る・放つにあたっての「任務」でもあるわけです。この言葉からも同様に、「放たれるもの、放つことができるもの」という意味でmissileという言葉ができました。
こんな言葉ができたころには、まだ推進する仕組みを弾のほうに持った(self-propelled)兵器はなかったはずです。しかし登場してくると、推進剤を噴き出して自分で飛ぶロケット、さらに現代のミサイルについても、これらの言葉は使われるようになりました。誰が決めたというものでもありません。例えばlaunchという言葉は自分で飛ぶものを「発射する」ことにもっぱら使われる言葉です。拳銃のことを「ランチャー」にはふつう含めませんね。しかしグレネードランチャー(擲弾発射器)は、空砲を撃つことで小銃の先の弾体を飛ばすものも昔はよくあったので、やっぱり厳密な区別はしきれません。
最近、規模や性格がわからないものが遠くに飛ばされると、それをprojectileと呼ぶ海外報道がよくあります。これはたいてい「飛翔体」と訳されています。弾頭規模や目標の種類を限定しない表現ではありますが、むしろこの言葉に武器ではないロケットが加わってきたのはごくごく最近のことなわけで、projectileが「武器であることを隠した表現」とまでは言えないと思います。
ところが「飛翔体」というのは目新しい日本語であり、誰が定義した言葉でもありません。だから自分の解釈で使う人が出てきます。例えば飛行機やヘリコプターも飛んでるんだから飛翔体じゃないかと。誰かが「自分はこう使う」と定義を述べて、継続的にその意味で使っている言葉でない限り、他人の使う言葉が自分のイメージに合っていない可能性は常にあります。「訳が正しくない」という議論によくある落とし穴は、「訳語をどう選んでも、自分のイメージに合わないという人は常にいるし、これからも出てくる」ということです。根本的にはそれは、「同じ言葉を使って、伝えたいこと・関心のあることが、人によって同じではない」ことから不満がなくならないのです。
海外発祥のことを日本人が理解しようとすると、その国の(ある時代の)制度、事情を一緒に理解する羽目になります。ひとつの言葉に訳語をあてる過程で、実は想定読者層の多くに説明しないとわからないことが何行分も噴き出してしまうことがよくあります。そんなとき、人は「訳が悪い」と言いがちです。結局、分かろうと思ったら必要な手間と予算をかけて調べるしかないのです。もっと悪いのは、たまたま自分が手にした本と訳語が一致しないとき、その意味を自分で判断できるほど調べないで、言葉だけ人に押し付けてしまうことです。
書籍1冊あたりの印刷コストは、同人印刷の価格表を見るとある程度見当がつくご時世になってきました。印刷部数を多くすることはコストダウンのために決定的に重要ですが、1冊あたりのページ数も比例するほどではないとしても、コストに響いてきます。訳者が長い注や解説を書くことが許されている訳書もありますが、それは当然高い書籍になります。読者はそういう本に高い価格を払ってもよいし、他の方法でヒマと金をつぎ込んで勉強して、訳者の悩みどころを察することができるくらいになってもよいのです。