第3話
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何故か母親は今年の冬から、去年の今頃よりも早く帰宅する。喜ぶべきだが、仕事をクビにされたのかと思うと、素直に喜べない。でも、母親は楽しげに料理を作っている。いつもは惣菜を買って、それをつまみにウイスキーを二人して呑んでいるのに。
「ちひろのために力がつくもの作ってあげるわ。たまには母親らしい所見せないとね」
そう言い終わるな否や、母親はステーキを焼いていた。どこの産地の肉なのかわからないが、とにかくあの母親が料理をしてくれたのには、驚いた。でも、それなら、私でもできそうな気がするが。母親に昔聞かれた。ステーキとご飯だけあれば最高なのに。と言っていたのを覚えておいてくれたのかもしれない。炊飯器は真新しいものだった。ふつふつと湯気が沸いている。午後六時。平日に食べる肉は美味しくて、ご飯が一気に進む。話は弾んだ。こんな事滅多にない。食後の晩酌で、母親は急にいつもの表情になった。
「またあのステーキ屋に行こうね」
私は何か知らないが、14歳の時、「私がもっとお金を稼げたら。いつか私たちが金持ちになって。で、優雅な暮らしになったら嬉しい?」
と言った言葉を思い出した。それを振り払うように、
「楽しみにしているよ」と答えた。それしか言えなかった。
高校は案外楽しかった。部活はすぐに辞めたが、教室で新しい彼氏と友人と彼氏の友達と四人で弁当を食べていた。私の弁当にするめいかが入っていた時は、笑われてしまった。
「中年のオヤジじゃあるまいし」
「昨日のおかずの残りだよ」
更に更に笑われてしまい、そのまま美味しくするめいかを平らげていった。こんな些細な事で楽しめるのは、いい事だと思う。勉強は足りない部分を友人が教えてくれた。お互い復習になるらしく、テストの点もほとんど差はなかった。これもひとえに友人のおかげだ。
私はデートをする時間がほとんどなくて、寂しくて別れたい気持ちが何度もあった。でも、その方が返っていいのかもしれない。私は勉強に精が出るし、彼氏も部活に打ち込める。次第に距離は離れていった。16歳の春まで学校で何不自由のない女子高生だった。彼氏とは何とか別れずに済み、友達との関係は良好だった。そんないい日々を送っていた。そして、高校生として順調に成長するはずだった。でも、暗いようで明るい日々の別れは突然やってきた。
友人の家に行き、やり終わった参考書を借りて、いつもより遅く帰宅した。午後7時ぐらいになっていて、母親がもう帰っている頃だ。母親はいつもするめぐらいしか食べないから、きっと先に食事を済ませているかもしれないなと思った。ドアを開けると、居間の電気が煌々と光っていた。母親の姿が見当たらない。久しぶりに男と一緒にいるのかもしれないなと思いながら、一通の手紙があった。私宛だった。のりは貼っていない。おそるおそる手紙を取り出す。1枚の手紙だった。
『ごめん。ちひろ。私はあなたじゃなく、違う男と寄り添って生きていく事にしました。貯金は全て、ちひろに充てます。大学までは行けると思います。思えば、ちひろと過ごした最後の一年は、胸が痛かった。ウイスキーを毎日呑んで、近くにいる時。私に似た大事な娘だと思うようになりました。でも、いつかは、大事な娘を捨てて、知らない街に住む事を決意しました。本当に、ごめん。ちひろ』
手紙に水滴がついていた。きっと母親の涙であろう。私は捨てられたとは、実感がわからなかった。私は最後に交わした言葉もわからぬまま、母親は私の元を去った。精一杯の母親としての言葉を残して。
高校は中退した。友人と彼氏には、引っ越すからという理由を告げて、お別れをしてもらった。しばらくはまともに人と話すことはないだろう。
でも、涙がどうしてもでなかった。何故だろうかと母親がいなくなったその晩、ずっと考えていた。泣けない理由を想像してみた。
17年も一緒にいてくれた。邪魔な存在だった私を憎むことなく、愛してくれた。学費と生活費を残してくれた。あの格好良かった、いや格好をつけていただけかもしれないが、とにかく自分のポリシーをかなぐり捨てて、手紙を残してくれた。
私はしばらく、床に寝そべって、今後の将来を考えようとしたが、あれだけ頑張っていた勉強ももう必要としなくなってしまい、今後の生活は混沌としたものになるだろうとぼんやりと思った。
次第にやつれていき、冷蔵庫の中身もほぼ酒だけになってきた。最初のうちは、身だしなみを整えて、女らしく振舞っていた。身支度を整えて、綺麗なお気に入りの服を着て。
まだ母親がいなくなった実感が湧かなかった。あの手紙をしたためられてから、もう一ヶ月も経つのに。誰もいないし、必要ない。私はあの不安に感じた夜。
「二人でいようね」
と母親に言えば良かったと今でも思い悩み、また、言わなくても言っても、きっと母親は出て行ったであろう。そんな母親は憎む日もあったり、その逆の気持ちになったりした日もあった。一ヶ月で、常にウイスキーの瓶を持たないと平常心を保てなくなった。半分アル中だ。半端だから、捨てられたのかもしれないと、自虐的に感じる思う時もあり、そんな私自身に嫌気が差してきた。たかが母親がいなくなっただけ。父親だったらまだ許せたかもしれない。
家事は比較的気分のいい午後1時から3時ぐらいにやる。部屋で一番高い電化製品の洗濯機で適当に衣服や下着を洗う。靴はサンダルで、服と下着は毎日替える。しかし、三ヶ月目から、一日の大半は寝る日が続き、仕方なく銭湯のコインランドリーで洗濯物を洗うようになった。酒はこのときから持ち歩くようになった。身体を洗う場所は自分で決めて、家で洗ったり、銭湯で身体を洗ったりする。廃人にもなれない中途半端な女だと思った。
酒に溺れる日に、いつしか慣れていた。日曜日だけ酒を呑むだけの日を作った。誰も訪れる事もないし、私を抱く男もいない。その日は、7時間だけ起きている。一日の大半は寝込んでいるから、ちょうどいい。気がつくと寝ていて、起きると酒を呑んでいる。ずっとこの調子でやってきた。
貯金もまだあるし、将来の事を考えても無駄な気がして、明るかった生活を懐かしいと思った。中学時代の親友は楽しくやっているかな。中学時代の最初の彼氏はいい彼女が出来ただろうか。なんて考えているのは少しの間で、後はずっとこの先の事を考えている。
私はロングヘアーになり、美容院に行く気力も出ずに、相変わらず一人だった。どうして母親は最後に優しくしてくれたのだろう。割り切ったままなら学校にも行けたのに。
皆知り合いは忙しくて私の事を忘れているのだろう。そう寂しさを感じていた時に、珍しく手紙が届いた。誰かすぐに感づいた。母親からの手紙だ。
『もう一度会えたら会おう。12月25日、午後5時半で駅前のステーキ屋で』
私は静かに泣いた。嗚咽がなるべく漏れないように。やっぱり私は寂しかったんだ。




