第六話 一点突破
雷鳴が轟いた。
まるで、それが合図であったかの様に、ゴブリン達は一斉に動き始める。
窓の外、降り続く雨音と、うねる様に後を引くゴロゴロという雷の残響。
そこに、すり足でにじり寄るゴブリン達の足音が混じる。
次第に近づいてくる足音。
ジリジリと狭まっていく包囲網。
言い様も無い圧迫感が周囲に充満して、表情を強張らせたミーシャが、ごくりと喉を鳴らした。
さして時間は残されていない。
何か切っ掛けがあれば……それこそ物音の一つも立てれば、それを契機に、ゴブリン達は一気に小屋の中へと踏み込んでくることだろう。
無論、数が多いと言ってもゴブリンはゴブリン。
レイには、このまま迎え撃っても、相手を全滅させる自信はある。
だがそれも、自分一人ならば、という前提があってのこと。
これだけ数が多いと、ミーシャを守り切るには手が足りない。
窓の外を眺めていたレイは、床に座りこんだままのミーシャを振り返って言った。
――脱出する。
「折角、服も乾いたのにぃ……」
ミーシャが唇を尖らせるも、事ここに至っては、わがままを聞いてやれる余裕はない。
このまま彼女を小屋に残して、レイだけが討って出れば、どうにか出来ないかとも考えたが、さすがに全方位から一斉に襲い掛かってくる敵を、一匹も漏らさずに倒すというのは無理がある。
――一点突破で包囲網を破る。私の背中にくっついて離れないようにしてくれ。
レイは鉈を両手に構えると、ミーシャの返事も待たずに、そのまま扉の方へと歩み寄る。
「ちょ、ちょっと待ってよぉ! もう!」
ミーシャは慌てて背嚢にぐちゃぐちゃとローブを突っ込むと、締まらない留め金と格闘し、慌ててそれを背負った。
――覚悟はいいか?
背後を振り返るレイに、ミーシャは小さく肩を竦めて見せた。
「ダメだって言っても、無駄なんでしょ?」
レイは小さく鼻を鳴らすと、正面の扉を見据える。
――いくぞ!
次の瞬間、扉を力一杯蹴破って、二人はそのまま降りしきる雨の中へと飛び出した。
「ぐぎゃあああああああああ!」
「ばかああああああああああ!」
雄叫びを上げたつもりだったのだが、レイの口から飛び出したのは、ゴブリンそのものの奇声。
それに、誰に向けたものとも知れない、ミーシャの絶叫染みた罵倒が重なった意味不明な大音声に、小屋の傍まで近づいてきていたゴブリン達が、ビクリと身体を跳ねさせて後ずさる。
だが、それも一瞬のこと。
飛び出してきたのが、自分達が追って来た裏切り者とエルフだと分かると、ゴブリン達は次々に奇声をあげて、二人の方へと殺到し始めた。
――遅れるな!
「わ、わかってるわよ!」
背後のミーシャの気配に意識を向けながら、レイは遥か遠くに浮かぶ山頂のシルエットを見据える。
向かう方角を確認し終わると、昼なお暗い曇天の空の下、レイはうねる波の様に迫りくるゴブリンの群れへと一気に突っ込んだ。
顔を叩く雨粒に負けじと目を見開き、両手の鉈を振りかぶる。
ぐぎゃあああ!
正面のゴブリンが声を上げた途端に、レイは大上段に振りかぶった鉈を叩きつけ、その頭をかち割る。
そのまま速度を落とさずに、倒れ込むゴブリンの死体を踏みつけにすると、当たるを幸いとばかりに両手の鉈を振り回し、周囲のゴブリンを遠ざけながら、一気に駆け抜けた。
ぐぎゃぐぎゃぎゃぎゃぎゃああ!
死にたくなければ道を開けろ! そう言ったつもりなのだが、無論言葉にはならないし、言葉になったところで、ゴブリンがそれを理解できる訳でもない。
だが、雨でぐちゃぐちゃ、血でぐちゃぐちゃ。
そんな戦場で、言葉は大した意味を持たない。
何を叫ぼうと、生き残った者が強い。
それ以上の意味はないのだ。
レイは行く手を阻むゴブリン達を次々に斬り刻み、勇気と無謀の違いをその身に叩きこむ。
次々と斬り倒されていく仲間の姿に、ゴブリン達が怯む様子を見せると、レイは大振りに鉈を振り回しながら、更に速度を上げた。
――離れるな。死ぬぞ。
「わ、わかってるけどぉ! けどぉ!」
ミーシャにしてみれば、いくらレイに守られているとはいえ、四方八方からゴブリンが殺到してくるこの状況では、生きた心地がしない。
追い縋るゴブリンの爪が、時折、ミーシャの背嚢を掠めて、その度に彼女は「ひぃ」と喉の奥に悲鳴を詰めながら、慌てて足を速める。
小屋を取り囲んでいたゴブリン達の包囲網は、レイたちが突っ込んだ一角に引っ張られる様に歪に歪んで、二人の突っ込んだ場所だけが突起のように膨らんでいる。
包囲されているとは言っても一点に限れば、僅かに五、六匹を踏み越えるだけで、囲みの向こう側へと到達する。
迫りくるレイの姿に恐れをなして背を向けた一匹を、真っ二つにした途端、その向こう側に風景が拓けた。
――今だ! 私を追い越して、前へ飛び出せ!
事前に打ち合わせがあった訳ではないが、レイの考えている事は手に取る様に分かる。
文字通りの以心伝心。
「うなあああっ!」
秀麗な顔には似つかわしくない掛け声と共に、ミーシャはレイの脇を擦り抜けて、必死の形相でゴブリンの包囲網の向こう側へと飛び出した。
着地と共に、足元で派手に水が跳ねる。
ミーシャは前のめりに転がりそうになりながらも、なんとか堪えて、そのまま走り始めた。
――足を止めるな! 止まったらやられるぞ!
「分かってるわよおおお!」
背後から、ゴブリン達の怒りに満ちた咆哮が響いてくる。
レイはミーシャの後ろを走りながら、追い縋ってくるゴブリン達を振り払う。
だが、向かってくるレイに恐れをなしていたゴブリン達も、追うという形になれば俄然勢いづく。
ミーシャがちらりと背後を盗み見れば、怒涛のような勢いで迫ってくる大量のゴブリンが目に入って、喉の奥から「ひぃぃ」と情けない声が漏れた。
このままじゃ追いつかれるという焦りの中で、ミーシャは親しい友人たちに助けを求める。
「土精霊のみんなっ、お願い!」
その瞬間、レイの背後、ゴブリン達の足元で僅かに岩が盛り上がる。
それは、ほんの僅かな段差の様なものではあったが、ゴブリン達は次々に足を取られて転倒し、更には倒れたゴブリンに巻き込まれて、後続のゴブリンが転倒。斜面を滑落していく。
土精霊達の余りにも地味な助力に、レイは気が付かなかったのだろう。何が起こったのかと、怪訝そうに眉の無い眉間に皺を寄せた。
本来、エルフたちは精霊と契約し、それを使役して、魔法を使う。
上位精霊と契約を済ませたエルフならば、大規模な攻撃魔法だって使えるのだが、無論ミーシャはそんな段階にはない。それどころか、下級精霊とすら契約できていない。
今のも、ただミーシャを好んでくれる、友人たる精霊たちの好意に縋っただけだ。
レイと背後のゴブリン達の間に、かなりの距離が開いた。
レイは足を止めると、遠ざかって行くミーシャの背中を眺めて、胸の内で彼女へと声を上げる。
――ミーシャ! そのまま走り続けろ! 私はここで連中を足止めする!
「な!? 大丈夫なの? 死んじゃダメだからね! ちゃんとヌーク・アモーズまで護衛してよ!」
――心配するな。すぐに追いつく。
レイは降りしきる雨の向こうに、ミーシャの姿が見えなくなるのを見届けると足を止めた。
そして、その場でくるりと振り返り、両の手の鉈を胸の前で交差させる。
守らなければならないものがなければ、思う存分戦える。
ここへ至るまでに、ゴブリン達も随分と脱落していた。
ざっと見回した限りでは、三十匹を下回っている。
ゴブリン達は静かに佇んでいるレイを見つけると、遠巻きに取り囲みはじめた。
レイを無視して、ミーシャを追うゴブリンはいない。
もしいたならば、真っ先に屠るつもりにしていたのだが、すでに姿の見えなくなったミーシャは、完全にゴブリン達の意識から外れたらしい。
ゴブリンの知能ならばさもありなん。
――そう言えば……赤鶏冠と言ったか?
レイを取り囲んで牙を剥いているゴブリン達を、ぐるりと眺める。
一目する限り赤い鬣を持ったゴブリンの姿はない。
やはり只の噂の類だったか。と、レイが苦笑したその時。
「きゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
はるか遠くの方で、微かな悲鳴が響いた。
ともすれば聞き逃しかねない程の遠い響き。
だが、聞き間違えようがない。
それはミーシャの声。
レイはビクリと身体を跳ねさせると、思わず声の聞こえてきた方向へと振り返る。
そして、自分の判断の誤りに思い至った。
人間以上の知恵を持つという赤鶏冠ならば、この展開を予測して、待ち伏せの一つも用意している可能性がある。
なぜそこに思い至らなかったのかと、思わず顔を歪めて項垂れた。
――悪いが、お前達の相手をしていられる状況では無くなった。
項垂れながら胸の内でそう呟くと、レイは顔を上げて、目の前のゴブリンへと飛び掛かる。
――どけっ! 道を開けろ!
雨は降り止む気配も無く、更に激しくレイの身体を叩いていた。




