第四十一話 ダークエルフはやっぱり口が悪い。
「九つ。これで終わりだ」
レイボーンは抑揚の無い声でそう呟くと、襲い掛かってくる牙を跳躍して躱し、蛇の頭上に槍を突き立てる。
そのまま体重を乗せて、脳天から顎の下へと槍を突き通すと、九つ目の頭を潰されたヒドラは完全に息絶えた。
城壁に力なく凭れ掛かった巨体が、ズルズルと滑り落ちていくのを目にして、周囲の兵士達がワッ! と歓声を上げる。
だが、レイボーンはそれを気に留める様子も無く、すぐ傍で乱れた息を整えている少年兵の腰から、勝手に剣を引き抜いた。
「借りる」
「え、あ、ぇ?」
彼は戸惑う少年兵を置き去りにして、城壁の中央に向かって走り始める。
残りのヒドラはあと二体。
幾つかの頭が垂れ下がっているのを見る限り、兵士達はそれなりに奮戦していると言って良いだろう。
だがあくまで、ヒドラとの戦闘は戦場の一局面でしかない。
未だに城門を叩く音は途切れていない。
いや、むしろ竜巻から逃れようと、前線にかかる魔物達の圧力は大きくなっている様にさえ思える。
レイボーンは走りながら、町の方へと目を向ける。
城門から続く大通りに、兵士や神官たちが隊列を組んで待ち受けているのが見えた。
続々と集結しているところを見ると、城門が破られるのも時間の問題。そういう事なのだろう。
レイボーンが城壁の中央に辿り着くと、今まさに、ヒドラが倒れ込んだ兵士へと喰いつこうとしているところだった。
彼は走ってきた勢いのままに、兵士を追って伸び切ったヒドラの首に斬りかかる。
左腕一本。刀身に気を漲らせて、逆手に握った剣を、下から上へと一気に跳ね上げる。
ぐぎゃあああああああ!
首の一つが城壁の上に落ちて跳ねると、ヒドラは残りの首を激しく振り回しながら、ずるずると音を立てて後退り始めた。
「さっきの奴に比べれば、根性が足りない」
再び襲い掛かってくる様子もなく、ズルズルと後退していくヒドラを眺めて、レイボーンが独り言ちる。
だがその途端、彼のいる場所、その真下から、メリメリと何かがへし折れる不吉な音がした。
「マズいな……」
恐らく今のは、城門の閂。その横木がへし折れる音だ。
その証拠に後退っていくヒドラの脇を、ミノタウロスやオーガといった比較的大型の魔物達が、勢いを増して城門の方へと殺到し始めている。
ちらりと残りのヒドラの方へと目をむけると、兵士達が必死に抗っているのが見えた。
「あっちは、もう少し保つか……」
レイは一つ頷くと、助走距離をとって、城壁の上からその内側、大通りの方へと身を躍らせる。
宙を舞う骸骨。
そして、例によって例の如く、地面に叩きつけられた骸骨は、ガシャン! と身体の各パーツを飛び散らせた。
「な、なんだ!?」
突然、空から落ちてきた骸骨に、隊列を組む兵士や神官達が目を丸くする。
その目の前で、次第に骨の各パーツが寄り集まって、すっくと骸骨が立ち上がった。
「ス、スケルトン!? 魔物が入り込んだぞ!」
慌てて身構える兵士達を見据えて、レイボーンは声を張り上げる。
「私は敵ではない」
「スケルトンが……喋った!?」
戸惑いながら顔を見合わせる兵士達、それをレイボーンは、がらんどうの眼で見回して、更に言葉を紡ぐ。
「門が破られたら、私が魔物を城壁の外に押し返す。キミたちは、すぐに門を閉じて、閂に代りの横木を差し込め! いいな!」
呆然とする兵士や神官達の中で、壮年の司祭が頷く。
「わ、わかった。だが、キミは一体……」
「来るぞ!」
司祭の言葉をレイボーンが遮った途端、半ばまで折れていた横木が勢いよく弾け飛んで、城門が開いた。
ぐぉおおおおおおおおおおお!
まさに怒涛の勢い。
堰を切った堤の如くに、魔物の群れが突進してくる。
先頭は牛頭の魔物、ミノタウロスの群れ。
「ひっ!」と女神官達が息を呑んで、恐怖を堪える様に男達が唸る。
それを背中に聞きながら、レイボーンは向かってくる魔物達の前へと身を晒す。
そして次の瞬間、彼のがらんどうの頭蓋骨の内側で、蒼い炎が渦を巻いた。
レイボーンがその口を大きく開いた途端、蒼い炎が勢いよく噴き出して、殺到する魔物の群れを呑み込んだ。
瞬時に消し飛ぶ、直線上の魔獣の群れ。
「えぇぇ…………」
背後からは、どこか魂の抜けたような声が聞こえてくる。
だが、そんな事に構っている場合ではない。
というか、うっかり振り向きでもしたら大変な事になる。
レイボーンは炎を勢いよく噴き出しながら、一歩一歩、前進し始めた。
◇ ◇ ◇
その頃、アリアとドナは大きく弧を描く様に、魔王軍の背後を移動していた。
レイボーン達が戻って来たのを目にした二人は、話し合って、背後から魔王軍の指揮官を襲うことを決めたのだ。
既にドナを拘束していた糸は解かれて、彼女はアリアの肩に手を掛けながら、その下半身、蜘蛛の背中に立っている。
「勇者様はなぜ、本体をお呼びにならないのでしょう?」
「さあね。何か事情があるんだろうけど……。それよりあの竜巻、ちらっと見えたけど、中にいるの、あのエルフの小娘よね?」
「ええ、おそらく……まさか、耳長殿があんな魔法を使えるとは、思ってもみませんでしたけれど」
そう言いながら、ドナは眉根を寄せる。
彼女が悪霊に乗っ取られた時、ミーシャはただ怯えているだけだった。
あれほどの魔法が使えるのに、使わなかったという事実が、どうにも腑に落ちない。
「とにかく私たちで、指揮を執ってる奴を叩きのめして、あのエルフより役に立つんだってところをアイツに見せつけてやるの、いいわね」
「魔物と共闘するのは業腹ですが、仕方がありません。しかし魔王が直々に指揮を執っているなどということは?」
ドナの不安げな物言いに、アリアはひらひらと手を振った。
「ないない。有り得ないわよ。それに……魔王なら見れば分かるわ。一度だけだけど、面識があるの」
◇ ◇ ◇
砂煙を巻き上げて、空気が渦を巻く。
巨大な竜巻。ミーシャはその内側から、逃げ惑う魔物達を見下ろした。
「ジニ、『禍渦』の魔法は、どれぐらい維持できそう?」
――風の精霊王にそれを聞くのかい? 君が望むだけ維持してみせるさ。
脳裏に響くジニの声に、ミーシャの口元が微かに緩む。
「これならいけるかも……」
町の方に竜巻を近づける訳にはいかないので、城壁に取り付いた魔物はどうにも出来ないが、そっちはレイボーンが何とかしてくれる。
「城門が開いちゃった時には焦ったけど……まあ、あっちはアイツに任せとけば大丈夫よね」
炎を放ちながら、城門から歩み出てくるレイボーンの姿を視界の端に捉えて、彼女は独り苦笑した。
だが、その途端、
――ミーシャ、来るよ!
ジニの切羽詰まった声が脳裏に響く。
「なにが?」ミーシャがそう問いかけようとした途端、竜巻を切り裂いて、巨大な氷柱が突っ込んでくるのが見えた。
その氷柱は『禍渦』の魔法を相殺しながら突っ込んでくる。
明らかに高位の精霊魔法の産物。
だが、暗黒魔法ならばともかく、魔物の中に精霊魔法を使う者が居ようとは、想像もしていなかった。
ミーシャは慌てて『禍渦』の魔法を解除する。
竜巻が掻き消え、その代わりに『風楯!』と、自身と氷柱との間に、幾重もの空気の壁を作り出した。
分厚い空気の壁に阻まれて、その氷柱は、ミーシャの手前数メートルのところで、ピシピシと音を立てて砕け散る。
「はぁ……危なかった」
ミーシャは思わず顎を伝う冷や汗を拭った。
だが、次の瞬間、砕け散った氷柱の中から黒い影が飛び出して、彼女に襲い掛かる。
黒い短剣が午後の陽光を反射して、鈍い光を放った。
「ッ……! ジニ!」
ミーシャが慌てて声をあげると、突風が彼女自身の身体を後ろへと押し流し、襲い掛かってくる影から一気に距離を取る。
「エルフ……許さない!」
その黒い影は、白く煙った空気を纏わりつかせて、宙空に留まっている。
「……ダークエルフ?」
それは、豊満な身体にぴったりとした革鎧を纏ったエルフ。
しかし、その肌の色は、透き通るような白い肌のミーシャとは対照的な褐色。
肩までの青みを帯びた銀髪が、陽光を纏わりつかせて煌めいていた。
「待って! あなた達がどうして魔王の味方なんて」
「うるさい。エルフは許さない。そう言った! 『氷針』!」
宙空に現れた幾本もの氷柱が、ミーシャに向かって飛んでくる。
「ジニ! お願い!」
途端に、氷柱は軌道を逸れて、ミーシャの左右を通り過ぎた。
「アンタねぇ! 話を聞きなさいってば! 肌の色が違うだけなのに、同族で争う必要なんてない。隠れ里に帰りたいんなら、私がお爺ちゃんたちを説得するし、人間の都に住みたいんなら、この国の王様を説得してあげるから」
「四の五のうるさい!」
「戦いたくないんだってば!」
「じゃあ、戦わずに殺されればいい」
「ちゃんと話あえば、分かりあえるわよ! 同族なんだもの!」
「うるさい、男女!」
何を言われているのか瞬時には理解できなかったのだろう。
一瞬の空白の後、ミーシャが声を荒げる。
「お、男女ァ? どっから見ても女の子じゃない!」
ダークエルフは揶揄するように肩を竦めた。
「冗談は胸だけにしてほしい。そんな体形じゃ、赤ん坊が出来たら、まず背中と胸の見分け方を教える必要がある」
「せ、背中!?」
「なに? 背中が気にくわないなら、腹の方がいい? でもたぶん下腹の方が出っ張ってる」
「お腹なんて出てないわよ!」
ジニの「おちつきなよ」という声が耳元で聞こえて、ミーシャは深く呼吸する。
「わ、私は、ほら、まだ成長期だから将来性に期待して……」
「まな板は成長しない」
その瞬間、ミーシャのこめかみの辺りで、何かがブチギレる音がした。
「上等だ! こんにゃろう! ぶっ殺してやる!」
――こりゃダメだ。
ジニの溜め息は最早、ミーシャの耳には届かなかった。




