第四話 そういう場合は、だいたい詐欺です。
残照が、突き出した岩の影を地に描く夕暮れ刻。
渡り鳥のシルエットがVの字を描く赤い空を見上げ、
「今日はここまでね。暗くなる前に野宿の準備しちゃおっか」
と、ミーシャはどさりと、大きな背嚢を地面に下ろした。
『レイの身体は、まだ何処かで生きている』
そう告げて、彼の胸中を散々に波立たせたのは、二時間前のこと。
以降、ここに至るまで、二人の間に会話は無い。
だが、ミーシャには、レイの胸中に渦まく戸惑いは筒抜け。
へー、そう思うんだ。とか、
いやいや、それはないだろう。とか、
バカじゃないの。
と、言葉には出さずに、感心したり、呆れたりしていた。
ミーシャが野営地に選んだのは、山道を登る途中に見つけた棚状になった平地。
レイはぐるりと周囲を見回して、眉を顰めた。
野宿であるからには、屋根がある場所など望むべくもないし、岩山を登っているのだから、下が頗る寝にくそうなゴツゴツとした岩である事も仕方がない。
レイにも、それに文句をつけるつもりはない。
斜面でない分マシだとさえ思う。
だが、
――こんな所で、本当に大丈夫なのか?
あえてそう口にしたのは、そこが身を隠す物が何もない、余りにも拓けた場所だったからだ。
たとえ記憶は無くとも、こんな拓けた場所が、野宿に適さないことぐらいは、誰にだって分かる。
レイのその問いかけは、決しておかしなものではない。
ところが、ミーシャはひらひらと手を振ると、小馬鹿にするように鼻で笑った。
「なぁに? 心配性のゴブリンとか面白過ぎるんだけど」
――まだ、魔物の生息圏を抜けた訳では無いのだろう?
「心配しなくても大丈夫。誰かが近づいてきたら風精霊たちが教えてくれるから」
――風精霊?
「うん、仲良しなのよ、私達。ここまで一度も怪物に出会わなかったでしょ? ずっと風精霊たちが道案内してくれてたからよ。本当はあの森にウヨウヨいたんだから、ゴブリン」
――そうなのか? しかし……だとすれば、おかしくないか? 私と出会った時、キミはゴブリンに追いかけられていたぞ。
「あ、あの時は、ちょっと特殊な事情があったのよ!」
都合の悪い事実を突きつけられて、ミーシャはあたふたと早口で捲し立てる。
「風精霊たちに道を聞いてたら、急に土精霊たちが割り込んで来たんだもん。絶対こっちへ行くべきだって……。そんなこと今まで無かったから、なんかあるんだろうなと思って行ってみたら、ゴブリン達にばったり出くわしちゃって……慌てて洞窟に逃げ込んだら行き止まりで……」
――そして、私と出会った。
「そういうこと」
そう言って、ミーシャは上目遣いに微笑む。
だが、そんなミーシャの態度とは裏腹に、レイは急に真剣な表情になって、彼女の鼻先に指を突きつけた。
――世間知らずなお嬢さんに、良い事を教えてやろう。
「な、なに?」
戸惑うミーシャの目をじっと見つめて、レイは重々しい口調で言った。
――会釈を交わす程度の知り合いが、突然、強く何かを勧めてくる時は、大体詐欺だぞ。
一瞬、ぽかんとした表情を浮かべた後、ミーシャは頭痛を堪える様に、眉間を指で押さえた。
「あのねぇ……記憶も無い癖に、どんな角度から説教ぶっこんできてんのよ、この偽ゴブリン」
――偽ゴブリン? ……いや、確かに生来のゴブリンでは無いが、そこはかとなく罵られているように聞こえるな。
「そこはかとなくじゃなくって、あきらかに罵ってんのよ! そもそも会釈を交わす程度の知り合いって何よ! 土精霊だって、とーっても仲良しなんだから! ただ、あの子たちが自分から何かを言ってくることなんて、滅多にないだけで……」
ミーシャの話の途中で、レイが唐突に大きく頷いた。
――ふむ、では、仮ゴブリンというのはどうだろう?
「話を聞きなさいよぉお!」
山中での出来事である。
薄闇の中に、よぉお、よぉお、よぉお……と、ミーシャの絶叫が木霊した。
なんとも言えない沈黙の後、ミーシャは疲れた様な表情で、力なく項垂れる。
そして、それ以上話すのも馬鹿らしくなったのか、ミーシャは無言のままにごそごそと背嚢を弄って、布の小袋を取り出すと、レイの方へと放り投げた。
――なんだ、これは?
「ご飯を食べさせるって約束でしょ。拾っておいた木の実よ。まだまだあるから、それは全部食べちゃっていいわよ、このヒモゴブリン」
――ヒモゴブリン!?
「なによ? 女の子にご飯たかろうっていうんだから、ヒモじゃない。違うとは言わせないわよ」
そういうとミーシャは、情けない表情で立ち尽くすレイを眺めながら、自分も小袋を取り出して、木の実をぽいぽいっと、口の中に放り込み始める。
レイは何か言いたげな顔のまま(無論、胸の内に浮かべた反論はミーシャには筒抜けな訳だが)、袋から取り出した木の実を、掌の上で転がして、じっと眺めた。
味が想像できない。
記憶に引っかかる物も、思い起こされるものも何もない。
たぶん、身体を失う以前にも、この木の実を食べた事はないのだろう。
焦げ茶色の栗に似たその木の実を摘まんで、ポイポイと口の中へと放り込む。
歯ごたえはあるが、決して旨いものではない。
灰汁のような渋みが、僅かに舌の上に残る。
だがまあ、喰えなくは…………。
――苦アアアアアアアアッ!?
最後に強烈な苦味が喉の奥の方に絡みついて、レイは慌てて口の中に残った木の実を吐き出す。
途端に苦味に加えて嘔吐した直後の様な、凄まじいエグみがこみあげて来て、ただでさえ凶悪なゴブリン面を、苦みがそのまま顔の表面にまで溢れ出てきたかのように歪めて、転げまわった。
「あらあら、バカねぇ、渋皮剥かないで食べちゃったの?」
ニマニマっと口元に笑いを張り付けた、わざとらしいミーシャの物言いに、レイは憮然とした顔を向ける。
――さ、先に言ってくれ!
レイのその抗議の声を受け流して、ミーシャは腕組みをしながら、どこか厭らしさを感じさせる黒い笑顔を浮かべた。
「世間知らずのバカゴブリンに良い事を教えてあげる」
――な、なんだ。
「知り合ったばかりの人間が、突然、さりげなく何かを勧めてくる時は、大体詐欺なのよ」
エルフ(負けず嫌い)とゴブリン(やや天然)。
誰がどう見ても普通でない二人組が共に過ごす、最初の夜はこうして更けていった。
◇ ◇ ◇
レイの心配は杞憂に終わった。
特に何者かが襲ってくることも無く、二人は朝を迎えた。
だが、
――ひどい目にあった。
目を覚ました直後、固い地面に横たわっていた所為で凝り固まっていた身体を解しながら呟いた、レイの本日の第一声である。
初夏とは言っても高い所へと上れば、当然、気温は下がる。
炎精霊が強くなると風精霊がヘソを曲げるからと、ミーシャが火を焚く事を拒否したために、昨晩、二人は暖を取るために、身を寄せ合って眠りについた。
男女で身を寄せ合って眠ると言えば、様々な誤解を生み出す状況には違いないが、方や新米ゴブリン、もう一方は美しいエルフと言えど、ド貧乳の小娘である。
玉突き事故的に、よっぽど何かを拗らせでもしない限り、間違いなど起こるはずもない。
背後からレイを抱きかかえるようにして眠るミーシャの姿は、さながら、大きめのぬいぐるみを抱いて眠る可憐な少女といったところ。
ぬいぐるみにしては、顔が凶悪すぎるのは、まあ、御愛嬌である。
とはいえ、そのまま何も問題なく一夜を過ごせたのであれば、ひどい目にあったなどという呟きは出てこない。
ミーシャに背中から抱きかかえられたレイが思わず、
――ん、背中に何か当たってる……。
そう考えた途端、ミーシャが思わず顔を赤らめる。
だが、
――なんだ、あばらか。
続いてレイがそう独りごちた途端、ミーシャの顔から表情が消えた。
途端に背後から首を絞められ、レイは半ば気を失う様にして眠りについたのだった。
――まったく、目を覚まさなかったらどうする。
「うるさい。生霊が死霊に変わるだけよ。自我がない分だけ死霊の方が扱いやすいかもね」
渋皮を剥いた木の実と水で簡単に朝食を終えると、ミーシャは空をじっと見つめた。
「急いだほうが良さそうね」
――ああ、雨になりそうだ。
薄暗い空には、触れば感触がありそうなほどのぶ厚い雲が広がり始めている。
ミーシャが大きな背嚢を背負って、山道を登り始めると、鉈を引き摺ったレイが後に続く。
「風精霊達が言うには、中腹あたりに打ち捨てられた山小屋があるらしいの。雨が降る前にそこまで辿り着ければ良いんだけど……」
――中腹?
「そうよ、今日はそこで宿泊するわ。雨が降ったら風精霊たちよりも水精霊の方が強くなっちゃうから道案内が不安だし、それに……」
ミーシャの表情に緊張の色が混じる。
「今朝から土精霊たちが、山頂辺りに何かいるって警告してるの」
――何かとはなんだ? 怪物か?
「それ以上は分からないわ。土精霊達の声に耳を傾けていれば、その何かを避けながら山を越えられると思うけど……」