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第三十一話 魔王の花嫁

 カツン、カツンと、硬い(ひづめ)の音を響かせて、石造りの薄暗い廊下を一体の魔物が歩いている。


 奇怪に(ねじ)じれた(つの)を持つ、山羊に酷似した頭部。


 筋骨隆々の人間の上半身に、山羊の脚。


 背中から生えた膜質の翼は蝙蝠(こうもり)のそれを思わせる。


 (おおよ)そ人間の持つ悪魔のイメージそのものといった容姿のその魔物は、廊下の突き当り、重厚な扉の前で立ち止まる。


 そして、逡巡(しゅんじゅん)する様に(うつむ)き、大きく息を吐いた後、まるで何かを覚悟するかのように顔を上げた。


「魔王様、ガープにございます。お(めし)により参じました」


「……入れ」


 扉の向こう側から男の低い声がして、その魔物――ガープは、重い扉を肩で押し開くと、身体をその内側へと滑り込ませる。


 扉の向こう側、そこは玉座の間。


 西側の壁に取り付けられた大窓から差し込む陽光が、赤い絨毯に陰翳を絡ませている。


 伏し目がちに部屋の半ばまで歩みを進めて、ガープはそこに(ひざまず)いた。


「……(おもて)を上げよ」


 男の言葉に従って、ガープが視線を上げていくと、下着同然の(わず)かな布を身に付けただけの人間の女達を、その周囲に侍らせて玉座に深く腰を埋める男の姿がある。


 秀麗な顔つきに長い銀の髪。


 その左右の頭からは、ガープ同様に(ねじ)れた(つの)が突き出している。


 人間に近い貴公子然としたその容姿に反して、男のその瞳は酷薄な色を(たた)えており、いかにも不機嫌だと言わんばかりに唇を歪めていた。


「ま、魔王様、ご、ご報告が」


 ガープのその言葉を(さえぎ)って、魔王は不機嫌そうに言葉を投げつける。


「ハノーダー砦はまだ()ちぬのか!」


「も、申し訳ございません。今一歩というところで、砦全体を光の障壁で覆う魔法に阻まれてしまい……」


「『聖域(サンクチュアリ)』だな。大司教があの砦にまで出張ってきておるということか……。やってくれおるわ、ロリババアめ」


 魔王は苦々しげに吐き捨てると、怯えるように身体を縮こませるガープを見下ろして、吐き捨てる。


「ガープよ。余はそれほど気が長い方ではない。我が盾となって死した貴様の父親の功をもって、此度の侵攻を貴様に任せておるのだ。親の功徳がいつまでも子を守ってくれる訳ではないのだぞ」


「しょ……承知しております」


「ならば一刻も早く砦を叩き壊せ! 大地を蹂躙(じゅうりん)し、人間どもの国を破壊しつくせ! そして、あの娘を花嫁として、余の前へと引きずり出すのだ。他の者は全て殺しても構わん」


 魔王はそう言ってしまうと、膝にしなだれかかる女の髪を指先で弄びながら、いやらしく舌なめずりをする。


「余は一日千秋の思いで待っておるのだ……あの娘の長い耳を思うままに(なぶ)り、この身に組み敷いて屈服させてやる日をな」


「ハッ!」


 ガープが床に頭を擦り付けんばかりに首肯すると、魔王は急に何かを考え込む様に、視線を天井へと泳がせた。


「待てよ……ふむ。大司教が砦にまで出張ってきているのならば……使えるな。ガープよ。他の者は殺して構わんというのは訂正だ。大司教は生け捕りにせよ。よいな!」


「ハッ! 仰せのままに!」


 魔王は(ひざまず)くガープを満足げに見下ろして頷くと、再び口を開いた。


「して、ガープよ。貴様の報告というのは何だ」


「ハッ! 諜報に放っておりました小鬼(インプ)が、気になる情報を持ち帰って参りました。『勇者』を名乗る者が、ハノーダー砦を出て、ヌーク・アモーズに向かったようでございます」


「勇者? あり得んな。勇者、イノセ・コータは余自ら、この世界の外に放り出してやったのだからな」


「ですので……私の勝手な推測でございますが、勇者の仲間の双剣の剣士ではないかと……」


「ふむ……バルタザールか。ならば放っておいても問題なかろう。今更、あやつに何かできるとは思えん」


(かしこ)まりました。……実はもう一つ、気になる報告がございます」


「何だ」


古竜(エンシェントドラゴン)飛竜(ワイバーン)の群れを率いて、ハノーダー砦を越えて、西へと向かったようでございます」


「なんだと!?」


 その報告に魔王は思わず声を荒げて立ち上がり、周囲に(はべ)る女たちが「きゃっ」と短い悲鳴を上げる。


「奴め……イノセ・コータと過去に接触を持っておったが、何か吹き込まれたか……。よもや人間につく気ではあるまいな」


 魔王は、ギリリと音を立てて、親指の爪を噛んだ。




 ◇◇◇



「海だにゃ!」


 緑の大地が途切れて、視界を蒼い色が占め始めると、ニコはぴょんぴょんと跳ねまわりながら(はしゃ)いだ声を上げた。


「こら! そんなに飛び跳ねたら危ない。落ちても知らないわよ」


「大丈夫にゃ!」


 ミーシャが呆れ顔でそれを(たしな)めても、ニコに言う事を聞く様子は無い。


 実際、落ちるとは言ってみたものの、それが大袈裟なことは、ミーシャにだって分かっている。


 今、彼女達がいる場所―― 古竜(エンシェントドラゴン)の背は、平らな部分だけを見ても、王都の聖堂ほどの広さがあるのだ。


 ミーシャ達四人は今、古竜(エンシェントドラゴン)の身体を乗っ取ったレイの背に乗って、空を北へと向かっている。


 ヌーク・アモーズのある西では無く北。


 それには当然、訳がある。


 カノカの街を飛び立って、そのまま真っ直ぐ西へと飛べば、おそらく日が暮れるまでには、ヌーク・アモーズまで辿り着けることだろう。


 だが古竜(エンシェントドラゴン)が王都に迫って来たとなれば、パニックは避けられない。


 そこで、まずは北へと飛んで陸地を離れ、沖の方から西へぐるりと回りこむルートをとることにしたのだ。


 ヌーク・アモーズは半島の西端。


 ミーシャ達がヌーク・アモーズに滞在している間は、レイは付近の海中で息を潜めていることになっている。


 ミーシャは相変わらず(はしゃ)いでいるニコから、残りの二人の方へと目を向ける。


 ドナとアリアは互いに距離をとって、それぞれ背びれに(もた)れ掛かって目を閉じている。


 実際、神官と魔物という、本来であれば不倶戴天(ふぐたいてん)の敵同士なのだ。


 仲良くしろと言ったところで、それこそ無理というものだ。


 実際、アリアがヌークアモーズに同行すると言った時には、ドナは猛反対したのだが、『勇者が良いと言ってる』の一言で、しぶしぶ折れた。


 とは言え、ドナはヌーク・アモーズにつけば神官としての務めに戻るのだろうし、アリアは商売を始めるつもりでいるようだ。


 ヌーク・アモーズに到着してしばらく経てば、それぞれの道はあっさりと分かれていくことだろう。


「ねぇ、レイ」


 ――どうした?


 ミーシャが小さな声で呟くと、レイが即座に応じた。


 声を張り上げずとも、背中で話されている内容はレイには大体聞こえているらしい。


 恐ろしい地獄耳。


 こんな小さなところでも、古竜(エンシェントドラゴン)が規格外の存在であることを実感させられる。


「あんた、まさか、ほんとに勇者だったりする?」


 ミーシャは再びニコの姿を目で追いながら、レイへと問いかけた。


 ――わからない。


「そりゃそうか……ねぇ。ニコちゃん、ちょっと!」


「何にゃ?」


 ミーシャが手招きすると、ニコは獣の様に四つん這いで駆け寄ってきた。


「ニコちゃん。あなた、レイのこと勇者……えーと、コータだって言ってたわよね」


「そうにゃ! コータにゃ!」


「なんで、そう思ったの?」


「だって、昇竜斬(しょーりゅーざん)が出来るのはコータだけにゃ!」


「ふーん、そうなんだ……」


 ――それだけでは、私が勇者だという事にはならないな。実際、記憶の中にあったから、やってみたら出来たというだけだ。もしかしたら私は、その勇者とやらが使っている所を見たことがあるだけなのかもしれない。


 レイの声は無論、ニコには聞こえていない。


 ミーシャは声を潜めて、ニコに聞こえない様に呟いた。


「でもまあ、好都合だわ。勇者の仲間だったって子が、あんたを勇者だって主張してくれるなら、王都でもはったりを通しやすくなるもの」


 ――あくまで、それで押し通すのだな。一体、キミは何をしようとしているのだ?


「……その時が来たら、ちゃんと言うから」


 ミーシャは取り繕うように周囲に目を泳がせると、アリアがニヤニヤしながらこっちを見ていることに気付いた。


「そう言えば……蜘蛛女は、レイの言葉が聞こえるんだった……わね」


 魔物である彼女が、ミーシャのしようとしている事を邪魔する理由など無いが、計画の詰めの段階で邪魔をされたのでは、目も当てられない。


 もうすぐだ。


 ミーシャが小さく溜め息を吐いて見回せば、陸地は既に水平線の向こう側へ消え去っていた。


 周囲は空と海が繋がった一面の蒼い世界。


 ――そろそろ西へ進路を変える。


 レイの声が脳裏に響いて、太陽の位置がぐるりと回り始めた。



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