第二十九話 バカなんだから。
瓦礫と化したカノカの街の只中で、立ち昇る黒煙の間から垣間見えた光景に、ニコは思わず足を止める。
そして彼女は、呆然と宙空を見上げたまま息を呑んだ。
「昇竜斬……っ!?」
自らのその呟きが耳朶を刺激して、ニコの脳裏を一つの光景が過る。
スープの臭いと、焚火のパチパチという音。
冒険の途中。夜営の風景。
『あれは……やってみたら出来ちゃったというか……いや、聖剣があれば出来るんじゃないかなーとは思ってたんだけど……実は僕がいた世界のゲームのキャラクターがやってたのを、ちょっと真似してみたんだよね……』
『げぇむのからくた?』
『あ、ごめん、ニコには分かんないよね。えーと……』
『まあ、何でもいいにゃ! 結局、なんていう技なのにゃ?』
『昇竜け……いや、剣だし……昇竜斬……かな』
スープ椀を手にしたまま、はにかむ黒髪の少年の姿。
未だに彼の言う『げぇむのからくた』が何かは分からないが、ともかく、あれは別の世界の物を真似た技。
つまり、この世界のどの流派にも属さない、コータだけの技だ。
「帰ってきたのにゃ……」
ニコは思わず唇を震わせる。
そうだ、遂に彼が帰って来たのだ。
姿容は違えども、あれはコータに違い無い。
ニコはそう思った。
「こーーーーーーーーたぁああああああああぁ!」
口を突いて、想いが溢れ出る。
「コータ! コータッ! コータぁあああ!」
彼女は声を限りに叫びながら、炎が勢いを増す瓦礫の街を走り始めた。
◇ ◇ ◇
跳ね上げた刃が古竜の喉元へと食い込んでいく。
――うぉおおおおおおおおお!
レイは胸の内で雄叫びを上げ、力を込めて、更に深く刃を捻じ込む。
ずぶずぶと、音を立てて食い込んでいく刃。
やがて、刀身が何か硬い物にぶつかる生々しい感触があった。
首の骨に妨げられて、剣はそこで動きを止める。
途端に重力の枷が、翼を失った飛竜の身体を、大地へと引きずり落としにかかった。
レイの身体の重みに牽かれて、剣が滑り落ちると同時に、古竜の喉元に開いた傷口から、大瀑布の如くに一気に血が噴き出す。
真っ赤に染まる視界。
レイは古竜の血の滴りに塗れながら、真っ逆さまに落下していく。
そんな彼の姿を古竜は、ギロリと睨みつけた。
――まだ、生きているのか!?
驚きというよりも、感嘆とでもいうべき想いを抱きながら、レイはその目を睨み返す。
――だが、私の勝ちだ!
レイが胸の内で叫んだその瞬間、古竜の口の中で臨界へと達していた炎が一気に爆ぜた。
空気を詰めた袋を叩き割ったかのような甲高い音を皮切りに、誘爆するような爆発音が、幾つも響き渡る。
渦を巻く炎。飛び散る肉片。
血しぶきが高く、高く噴き上がった。
竜の頭を弾き飛ばした炎は、落下するレイを上回る速度で広がって、彼の身体へとその赤い舌を伸ばしてくる。
今のレイには、それに抗う術は無い。
鱗が焼け焦げ、残った片翼が炎を上げた。
肉が爛れ、黒い煙に巻かれながら、ただ真っ直ぐに落ちて行く。
――くっ!
レイは古竜の身体に乗り移ろうと、死後に現れるあの光を探す。
だが、古竜の周囲のどこにも、それは見当たらない。
見れば、古竜の両手が、レイの姿を求めるかの如くに宙を掻いているのが見えた。
頭部を失っても尚、古竜の生命は尽きていなかったのだ。
――これは参った。目論見が外れたな。
レイはまるで自嘲するかの如くに笑い、静かに目を閉じた。
既に首から下の感覚はない。
――ミーシャは…………まあ、大丈夫だろう。
自分がいなくなっても、ドナがいる。
彼女なら、この古竜ほどの化け物でも現れない限り、どうにかしてミーシャをヌーク・アモーズまで連れて行ってくれるはずだ。
レイは来るべき大地に叩きつけられる衝撃に備えて、身を固くする。
やがて衝撃は訪れた。
だがそれは彼の覚悟を嘲笑うかのような、ファサっという軽い音と、柔らかい感触。
痛みはほとんどない。
ただ、身体が上下に弾む様な感覚だけがあった。
――なんだ?
レイが静かに目を開けると、霞んだ視界の中で肌色の球体のようなものが揺れていた。
やがて、それは一人の女の顔へと像を結んでいく。
「あらぁ、たまたま巣を張ってたら、飛竜の丸焼きが引っかかったわ」
――アリア?
「アンタ、いい具合に焼け焦げて、ちょっと美味しそうね」
――喰われるのは御免だと言っただろう。
人間の姿に戻ったアリアが、レイの顔を覗き込んでクスクスと笑っていた。
――なぜ、逃げなかった。
「言ったでしょ。偶々だって。それよりまず、お礼の一つもないのかしら。助けてあげたんだから」
――偶々なんだろう?
「偶々でもよ」
アリアがレイの鼻先に指を突きつけたその時、レイは彼女の背後にまるで巨大な篝火の様に聳え立つ古竜の身体を飛び越えて、無数の飛竜が、降下してくるのを見た。
――逃げろ!
無数の飛竜が牙を剥いて、二人の方へと殺到してくる。
「こ、こうなったら……やってやるわよ!」
声を上ずらせながら、アリアはレイに背を向けると、指先から白い糸を垂らして身構える。
迫りくる飛竜の白い牙。
――アリア!
レイが胸の内で叫び声を上げたその瞬間、路地を駆け抜けて横やりから飛び出してくる影があった。
「てんばぁあああああっつ!!!」
それは、修道衣姿の女。
彼女は両手で握った大槌を力一杯振りかぶって、今にもアリアに喰いつこうとしていた飛竜の顔面を横からぶん殴る。
ぶん殴られた飛竜は降下してきた自らの勢いに横向きの衝撃を加えられて、地面を激しく穿ちながら、捩じれるように瓦礫の山へと突っ込んでいった。
「勇者様! ご無事で!」
彼女は着地すると、まずレイの方を振り返り、次に苦々しげにアリアを睨みつける。
そして、大槌を大きく振り回しながら、続いて降下してくる飛竜を牽制した。
後続の飛竜が様子を窺う様に宙空を旋回し始めると、修道衣姿の女――ドナはアリアにジトッとした目を向ける。
「魔物と肩を並べて戦うなどとは、業腹にも程がありますけれど……これも勇者様の御威光と思えば、仕方がありませんか……」
「だーれが、こんな奴に従ったって? メスゴリラ!」
「メ! メスゴリラ!? 言うに事欠いて、神の使徒たる私に向かってメスゴリラ!?」
「馬鹿力だけが取り柄の脳筋女が、偉そうにすんなって言ってんのよ!」
「なにを!」
二人が角を突きつける様に睨みあった途端、どこからともなく二人の間に割って入る者があった。
「まあまあ、二人とも落ち着くにゃ!」
それは赤毛の少女。
やたら布地の少ない恰好をした胸甲姿の少女だった。
その瞬間、初めてドナとアリアの想いがシンクロした。
「「誰よ、アンタ!?」」
思わずきょとんとする二人に、赤毛の少女は「にゃはは」と顔全体で笑いかける。
「コータの仲間なら、ニコの仲間にゃ! 仲間はみんな仲良くするものにゃ!」
「いやいやいや、さっぱり意味がわかりません! 蜘蛛女! こいつはお前の仲間なのですか?」
「こんなバカっぽいの、知らないわよ! あんたの知り合いじゃないの! 脳筋女!」
「バカっぽいって何にゃ! バカって言う方がバカにゃ! ばーか! ばーか!」
中空を旋回する飛竜のことを、すっかり忘れたかのように言い争う三人の女達。
――なんだこれ。
レイが思わず溜め息をついたのと同時に、彼の顔の上に小さな影が落ちた。
「こんなになっちゃって……。ほんと、バカなんだから」
レイが顔を上げると、逆さまの視界の中に頬を膨らませるミーシャの姿が映る。
――全く言い訳出来ないな。
彼がそう言うと、ミーシャは小指の先で目尻を拭って微笑んだ。
「アンタにも、もう見えてるんでしょ?」
――ああ。
レイは小さく頷くと、言い争う三人の向こう側、|聳え立つ古竜の周囲で爆ぜる、空を覆うほどの巨大な光に目を向ける。
ついに古竜の、命の火が燃え尽きたのだ。
「じゃあ、さっさと乗り移っちゃいなさい」
――そうだな。
レイは意識の中で、その巨大な光へと手を伸ばす。
途端に、焼け焦げた飛竜の首がガクリと落ちて、古竜の巨体が、小さく震えた。




