第二十一話 『マニア向け』はたぶん誉め言葉ではない。
「勇者様! 本当に良いんですね?」
レイがコクリと頷くのを視界の端に捉えながら、ドナは一際力強く手綱をしならせた。
馬は前足で宙を掻いて嘶くと、一気に速度を上げ、馬蹄の響きを人通りの絶えた大通りに、高らかに響かせる。
ミーシャの目には、行く手で揺れる無数の篝火が、闇夜に息をひそめる狼の目に見えた。
人間の領域にさえ入ってしまえば、後はのんびりとした旅路になる。その筈だったのに、なんでこんな無茶苦茶な事に巻き込まれているんだろう。
そんな疑問とも不満ともつかない想いが、ミーシャの頭の中で渦を巻いていた。
篝火が近づいてくるにつれて、その周囲の群衆の輪郭が浮かび上がってくる。
一様に表情の無い顔。生気の無い目をした男達の姿。
暴走する馬車が迫っているというのに、男達は身じろぎ一つしない。
やっぱり操られているだけなんだ……。
そう思った瞬間、自分達がしようとしていることの恐ろしさに、ミーシャの顔から血の気が引く。
だが、もう馬車を止めることは出来ない。
あと、二十メートル!
「ううっ!」
呻くような声を洩らして、ミーシャが肩を強張らせた途端――
天地がぐるりとひっくり返った。
「え?」
ミーシャの間抜けな声が宙空にとり残されて、身体がふわりと浮かび上がる。
周囲の音が消え去って、周りの景色がやけにゆっくりに見えた。
脚を折って前のめりに倒れていく馬。
馬と馬車を繋ぐ軛を軸に、馬車の車体が宙に半円を描いて引っ繰り返っていく。
ああ、死んだわ、コレ。
頭の片隅で、自分自身がお手上げとばかりに肩を竦めたその瞬間、
――すまん。
脳裏にレイの声が響いて、脇腹に鋭い痛みが走った。
思わず目を見開くミーシャ。
その視界に飛び込んで来たのは、自らの脇腹に減り込む兎の脚。
やけに綺麗なフォームの跳び蹴りだった。
「ぐはっ!!」
ミーシャの口から、乙女らしからぬ声が洩れて、肺の中の空気が全部押し出される。
そして彼女は、
「きゃああああああああ!」
盛大に悲鳴を上げるドナを巻き込んで、馬車が描く死の大車輪から外れて脇へと放り出される。
そして、二人は石畳の道を点々と転がって、人形の様に絡み合ったまま地面へと叩きつけられた。
途端に、世界に音が戻ってくる。
ノイズとして無視されていた周囲の音が、意識の表層に浮かび上がってきた。
凄まじい衝突音。
石畳に叩きつけられた馬車が砕け散る。
カンテラの油が引火して黒煙が立ち昇ると、下敷きになった馬が悲しげな声で鳴いた。
「ううっ……悪霊女、生きて……る?」
「なんとか……」
ミーシャが問いかけると、ドナは呻く様に応じた。
ミーシャは自分自身の状態を探る。
恐らく頭から血が出ているのだろう。顔の右側を生ぬるい液体が滴り落ちていく感触がある。
――大丈夫か?
頭上にレイの気配を感じて片目を開くと、ミーシャは息も絶え絶えに口を開いた。
「アンタ……これ大丈夫に……見えんの?」
――見えない。
「でしょう……ね」
実際、ダメージの八割方は、レイの跳び蹴りの所為だと思うのだが、それを責めるのは筋が違うことぐらいは分かる。
そうしなければ今頃、三人ともあの燃え盛る馬車の下敷きになっていたのだ。
「勇者様は、ご無事で?」
ドナのその問いかけに、レイはこくりと頷くと、くるりと背を向けて周囲を見回す。
ミーシャが痛む身体を起こすと、いつの間にか松明を掲げた男達が、遠巻きに取り囲んでいるのが見えた。
「あはは……なにこれ、絶対絶命のピンチってヤツ?」
「動かないでください。すぐに治療しますから」
ミーシャが渇いた笑いを零すと、ドナはミーシャの頭上に手を翳した。
「主よ、祈りに応え給え、善き物に善なる恩寵を垂れ給え――キュア・インジュアリー」
ドナの手が光ると同時に、ミーシャは痛みが引いていくのを感じながら、ぼんやりと男達の向こう側、煙に巻かれて苦しげに嘶く馬の方へと目を向ける。
すると馬の前足に、白いロープ状のものが絡みついているのが見えた。
「そりゃ、ああなるわ……」
ミーシャがそう呟くと、静かに佇んでいた男たちが道を開けて、その向こうから女が一人歩いてくるのが見えた。
真っ赤なイブニングドレスに身を包んだ肉感的な女。
歳の頃は恐らく三十近く。
腰までの黒髪に赤い瞳、病的に白い肌、口元の黒子が妖艶な色気を醸し出している。
「あらら、傷物にしちゃダメじゃないの、もう悪い子ねぇ」
女はそう言って、自らの足元に擦り寄る大型犬ほどの黒い塊へと、咎めるような目を向けた。
それは蜘蛛。暗くてシルエットでしか分からないが、恐らくヒュージスパイダーという奴だろう。
品定めする様にドナとミーシャを眺めていると、その視線を一匹の兎が遮って、女は一瞬きょとんとした顔になった後、愉快げに声を上げて笑った。
「あはははは、これは珍しいわね。首狩り兎を手懐けるなんて。もしかして、そっちのエルフちゃんが調教師なのかしら」
――中身は兎じゃないけどな。
「あら、そうなの」
その瞬間、ミーシャの背筋に冷たい汗が滑り落ちた。
今、この女はレイの言葉に反応したのだ。
精霊使いか、さもなければ……。
「アンタ……何者なのよ!」
「一応、この街の顔役ってことになってるんだけど……マダムアリアって名前聞いたことなぁい?」
ミーシャがドナと目を合わせると、彼女は眉間にしわを寄せてふるふると首を振る。
「あら残念、ちょっと傷ついちゃった」
女は口を尖らせた。
――で、そのアダムマリアが、私達に何の用だ。
「……マダムアリアね。もう、アリアで良いわよ。見ての通り、このところさっぱり景気が悪くてねぇ。大歓楽街として栄えたこの町もこの有様。女の子も減っちゃって、まったく商売あがったりよ」
――なるほど。それでこの二人に目をつけた訳か。だが、幾ら女を集めたところで、この町の有様ではどうにもなるまい。
「ばっかねぇ、アンタ。どうせすぐにこの町は魔王の手に落ちるわ。そうなったら魔族相手の娼館が大繁盛よ。だからそうなるまえに可愛い女の子をたーっくさん仕入れて、準備しとかなくっちゃ」
途端にレイの背後で、ドナとミーシャが顔を引き攣らせる。
その表情をうっとりとした目つきで眺めながら、アリアは話を続けた。
「心配しなくても大丈夫よぉ。ウチは女の子を大事にするので有名なんだから。だって大事な大事な商売道具だもの。そっちの神官さんなんか、きっと人気出るわよぉ。元神官で巨乳の女の子がサービスしてくれるってすっごく背徳的じゃない? ウケると思うのよねぇ。そっちのエルフちゃんは……まあ……マニア向きかしら」
「だれがマニア向きよ!!」
「汚らわしい!」
「あら、褒めてるのよ?」
二人が口々に抗議の声をあげるも、アリアはニヤニヤと笑うばかり。むしろ楽しんでいる様にさえ見える。
そして、彼女は再びレイの方へと目を向けた。
「よかったらアンタも雇ってあげてもいいわよ。きっと良いマスコットになれると思うのよねぇ。女の子たちの人気者よぉ?」
ドナとミーシャをちらりと振り返って、レイは考え込むように目線を上へと向けた。
――ふむ。




