第二十話 ウサ王&耳だけエルフ WITH 悪霊女、深夜の大暴走!
「もっと早く走れないの!!」
「やってますってば! 無茶言わないでください」
ミーシャは背後を振り返って声を荒げ、ドナは手綱をしならせて馬を追い立てる。
速度が上がるにつれて車軸が軋んで、耳障りな音が耳朶を衝き、小石が跳ね飛ばされて、からんからんと石畳を転がる。
やがて、追ってくる男達の姿が遠ざかってしまうと、ミーシャはホッと息を吐いた。
「もう……大丈夫みたいね」
「一体、何が起こってるんです?」
「そんなのこっちが聞きたいわよ。風精霊達が逃げろっていうから逃げただけだもん。……ねえ、レイ。さっきの男の人って、ほんとに只の人間だったの?」
――ああ。
ミーシャは難しい顔をして、考え込むような素振りを見せる。
「じゃあ、何かに操られてたのかも……」
――わからん。が、そうだとすれば、さっきの男には悪い事をした。
レイの声が神妙なニュアンスを帯びると、
「そんなの気にしないの! そうじゃなかったら、アタシがやられてたんだから。アンタはなーんにも悪くない! ね!」
ミーシャは慌てて、わざとらしくも明るい声でそう言った。
――もしかして、気を使ってるのか?
「もしかしてって、何よ! まったく……アンタ、一体私の事どういう目で見てんのよ」
――がさつで、落ち着きがない。
「なんだとぉ!? こんにゃろー! 王様気分で悪霊女の胸にふんぞり返ってるだけのエロウサギの癖に! ウサギの国へ帰れ! このウサ王!」
――ウサ王!? そっちこそ、少しはエルフらしくしたらどうだ? この耳だけエルフ!
「耳だけ!? 言ったわね!」
ジタバタと足を踏み鳴らすミーシャを眺めて、ドナが思わず肩を竦める。
二人の間にどんな会話が交わされているのかは知らないが、どう考えても、碌でもない話に違いない。
「お二人とも、少しは落ち着いてください。で、耳長殿、これからどうします? 普通に考えれば西門を出て、そのままヌーク・アモーズに向かうべきなのでしょうけど……」
「そ、そうね……ちょっと待ってて」
そう言って、ミーシャは静かに目を閉じる。
おそらく、風精霊達の声に耳を傾けているのだろう。
「ダメね。西門も東門もたくさん人が群れ集まってる。私たちを町から出す気は無いみたい。それと……何かヤバいのがいるって。やっぱり操られてるっていうのが正解っぽいわ」
「何かって、何です?」
「わかんないわよ。そんなの」
「では、どこかで馬車を止めますか? 町から出られないというのなら、どこかに隠れて朝を待つのが得策の様に思えますけど……」
「ダメよ。相手がアンデットならともかく、人間じゃ朝になったって状況が変わってる保証なんて無いんだし……」
「言われてみれば、確かにそうですね」
二人の間に沈黙が居座る。
土地勘の乏しい町中を逃げ回ることを思えば、ドナの言うことにも一理有る。
だが、馬車を捨てるという選択肢を選ぶ決断はあまりにも難しい。
それは、見つかっても逃げ切れなくなるという意味でもあるのだ。
ミーシャがとりとめもなく思考を巡らせていると、暗闇の向こう、前方に幾つもの篝火が灯り始めるのが見えた。
篝火の数は見る見る内に増え続け、徐々に群衆の輪郭がはっきりと見えてくる。
「道を塞がれてるわ! 曲がって! 早く!」
「ええっ!? どうなっても知りませんよ、もう!」
曲がってと言われても速度に乗った馬車が、そんなに都合よく曲がれるはずも無い。
それでも言われるままに、ドナは必死の形相で身体を傾け、力任せに手綱を手繰り寄せた。
馬車馬は通常より一回り小さなクォーターホースではあるが、それでも体重は五百キロを超える。
だが、大鎚を片手で軽々と振り回すドナの腕力は、尋常ではなかった。
手綱がミチミチと音を立てて、馬は引き倒されそうになりながらも、必死に足をバタつかせて旋回する。
途端に横向きのベクトルの力が馬車を押し流し、半狂乱の女みたいな悲鳴を上げて、後輪が石畳の上を滑る。
荷台の鉄枠がガリガリと石壁を削って、暗闇に火花が散った。
「やればできるじゃないの!」
ミーシャが快哉を上げた途端、口元は笑顔のままに、彼女は盛大に頬を引き攣らせた。
前方で派手な衝突音が響き渡り、馬が跳ね上げた角材が髪をかすめて、後ろへと飛び去って行く。
「あわわわわ……な、なんなのよ!」
この細い通りには、恐らく朝には市が立つのだろう。
道の左右に並ぶ畳まれた屋台をなぎ倒しながら、馬車は通りを駆け抜ける。
「何やってんだァ! お前ら!」
「ああ! ウチの屋台が! てめえら許さねえぞ!」
頭上から唐突に降り注ぐ怒声。見上げれば、周囲の建物から人が顔を覗かせている。
どうやら街の住人、全員が全員操られているという訳ではなかったらしい。
「ど、どうしよう……もうコレ完全に悪者よ、私達」
オロオロするミーシャに対して、ここまでくると腹が据わってしまったのか、ドナがやけに冷静に答える。
「形あるものはいつかは壊れます。まさに天罰。これは、唯一絶対なる神を信仰しなかった報いに違いありません」
「そいつ、絶対邪神だわ」
「な!? 耳長殿、流石にそれは聞き捨てなりませんよ!」
「わー! わー! 分かった! 分かったから! 幾らでも訂正するから前見て! お願い!」
騒がしい二人を他所に、荷台の上では我関せずと、レイが後方へと目を凝らしている。
角を曲がる直前から、ずっと何者かの視線を感じているのだが、周囲にそれらしき影は見当たらない。何かが追ってくる様子も無い。
ミーシャが、レイの方を振り返って問いかける。
「ねえ、ウサ王」
――なんだ、耳だけエルフ。
「このまま走ってれば、大通りに出るわ。そこからどうするかなんだけど……」
――逃げ回っていても疲弊するばかりだ。馬車ごと突っ込んで突破が最善だな。
「……そう言うと思った」
ミーシャは、大袈裟に肩を竦める。
「あんた、実はかなりの脳筋よね。なんか中央突破ばっかりしてる気がするんだけど?」
――まどろっこしいのは好きではない。
レイの声が聞こえないドナは、蚊帳の外に置かれた様な気でもしているのか、不満げに唇を尖らせる。
「二人だけで話してないで、ワタクシにも教えてくださいよ」
「西門を強行突破するんだって。このウサ王が」
ドナは一瞬目を丸くした後、意を決する様に口元を引き結ぶ。
「勇者様がそう仰るなら……」
「決まりね。ほら、大通りに出るわよ!」
大通りにさしかかると、ドナは手綱を巧みに操って西の方角へと旋回する。
西門までは、目と鼻の先。既に行く手には赤々と燃える篝火が見えている。
ミーシャがゴクリと喉をならすと、ドナが背後を振り返って声を上げる。
「勇者様! 本当に良いんですね」
レイがコクリと頷くのを視界の端に眺めながら、彼女は一際力強く手綱をしならせた。




