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第十四話 悪霊憑き

 剣先で揺れる黒い髪束を眺めて、


「うわぁ…………」


と、ミーシャがドン引きする様な素振りを見せると、レイは怪訝(けげん)そうに眉根を寄せた。


 ――なんだ?


「なんだじゃないわよ、アンタ。女の子の髪を斬り落とすなんて」


 ――そのうち、また伸びる。


「そりゃそうだけど。それだけ伸ばそうと思ったら、何年かかると思ってんのよ」


 その物言いに、レイは珍しく顔をムッとさせる。


 ――キミが殺すなというから。


「人の所為(せい)にしないでよね。気絶させるなり、なんなりやりようってのがあるでしょ。ほんと……これは私も流石に(かば)いきれないわ」


 ――待て! 待て! そんなに責められる事か?


 レイが思わず慌てると、ミーシャは大袈裟(おおげさ)に肩を(すく)めてみせた。


「見てみなさいよ、ほら」


 ミーシャが指さす方に目を向けると、そこには、(こうべ)を垂れて、穴が開きそうな程に石畳の一点を見つめているドナの姿があった。


 ――うっ……。


「相当凹んでるわよ、あれ」


 ミーシャに、じとりとした視線を向けられて、レイは()ねる様に唇を尖らせる。


 ――戦ってたんだぞ? 命のやり取りをしてたんだぞ? 別に手足を斬り落とした訳ではないんだぞ?


「人として、やっちゃダメなことってあんのよ?」


「ぎゃぎゃ」


「ゴブリンのフリしてもダメ」


 思わず周囲を見回してみると、兵士達までがドン引きした顔で、レイの事を見ている。


 レイは、むむむと考え込んだ末に、斬り落とした髪束を手に取ると、テトテトとドナの方へと歩み寄った。


 そして、あろうことか、小首を傾げて「ぎゃ?」と、ドナへと髪束を差し出したのだ。


 水だと思い込んで、火に油をぶっかけるバカの姿があった。


「あちゃー……」


 ミーシャが、思わず天を仰いだその瞬間、


 ドナのこめかみの辺りでブチン! と人体からは、決してする筈の無い野太い音が聞こえてきた。


「アンタねぇ! そりゃ怒るわよ! そんなことしたら!」


 ミーシャが慌てて声を上げると、レイは振り返って、胸の内で声を荒げる。


 ――では、どうしろというのだ!


 だが、その途端、


「レイ! 後ろ! 後ろ!」


 と、ミーシャが顔を引き攣らせて、声を上げた。


 振り返ればすぐ後ろに、首を傾げたまま、瞳孔の開ききった目で彼を見下ろすドナの姿があった。


 そして次の瞬間、


「くぁwせdrftgyふじこlpッ!!!」


 彼女は意味不明な叫び声を上げて、大きく身体を()け反らせた。


「ぎゃぎゃっ!」


 その余りの不穏さに、レイが『歩法(ウォーク)』を発動させて、弾けるように背後へと跳ぶと、


「なにしてくれとんじゃあああ!! アホゴブリン!」


 ドナの背後で、ジタバタと足を踏み鳴らすソフィーの姿が見えた。


 そして、彼女は間髪入れずに、周囲の兵士達に向かって大声を張り上げる。


「退避! 退避! 逃げるのじゃ! 早よぅ! 巻き込まれるぞ! トアナベの悪霊じゃ!」 


 途端に、


「トアナベ!? ま、まさか、ドナ様がトアナベの悪霊!?」


「うわああああああ、トアナベの再現だ!」


「逃げろ! 悪霊に殺されるぞ!」


 そう口々に叫びながら、兵士達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出し始めた。


 騒然とする兵士達の只中で、ミーシャは状況を把握できずに、「えっ!? えっ!?」と、戸惑いの表情を浮かべて左右を見回す。


「何をしておる、アホエルフ! お主もじゃ! とっとと逃げんか!」


「なによ! トアナベって! 一体、どうなってんのよ?!」


「うるさい! 後で幾らでも説明してやるから、とにかく逃げるのじゃ!」


 怒鳴りあうソフィーとミーシャを他所(よそ)に、ドナは瞳孔の開ききった虚ろな目で、レイをみつめながら、ふらふらした足取りで近づいてくる。


 喧騒の中に、大槌(スレッジハンマー)を引き摺る金属音がズルズルと響いた。


「レイ!」


 ミーシャが声を上げたその瞬間、ドナが動いた。


 それは余りにも唐突な挙動。


 何の前触れも無く倒れ込んだかと思うと、三つ足の獣のように手をついて、物凄い勢いで加速しながら、横なぎに大槌(スレッジハンマー)を振り回す。


「ぐっ!」


 ――躱せない! 


 レイは、大槌(スレッジハンマー)咄嗟(とっさ)に剣の腹で受けとめる。


 金属がぶつかり合う甲高い音が響いて、火花が散る。


 だが、大槌(スレッジハンマー)を受け止めるには、剣は脆弱に過ぎた。


 剣のへし折れる音が響いて、激しい衝撃がレイを襲う。


 吹っ飛ばされたレイは、まるで(まり)の様に二度、三度と地面を跳ねて、壁面へと叩きつけられた。


「グぎっ!?」


「レイッ!!」


 ミーシャが悲鳴じみた声を上げると、ドナが瞳孔の開ききった目を、今度は彼女の方へと向ける。


「ヒッ!?」


 その獣じみた威圧感に、ミーシャは思わず喉の奥に悲鳴を詰めた。


 大槌(スレッジハンマー)を引き摺りながら、ゆらりとした足取りで近づいてくるドナ。


 ミーシャは救いを求める様に、再び、レイの方へと目を向ける。


 だが、彼は壁面に(もた)れ掛かったまま、ぐったりとして動く気配がない。


 絶望に顔を歪ませるミーシャの頭上に、振り上げられた大槌(スレッジハンマー)の影が落ちた。


 そして、今まさに、それが振り下ろされようというその時、


「主よ、祈りに(こた)(たま)え! 悪しき者、(たけ)き者、(けが)れし者より守り給え! ――セイクリッド・ウォール!」


 ソフィーの声が、中庭を取り囲む壁に反響した。


 同時に振り下ろされた大槌(スレッジハンマー)が、ミーシャの頭上で激しい衝突音を立てて、見えない壁に弾き返される。


「へ……な、なに?」


 顔を引き攣らせたまま呆然とするミーシャへ、ドナの向こう側からソフィーが声を荒げた。


「このアホエルフ! だから早う逃げろと言っておろうが! (わし)の魔法もそう長くはもたんぞ!」


「な、なんなのよ、こいつ!」


「ドナ・バロットは、悪霊憑きじゃ! トアナベ村の住人を一人残らず惨殺した殺人鬼。今のこやつは目に入るもの全てが敵、自分の身が粉々になるまで、戦い続ける狂戦士(バーサーカー)じゃ!」


 思わず顔を蒼ざめさせて、ミーシャが声を上げる。


「なんつー危ないもん飼ってんのよ! アンタんとこの教団は!」


「たわけ! 憑かれているだけのドナに責任はない! そもそも、一生髪を切らぬという誓約を媒介に、悪霊を抑え込んでおったというのに、お主らの所為(せい)じゃろが!」


「そういうことは、先に言っときなさいよ!」


「いきなり女の髪を斬り落とすような、不作法者がおるとは思わんわ!」


 二人がぎゃあぎゃあと言い争っていると、ドナは再びゆらりと立ち上がり、不思議そうに小首を傾げて、自分の掌を眺める。


 そして、


「ぎゃあああああああああああああああああああああああああ!」


 断末魔の悲鳴にも似た絶叫を上げながら、狂ったように見えない壁を大槌(スレッジハンマー)で、滅茶苦茶に叩き始めた。


「きゃあ! いや! やめっ!」


 頭上で打撃音が鳴り響くたびに、ミーシャは悲鳴を上げて身を(すく)める。


「くっ! 早う逃げんか! もうもたん!」


 額に脂汗を浮かばせたソフィーが、顔を歪ませた。


 だが、ミーシャはその場で、足をジタバタさせるばかり。


 遂にミーシャの頭上で魔力の壁がひび割れ始めたその時、


 唐突に打撃音が消えた。


「え……な、なに?」


 頭を抱えながら、ミーシャが恐る恐る顔を上げると、ドナの身体に黒い(もや)のような物が巻き付いているのが見えた。


 こめかみに血管を浮き上がらせながら、ジタバタともがくドナ。


「これは……暗黒魔法?」


 昨日、赤鶏冠(レッドクレスト)が、ミーシャを捕える時に使ったのと同じ魔法。


 見れば長く伸びた(もや)の先。


 そこに緑色の血を滴らせながら、投網を引く漁師のように、手にした(もや)を引っ張るゴブリンの姿があった。


「レイ!」


 ――キミは腰を抜かしてばかりだな。そのうち腰にガタがくるぞ。


 軽口を叩くレイ。


 だが、その胸の奥から、ぎりぎり間に合った事への安堵の溜め息が聞こえて来て、ミーシャは思わず目を潤ませた。


「死んじゃったかと思ったわよ、ばか」

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