第十三話 首のかわりに
「ふざけるな! お主、今度は神の化身である勇者を、愚弄するつもりか!」
幼女司祭――ソフィーが声を荒げて激昂すると、その背後で黒髪の修道女が垂れ目がちの目を見開いて、怒りを露わにした。
だが、二人のそんな様子などお構いなし。
ミーシャは涼しげな顔をして、からかう様に手をひらひらさせる。
「あらあらぁ、いきり立っちゃって。まあ仕方ないわよね。ゴブリンだもん。見た目は」
「ゴブリン以外の何者でもないわ!」
「まあ、話を聞きなさいってば。見た目はゴブリンだけど、中身は本当に、アンタんとこの勇者よ?」
「意味が分からん! 中身とはどういうことじゃ!」
「魔王領の洞窟で、身体を失って生霊になってた勇者を見つけたのよ。ほとんど記憶がないみたいだけど。で、まあ緊急避難って奴? とりあえず、手近なゴブリンの死体に入らせたんだけど……」
幼女と黒髪の修道女は、思わず顔を見合わせる。
「その生霊が主張しておるのか? 自分が勇者だと」
「うん、そうよ」
その瞬間、レイの眉の無い眉間に皺が寄った。
――嘘がバレたら、私の所為にする気満々じゃ……ぐっ!?
ミーシャは「黙ってなさい」とばかりに、彼の足を踏みつける。
それも、性質の悪い事に、ブーツの踵で小指の先端を。
幼女は、レイの引き攣った顔をじっと眺めた後、呆れたとでも言わんばかりに、肩を竦める。
「全く……何を唱うかと思えば……。そいつが勇者じゃと? 馬鹿馬鹿しいにも程があるわ」
「司祭様、ワタクシに彼女を教え導く機会をお与えくださいませ。三日もいただければ、二度とそんな戯言を吐くことの無い、従順な神の僕に育て上げてみせますわ」
黒髪の修道女がそう言ってジッと見つめると、ミーシャは得体のしれないその迫力に、思わず後退る。
「じゃ、じゃあ、証明してあげるわよ!」
「証明じゃと?」
「この砦で一番強いのと戦わせてみれば分かるでしょ。勇者なんだから負けっこないもの」
一瞬、ポカンとした表情を浮かべた後、幼女は堪えきれないといった様子で、「ク、ク、ク」と笑いを洩らした。
「あほうじゃ、本物のあほうがおるぞ、のう、ドナ・バロット」
「何が、おかしいのよ!」
「おかしいに決まっておろうが! ……まあ、良かろう。この砦で一番強い者で良いのじゃな。そやつの化けの皮が剥がれたら、お主も只では済まさん。きっちり改宗させてやるから、そのつもりでおるが良い」
「上等よ! アンタの方こそ、勝負が終わったら、地面に額を擦りつけて、私に許しを請う事になるわよ」
睨みあう二人の間で、
「ひ、姫、今ならまだ引き下がれます。司祭殿もそんな大人げない事を仰らずに……」
ゴディンはオロオロと両者をとりなそうとして、
「お主は黙っておれ!」
「引っ込んでなさいよ!」
と、両側から怒鳴りつけられて、その大きな身体を縮こまらせた。
「では、中庭で待っておるぞ」
幼女はそういうと、黒髪の修道女を引き連れて、つかつかと部屋を出て行く。
「司祭殿! お待ちください! こんな無益な事は……」
そう声を上げながら、ゴディンが司祭たちを追って出て行ってしまうと、レイが小さく溜息を吐いた。
――強ければ勇者とは、強引な論法だな。
「まあ、ほとんど売り言葉に買い言葉だけどね。たぶん、この砦で一番強いのって、ゴディンでしょ? 騎士団長なんだし」
――違うと思うぞ。
「何が?」
ミーシャがきょとんと首を傾げる。
――一番強いのがだ。
◇◇◇
レイとミーシャ。
二人が中庭へ歩み出ると、外周を取り囲むように、兵士達が集まっていた。
「なに……これ?」
ミーシャが不愉快げに眉根を寄せると、中庭の中央で幼女が笑い声を上げた。
「ははは、折角の見世物じゃからな。ギャラリーは多い方が良かろうと思って儂が集めたのじゃ」
「ほんと、悪趣味ね」
「ゴブリンが勇者を語る方が、悪趣味じゃろうが」
「ばーか、自分のほえ面を、そんなに見せびらかしたいのかって言ってんのよ。このドM」
幼女が思わずムッと頬を膨らませると、ゴディンがミーシャの傍へと歩み寄ってきて、懇願する様に言った。
「姫! 今からでも遅くは御座いません。司祭殿に詫びて……」
だが、その言葉を軽く聞き流して、ミーシャは口を開く。
「ふーん、やっぱり戦うのはアンタじゃないんだ。とりあえず、ひょろひょろ、剣を貸して」
――二本。
「二本、お願い」
これはもう無理だと思ったのだろう。
「わかり……ました」
ゴディンは眉を下げて情けない顔をすると、手近な兵士達に命じて剣を用意させる。
「で、誰と戦えばいいの?」
ミーシャがそう問いかけると、幼女の背後から黒髪の修道女が進み出た。
「ワタクシが、お相手させていただきます」
「はあ? 私はこの砦で一番強いのって言ったのよ?」
ミーシャが片方の眉を跳ね上げると、
――いや、たぶんアイツが一番強い。
レイはそう言って、剣を手に前へと進み出た。
「ちょ、ちょっと、レイ!?」
「はははは、そのゴブリンの方がよっぽど、目は確かな様じゃな。こやつの名は、ドナ・バロット。我が国でも五本の指に入る神官戦士じゃよ」
周囲を囲む兵士たちに、驚く様子は無い。
「ひさしぶりに戦乙女の戦いを見られるぞ」
「普段の優しいバロット様も良いけど、凛々しいお姿も最高だよなー。ゴブリン相手じゃ瞬殺だろうけどさ」
と、寧ろ、期待に満ちた話声が聞こえてくる。
どうやら、あの修道女が、本当に一番強いということらしい。
「同じ武器で対等に。と、言いたいところですが、我々神にお仕えする者は戒律により、刃の付いたものを使うことが出来ませんので、これでお許しください」
そう言って、ドナは手にした得物を掲げる。
それは、柄も含めて、全てが鉄でできた武骨な大槌。
総重量がどれぐらいのものかは想像がつかないが、それを片手で軽々と扱う様子に、ミーシャは思わず目を見開いた。
だが、レイは一つ頷くと、両手に剣を構えて、中央の方へと歩みを進める。
「レイ! 殺しちゃダメだからね!」
背後で、ミーシャが声を上げる。
もちろん、それはレイにも分かっている。
理屈の問題ではない。感情の問題だ。
中身はどうあれ、見た目がゴブリンの者に、女の聖職者が殺されたとなれば、周囲の兵士達が一斉に襲い掛かってくることだろう。
中央で向かい合うと、ドナは垂れ目がちの目尻を更に下げて、憐れむ様な顔をした。
「可哀そうですけど、あなた達ゴブリンは、いかに悔い改めようとも、神のお許しを得る事はできません。せめて、苦しまぬように地獄へと送り返してさしあげましょう」
「ぐぐあぁ」
――気遣い無用。
レイのその言葉が分かった訳でも無いのだろうが、ドナは僅かに目を細めると、大槌を掲げて身構えた。
対峙して見れば、やはりゴブリン共とは違う。
研ぎ澄まされているとでも表現すれば良いのか。
ドナの殺気は非常に洗練されていた。
「イヤアアアアアアァァ!」
戦端は唐突に開かれた。
淑やかな見た目にそぐわぬ甲高い叫びを上げて、ドナが踏み込む。
出足は速い。
両手で高く掲げた大槌が、鋭い勢いで振り下ろされた。
だが、レイにしてみれば、苦も無く見切れる程度のもの。
――こんなものか。
これならば、最初に戦ったボスゴブリンと大差はない。
一歩左に飛び退くと、レイのいた場所。その石畳を大槌が叩く。
だが、そこで大槌は、予想外の軌道を見せた。
地面を叩くと同時に、ドナは力任せに手首をスナップさせて、大槌のヘッドを跳ねさせる。
そして、跳ねたヘッドはそのまま、横殴りにレイの方へと迫ってきた。
――なに!?
これにはレイも面食らった。
慌てて高く跳躍すると、足の下を風斬り音が駆け抜ける。
だが、それで終わりでは無かった。
レイが跳躍している間に、ドナは遠心力に任せて身体ごと回転させ大槌が、再び同じ軌道を描いて襲い掛かってくる。
攻撃の終わりが、そのまま次の攻撃へと繋がる、継ぎ目のない攻め手。
――むっ!
レイは宙を舞いながら、剣を下へと放り投げた。
石畳の隙間に突き刺さる剣。
レイがその柄の上に着地すると、途端に、横なぎに振るわれた大槌が、床に刺さった剣を真っ二つに叩き折る。
剣がはじけ飛ぶその瞬間、レイはドナの方へと跳躍した。
ドナは一瞬、顔を引き攣らせると、大槌を手放して、素早く身体を翻し、それを躱す。
レイがそのまま地面を転がって距離を取ると、ドナは再び大槌を拾い上げて、感心するような顔をした。
「驚きました。確かに、只のゴブリンでは無いみたいですね」
ところが、レイは剣を構え直すでもなく、気まずそうにポリポリと指先で頬を掻くと、
――ミーシャ。
相棒の名を呼んだ。
「どうしたのよ。アンタ! 押されてんじゃないの!」
――彼女に伝えてやってくれないか。キミの負けだと。
「は?」
ミーシャが思わず小首を傾げた途端、周囲の兵士達が一斉にざわめき始めた。
見れば、兵士達の視線は、レイの剣の先に集中している。
「アンタ、それ……」
――首を刈る訳にはいかないからな。代りだ。
そう言ってレイの掲げた剣先には、黒いロープのようなもの――切り取られた長い髪が、垂れ下がっていた。




