転移
酷い頭痛だ。
身体のあちこちが痛む。
覚えているのは眩しい閃光とミラの少し機械的な声。
そしてDrレッドから渡された水の潤い。
全てが放射能に汚染されているので、綺麗な水はかなりのご馳走だ。
「目が覚めましたか? ご主人様」
「ん? ああ、何が起きた? Drレッドは無事か?」
夜の闇の中からミラの姿が浮かび上がる。
どうやら彼女は無事なようだ。
周囲からは少し焦げた匂いが漂う。
しかも研究所ではなく、どこかの森に居るようだ。
「正直分かりません。Drの作成した転移装置の実験は失敗に終わりました。......いえ、私たちはどこかに転移したようなので、あながち失敗とも言い切れませんね」
決して慌てることのない彼女が事故の時は結構慌てた声を出していた。
だが、今はどうやら冷静なようだ。
「それで俺たちはどこに飛ばされたんだ?」
「不明です。衛星とのリンクも全て途絶え、天体の位置もデータと違うため座標割り出しも出来ませんでした」
「北極か南極にでも飛ばされたのか?」
「いえ、私が集めた情報から判断すると地球とは......。ご自分の目で見た方が早いかと、空を見て貰っても良いですか?」
俺はミラの言葉に従い空を見上げた。
空気が澄んでいるのか随分と星が綺麗に見える。
「凄いな」
まるで降ってきそうな星空に思わず俺は声を出した。
「ええ、私もそう思いました。ですが空に浮かぶ月に注目を」
「......つ、月が、2つ?」
星と同様に綺麗な月だった。
大小2つの月は青と赤に光っている。
俺は暫く口を開いてそれを見上げていた。
「まいったな」
「はい、ですが幸いにも大気の構成は地球と少し違うだけで、人体に影響を与えるほどではありません」
俺は一息ついて手にしたボトルから水を一口飲んだ。
そして、いつもジリジリとうるさいガイガーカウンターが静かなことに気づく。
「おい、ミラ。もしかして放射能が......」
「はい、この地は全くと言っていいほど放射能の汚染がありません」
人類が求めてやまない汚染からの解放。
期せずして俺はそれを体験していたのだ。
「とりあえず朝になったら周囲の探索を始めましょう。今日はどうかお休みください」
「ああ、分かった」
俺はミラに促されるまま暖かみすら感じる大地の上に横になった。
余りにも少ない装備に不安はあるが、清浄な空気を肺いっぱいに吸い込むと、どこか高揚している自分に気づく。
腰に収まっている愛銃の存在を確認するように手を添えて俺はゆっくりと眠りに落ちていった。
****
木々の間から差し込む太陽の光。
鮮やかな自然の緑。
静かに目を開けば、そこには夢のような空間が広がっていた。
「おはようございます、主人様」
「ああ、おはよう」
「周囲の木々から果物を採取してきました。人体への悪影響はありませんが残念ながら味の保証は出来ません」
「すまないな、とりあえず食べてみるよ」
目の前の地面に積まれた新鮮な果物。
味に関わらず、この量の汚染されていない果物を手に入れるとしたら一財産消えることだろう。
鮮やかな黄色の果物を口にしてみる。
口に広がる酸味と甘さ。
そしてこぼれる程の果汁が寝起きで乾いた喉に沁み渡った。
「う、美味いぞ!」
「それは良かった。私も嬉しいです」
ミラはその気持ちを表すように左右に揺れる。
俺は次々と果物を口に運び、その様々な味を楽しんだ。
「ご主人様、音響センサーのみでの判断となりますが少し離れた場所に水源があるようです。食事が終わったら行ってみますか?」
「それも汚染されていないんだよな?」
「その可能性は非常に高いです」
「行こう!」
「はい!」
俺の喜びが自分の喜びとばかりにミラも嬉しそうに返事をすると、クルクルと回りはじめた。
彼女としては最上級の喜びの表し方だ。
それほどに俺が嬉しそうだったのだろう。
放射能で汚染された地球では水辺は警戒を高める場所であった。
進化した生物は大きく凶暴になり、水辺は彼らの縄張りでもあったのだ。
俺は水の音が近づくにつれ普段の習慣で銃を構えて警戒を強める。
「衛星からの監視が出来ないので油断しないでください。とりあえず各種センサーには危険と思われる生物の反応はありません」
「分かった」
緑が豊かに生い茂る木々の間を、自然が息づく大地を踏みしめながら進んでいく。
そして森が切れると、水がゆっくりと流れていく川が目に入った。
「ど、どうだ?」
そう聞いた自分の声が期待に震える。
そして川の水に近づいたミラがゆっくりと戻ってくる。
「......大丈夫なようです。もちろん放射能による汚染はありません」
「おお! の、飲めるのか?」
「あまり大量に飲むことはお勧めしませんが、問題は無いと思います」
その言葉を聞いて俺は川辺へと近づいていく。
そして恐る恐る水へと手を差し込んだ。
川底が透き通り、かつては地球でも居たという姿のまま気持ちよさそうに泳ぐ魚が目に入る。
今の地球での魚は食うものではなく食われる物なのだ。
「水がこんなに美味いなんて知らなかったよ。魚も何匹か取ってみるか?」
「そうですね、この地の生態を調べるのに役立つでしょう。安全が確認できれば過去の調理法を試してみましょう」
威力を抑えたミラのレーザーが魚の頭部を撃ち抜いていく。
それを川に流される前に俺が拾い集めた。
「ほら、素手で捕まえたぞ」
生きたまま捕まえた魚をミラに見せてみる。
「流石です、ご主人様」
彼女の返答は分かっているが嬉しいものだ。
俺は子供のようにはしゃいだ。
そして、木の枝を集め川辺で火を起こして魚を焼く。
思えば食べ物を口にして涙を流したのは初めてだったろう。
その様子に少しミラも心配したようだ。
なんの味付けもしないで、ただ焼いただけの魚は、自然と涙がこぼれるほどに美味かった......。
「ここは天国だな」
「そうですね、素晴らしい所だと思います」
簡易で作ったシェルターから再び訪れた夜空を見上げてそう呟く。
「......ここで暮らすか」
「貴方のお望みのままに」
日々危険に晒される荒廃した地球に比べ、自然溢れるこの地は天国に思えた。
この時までは......。