7.近づきすぎると駄目になる
敦司とわたしは、幼稚園に通う前から、小学校、中学校とずっと一緒だった。
頭の出来が違いすぎたわたしたちは、高校こそ離れたけれど、家が隣同士ということもあって顔を合わせない日は無かったと言ってもいいくらい、常に傍にいるような間柄だった。
いわゆる幼なじみだ。
物心がついたときからすでに敦司は傍にいて、互いの家にも行き来していた。
わたしは気がつけば父子家庭で育っていて、父の帰宅が遅いときなど、敦司の家に預けられたりもしていた。
敦司の家にはちゃんとお母さんがいて、お父さんも定刻になれば帰ってきた。
柔らかいオレンジ色の明かりの下で皆で食べる夕食は、自分の家とはずいぶん違うなと感じていた。
これが一家団欒というものか、なんて幼いながらに感心していた覚えがある。
お腹一杯になって敦司とテレビアニメを見て、自分の家にはないゲームで遊んで、たまにお風呂も一緒に入って、眠くなれば寝てしまって、揺り動かされて気がつけば、父に抱かれて自宅の玄関をくぐる朝を迎えていたなんてこともある。
敦司とは、近所の川や公園の砂場でよく遊んだし、待ち合わせなんてことはしなかったけれど、学校からの帰り道でばったり会ったときには、買い物をしたり、映画なんかを見てから一緒に帰宅したりもした。
敦司は一つ年上だけれど、あまりにも幼い頃から一緒に居すぎたので、先輩という感覚は無い。
わたしは敦司のことを幼稚園のころから呼び捨てにしていたし、隣に住む遊び相手くらいにしか思っていなかった。
お兄ちゃんという表現が一番しっくりくるかもしれないけれど、それともまた違うような気がする。
そんな関係が続いたある日、大学生になる敦司は家を出ることになった。
「しっかりやれよ」と、本来ならわたしが言うようなセリフを残して、敦司は東京へ向かった。
そしてわたしは高校三年生になり、敦司と初めて離れることになったというわけだ。
敦司が居ないということもあって、あのオレンジ色の明かりの下で夕食を摂ることも無くなったし、もともと友達の少なかったわたしは、遊び相手も暇つぶしの相手も居なくなった。
ただ父とひっそりと、過ごした。
別に寂しくもなかったし、不満もなかった。
それが普通だったから、なんとも思わなかった。
敦司が保護者みたいな顔を覗かせるようになったのには、幼なじみでわたしが年下という理由の他に、もうひとつある。
わたしが、変質者に狙われた中学二年の春からだ。
朝、いつも通りに家を出たわたしは、気持ちの良すぎる空の青さと陽気の良さに、学校に行くのが面倒になった。
こんな日は、授業を受けながら眠っているより、外の空気に触れながら本でも読んでいたほうがいいと思ったわたしは、学校へ行く途中の橋の下に寝そべって本を読んでいた。
薄暗さで文字が読みにくくなり、川面を滑ってくる風がむき出しの足を滑って少し寒いかも…と感じたときには、陽が半分沈んでいた。
さて帰ろうか、とスカートについた砂と枯れ草を払い、歩き出したその時に、背後に何かの気配を感じた。
腕を掴まれて、驚いて振り向いた。振り向いてすぐに、押し倒された。
背中にコンクリートの冷たさを感じた。頭を打ってしばらく動けなかった。
動けないわたしの身体に覆いかぶさりながら、黒い物体の息が耳に吹きかかる。
何が起きているのか、分からなかった。
ぎゅっと目をつぶり、身体を這いまわる熱い感触に耐えていた。
大きくもない胸を弄られ、首筋に唇を押し付けられ、太ももを滑ってスカートの中に入り込んでくる手のひらの温度を感じたときに、ようやくわたしは襲われているのだと気がついた。
硬く閉じていた目を開くと、黒いニットキャップを被った男の顔があった。
たぶん、若かったと思う。春先にもかかわらず、厚手のニットを着込んでいた気がする。
全身、黒づくめの男だった。いや、そう見えただけなのかもしれない。よく覚えていない。
視線がぶつかると男は、奇妙な笑いを浮かべた。
笑う目と唇だけがぎらぎらと光っていた。
男の手がパンツの中に入ってきて、わたしは声を上げた。
男の右手が、わたしの頬を打った。
打たれた反対側の頬がコンクリートに擦れて、息を吸い込むと砂が口の中に入り込んで、咽まで届いた埃に、咳き込んだ。
夢中でもがいたけれど、男の力は強かった。
何度か殴られ、その度に鈍い痛みが骨と頭に走る。
口の中は、ざらついて、血の味がした。
もう駄目だと思った。けれど抵抗を緩めたときに、男の手がわたしの身体を離れた。
ジーンズのボタンに手をかける男の姿を薄目に入れたわたしは、右足でおもいきり男の股間を蹴り上げた。
そこが急所だということは、保健体育で習っていたから知っていた。
授業内容が初めて役に立った瞬間だった。
股間を押さえて奇声を上げる男の股の間から抜け出して、鞄を抱えて、夢中で逃げた。
本を投げ出してきてしまったことを今でも悔やんでいる。お気に入りの一冊だったのに。
土手を上がるときに何回か転んで、膝も手のひらも擦りむいて血が滲んだ。
振り向かず、ただひたすらに走った。
走って走って、息がつけず立ち止まったところが敦司の家の前だった。
何も考えず扉を開け、まっすぐに敦司の部屋へ続く階段をのぼる。
「由佳ちゃん?」キッチンの脇を過ぎるときに敦司のお母さんの声を聞いたけれど、返事もせずに部屋へ入り込んだ。
こんなことはよくあった。
わたしは自分の家みたいにして敦司の部屋に上がり込むことなんてしょっちゅうだったから、敦司のお母さんが特段気にかけることもなかったのだ。
夕飯近くになって、部活動を終えた敦司が帰ってきた。
埃と砂まみれの制服で床に突っ伏したまま泣いていたわたしに、敦司は相当戸惑っていた……という話を、後で聞いた。
学校や近所や、新聞で取り上げられるような大事にはならずにすんだ。
そんなことになっていたら、わたしは不本意な有名人になって、どこに行っても、レイプされかけた可哀想な女の子という、同情の含まれた目で見られていたことだろう。
マイナスイメージで近所のネタにされることなど、まっぴらだ。
そんな饅頭の皮みたいなしっとりとした哀れみなど、受けたくなかった。
敦司だけに話した。
話すつもりはなかったけれど、自分から敦司の部屋に上がり込み、床に突っ伏して泣き、そんな姿をさらしておきながら「何でもない」なんて言えるはずもなかったし、口ごもっているわたしを優しく問いただす敦司の声に安心してしまったものだから、わたしは大袈裟に泣いて、敦司にしがみ付いて、どんなに恐ろしかったことか、という話をしたようだ。
……他人事みたいな言い方だけれど、その頃のわたしは本当に素直で純情で、男がどんな生き物かもよく分かっていなかったのだから仕方ない。
わたしの周りにいる男といえば、父か、敦司か、クラスメートのやんちゃな男子だけだったし、身に危険を感じるような雄などいなかったから余計に傷ついた。
そう、傷ついた。身体に出来た擦り傷はすぐに治ったけれど、受けた心の傷は相当のものだったらしい。
それ以来、わたしは、男という生き物に近づきすぎると駄目になる。
今日みたいに、新宿駅で隅っこに座るはめになるくらい。
あれから五年が経とうとしているけれど、まだ、駄目だ。
敦司はと言えば、それからずっとわたしの心身を気にかけるようになり、こちらが恐縮してしまうほど、面倒をみてくれるようになった。
面倒という大層なものでもなかったけれど、いつでも気にかけてくれたのは確かだ。
登校時には、わたしが学校をさぼったりしないように隣にぴたりとついて監視されたし、下校時も、なるべく一緒に帰るように調整してくれていた。
義務感、みたいなものがあったのだろうか。
昔からずっと傍にいる相手としての。
それとも、わたしの心の傷をわかっているのが、自分しか居ないという意味で。
どちらにしても、負担をかけてしまったことは確かだ。
大学進学と同時にせっかくわたしと離れることができたのに、今またこうしてわたしは、敦司の部屋に押しかけて、世話になっている。