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24.だって自分のこと

 次の金曜日、ヨウコさんが風邪でダウンした。


 お昼過ぎから体調が悪かったらしく、店を閉めるころにはぐったりとしていた。額に手を当てて、相当苦しそうだ。



「明日は休んだほうがいいっすよ」



 心配したカズくんが声をかけると、ヨウコさんのえくぼが小さくくい込んだ。



「でもねぇ、二人じゃ大変だろ」


「明日は土曜だし、お客さんもそんなに多くないだろうし、大丈夫です、たぶん」



 さすがにわたしも心配になって、けほけほと咳をするヨウコさんの背中を撫でた。


 赤いエプロンの胸も腹も、心成しかしぼんで見える。



「あたしも休みだし、お手伝いするから。お母さん、休んでいいよ」



 パステルピンクのパーカーに身を包んだ美月ちゃんも、心配そうにヨウコさんの腕を撫でた。



「ありがとね、辛かったらそうするね」



 いつもの元気がない。返ってくる言葉も普段の半分以下だ。


 なのに大鍋を掴んで、洗浄開始の姿勢をとっている。


 カズくんとわたしは、なかなか言うことを聞かないヨウコさんの背中を押して、半ば強引に二階へ促した。


 美月ちゃんも手伝ってくれて、三人で店の整理を終えた。


 

 次の日、ヨウコさんはやっぱり熱を出した。


 赤いエプロンをかけながら厨房へ現れたのだけれど、顔まで赤いヨウコさんに驚いたわたしとカズくんは、昨晩のように二人がかりでヨウコさんを二階に押し込めた。


 とりあえず店を開いて営業を開始した。美月ちゃんも時々二階から顔を出した。


 平日の忙しさはなかったので、助かった。六時過ぎに最後のお客さんを見送ってから、シャッターを下ろした。



「ヨウコさん、どお?」


「うん、今眠ってる。まだちょっと熱あるけど、ご飯食べれるし、大丈夫みたい」



 厨房の奥の三畳部屋で、仕事を終えたわたしとカズくんと美月ちゃんの三人で休んでいた。


 

「明日日曜だし、ゆっくり休めるといいんだけどね」


「うん、何にもしないように言っとく」


「美月ちゃんも移らないように気をつけろよ」


「うん、あたしは強いから平気」



 壁に寄りかかってお茶を飲む美月ちゃんの、カモシカみたいにすんなり伸びた足が、スカートの下でぱたぱたと動いている。


 このまま帰ってしまうことに、なんとなく気が引けた。


 たぶん、カズくんも同じ気持ちだったのだろう。「何か買ってくる」と言って、コンビニへ出かけていった。



「ヨウコさん、本当に大丈夫かな」



 元気なヨウコさんしか見たことがなかったわたしは、しぼんで見えたヨウコさんの赤いエプロンが気になって仕方がなかった。



「大丈夫だよ、あたしと同じ。強いから、お母さん」


「そう?」


「うん」


「美月ちゃん、明日ご飯とか大丈夫?」



 柄にもなく心配してしまう。カレーだってまともに作れないわたしが、ご飯のことなど聞いて、何になるのか。



「全然。滅多にないけど、お母さんが風邪引くことなんて前からあったし、いつも二人だし、平気平気」


「そっか」



 やっぱり、ヨウコさんと美月ちゃんの二人暮らしなのだ。


 聞いてから虚しくなった。二人の生活は、自分でもよく分かっているはずだった。


 どちらかが寝込めば、片方がそれ相応の対処をするだけなのだ。


 父も、寝込んだことは勿論あった。けれど、一日がっちり寝てれば妙な回復力で元気になっていた。


 きっと、ヨウコさんもそうなんだろう。片親の、頑張ってしまう強さと健気さはよく知っている。



「でもお母さん、無理するからちょっと心配なんだよね」



 そうなのだ。無理するのだ。



「あたしもね、お父さんと二人なんだ」


「え? アツシくんとじゃなくて?」


「いや、こっちに来る前。お父さんと二人で暮らしてたんだ」


「あ、そうなんだ。じゃあ、あたしと一緒だね」



 にこにこと、美月ちゃんが笑っている。「え、大変だね」「何があったの」「お母さんは?」こんな話をすると、大抵こういう返事が返ってくる。


 美月ちゃんにはそれがない。同じ境遇だからだろう。美月ちゃんも少なからず、きっと同じことを言われているはずだ。


 本当は、わたしだって気になる。「お父さんはどうしたの?」そう聞いてみたい。


 でも聞いたところでどうにもならない。そんなこと、意味がないのだ。



「じゃあさ、由佳ちゃんがこっちに来ちゃって、お父さん、寂しいかもね」



 うん、と頷いて、はたしてそうだろうか、と疑問に思う。寂しいんだろうか、父は。


 わたしが東京に出てきてからもうすぐ二ヶ月が経とうとしているけれど、父はまだ一回しか電話を寄越していない。


 わたしからは、一回だって電話もしていない。


 話下手な親子とは言え、ちょっと疎遠過ぎる。


 でも気になっていないわけじゃない。いつも、心のどこかで引っかかる。


 二人で居てもひっそりとしていたあのテーブルで、タコとか、かつおのたたきとか、動かないものと向き合って、野球中継なんかを見ているのだろうか。


 ただでさえ薄暗いあの茶の間で。


 それでも、敦司の家で眠り込んだわたしを連れて帰る必要もなくなったし、眠い目を擦りながらわたしの弁当を作る手間もなくなったし、少しは清々してるんじゃないだろうか。


 

「由佳ちゃんはどうしてこっちに出てきたの?」



 痛い質問だ。


 どうしてわたしは、東京に行きたいなんて言ったのだろう。


 あの家から出たかったのか。一人で何かをしたかったのか。もっと別の世界を見てみたかったのか。


 どの理由にも当てはまるような気がするけれど、全部違うような感じもする。


 父を残して、ひとりでこっちに出てくるだけの意味が、今の生活に、あるのだろうか。



「なんとなく、なんだ」


「なんとなく?」


「うん。情けないことに」


「ふーん、そうなんだー。ふーん」



 寝転がる美月ちゃんの短いスカートから、ピンクのチェックのパンツが見え隠れしている。


 

「あたしね、将来ケーキ屋さんになりたいんだー」


「ケーキ屋さん?」


「うん、ケーキ屋さん」



 弁当屋じゃないのか。あまりにも素直な小学生の夢にびっくりする。



「何でケーキ屋さん?」


「カラフルでキレイでしょ? 美味しいし」


「うん、まあ」


「ここでね、弁当と一緒にケーキも売るんだ」


「ここで?」


「うん。弁当もやって、ケーキもやるの。お母さんが弁当で、あたしがケーキ。お母さんができなくなったら、ケーキ屋さんだけにするんだー」



 急に自分が恥ずかしくなった。


 こんなに小さな子でさえ、夢みたいな、希望みたいなものをちゃんと持っている。


 それもなんというか、自分本位じゃなく、小さな頭と胸で、ちゃんと、親のことも店のことも考えているのだ。


 意図的だろうか、無意識だろうか。どっちにしても、偉いと思う。



「美月ちゃん、すごいね」


「えー、なんでー?」


「ちゃんと考えてるんだね」


「だって自分のことだもん」



 将来のことも、父のことも、自分のことすらわからないわたしは、小学生以下だ。



「あ、カズくんおかえりー」



 コンビニの袋を抱えて、カズくんが帰ってきた。


 カラフルなお菓子と、ウーロン茶と、色んな種類の栄養ドリンクが入っていた。


 

「これ、ヨウコさんにやって」


「ありがとー。やっぱりカズくん気が利くよねー。あたしやっぱりカズくんと結婚しようかなー」


「予約されちゃうわけ?」


「でもすぐおじさんになっちゃうもんなー」


「なんだよそれ」


「あははー」



 美月ちゃんはやっぱりすごい。なんていうか……



「あ、由佳ちゃんとカズくんが結婚すればいいんだ。そしてお母さんとずっと弁当屋やって。あたしはお菓子作るからさー。ね? いいと思わない?」



 さすがヨウコさんの娘さんだ。



「ね。そしてあたしはアツシくんと結婚すんの」



 それは、なんか困る。



「由佳ちゃん、今度遊びに行ってもいい?」


「え? うん」


「じゃあ、いつなら大丈夫?」



 世話好きでしっかりした、ヨウコさんそっくりの小学生は、お菓子を頬張ってからウーロン茶をこくこく飲んで笑った。


 わたしは曖昧に笑い返しながら、膝を抱えてもじもじしているだけだった。


 話好きな近所のおばちゃんに、玄関先でつかまった父のように。


 カズくんは口の端を上げて、そんなわたしたちを面白そうに見ていた。




 

 


 

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