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22.その前の選択

 部屋に戻って、わたしは真っ直ぐに敦司の隣に座った。


 それが普通のような、そうしなければいけないような、そんな気がしたからだ。


 聞きたいことはすべて聞いてしまったのか、美月ちゃんはおとなしくなって畳に寝転んでいた。眠そうだ。「おかえりー」と言う目がとろんとしている。


 ヨウコさんは居なかった。二階に戻ったのだろう。


 敦司は所在無げに壁に寄りかかってあぐらをかいていた。隣に滑り込みながら「ただいま」と小さく言うと、「おかえり」とそっけなく返事を返された。


 他に言葉が出てきやしないかと見上げながら少しのあいだ待ってみたけれど、敦司は口を結んだまま、わたしをじっと見下ろしているだけだった。



「ほい」


 

 とカズくんがジュース類を畳の上に広げると、美月ちゃんが起き上がり、まずお菓子に手が伸びた。迷いなくウーロン茶のボトルを小さな手でつかみ、コクコクと美味しそうに飲んでいる。


 わたしはコーラに手を伸ばした。が、なにか間違ったような気分になる。


 缶コーヒーを手にしてみてもしっくりこなくて、オレンジジュースのボトルを取った。つかんでからもこれでよかったのかと首をかしげる。


 今わたしが身体に流し込みたいのは何なのだろう。


 

 お菓子とウーロン茶を手にした美月ちゃんの調子が戻ってきて、三十分くらいは美月ちゃんの話に三人で耳を傾けていた。


 時々、似たような苦笑が浮かぶ。


 しばらくするとヨウコさんがやってきて、「美月、もう寝なさい」と小さな頭をやんわり撫でた。


 ぷっくりした、けれど手の甲が遠目でも荒れているのがわかるヨウコさんの手が美月ちゃんのしっとりした黒髪を揺らしている。


 わたしはぼんやりとその様子を眺めていた。美月ちゃんの癖のない髪は、蛍光灯の明かりに幾度も反射した。


 昔、これと同じような光景をどこかで見たような気がして、ああ父だ、と思い出す。


 薄暗い茶の間の、蛍光灯の明かりを背負った赤茶色の父の顔。うたた寝をしてしまったわたしの頭に置かれた大きな手。


 そのときの感触を思い出そうと目を閉じる。温かかったろうか、グローブみたいな手は重かっただろうか。わたしは、どんな顔をしていたのだろう。


 父はもう、寝ただろうか。それともまだ、仕事だろうか。



 美月ちゃんが二階に戻ってから、ヨウコさんとわたしたちは明日の作業のことを少し打ち合わせた。


 聞いているうちに閉じそうになるまぶたが重い。うつらうつらしていると敦司の手が頭に伸びてきて、こつかれた。


 

「じゃ、ちょっと眠っておいてね」



 ヨウコさんが二階に戻った。壁掛けの時計を見ると、十時になろうとしている。


 美月ちゃんとヨウコさんが居なくなると、途端に部屋はしんとする。ぼんやりしながらも、居心地は悪かった。わたしは足の指を動かして、そこばかりを見ていた。


 

「明日、宜しくお願いします」



 最初に声を出したのは敦司だ。黒髪をかきながらぺこりと頭を下げた。



「急で驚いたんじゃない? ヨウコさん、あの通りだから」



 茶色の髪をかきあげて、カズくんが言う。細い目が、くいと下がる。



「ええ、正直」


「これからまたちょくちょくあるかもよ。ヨウコさん、気に入るとしつこいから」


「え、そうなんですか」


「うん」



 微妙に緊張しているのだろうか、お互いに、話しながら髪の毛をいじりっぱなしだ。


 敦司は通った鼻筋をかいて、カズくんは細い目の端をかいている。


 わたしは、動かしていた足の指を無意識にぎゅっとつかんでいた。


 

「ま、いいんですけど。でもいつも今日みたいに急に声がかかると参っちゃいますね」


「覚悟しておいたほうがいいかもよ」


「え」


「美月ちゃんにも相当気に入られちゃったみたいだし」


「あはは。小学生ですよね? すごいっすね」


「俺もここに来たとき同じ感じだったよ。俺なんて結構避けられること多いのにさ、お構いなしに攻撃されたもん」


「そうですか」


「でもまあ、そのおかげですぐに慣れたけど。ヨウコさんもいい人だし」


「人が良さそうですもんね、こう、見るからに」


「はは」


「あはは」



 ふたりの両手はもう畳に降りていた。


 敦司はあぐらの股の間に、カズくんは身体を支えるようにして後ろに。


 わたしだけが、つかんだ足先から手を離せずにいた。


 男同士の会話なんて近くで見ることもなかったから、妙に真剣に見入ってしまった。


 しかも敦司とカズくんだ。なんだこの共演は、と尻がむずがゆい。


 なんだよ、二人して微妙に仲良くなっちゃって、そんなことを思っていた。



 長縄跳びのロープの隙間を狙うように、会話に混じるタイミングを計っていたけれど、再び睡魔に襲われ始めたわたしの視界は細くなる。


 まぶたが落ちるたび、ぱっと目を見開き、鼻をすすってみたり、頭をかいてみたりしていたけれど、気づくとかくんと首が折れるという動きを繰り返してしまう。


 それでも途切れ途切れに続くふたりの会話を聞こうと必死で堪えていた。


 何度目かで敦司の肩におもいきりこめかみをぶつけた。意外に痛い。


 ふっと鼻先で笑って、毛布を投げて寄越したのはカズくんだ。



「だから道路で寝てくれば良かったのに」


「道路?」



 カズくんの含み笑いの声の後に、ぶつけた肩の上から敦司の言葉が降ってくる。



「東京タワーではしゃぎすぎたんだろ」


 

 カズくんは面白そうに笑っている。



「そんなことない」


「滑るし」


「すべ…」


「転ぶし」


「ちょっと…」


「背おわ…」


「あーー! もういいの!」



 反射的に敦司を見上げた。黒い目が、きょとんとしてわたしを見ていた。「なに?」と言う顔だ。



「早く寝ろ」



 茶色の髪をかきあげて、カズくんはまた笑った。ふわっと戻ってきた髪が額に垂れて、いい具合の形を作ったけれど、それに見惚れてる場合じゃなかった。


 わたしは毛布を頭からかぶって寝転がった。


 毛布を通しても、なんだか敦司の視線を感じる。


 くすくすと聞こえるカズくんの笑い声に怒りながら丸まっていた。


 鼻先に押し付けた毛布が次第に温かくなってくる。目が冴えてしまったようでも駄目だった。相当疲れていた。




 ふと目を開くと目の前に敦司の寝顔があって、驚いて飛び上がった。


 部屋は電気がつけられたままだ。壁の時計を見ると、零時を過ぎている。


 両隣を交互に見ると敦司とカズくんがいて、すっかり寝入っていた。


 わたしはその中央で、飛び上がった状態で尻をついていた。


 

「なんで真ん中…」



 三人で寝るときの、一番嫌なポジションだ。


 どうやらわたしは、怒っておきながら速攻で眠ってしまったらしい。


 今のこの状況に困惑する。まさに川の字の真ん中だ。


 二人に挟まれているというのが落ち着かない。


 毛布を抱えてそろそろと前に移動して、壁に寄りかかってふたりを眺めた。


 敦司は毛布に包まって、カズくんは仰向けに腹を出して眠っている。


 ちょっと腰を浮かしてまじまじと寝顔を見てやると、二人とも揃ってまつげが長かった。そして口が開いている。


 

「ぷ」



 ふつふつと可笑しさがこみ上げてきた。二人のまつげを引っ張ってやりたい気分だ。


 だけど、色も質も違う髪の毛を撫で比べてみたい感じもする。なのに、立ち上がって蹴り飛ばしてやりたい気持ちにもなる。


 二人はどういう反応をするだろう。怒るだろうか、笑うだろうか、それとももっと別のリアクションをとるだろうか。


 それをわたしはどんな顔で眺めるのだろう。その顔を作ってから、この表情でよかったのだろうか、なんて悩むのだろうか。


 その前に、引っ張るか、撫でるか、蹴り飛ばすかの選択だ。


 オレンジジュースを手に取った。けれどやっぱりお茶にして少しだけ飲んだ。生ぬるくなったほろ苦い液体は、胃にじんわりと染み入った。


 しばらく二人の寝顔を見比べていたけれど、結局なにもしなかった。


 そろそろと這いつくばって二人の間に戻った。


 左右均等に幅をとる。


 川の字を整えて天井を眺めていると、何故か安心するのだった。




 二時過ぎにヨウコさんに起こされた。


 わたしたちは眠い目を擦りながら厨房へ向かった。


 ヨウコさんに似た体つきのヨウコさんのお友達のおばちゃんは、もう準備に取り掛かっていた。「おはよ」と言う言葉に、三人でぺこりと頭を下げた。


 作業は順調に進んだ。


 ヨウコさんとカズくんと敦司で調理をして、わたしとヨウコさんのお友達が出来上がったものから容器に詰め込んでいった。


 敦司はヨウコさんに包丁使いを褒められていた。カズくんが言ったとおり、「うちでバイトしな」としきりに攻められている。


 頼むからそれはやめてくれ、とわたしは唐揚げを容器に詰め込みながら頭のなかでぼやいていた。


 そんなことになったら、二人が厨房にいるあいだ、わたしはどんな顔でカウンターに居ればいいのかわからなくなってしまう。


 どっちに注文のメモを渡せばいいのか、迷ってしまいそうだ。


 どっちに渡しても、それでよかったのか、いつまでも悩みそうだ。



 ヨウコさんのお友達もやっぱりおしゃべりで、並んで作業をしているあいだ、しきりに話しかけられた。


 わたしは曖昧に返事をしながら、敦司とカズくんの後ろ姿ばかり横目に入れて、おばちゃんの声の隙間にふたりの声を捕らえようとした。


 けれどフライパンの中で弾ける油の音や調理器具が立てる金属音なんかで声は打ち消されて、会話までは耳に届いてこない。


 ときどき顔を見合わせて笑う姿を見て、ヨウコさんのお友達の声に「そうですね」なんて上の空で返事をしながらも、二人の様子が気になって仕方がなかった。


 でもなんだか、いい気分だった。



 

「よし! 終了!」



 ヨウコさんのチェックが終わり、その大きな声とともに作業が終わった。


 銀色の調理台の上にたくさん積み重なった弁当を見ると、何かを成し遂げた、みたいな気持ちになる。


 べたついた身体は気持ち悪いけれど、すっきりする。


 

「すごーい! 久しぶりにこんなにいっぱいの弁当見たー」



 八時には起きて厨房に下りてきていた美月ちゃんも、調理台に手をかけてぴょんぴょん飛び跳ねて、嬉しそうだ。


 わたしも美月ちゃんと同じことをしながら、喜んだ。敦司とカズくんは、揃って腕を組んでいる。脂で顔がてかてかしていた。


 十時半までには後片付けも終えていて、大量の弁当はパレットに積まれて業者が引き取っていった。


 トラックの後姿を見送りながら、ぐんと伸びをする。


 日曜の、空が青い。


 夏休みの宿題を、一夜漬けで終えた気分だ。


 朱色に戻った東京タワーは、今日もビルの上から頭だけを覗かせている。


 明るくなったこの場所は、見えているだろうか。誰かに、この達成感を伝えたくて仕方がない。


 黄色いエプロンを外して、振り回した。タワーに向かって、「おーい」と叫んでみる。


 返事の代わりに風が吹いた。汗ばんだ頭をふわっと撫でていく。


 






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春企画「はじめてのxxx。」

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