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19.大丈夫の答え

 赤い東京タワーがどんどん大きくなる。


 点灯したタワーをちゃんと見るのは久しぶりだった。というよりも、タワーをじっくりと見ることが最近なかった。


 バイトを始めてから日中はずっと弁当屋の中だ。たまに店先に出て向かいのビルの上から頭を覗かせる姿を見たことはあったけれど、もう随分と縁遠くなっているような気がした。



「下からって、どの辺りから見てたの、いつも」


「え?」


「下から見る東京タワーが好きなんだろ? どこで見てたの」


「ああ」



 ちょうど芝公園の横を過ぎるところだった。


 指を差し、「そこ」と答えると、カズくんはその方向に向かって土手を登り始めた。すたすた行ってしまう。わたし以上にマイペースだ。慌ててあとに続いた。


 狭い階段を登ろうとしたときに、前のめりにこけた。「いで」と声をあげると、「大丈夫か」と先に登っていたカズくんに見下ろされた。



「あんたって、いちいち面白いのな」



 笑いながら手を差し出された。反射的にその手を取ろうとして右手を上げかけたけれど、はっとして引っ込める。



「だ、大丈夫です、一人で立てるし」


「そ」



 カズくんはまた、くくっと笑って手を引っ込めた。


 この人は笑ってばかりだ。わたしがカウンターに頭を打ちつけたときも、今も。


 カズくんには少し、薄情なところがあるような気がしてきた。そうじゃないのかもしれないけれど、あまりぐいぐいと踏み込んでこない。


「結構です」と言えば、「じゃあ、お好きに」と言うタイプだろう。


「大丈夫」と言っても、「本当に?」といつまで経っても心配し続ける敦司とは正反対だ。


 でもいい。無駄に優しくされると緊張してしまう。男は苦手だけれど、このくらいの距離感はむしろやりやすい。だからわたしはこうして、カズくんと二人で夜道なんて歩けてるのだろうし。


 

「そこのベンチ」


「ふーん」



 弁当を食べながらぼんやりとタワーを見上げていたベンチだ。そして鞄を盗られた場所だ。何だか随分前のような気がする。



「なるほど。いいポジション」


「でしょ」



 ちょっと嬉しくなる。


 夜空に煌々(こうこう)と浮かび上がるタワーを見上げた。昼間とは全然違う顔。赤くて、何となくすましている感じだ。


 相変わらず前方をじっと見据えている。しゃんとしている。夜もいいな、そう思った。黒バックも、なかなか似合っている。



「ここでお金失くしたんです」


 

 気が緩んだのか、わたしはあの日のことを語り始めてしまった。



「そうなの?」


「ここで寝ちゃって、起きたら鞄がなくなってて」


「こんなところで寝るからだろ。普通は寝ないだろ」


「…あまりにも気持ちが良くって。晴れてたし。まさか盗られるなんて思ってなかったし。おじいちゃんくらいしか、通らないし」


「イタズラされなくてよかったな」


「え?」


「男苦手なんだろ? こういう場所こそ危ねーぞ」


「はあ」


「あんたさ、無防備すぎんだよ、たぶん」



 無防備、なのだろうか。それよりも、かなりのバリアを張って生きてきたつもりなのだが。


 踏み込まれないように。自分からも踏み入らず。受け入れるものも、なるべく少なめにして。


 もっとも、カズくんの言う無防備は、そういう意味とはまた違うのだろうけど。



「せっかくだし、上ろう」



 カズくんはまたさっさと行ってしまう。


 階段を下りて、わたしを見上げている。


 手、貸そうか、なんて言ってはいるけれど、両手はポケットに入ったままだ。貸すつもりなんて全然なさそうだ。


 さっきのわたしの態度で、わたしが手を借りるなんてしないことをわかってての言葉だろう。


 この人、どういうつもりなんだ、とその手を見やりながら「平気です」とぶっきらぼうに答えて、わたしは薄暗くてよく見えない段差を足先で探った。


 

 入り口でカズくんに入場料を払ってもらった。


 慌てて出てきたので、財布も携帯も全て置いてきてしまっていた。


 エレベーターに乗った時点で、わたしは既に浮き足立っていた。


 展望台なんて、本当に何年ぶりだろう。下に下にと流れていく東京タワーの赤い身体と、どんどん小さくなっていく地上の建物に少しくらくらしてしまう。


 それでもわたしはガラスにへばりついて、小さい子みたいにきゃあきゃあはしゃいだ。


 乗り合わせたカップルがくすくすと笑う声が聞こえたけれど、聞こえないふりをした。


 

「すごーい」



 エレベーターを降りると、別世界だった。目の前に光の海。普通に感動した。


 ぐるぐる歩き回り、三百六十度分、おもいっきり夜景を楽しんだ。気づくとひとりぼっちになっていて、慌ててカズくんの姿を探した。


 南側のガラスの前でカズくんの後ろ姿をみつけると、妙に安心した。隣に立つと、「はしゃぎすぎだし」と笑われた。


 カズくんは、遠くのレインボーブリッジ辺りをじっと見始めた。わたしもなんとなく、その方向に目を凝らす。



「綺麗」


「だな」


「東京タワーって、毎日こんな景色見てるんだ」


「なんだそれ」


「昼も夜も、一日中」


「毎日毎日」


「フトコロ、深いね」


「今タワーの腹の中だしな」


「あはは、そうだね」



 隣を見上げると、カズくんの切れ長の目は余計に細くなっていた。素直に楽しんでいる自分に気づいて、急に照れくさくなる。


 視線をそらして、遠くじゃない、足元の、ずっと下の方に広がる明かりを目で追った。


 明るいけれど、黒の中に身を潜めたいつもとは違う街並み。きょろきょろと視線を彷徨わせて弁当屋を探してみたけれど、全然見つからなかった。


 明かりを落としてしまったあんな小さな弁当屋なんて、探せるわけがない。


 今、わたしがここに居るなんてことも、下にいる人たちには勿論わからないんだろう。


 ここからだって、下に誰がいるのかなんてわからないし、見えない。


 一体どれくらいの人たちが、どんなことを考えて、この夜を過ごしているのだろう。


 この光の海の中で。魚みたいにちっぽけな、たくさんの人たちは。


 

「なんか、小さいよね」


「なにが」


「いろいろ」


「いろいろ、な」


「なんで、抱えてるものはおっきく感じるんだろ」


「…捨てられないからだろ」


「…なんで捨てられないんだろ」


「捨てなくてもいいんじゃねーの」



 柵に両手をかけて、カズくんは伸びをした。ぐっと反らされた背中のくぼみをなんとなく目でなぞる。真っ直ぐな、いい背骨だ。


 ガラスに視線を移す。光にまぎれるようにして、わたしとカズくんが並んでいる。ガラスに映る目と目が合ったような気がするけれど、光に邪魔されて、よく見えない。


 ぼんやり映るわたしたちは、頼りない。



「捨てたいものも、忘れたいものも、いっぱいあるよ」


「まあな」


「いろいろ、めんどくさい」


「タワー好きなんだろ?」


「え?」


「タワーみたいに受け入れればいいじゃん、とにかく」


「なにそれ」



 さあな、なんて言いながら身体を起こしたカズくんは、尻ポケットに手を入れて首をかしげた。自分で言ったくせに、本当にわからない、みたいな顔をしている。



 ビルの窓の明かりは、灯っては消え、消えては灯りを繰り返している。微妙な時間帯だ。


 車の長い列がゆるゆると連なって交差しながら走っている。


 観覧車は、気づかないくらいの速度でゆっくり動いている。


 あちこちに散らばる看板の明かりが周期的に点滅する。


 綺麗だけれど、次第に寂しくなってきて、その明かりを包むようにして広がる空を見上げた。


 空の藍色は変わらない。ずっと高いところにある深い空を見上げると、この街も自分も、ものすごく小さく思えてきた。


 二人同時に、ため息に似た息をふうっと吐いた。


 もう一度、わたしたちは顔を見合わせて笑った。極弱く。



 この距離感がちょうどいい。すっとぼけた感じのカズくんの態度も、気楽だ。


 なかなか興味深い人だ、とわたしはひとり、頷いた。



 感心に似た気持ちは、帰り道で二転三転した。


 わたしはカズくんにおんぶされていた。


 カズくんの背中で、どこに手を置いていいのか分からずに、上体を反らして乗っかっていた。


 大通りに出てすぐ、何もない歩道でわたしは派手に転んだ。


 どうして、この人の前でばかりいろいろ失敗するのだろう。


 転んだ痛みよりも、何もないところで転んだことに自分でびっくりしてしまって起き上がれずにいた。アスファルトに突っ伏しながら、唖然としていた。


 なかなか顔を上げないわたしを心配したのだろう。両脇に手を突っ込まれたかと思うと、わたしの身体はひょいと起こされていた。と同時に、近いところで顔を覗き込まれた。



「大丈夫か?」



 さっきまで普通に会話ができていたのが嘘みたいに、これにわたしは反応した。途端に緊張して、案の定固まった。両脇に置かれたままの手が、熱い。


 なかなか歩き出さないわたしに業を煮やしたカズくんは、今度はおもむろにわたしを背負ったのだ。


 

「あわわわわ」


 

 降ろして、の言葉さえ声にならなかった。ばたばたと足を動かすわたしに「落ち着けって」と喝を入れながら、カズくんは歩き出した。


 

「あああああ、あの」


「うるせ」


「お、おろ…」


「は?」


「おろ、降ろし…」


「やだね」



 くくく、とカズくんはいつもの調子で笑いながら、とんとんとんと軽快に歩いている。


 そのうち鼻歌まで出てきた。この状況を、楽しんでいるらしい。



「だ、大丈夫、だ、から…」


「荒治療だ、もっと引っ付け」



 前から来る人たちは、見て見ないふりをする。


 後ろからやってくる人たちも、ちょっと振り返って、余計なものを見てしまったような顔をして追い抜いて行くだけだ。


 敦司とは、キスだってできたのに、何なのだろう、この動揺は。



「ほん、とに、大丈夫、だから」


「まあ、いいから」



 答えになっていない。


 やっと出るようになった声を振り絞って、何度も「降ろして」と訴えたけれど、聞く耳を持ってくれない。


 必死で足をばたつかせても、ますますがっちり抱え込まれるだけで、無駄な抵抗だった。



「ちゃんとしてろって。むしろしがみ付くくらいしろよ。つまんねーな」



 思っていたタイプじゃない。「そうですか」と受け流すタイプでもない。これじゃ、かなりのドSだ。



「こんなことも駄目なの? この先どうすんだよ、男できたら」


 

 どうすんだよって、どうすんだよ。回らない頭で言葉を返そうとしたけれど、抵抗するのが無駄だとわかると、力が抜けてきた。


 観念したわたしは、まるで荷物みたいにカズくんに背負われたまま大通りを下り、店まで運ばれた。


 カズくんが一歩足を踏み出すたびに、心地よい振動が背中から伝わってくる。なのにわたしはカズくんの背中に寄りかかれなかった。真っ直ぐな背骨は、わたしを背負ったせいで少し丸まっている。


 途中、車のクラクションが二回鳴って、冷やかされた。


 カズくんはずっと鼻歌を歌っている。


 恥ずかしいのと情けないのと、観念の後に残ったいつもとは違う緊張に、頭が混乱していた。


 普通に、どきどきしていた。


 背骨、撫でておけばよかったな、と何日後かには思ったのだけれど。









読んでいただきありがとうございます。


ノッポンブラザーズをご存知ですか? 東京タワーのキャラクターです。

双子の男の子、という設定のピンクのバナナみたいな容姿に、それぞれ赤と青のオーバーオール着用したゆるキャラです。

彼らの夢のひとつに、「子供から逃げられないようにすること」とあるのですが、彼らの身長は二メートル二十三センチ。

大人でも逃げ出しそうなその身長設定に、彼らの夢が夢で終わってしまわないことを祈りました。



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