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18.たまには夜のタワーも

 店に着くと、カズくんもヨウコさんも既に仕込みに入っていた。



「おはようございます」


「おはよ、由佳ちゃん」


「はよ」



 挨拶を交わし、わたしは自分の黄色いエプロンをしていつもどおりの営業が始まった。


 黄色のエプロンはヨウコさんが与えてくれたものだ。「由佳ちゃんっぽい色」と渡されたのだけれど、どういう意味だろう。新米、ということだろうか。


 左右のポケット部分だけが黄色とオレンジのチェック柄だ。まあまあ気に入っている。

 

 その日はのんびりと過ぎた。土曜はいつも客が少ない。明日の準備のため、夕方過ぎには早々にシャッターを下ろした。


 弁当屋の厨房の奥に、三畳ほどの小さな部屋がある。そこをわたしやカズくんが休憩室に使っている。


 たまに美月ちゃんの友達が集まっていることもある。美月ちゃんに似た、おませな印象の女の子たちだ。


 わたしとカズくんが一緒に入っていったりすると、ひそひそと、何やら勘ぐられる。が、それにも慣れた。


 二階はヨウコさんと美月ちゃんの居住スペースだ。入ったことがないので部屋の様子は知らないけれど、二人きりで暮らしているのは何となく分かる。ヨウコさんの旦那さん…美月ちゃんのお父さんにあたる人を、見たことがないのだ。


 

「二時くらいから仕込み始めようと思うんだけどね、大丈夫かい?」



 赤いエプロンの裾で手を拭きながらヨウコさんは言った。わたしとカズくんは目を合わせて、それからこくりと頷いた。



「よろしくね。それまで休んでてね。あ、その辺の材料適当に使って夕飯食べていいからさ、カズくん、由佳ちゃんになんか作ってやって。あたし支払いと集金と、仕入れに行ってくるからね、んじゃよろしくね」



 カズくんが「いってらっしゃい」と返事をした。それを見て、わたしも「はい」と声を出した。


 厨房の掃除を始めたカズくんを手伝った。掃除が終わるとカズくんは、「先に休んでて」と腰に手を当てながら言った。「じゃ、そうします」と答えて、わたしは厨房を出た。


 部屋にはテレビもラジオもない。おもちゃみたいな白いテーブルと赤茶色の座布団が何枚かあるだけだ。


 今日はヨウコさんが毛布を準備してくれていたので、その上に寝転がって天井を眺めた。することが無かったので、持ってきていた本を読んだ。ページをめくってもめくっても内容が頭に入ってこなくて、何度も前に戻った。たぶん、わたしは興奮している。


 本を閉じて毛布に絡まった。ごろごろと部屋を転げまわり、ひとしきり楽しんだ。


 何だかお泊り会みたいな気分になっていた。今日はここに泊まって、夜中から仕事を開始するのだと思うと、妙にわくわくした。


 転がりながらふと気づいた。ここに泊まるということは、カズくんも一緒ということだ。


 急にどきどきし出した。敦司以外の男の人と、ひとつの部屋で長い時間一緒にいたことなんてない。


 

「やばいな」



 どきどきが不安に変わって、絡まった毛布の端を握り締め、天井の蛍光灯を眺めていると突然ドアが開いた。



「なにしてんの」



 ドアの先にカズくんが立っていた。弁当容器を二つ抱えて、丸まったわたしを見下ろしている。


 日向ぼっこの最中に襲われた猫の気分だ。目を見開いたまま固まってしまった。



「面白い?」


「あ、いや、全然」


「っていうか、もう寝んの?」


「まだ、寝ません」



 焦ってわたしは起きあがった。毛布が絡んでいたので時間がかかった。


 カズくんはわたしの弁当を用意してくれていた。野菜炒めとハンバーグと、ポテトサラダと煮物と、ウインナーとおしんこが入っていた。



「なんか、豪華」


「あまり物だし」



 ウインナーはご丁寧にタコさんになっていた。


 足を数えてみると、六本しかなかった。ちろりとカズくんを見て、出そうになった言葉を呑みこんだ。


 カズくんは、わたしにもタコさんウインナーにも、特に興味もなさそうに黙々と口を動かしていた。Tシャツの裾がぺろんとめくれていた。



 食べ終わるとカズくんは、畳の上にごろりと横になった。


 背の高いカズくんが寝転がったせいで、三畳部屋はもっと狭くなった。


 わたしは隅のほうで膝を抱えて、寝ながら腹をさするカズくんの姿を眺めた。二人きりだとやっぱり緊張する。


 Tシャツが上下して、腹が見え隠れしている。食べたばかりなのに平らで引き締まった腹だ。そんなところは、敦司と同じだ。


 天井を見ながら、カズくんが口を開いた。



「あんたさ、東京タワーが好きなんだって?」


「へ?」


「ヨウコさんが言ってたよ、由佳ちゃんは下から見るタワーが好きなんだって」


「え」


「変わってるよな」


「そう、ですかね」


「上んないの?」


「上んないっていうか、タワーが見たいだけだから下からでも十分で」



 くくっと笑ったカズくんは、そうか、と呟いた。


 

「中野から通うの、大変じゃねーの」



 話が飛ぶ。緊張しているので、質問に反応するのが大変だ。



「はい」


「それ、どっち?」


「あ、大変じゃない、のほう」


「そ」



 質問するくせに、あっさりしている。会話はそこで終わる。


 カズくんはどこから通ってるんだろう。そういえばわたしは、この人のことを何も知らない。


 わたしが中野から弁当屋に着くと、カズはいつも先に来ていて仕込みをしている。


 帰りもわたしのほうが先に出るので、カズくんがどこに帰っていくのかも分からない。


 そもそも若いのに、どうしてこんなちっぽけな弁当屋に勤めているのだろう。三年も。


 

「あの」


「んん?」



 思わず声をかけてしまった。しまった、と思ったけれど、振ってしまったので続けるしかない。



「どうして弁当屋…ここで働いてるんですか」


「タワーが見えるから」


「へ?」


「東京タワーの見えるとこで働きたかったから」



 頭の下で腕を組みながら、普通にそんなことを言っている。可笑しな人だ。



「見えるところって」


「タワーが好きなんだよ俺も。別にどこでも良かったんだけど、ヨウコさんもいい人だしさ。ま、縁があったというか、そんな感じ」


「へえ…」


「上京して調理の専門学校通いながらバイトさせてもらってたからさ、資格とったら他に行こうと思ってたけど、何となくまだここにいる」


「そう、ですか」


「そう」



 タワーが見えるからって…カズくんだってわたしのことを言えた口じゃないと思う。そんな理由か、なんて少し思ってしまったけれど、どうしてか笑う気になれなかった。


 なんとなく分かる。わたしが東京に出てきて、真っ先に東京タワーが見たいと思ったのと同じようなものだろう。


 東京タワーを見ていると、自分が東京にいるのだと実感できる。けれど同時に、この街に出てきたことの意味を考えて何となく落ち込んでしまったりもするのだが。


 わたしなんて特にそうだ。何がしたくて、ここに居るのだろう。



 カズくんは天井を見つめたまま、わたしは膝を抱えたままでしばらく無言だった。


 もやもやしていたけれど、少し嬉しかった。係わりを持つ人のことは、ちょっとだけでも何かしらの情報は仕入れておいたほうがいい。そのほうが、やりやすい。


 

「よし、行ってみっか」



 高く持ち上げた両足を下ろし、反動をつけて勢いよく身体を起こしたカズくんが言った。



「え?」


「東京タワー」


「東京タワー?」


「行くぞ」


「へ?」



 立ち上がったカズくんは、ドアの前で振り向いて「行くぞ」ともう一度行った。



「行くぞって」


「たまには夜のタワーもいいだろ」


「いや…」


いや?」


「あ、いや、そうじゃなくて」


「じゃ、行くぞ」



 靴を履いたカズくんはさっさと部屋を出ていってしまう。



「あ、待って」



 訳が分からないままわたしもつられるように立ち上がった。スニーカーに足を入れ、つまずきながらカズくんの後を追った。


 大通りに出る前に追いついた。カズくんはジーンズのポケットに手を入れて歩いている。足取りは軽い。


 そのまま後ろについて歩いた。


 右に折れると、赤く色づいたタワーが見えた。


 風は極弱く動いている。





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