10.それも遺伝なのだろう
父の夢を見た。
八畳の、薄茶けた畳の敷かれた見慣れた空間。自宅の茶の間だ。
部屋の中央にある四角い茶色のテーブルの奥に、横になった父の姿が半分見えている。
ぐぐぐと、くぐもったいびきが聞こえる。どうやら寝ているようだ。
部屋の奥の左隅に小さな黒いテレビ、右隅に母の写真の飾られた黒い仏壇がある。
手前の右隅に客用の深緑色の座布団が五枚ほど積み上げられていて、全体的に、しんみりとした部屋だ。
他に目立つものといえば、右側の壁に青いクレヨンで描かれている、目と頭の大きいお姫様の落書きくらいのもので、その絵は、幼いころのわたしの作品らしいのだが、まるで覚えがない。
本当にわたしが描いたのか不思議なくらいの、三段レースのふりふりのドレスを着た少女趣味のお姫様だ。
つま先立ったお姫様は、頭と身体のバランスが悪い。にっこりしながら、傾いている。
ふらふらしている。何となく、わたしに似ている。
彩度明度ともに低いこの茶の間は、わたしが小さい頃から少しも変わっていない。
変わるものといえば、仏壇に供える花と食べ物と、縁側の向こうに見える猫の額ほどの庭を覆った季節毎に生えては枯れる雑草くらいのもので、ブロック塀に沿って並べられている何も入っていない植木鉢なんかも、記憶が出来たころから同じようにそこにある。
テーブルに添うようにして仰向けで眠る父の隣に立つ。
寝巻き代わりの紺色の作務衣の胸元から、浅黒い顔につり合わない白い肌が覗いている。
だいぶ広くなった額に、くっきりと三本の皺が刻まれている。
両サイドの髪も、そろそろ危ないだろう。
こうしてじっくり顔を見てみると、随分歳を取ったな…と思わざるを得ない、艶のなくなった皮膚だ。
見下ろしたまま「お父さん」と声をかけてみたけれど、返事はなかった。
しゃがんで顔を覗き込む。時々いびきが止まるので、ほんの少し、心配になる。
わたしが育ったこの家は、一階に茶の間と和室二部屋、二階に和室二部屋の、父とわたしが暮らすには広すぎるくらいの木造住宅で、二階の一室をわたしが部屋として使っている。
もう一方は物置部屋と化していて、ランドセルとかダンボールがぎゅうぎゅうに詰まっている。
父は一階の一番奥の和室を自室としているのだけれど、そこで寝ている姿はあまり見たことがない。
いつも今みたいに、茶の間でごろりと横になって、そのまま朝まで眠ってしまう…といった感じだ。
父の朝は早く、夜は遅い。
知り合いの運送会社に勤めている父は、四トン車で中距離コースを廻るドライバーで、主に県内か隣県のスーパーに牛乳やヨーグルトや、トマトやキャベツなんかを運んでいる。
たまに、ぐしゃぐしゃになったプリンなんかを持って帰ってくる。
降ろし損じたものらしいのだが、ぐしゃぐしゃでもプリンはプリンだ。喜んで受け取る。
大型免許も持っているのだけれど、父は中距離をあえて選んでいる。
遠出の多い大型車だと、どうしてもその日中に帰ってこれないことが多いらしく、家にわたしを残していることを考えてのことだそうだ。
それでも、帰りの遅い日はとことん遅い。朝方になることもある。
そのまま少し休んで、わたしのお弁当を作って、また出勤する、なんてこともしょっちゅうだった。
眠そうに台所に立つ父の姿を見て、「弁当なんていいよ」と言ったことがあるのだが、父は菜ばしを持ちながら、「おかあさんと約束したから駄目なんだ」と腰に手を当てて、慣れた手つきで油の中のコロッケをひっくり返していた。
母は、わたしを産んで、一年も経たないうちに死んでしまったらしい。
父にわたしを残して、逝ってしまったのだ。
だからわたしには、母の記憶がまったく無い。今日までずっと、父と二人で暮らしてきた。
父とは、朝の僅かな時間と夕食時くらいしか一緒にいることもなかったのだが、それでも父は、わたしの話をなるべく聞こうとしたし、学校行事にもきちんと参加したし、家庭訪問もこなしたし、自分も仕事の話なんかをして、一生懸命に、父親をやっていた。
ただやっぱり、味気ないこの部屋の、二人きりのテーブルは、ひっそりとしていた。
それでも、暖かかった。初めから母の記憶がないわたしには、それで十分だった。
父は、よくやっていると思う。
どうしても手の回らないことは、会社の事務のおばちゃんに助けてもらったり、隣の敦司の両親に頼んだりしての生活だったみたいだけれど、男手ひとつでわたしをここまで育てあげたのだから、相当な苦労があったはずだ。
わたしはわたしで、同性の母親がいないことで多少苦労したこともあった。
ひねくれてみようと思った時期もあったけれど、旨くいかなくて、結局流されるままに生きてきた。
反抗期なんかも知らないうちに通り越していたし、特にわがままも言わず、それなりにいい娘として、すくすくと育ったと思う。
家を出たい、と言ってみたのは、高校を卒業する一ヶ月前のことだった。
石油ヒーターのぼおおという温風と、テレビから聞こえる野球中継のやかましいアナウンサーの声を聞きながら、「東京に行ってみたいんだけど」と、ふと口をついた。
野球をぼんやりと見ていた父の、かつおのたたきを口に運ぶ手の動きが止まった。
驚いた顔をして、「なんだ急に」と聞いた父に、「なんとなく」みたいな返事をした。
数日後、許可が下りた。
敦司のところに世話になるという条件付きで。
年頃の男女を同じ部屋に住まわせるのが条件というのもおかしなものだが、それだけわたしと敦司は兄弟みたいなものだったのだ。
どうせいつもの気まぐれで、わたしの東京行きも短期間のものだと思ったのだろう。
父が敦司の両親にぽろりと話をしたら、「それならしばらく敦司の部屋で様子を見てみたら」という内容でまとまったらしい。
わたしもわたしで、一人で何かしてみたい、という願望みたいなものは持っていたけれど、だからといって東京でなにをしたいという目標もなかったし、ただ何となくここを離れてみたかっただけだから、それで納得した。
父が、いくら敦司に送金しているのかは分からない。敦司にも聞いていない。
家の状況からして、大した額ではないだろう。
一人で何かしてみようと思っていたくせに、父に、敦司に、敦司の両親に、わたしは頼りきっている。
とりあえずバイトくらいは、早くみつけたほうがいい。
父の呼吸を確認して、母の写真の前に立つ。
若く、綺麗なその人は、線香立ての隣でわたしに微笑んでいる。
母親、なのだろう。
どんな人だったのかまるでわからないのに、おかあさん、ということが本能的にわかる。
いつも心の深いところで、切ないような物悲しいような、だけど温かい、懐かしい感覚が沸き起こってくる。
この人の中で、守られていたんだろうと、感じる。
顎がきゅっと締まった、結構な美人だ。どうして父と結婚したんだろう。
父は、お世辞にもカッコいいとは言えない。
丸顔に、低い鼻、大きな口に、つぶらな瞳。愛嬌は、ある。
わたしは、父親似だ。遺伝子の殆どを、父のものを受け継いでしまった。
けれど、くっきりとした二重まぶたは、おかあさん譲りの可愛い目だね、と言われる。
それだけで、満足だ。母との繋がりも、絶たれていない気がして、嬉しくなる。
マッチから直接線香に火をつけて、一本だけ、供えた。
細い煙が、真っ直ぐに天井へ上って、落ち着いた香りが広がった。
縁側へ出る。
雲のない空は、檸檬色に光っている。夕日が放つ、辿り先の無い光で、覆われている。
その下に、かわら屋根の低い家々が並んでいて、なぜか、連なる家のずっと遠くの方に、東京タワーが見えていた。
遠くにありすぎて、まぶたの裏に映った緑色のタワーみたいに、輪郭がぼやけている。
ふと気配を感じて振り返ると、いつの間に起き上がったのか、作務衣姿の父がぼんやりと立っていた。
両手を腰に当てていた。いつものポーズだ。運転は、腰に来るらしい。
「東京タワー、ここからも見えるんだ」
わたしは何も考えず、そんなことを言っていた。
「見える日と見えない日があるけどな」
父も、当たり前みたいに、ぼそりと言った。
父と立つ縁側に、線香の香りが届いた。
「飯にでもするか」
「お腹減ってないんだけど。さっき弁当食べたばっかりだもん」
「じゃあ林檎でも食うか」
「だから、お腹、減ってないんだって」
そうか、と言って遠くの景色に目を細める父の手には、またいつの間にか林檎が握られていた。
檸檬色の光を浴びて、東京タワーみたいな色をしている。
父の左奥に見える仏壇の線香の、長く伸びた白い灰が、音もなく、落ちた。
「お父さん」
「ああ?」
父を呼んでみたけれど、何を言いたいのかわからなくなった。「なんでもない」と言ってから、わたしは黙った。
父はまだ、目を細めて、東京タワーを見ている。
「お父さん」
もう一度呼んだ。
父は黙ったまま、ん? という顔でわたしを見た。
今度は、わたしの手にも林檎が握られていた。
昔から、ずっと遠い昔から、わたしは林檎が好きだ。ほんの少し明るくて、ゆったりとした温かいものに包まれて丸まっていた、本当に小さなころから。
きっと、それも遺伝なのだろう。
「弁当作りのほかに、おかあさんと約束したことってなに?」と聞こうとして口を開きかけたときに、父は大きなあくびをした。
わたしもつられた。
二人で同じ格好で、縁側に立っていた。
線香の香りが、殊更に強くなって、そして消えた。風がさわりと通り過ぎた。
少し寒くなってぶるっと一回震えた。東京タワーも手にした林檎もぼんやりと薄らいできた。
あくびで出た涙のせいかと思い目を擦っているうちに、全部が見えなくなって、わたしは、目を覚ました。