1日目
始まりは、昼休みに届いた一通のメールだった。
「康ちゃんへ 夜に大事な話がある」
妻の理紗子からのメール。
シンプルすぎる内容のせいか、これを目にした時の第一声は
「俺、何かしたっけ…」
だった。
俺こと桜木康太はしがないサラリーマン。妻の理紗子は専業主婦。
結婚して3年目、出会ってからの交際期間を含めると付き合いは8年程になる。
機械音痴な妻が、メールの仕方を覚えたのはここ2年くらい。
「康ちゃんのメールに返事したいから覚えたい」
というのが切欠だった。
妻が送るメールは絵文字も顔文字も無いいたってシンプルなもの。
そのせいか、俺は時々「何かあったのか、何かしてしまったのか」と悩む時がある。
実際は、そんな事は無いのだが。
何があったのかメールを返そうと思ったが、家に帰ればわかることだ。
俺は不安な気持ちを切り替え、仕事に専念する事にした。
就業時間終了後、同僚の誘いも断って足早に帰路に着いた。
家に着き、チャイムを鳴らすとぱたぱたという軽い足音が聞こえた。
ドアが開き、何時もの様に理紗子が笑顔で迎える。
「おかえり、康ちゃん。今日もお疲れ様」
「ただいま、理紗子」
いつもと変わらない、けれど幸せな日常。
理紗子と食事をしながら、メールの真相を聞いた。
昼間に母から電話があり、父の実家…いわゆる本家から祖父の13回忌の日が決まったと連絡が来た。
父の実家は雪国で、冬になると数メートルも雪が積もる豪雪地帯だ。
幸い、今は暖かい季節なので雪の心配はない。ただ移動にかなりの時間を取られるのが億劫だ。
金曜日の朝に飛んで、土曜日に法事、その後~日曜日にかけて宴会をして夜に帰るというハードスケジュール。
そこまではまだよかった。宴会からは理由をつけて抜け出せばいいのだから。
向こうについてから1日は自由時間だが…あの伯父の事だ、何もなければ良いのだが。
大昔は何かのお偉いさんだったという本家を継いでいる伯父は、長男で本家当主である事を鼻にかけていた。
誰に何を言われようと意見を曲げず、亭主関白を気取ってはいるが、あれはただの我侭だ。
そんな事を思っていると、理紗子から耳を疑う言葉を聞いた。
伯父の言葉を要約すると、
「血縁者だけで法事を行いたいので、その配偶者は遠慮して欲しい」
と言うことだった。
何をふざけた事を言うのかと、怒りを通り越してただただ呆れた。
「なんでもかんでも自分勝手に決めてさ…何時も急すぎるんだよ、あの伯父さん」
思わずしかめ面で呟くと、理紗子はちょっと困ったような笑みを浮かべた。
―金曜日、朝―
ずっと納得がいかないまま、金曜日を迎えた。
何時もの時間に何時ものスーツを着て玄関前に立つ。
何時もと違うのは妻が用意してくれた大きなスーツケースを持っている事と、行き先が会社ではなく父の実家(本家)という事だ。
靴を履いた所で、とある考えが浮かび妻の方に振り返った。
「…なぁ、理紗子」
「なに?康ちゃん」
俺はきょとんとした顔をした妻に微笑みかける。
「よかったら、一緒に行かないか?…途中までだけど」
「うん…そうだね。ありがとう」
こうして俺は妻を助手席に乗せ、実家で両親と弟の京を乗せてそのまま空港へ向かった。
車で空港に行く間、父と母は妻に謝り倒しだった。俺だって同じ気持ちだ。
できるなら理紗子を一緒に連れて行きたかった。
「法事なのに理紗子を連れて行けないなんて…」
俺は無意識にそう呟いていた。
空港に着き、理紗子を連れて中に入る。
カウンターで搭乗券をもらい、係員に荷物を預ける。
まだフライトまで時間はあるものの、少し早目に入っていた方が良いという妻の一言で俺達はゲートへと向かう事にした。
「すまんな、理紗子さん」
「ごめんねリサちゃん。康太が居ない間寂しいだろうけど、よろしくね。行ってきます」
「お義姉さん、兄貴と一緒におみやげ沢山買ってくるから楽しみにしててよ」
父、母、弟と順に妻と言葉を交わし、妻はそんな3人に「大丈夫」と笑顔を見せる。
「それじゃ、行って来る。理紗子も帰り、気をつけろよ」
「じゃあ、私はここで戻るね…康ちゃん、京君、行ってらっしゃい。お義父さん、お義母さんも気をつけて下さいね」
笑顔で小さく手を降る妻に、俺も手を振り返す。
弟もなぜか、少し寂しそうに理紗子へと手を振った。
飛行機の中から徐々に小さくなって行く景色を眺めながら、明日からの事を考える。
…どうにも気分が良くない。相手があの(・・)苦手な伯父だというのがその理由だろう。
まぁいい。法事は滞りなく進むだろうが、問題はその後の酒の席だ。
どうにか早目に宴会から離脱出来る様に色々なパターンを考える。
…何かと理由をつけて外に出てしまうのが、一番良いのかもしれない。出来れば宴会に乗り気で無いだろう従兄弟や京を連れて。
それにしても、行く前から疲れたな…俺は溜息をついて軽く目を閉じた。
気が付けば、隣の席に座っている弟に起こされていた。どうやら、あの後眠ってしまったらしい。
「兄貴、もうすぐ空港着くから。さっき顔色悪かったけど大丈夫か?」
「ああ、少し寝たせいかマシになった。ありがとうな、京」
少し心配そうな弟に、大丈夫だと告げると弟はほっとした表情になった。
空港到着後、両親・弟と共に待ち合わせ場所へ。
しかし、迎えに来ているはずの従兄の姿は無かった。
「翔くんはまだ来て居ないのか?いつも早目に来ているのに、今回は珍しいな」
「もしかして時間間違えたとか…電話掛けてみた方が良いかしら」
「翔兄なら大丈夫だろー、どうせトイレとかじゃないの?」
「そうか、それなら仕方ないな」
「だってさー、こないだの時だって…」
「あんたたち、いい加減黙りなさい」
話がおかしな方向に行きそうになっている父と弟を、母が嗜める。
とても良い笑顔とは裏腹に、その声は怒りを含む低音だった。
「「すみません…」」
母の様子に2人とも少ししゅんとしながらおとなしくなった。
(母さん相変わらずだよな…)
「…康太、何か言った?」
「いや、何も…」
「そう」
なぜかこういう時の母は、心でも読んでるんじゃないかと思う位に勘が鋭い。
そのまま知らぬふりをして目を逸らすと、男性が1人、こっちへ向かってくるのが見えた。
「叔父さん、叔母さんお久しぶりですね、遅くなってすみません…
って、康太じゃないか!ケイも久しぶりだな、元気だったか? 」
従兄は、5年前の七回忌の時とはすっかり様変わりしていた。
その時は全体的にひょろりとした感じがしていたが、今はその身体は筋骨隆々と言って良い位になっていた。
この5年の間、一体何があったのだろう…以前は隣町で会社員をしていたはずだが…
「あら翔君、お久しぶりね。元気だった?」
「おかげさまで、なんとかやってます」
母も従兄の姿に一瞬驚いたようだが、すぐにいつもの様ににこやかに笑う。
従兄もはにかむ様に答える。
「久しぶりだなぁ、翔君!いやぁ、すっかり変わっていて誰か分からなかったよ」
父はそう言いながら翔の背中をバシバシと叩く。
「あはは、ありがとうございます。まぁ積もる話は車で…さ、行きましょう。荷物持ちますよ」
翔は照れ笑いをしながら父と母の荷物を持ちながら先導する。
車は大型のワゴンカーだった。
「荷物が多いと思って、親父の車を借りてきたんです。荷物入れますんで、好きなところに乗ってて下さい」
翔はそう言いながら、全員分の荷物をトランクに詰めていく。
助手席に誰が座るかで父と弟がしばらく言い合いしていたものの、結局父が助手席、2列目に母と俺が座り、3列目にふてくされて京が横に寝そべっていた。
みっともないから止めなさいと嗜める母の言葉にも動じず、結局そのまま本家へ向かうことになった。
車の中で聞いた従兄の変貌の理由。
それは翔がまだ会社勤めだった頃、好意を持っていた同僚の女性に告白した際、
「貴方の事はとても良い人だと思うけれど、どうしてもそのひょろひょろした身体が好きになれない」と振られたからだそうだ。
その時のショックが大きくて、それから毎日仕事帰りにジムに通い初め、今のような逞しい体形になったそうだ。
そんな折、件の女性から告白されたが、断ったと。
その頃はもう既に、同僚女性への気持ちは無くなっていた…らしい。
「人生って、色々あるわね…」
ポツリと母が呟いた。