第7話 少女との絆
部屋を出ていったソールとサイファスを追いかけて向かったのは、件の爆弾娘ハインロット司令官と、何かと不敏な境遇を不思議と物ともしないセイジョウ伍長の部屋だ。
扉の前では既にソールが握った拳を戸板に向かって連打していて、その後ろではサイファスがおろおろと事態を見守っている。
「ちょっと出て来なさい小娘ぇーッ!!」
ガチャガチャとドアを引くが鍵が掛かっているようで開かない。それが更にソールを苛立たせたのか、今にも蹴破って押し入りそうな勢いで扉を叩いた。
「居るのは分かってんのよッ! この際だから一回サシで話そうじゃないのッ!」
「待ってくだされソール殿! ツルギ殿はハインロット氏からお預かりした大事なお客さまなのです。乱暴は困りますッ!」
「おほほほほッ、何を勘違いしてるのかしら? 私は司令官殿と仲良く今後のことを話し合いましょうって言ってるだけよ?」
そう言うソールの顔は、決して仲良くしようなどという顔つきではない。
とりあえず落ち着け。と声を掛けようとして、スノウは挙げかけた手を止めた。
それまで固く閉ざされていた部屋の扉が、小さな音を立てて開いたのだ。
わずかな隙間からおそるおそる顔を覗かせたのは、司令官と同室のヒメルだった。
「……何か、ご用ですか?」
外の騒ぎを聞いてすっかり怯えている。
「あんたに用はないの。あのふざけた司令官は中にいるでしょ? 悪いけど呼んでくれる?」
「えっ、あっ……しっ司令官は、具合が悪くて、たったいま寝たところなんです!」
「寝た? さっきまでぴんぴんしてたじゃない!」
「えっと、急にです! 急に気分が悪くなって!」
「嘘おっしゃい! 逃げようったってそうはいかないわ! 重要な話があるのよ。さっさと開けなさい!」
無理矢理にでも中に入ろうとするソールに、ヒメルは必死でドアを押さえて抵抗している。
「本当ですッ、本当にいま司令官は起き上がれないくらい重病で──!!」
「なんとッ! それは本当ですかヒメル殿ッ‼ すぐに街まで下りてお医者様をお呼びしなければ‼」
医者医者と慌て出すサイファス。しかしそれを見てヒメルは何故か狼狽えだした。
「いっいや、そんな慌てるほどではないですから。多分寝てれば治ります!」
しかし重病と聞いては自分も状況を確認しなければならない。
スノウはソールを脇へ押し退け扉の隙間の前に出た。
「一体何があったんだセイジョウ。司令官の様子は?」
「げっ副官ッ? いや、えっと、その……あ〜何だかこれはこれで不味い事に──」
「もうッ! 何でもいいわよ! 起き上がれなくても話くらいは出来るでしょ?」
押しやられていたソールはスノウを押し返してヒメルの前に立ち、ドアノブを握ると渾身の力を込めた。
「いいから中にい〜れ〜な〜さ〜いッ‼」
「だ〜め〜で〜す〜‼」
力と力の攻めぎ合いがしばらく続いたが、そこはプロの殺し屋と腕力平均並の一般兵。勝負は程なく決し、ソールがなだれ込む形で扉が開いた。
「起きろ小娘ぇッ、あんたの考えた作戦ってやつがどんなものか聞かせてもらおうじゃないのッ──‼ ……て、えッ?」
室内に二つ並んだベッドにはどちらも綺麗にシーツが掛けられているが、人が寝ている気配はない。
まわりを見渡しても、他に隠れられるような物も無い。
「ちょっと! どこにもいないじゃないのッ!」
スノウも中に入って室内を見渡してみるが、やはり誰もいない。
始めからこの部屋に居たのはヒメルだけだったのだ。
「セイジョウ、どういう事だ? 司令官はどこへ行った?」
当たってほしくはないが、何だか嫌な予感がする…。
「えっと、と、トイレです!」
「あら、起き上がれないんじゃなかったの?」
「……えっと、そうなんですけど、ついさっき、どうしても我慢できないって言ってトイレに……」
「じゃあ待ってれば帰ってくるのね? だったら私たちはここで待たせてもらおうかしら」
「い、いやぁ、それは、ちょっと……」
会話をやり取りするごとにどんどん顔が引き吊ってくるヒメル。
そんな、明らかに何かを隠している彼女に向かって、スノウは少し声を低くして凄んだ。
「……セイジョウ、もう一度聞く。司令官はどこへ行った……?」
するとたちまちヒメルはびくりと身体を震わせ、怯えた様子でちぢこまった。
「申し訳ありませんッ! 司令官がどうしてもコロリーニ茸を探しに行くとおっしゃって──。部屋に居ないことが副官にバレないように、私にアリバイ工作をするようにとお命じになったんです! わっ、私は何回もお止めしたんですよッ? でもどうしても一人で行くとおっしゃって、迷いに迷いましたが軍人たるもの上官の命令には服従する義務がありますしそれに──」
「セイジョウ‼」
「はっはいッ‼」
スノウは部下の名を強く呼んで会話を断ち切らせた。
後ろめたい気持ちからなのか話に無駄が多い。
「お前を責めている訳じゃない。もう一度落ち着いて話せ。司令官は何を、どこに探しに行ったって?」
スノウが先ほどよりは幾らか柔らかい口調で尋ねると、ヒメルは大きく深呼吸してからもう一度口を開いた。
「司令官はコロリーニ茸を探しに行かれました」
「コロリーニ茸?」
「この辺りの山の中に生える、とっても珍しいキノコです」
「キノコ……? そんなもの探してどうするんだ?」
「えっと、それは〜……」
話そうかどうか迷っているのか急に歯切れが悪くなった。
もう一度じろりと睨むと、ヒメルはひょえっと良く分からない悲鳴のような声を絞り出して答えた。
「すいませんすいませんッ! 実は、司令官が副官に何か美味しいものを作ってあげたいっておっしゃって、でも私たち副官の好きな食べ物がどうしても思い付かなくて──。コロリーニ茸が惚れ薬の原料になるって聞いたら、司令官がどうしても副官にそれを食べさせるって言い出して──!」
「惚れ薬……?」
なんだその怪しげな単語は。
「その話、誰に聞いたの?」
不意にソールがヒメルに向かって尋ねた。
スノウも同じく疑問に思った事なのだが、答えは──……何となく予想がつく気がする。
「え? 誰って……、セグレトさんですけど…」
(やっぱり……)
スノウは頭を抱えたい気分になった。
セグレトは本来は引きこもりで、能動的に行動を起こすことなどほとんど無い男だ。だがひとたび動くとなると、決まってまわりの人間を巻き込み利用する。
そして実に迷惑なことに、そうやって行動をする時、決まって標的になるのはスノウだった。
今回もおそらく、その怪しげなキノコを人に食べさせ、どんな反応が出るのかこっそり観察しようと企んでいるのだろう。その為に惚れ薬だのとけしかけて司令官を利用しようとしているのだ。
よりによって利用するには一番危険な人物を──。
「何やら良くわかりませんが、とりあえずお医者様は必要ないということですな?」
スノウがひとり床を這うような沈んだオーラを発していると、サイファスが一人だけ安堵の表情で間の抜けた事を呟いた。
「どうやら小娘ちゃんはセグレトに良いように使われちゃったみたいねえ」
「えッ、どッ、どういう事ですかッ?」
「その何とかってキノコの話、たぶん半分はウソよ」
「ええッ!?」
「セグレトはそのキノコがただ単に欲しかっただけでしょうね」
「じゃあ惚れ薬っていうのは……」
「どうかしらねえ。セグレトがまったく毒性がない植物に興味を示すとも思えないし、何かしらの毒キノコだと思うけど……」
あのイカれ薬師め。
先ほどはヒメルたちの手前、加減をしてしまったが、やはりあの時確実に絞め落としておくべきだった。
この時、スノウのオーラが確実に殺気に変わったのだが、そんなこと気付きもしないヒメルは、まったく緊張感のない事を言ってスノウの横顔をうかがう。
「あの~、念のため聞きますけど、毒キノコなんて食べたら、いくら副官でも死んじゃいますよね?」
こんな時に何を確認しているんだこいつは。
「大丈夫、そんなんじゃ死にやしないわ。スノウは慣れてるもの」
慣れるか!
「お前ら暢気なことを言っている場合か。司令官は一人で山に入ったんだぞ? 日はとっくに暮れている。すぐに探しに行かなければ──!」
「そうでございます! この辺りはオオカミも出ます。ただちに捜索隊を出さなければなりません!」
慌てだすのが少々遅い気がするが、サイファスが血相を変え、いそいそと部屋を出ていった。
「セイジョウ、司令官がどの辺りから山に入ったか分かるか?」
えっと、と説明しようとするヒメル。しかしその声は別の者の声でかき消された。
「別にいいじゃない。放っておきなさいよ。わざわざスノウが探しに行くことないわ!」
苛立たしげな声の主はソールだ。
「自分で勝手に出掛けていったんでしょ? 何があったって自己責任よ」
「そんなことを言っている場合では──」
「なんでよッ! あの子はれっきとした共軍の司令官だって言ったのはスノウでしょ? 灯りもない夜の森に一人で出ていくことがどれくらい危険か、司令官にまでなったんだったら当然分かってるわよ。それでも一人で行ったってことは、自分で何とか出来るからなんじゃないの?」
それは正論だった。
司令官は少女ではあるが、何の力もないただの子供とは違う。そして何より魔女だ。生身の人間の助けなど、最初から必要としていないのかも知れない──。
「どうなの下っ端ちゃん。万が一の時は助けを呼べとか、なんか言われたりしたの?」
「い、いえ、別に何も……」
「だったらいちいち騒ぎ立てることないわよ。ちゃんとした備えがあれば一晩ぐらい平気よ。捜索だって、どうせなら明日の朝まで待って、明るくなってからの方が探しやすいわ」
そう言ってからあきれた様にソールはため息をついた。
「それにしても馬鹿な子ねえ。セグレトの口車にまんまと乗せられて、こんな時間に、しかも雪の時期にキノコを採りに行ったって、簡単に見つかるわけないじゃない」
「そ、そんなあ〜……」
致命的な事に気付かされ、ヒメルは情けない声を上げた。
司令官に助けなんていらない──。
確かにそのとおりだった。
彼女の元には、人智の及ばない存在であるセシリアがいる。理知的なユリヤがいる。
魔女の騎士とは言っても生身の人間である自分に、出る幕など始めからありはしない──。
分かっている事だった。
結局自分には、何の力もない。
ジールのように一国の軍隊を動かす権限も、ジェイスのようにレジスタンスの指導者になる資格も、結局のところ何一つ持ってはいない。
セシリアは何故こんな自分を騎士にしたんだろう。何の役にも立たない、無力な自分を。
司令官に入れ知恵までして、何の為に絆を持とうとするんだ……?
そもそも騎士とは何なのだろう。
魔女は魔術という強大な力を備えているのだから、か弱い存在ではないはずだ。
守る必要などないのではないか。
それなのになぜ、魔女は騎士をそばに置くのだろう。
(…レイ、だったら知っているのか?)
人間でありながらセシリアの恋人であった男──。
夢の中のレイからは、ただただ愛しいという感情が流れてくる。
自分の無力さも、不甲斐なさもすべて覆い尽くしてしまうくらい、強くて単純な、愛しいという感情。
だが、それと同時にある、不安。
突然、彼女が消えてしまうのではないか。
今、目の前にある彼女という存在が、急に形を成さなくなってしまうのではないか。
世界中のほとんどの人々の頭の中に、魔女なんて言う存在がいないのと同様に──…
「あ〜あ、シュウじゃないけどなんかお腹空いたわね。ご飯にしましょうよ。ねえスノウ、何か食べたいものある?」
うーんと背伸びをしながらソールが言った。
「──スノウ?」
思考の渦にはまったスノウからは、返事が返ってこない。
「副官? どうしたんですか?」
ヒメルまでもが顔をのぞき込んだ。
「──……そうか、守るためにいたわけじゃないのか……」
「はい?」
それだけ言うとスノウは部屋を出ていこうと扉に足を向けた。
「ちょ、ちょっとスノウ? どこ行くのッ?」
「司令官を探しに行く」
振り返ることなくスノウは答える。
「まだそんなこと言ってるの? 助ける必要なんか無いわよ! それどころか、あなたはあの小娘に助けを求められてもいないのよッ? それでも行くのッ?」
ソールの声を背中で聞きながら扉の前まで来て、スノウは振り返った。
「司令官が助けを求めているかどうかなんて関係ない。今までだって一度も、助けてくれなんて言われたことはない──」
だがきっと、彼女は待っている。
俺という存在がいることを信じている。そんな気がする。
「──俺が行きたいから行くだけだ」
何か出来るわけじゃない。守る力も無い。
でもレイはセシリアの心の弱さを知っていた。
たった一人で永遠に生き続けなければならない、魔女の寂しさを知っていた。
そんなレイを、セシリアは必要としていたんだ。
自分の本当の姿を理解してくれる存在を。
だからレイはずっとセシリアのそばにいた。
彼女と同じ永遠の時間は持っていないけれど、自分が生きている限り、レイの心の中のセシリアは、本当の姿でいられる──。
「待ってスノウ! どうしちゃったの? なんか変よ? なんであんな子にそんなにかまうのよッ‼」
そう心配そうに言って、ソールは出て行こうとするスノウの腕を掴んだ。
(変? 俺は、変わったのか…?)
いや、それとは少し違う気がする。
何かが急激に変わったわけじゃない。
これが本来──?
いや、違う。
(本当は、こうなりたかったんだ──)
そう思った瞬間、心の中がストンと収まったような、腑に落ちたような感覚を覚えた。
俺は、本当は誰かのために生きる自分になりたかった。
冷たく無機質な殺し屋としてどんなものにも無関心なふりをしていたけれど、本当は、誰かに必要とされたかった。
見付けたのかも知れない。その誰かを。
それが、彼女なんだ。
「支えになりたいんだ」
「支え?」
「彼女を守る事は出来なくても、騎士として、そばで支えられるように……」
スノウはソールの手を振りほどくと廊下を駆け出した。
「スノウッ──‼」