第6話 影武者
夜になってサイファスがアジトに帰ってきた。元締めの移送は無事完了したとの事だった。
帰ってきたその足でスノウの部屋にやって来たサイファスは、室内にソールの姿を認めると疲れも見せずに明るい声で言った。
「やはりここにおりましたなソール殿。ご要望どおり、グラールの診療所に元締め殿を送り届けてきましたぞ」
「それはどうも。でもそれが事実かどうか、同行させた仲間に確認させてもらうわよ」
「構いませんよ。履行の確認をするのは代表者として当然のことです。ところで、サンダース殿とは途中で別々になってしまったのですが、本当にここにお連れしなくてよろしかったのですかな?」
「いいのよ。あいつには既に次の指示を与えてあるから。今頃は王都に向かってるはずよ」
「流石は凄腕と謂われるだけはある。仕事が早いですな。いや~結構結構」
そう言って満足そうにサイファスは目を細めた。
「サイファス、元締めの様子はどうだ?」
「落ち着いておられましたよ。そうそう、怪我の治療と共に精密検査を行う手続きもしてきました。あれほどまでに体力が低下した原因は、怪我だけではなく何かしらの病を患っている可能性も考えられます。ご本人の年齢も年齢ですし、一度きちんと調べた方がいいかと思いましてな」
「そうか。何から何まですまない」
スノウは率直に礼を述べた。
元締めの容態は自分にとっても懸念していた事項だ。ここまで対応してもらえるとは正直に言ってありがたい。
「なに、大した事ではありませんよ。私とてゆくゆくは誰かの手を借りて生きねばならぬ身です。こういう時は持ちつ持たれつですからな」
ほっほっほっとひげを震わせながら、病とは無縁そうな鍛え上げられた体躯を持つ老兵士は笑顔で返した。
「それに、私も久しぶりに故郷に帰り、色々と情報を得る事ができました」
「情報? 何か分かったのか?」
するとサイファスは、ここに居る者の他に誰に聞かれているという訳でもないのに、少し声量を落としてから続けた。
「どうやら現国王には、影武者が運用されているようです」
「影武者?」
そのあまりに時代錯誤で違和感のある言葉に、スノウは眉をひそめた。
「そうです。グラール族の中には代々、時の国王と寸分違わぬ姿でまわりの目を欺き、主の身代わりとなることを生業とする者たちがおりましてな。グラールの者たちからは影人と呼ばれております。徹底的に自己を殺して役に成りきる者たちです。ですがその任務の特性上、彼らの出番は真に国王の身に危険が迫っている時──、例えば戦時中などですな。それ以外は活躍することがありません。影武者は育成や維持に多大な労力がかかるものですから──。近年の諸外国との状勢を考えると、影人たちも暇を貰い、里で静かに暮らしているものと私の方も思っておりました。しかし実際に行ってみると、何人かの姿が見えなかったのです……」
「姿が見えないだけで国王に影武者がいるってことになるのか?」
「おっしゃるとおり。ですからこれは私の推論です。ですが可能性は高いのではないかと思っております。グラールの族長は詳細を申しませんでしたが、影人がお役目中であることは明らか。影人のお役目とは即ち国王の影武者です。ですが問題は、何故ヘンリークに影武者をおく必要があるのかということなのです」
イルムガード共和国との緊張関係は続いてはいるが、実際は休戦状態。帝国本土に危険が迫るような状況には現時点ではなり得ない。
実際、共和国側は軍備費を縮小しようとしている。帝国から仕掛けることはあっても、イルムガード側から攻められる可能性は低いだろう。
「ヘンリークは国内の反乱分子を…、銀狼党を警戒しているんじゃないのか?」
「それはどうでしょうか。国王親衛隊は公安の役目も担っていますが、もしかしたらどこからか我々の存在を嗅ぎ付けているのかも知れません。しかし影武者の件は我々だけを意識したものではないでしょう。影人たちは私が銀狼党を旗揚げするより以前からお役目についているようでしたから」
「以前ってどのくらい前からなんだ?」
「少なくとも十年」
「十年ッ?」
「ヘンリークは国中から人材をかき集めて自分だけの親衛隊を組織し、自身の守りを固めている。それとは別に影武者を必要とする理由は、念には念を、ということなのかも知れません。ですがそこまで用心深い男が、自分の為に作った組織をさしおいてグラールの影武者を自身の側に置いている……。私には、どうにもそれが解せんのです……」
サイファスはそこまで言って口を閉じた。
しかし目を見ると、何を言いたいか分かりますか、とでも言うようにこちらを挑戦的にのぞいている。
自身の親衛隊があるにも関わらず、通常は戦時中しか運用されない影武者を置く理由…。
「……つまり、レジスタンスからの暗殺や襲撃に備えてという訳ではない、と……?」
「そうです。そう考えると、以前お聞きしたスノウ殿の話に俄然信憑性が出てくるのです」
ヘンリークは魔女ルディアに魂を喰われた。セシリアはそう言っていた。
その話に確証はない。だが状況的に考えて、ヘンリーク国王は身の危険を感じているからではなく、何らかの理由で公の場に出ることが出来ず、故に影武者を用いて代役をさせているのではないかとサイファスは言いたいのだ。
魂を喰われると人間はどうなってしまうのか、はっきりしたことは分からない。だがもしかしたら、ヘンリークは既に何年も前から人前に出られる状態ではないのかもしれない──
「……確かにそうとも考えられるが、実際に確認してみないことには断定出来ない」
「勿論です。だからこそこうやってあなた方に協力をお願いしております」
「何? どういうこと? 何の話なの?」
話の見えないソールは面白くなさそうに眉をひそめた。
「安心しろソール。別にゴルダにとっては重要な話じゃない。──で、銀狼党の今後の行動は? 本当に司令官の考えた計画でいくつもりなのか?」
その辺、いま一つ不安が拭えない。あの少女の計画は立案からして滅茶苦茶なのだ。
「おお、そうでした! その件でソール殿を交え、もう一度ツルギ殿と話を煮詰めていかなくてはなりませんな!」
やっぱり。
スノウは人知れず肩から脱力した。
「私らは基本どんな暗殺でもやるけど、その計画っていうのは具体的にどんなものなの?」
ソールに尋ねられると、サイファスは妙に得意げな笑みを見せて、ふんぞり返るように腕組みをして答えた。
「聞いたらきっと驚かれますぞ。少人数でも敵方に甚大な損害を与えられる効果的な方法なのです!」
「だから何なのよそれは。単なる暗殺じゃないってこと……? ──ちょっとスノウ!」
勿体ぶってなかなか答えないサイファスに業を煮やし、ソールがこっちを見る。
(なんで俺なんだ……)
スノウはため息をつくと、仕方なく代わりに口を開いた。
ホルガルドの研究室で少女が突然言い出したとんでもない計画。それは──
「……アルフ・アーウ国王を、誘拐するんだ」
現国王ヘンリークの誘拐計画だった。
「はッ──? 誘拐ッ?」
「どうです? いくらソール殿でも驚かれましょう!」
「当たり前でしょ! 誰でも驚くわッ! 大体、なんでわざわざ誘拐なんてしち面倒臭いことするのよ! 私らは殺し屋よッ?」
ソールの主張は間違ってはいない。
現国王を退位させたいのなら、殺害するのが一番手っ取り早い手段だ。
スノウたち殺し屋にとっても、ターゲットを殺して終わりの暗殺の方が、よほど簡単で足も付きにくい。当然ソールもそういう依頼だろうと考えていたに違いない。
「我々銀狼党の目的はヘンリークの悪事を白日の元にさらすことです。それがゆくゆくはヘンリークを王位から退かせることに繋がる。ですがただ暗殺してしまうだけでは、真実が明るみになる前にヘンリークと共に闇に葬られてしまう。そうなってしまってはイルーク王子の存在も、その正統性を主張する機会も逃してしまうのです」
「それがなんで国王を誘拐することになるのよ!」
納得がいかないソールは憤慨しながら答えを求めた。
「国王政府にはヘンリークの身柄を引き渡す条件として、先代国王惨殺事件の真相を公表させます。勿論、公共の電波を使って全国民に対してです。正体の分からないレジスタンスが政府を糾弾するより、政府から発表させる方がインパクトが大きい。例えすぐに発表を撤回されたとしても、国民が現国王に疑問を抱いてくれれば良いのです」
「…なるほどね。疑惑が上がったところで王子様の登場ってわけね」
「王子の姿を見れば国民は熱狂するでしょうな。偉大なる先代国王ガンルーク陛下が帰ってきたと、誰もが思うはずです」
そうなればあとは世論が後押しする──。
この国では国王の正統性は血統で決まる。現国王よりも正当な血統を主張する者が国民の前に現れれば、国王側としては審議しない訳にはいかなくなる。国民の注目が集まれば集まるほど、うやむやにすれば逆に国民の間に疑念が生まれる。そして審議の過程でDNA検査の必要性が取り沙汰されれば、決着は思いのほか早いかもしれない。
確かに、これなら大量の武器を調達する必要もなければ、兵士を育成する必要もない。
「──しかし、心底ツルギ殿には感服いたします。ご自身が誘拐されそうになったことを恐れることなく、逆に敵を誘拐し返そうなどとは…。いやはや、可憐な容姿に似合わず実に豪胆ですなあ!」
……それはきっと豪胆とは言わない。
はっはっはと軽快に笑うサイファスに、生暖かい視線を注ぎながらスノウは思った。
それはソールも同じ気持ちだったようで、同じ様な表情をしている。
「…まあいいわ。面倒な分は超過分として追加料金を請求するから。それで? 肝心の誘拐方法はどうするの? まさかそこは私らにお任せってわけじゃないわよね?」
ぎろりとソールがサイファスを睨む。するとサイファスは笑うのをやめ慌てたように言った。
「いやいや、勿論ちゃんと計画しております! なんと言っても共軍の現役司令官が考える作戦です。ぬかりはないはず。ただ…、ツルギ殿の立てる作戦は私たちのような凡人には少々理解し難いものでしてな。詳細については私にもよく…」
「ちょっと、それじゃ困るわ! その作戦を実行するのは私らなのよッ?」
「で、ですからこれから全員で更に煮詰めていこうと──」
「大体あんな小娘の考えた作戦なんてホントに信用できるのッ⁉」
「そ、それは勿論!」
「詳しく知りもしないのによく勿論だなんて言えるわね!」
「いや、ですから──」
「どこなの?」
「へ?」
ゴルダ最恐と謂われる女のあまりの剣幕にたじろぎ始めたサイファスだが、ソールの声のトーンが急に下がったことに一瞬ぽかんとしてしまった。
「あの小娘はどこにいるのかって聞いてるのよッ!!」
「おッ、おそらくはお部屋の方にいらっしゃるものと──!」
あたふたと答えるサイファス。
その答えを聞いたソールはすぐさま踵を返すと、床を踏み鳴らすように大股で歩きながら扉に向かった。
「ソール殿どちらへッ?」
「小娘のところよ! 直接問い詰めてやるわッ!」
「い、今からですかッ?」
「今じゃなかったらいつヤルのよ!」
ヤル、という単語に不穏なものを感じる。
サイファスが慌ててソールを追うが、ソールは構うことなく部屋を出て行った。
「冗談じゃない! あんな小娘の考えた計画なんて信用できないわ! そんなのあてにしてたら私ら全員犬死によッ!」
「お待ちくだされソール殿ぉ〜!」
廊下の向こうに徐々に遠ざかって行く二人の声を耳にしながら、スノウはどっと疲れを感じ、やっぱりため息をついた。