第4話 超危険人物
玄関広間から奥へ続く廊下の先へ副官とソールが消えていく。それをなんとなく見送っていたら、司令官がぽつりと呟いた。
「なるほど、その手があったか……」
何がなるほどなんだろう。
そう思って司令官の顔を見ると、にやりと口角を吊り上げて不敵な笑みを浮かべていた。
「……司令官?」
「ヒメル! 次の作戦が決まったよッ!」
「さっ、作戦?」
「そうッ! 名付けて、手料理で餌付け作戦!」
「餌付け?」
いきなり飛び出した言葉に、ヒメルは目を白黒させた。
司令官の言動は本当に突然すぎて、たまに何を言っているのか理解できない。
「あのおばはんの態度にはちょっとイラついたけど──」
おばはんって、女殺し屋ソールの事だろうか。
彼女だって十分若いが、神に愛された容姿を持つこの少女から見れば、仮にソールがギリ十代だったとしてもおばさん呼ばわりされてしまうのかもしれない。
「でも、おかげである事実が判明した」
「事実?」
ヒメルが眉をひそめると、司令官は自信に満ちた顔で宙を見つめ、力強くこぶしを作った。
「おばはんに対するスノウのあの素っ気ない態度! つまり、スノウに色仕掛けは通用しないッ!」
それについてはけっこう序盤から分かっていたような……。
ヒメルは思わず苦笑いを浮かべてしまったが、幸い司令官は気付いていないようだ。
「──そう言うことだからヒメル!」
「と言いますと?」
「現時点をもってスノウ攻略作戦における戦術を変更する!」
ビシッと手のひらをかざしてポーズを決めながら司令官は言った。やっぱり腐っても基地司令官。なんだか格好が妙に様になっている。
「まあ元から戦術ってほど大層なものでもなかったですが──」
迂闊にも吐露してしまった本音に司令官が「え?」という顔をしたので、慌ててヒメルは言葉を続けて誤魔化した。
「いえッなんでもないです! それで、変更するってどう変更するんですか?」
すると司令官は気を良くし、よくぞ聞いたとばかりにふふんと鼻を鳴らした。
「ヒメル知ってる? 男のもうひとつの弱点──。それは胃袋だよ! 我々はスノウを美味しい手料理でもてなし、まずは彼の胃袋を掴む! そして事後、彼自身もゲットする! それが本作戦の全容である!」
まるで本物の作戦指示のように司令官は言い放った。
(本気、なんだろうな。いたって普通に……)
それとも楽しんでいるんだろうか。
魔女もレジスタンスもまったく別次元の出来事に感じてしまうくらい、色恋事にまっしぐらな自分を……。
もしかしたら、これが彼女なりの現実逃避なのかもしれない。
(まあ、前回の夜這い作戦に比べれば、よほど健全だから別にいいけど……)
「──で、具体的に、いつどんな料理でおもてなしするんですか? 私の見立てでは、敵はかなり手強そうですよ?」
先だって見せたシュウと副官のやり取りを見る限り、ソールの料理の腕前はかなりのものだと予想される。しかも、おそらく副官はその味に慣れているはずだ。
人間、結局は食べ慣れたものを美味しいと感じる。
「それが問題なんだよね。あのおばはんよりも美味しくて手の込んだ料理を用意しないとこの作戦は成功しない。もっとも効果的なのは、スノウの一番の大好物を出すことなんだけど……」
「大好物って……。そう言えば、副官の好きな食べ物って何なんですか?」
「えーっと、そうねえ……」
ヒメルが首を傾げると、それを真似るように司令官も首を傾げた。
「──そもそも副官は食べること自体好きなんでしょうか? 何かを美味しそうに食べているイメージがまったく無いのですが」
「確かに……」
困ったような顔で司令官は腕を組んだ。やっぱり、戦術ってほど深く考えている訳ではないらしい。
「あ、ちょうど良い所に!」
ヒメルはそう言うと、ソールの物と思われる手提げカバンを肩に担いで鼻歌混じりにその場を去ろうとしていたシュウに声を掛けた。
「ねえシュウ君! 副官の好きなものって何? 食べ物で」
「は? なに? いきなり」
「好きな食べ物だよ! シュウ君、副官と付き合い長いんだから知ってるでしょ? 何?」
「別に特別長い訳じゃないし。ってかそんなこと知ってどうすんの?」
「ある作戦の実行に必要な情報なの!」
「はあ? 好きな食べ物が? 二人してなに企んでんの?」
「失礼ね! 企むだなんて人を悪人みたいに。副官を振り向かせようっていう乙女の可愛い努力よ!」
「まだやってたの? やめた方が良いって言ってるのに……」
「いいから教えてよ! 副官の好きなもの!」
「スノウの好きなものねえ……」
シュウはぽりぽりと頬を掻きながら少し考えたが、すぐに浮かんだものを散らすように頭を振った。
「あ、やっぱダメ。僕、ソール派だから。悪いけどそっちには協力できないよ」
「なによ急に! 前は協力してくれたじゃない!」
「あれは一時の気の迷い。もうしない」
「いいじゃない! 好きなもの教えるだけでしょッ?」
「僕は敵に塩を贈らない主義なんだよね」
「ケチーッ!」
そっぽを向き、それ以上取り合おうとしないシュウを、ヒメルは恨めしそうに睨み付けた。
「誤解してるみたいだけど、最初からこの件に関して僕たちは敵同士だから。あてにしてもらっても困るんだよね。じゃあ、僕は荷物の片付けがあるから!」
冷たくそう言うと、シュウは背中を向けて奥の部屋へと消えていった。
「キー! 裏切り者ーッ!」
しかし少年を罵ってみたところで状況が覆る訳もなく……。
司令官と二人、広間に立ち尽くしたままヒメルはしばし呆然とした。
「仕方ないよヒメル。あたしたちだけで頑張ろう」
司令官が励ますように後ろから肩をポンと叩いた。
それにしても『あたしたち』って……。当然私は固定メンバーってことなんですね司令官。
「大丈夫、心配いらないよ。使えそうな人がもう一人いるし」
そう言って指を差した方向には、背を丸めてこちらを観察するようにじっと見る薄気味悪い男、セグレトがいる。
知らない間に一人で立ち直っていたらしい彼は、いつからそこにいたのか普通に声を掛ければ聞こえる位置に立っていた。
「使えそうって、あの人がですか……?」
実を言うと、できればあんまり関わり合いになりたくない部類の人なんだけど。
「うん。だって薬品の扱いに長けてるんでしょ? いざとなったらスノウの食事に一服盛ってから事を運んで──」
「いくらなんでもそれは犯罪ですッ!」
本当にこの人は冗談なのか本気なのか──、
……いや、けっこう本気かも知れない。
ヒメルが閉口していると、思っていたよりも低い男性の声が聞こえた。
「お前たち……スノウに興味があるのか……?」
セグレトだ。
低い、と言っても女性に比べて低いというだけで、男性としてはそれほど低い声ではない。先ほど副官に締め上げられていた時などは、随分と甲高い声を上げていたのだ。早朝のニワトリみたいな。
しかし今はいつもの落ち着きを取り戻したのか、低めの声だった。
「スノウについて知りたいのだったら、この私が教えてやってもいいぞ?」
「えっ? ホントッ?」
司令官は目を輝かせて食い付いているが、ヒメルはあまりの胡散臭さに身を引いてしまった。
さっきまで副官の前でニワトリ声上げてたはずなのに、副官がいなくなったからなのか急に態度が尊大になっている気がする。
「ありがとう! えっと、あなたは確かセグレトくん──」
くん? この人ゼッタイ年上ですよ司令官。
いくらなんでも相手が不快に思うだろうと心配になった。だが本人は特に気にしていないのか、青白い顔にこれと言った感情は見えない。
それよりも意外だったのは、近くで見るセグレトが最初に思ったよりも随分若く見えたことだ。
もしかして副官とそう変わらないかもしれない。
だがずっと俯いていて、人と目を合わして話そうとは決してしないので、全体として怪しげな感じは否めない。
「セグレトくんもスノウの仲間なんだよね。スノウのこと色々知ってるの?」
司令官が尋ねると、セグレトは丸めた背中を更に丸めて肩を上下させながら、ヒヒヒと気持ちの悪い声で笑った。
「もちろん。私は殺し屋の仲間たちの事なら何でも知っている」
その仕草もさることながら、何でもなんて簡単に言ってしまう辺りが怪しさを倍増させている。
「何でも?」
「そう何でも……」
そう言って、セグレトは口の端を吊り上げ薄く歯を見せた。
「例えば、スノウの左でん部にハート型のアザがあることとかね……」
「へえ〜そうなんだ! なんかハート型ってカワイイ!」
副官の意外な裏情報に司令官は喜んでいるが、その隣でヒメルはひそかに表情を曇らせた。
でん部って、でん部って……。
無償で教えてくれるのはありがたいが、できればその情報は知らなくてよかった。
ちょっとショックだったが、かぶりを振ってすぐに自分を奮い起たせる。
こんなことで惑わされていては、いつまでたってもこのなんたら作戦が終わらないッ!
「司令官ッ! でん部で喜んでいる場合ではありません! 我々の目的は副官の好物を知ることですッ!」
「ああそうだった」
はっと我に返ったように言ってから司令官はセグレトに向かった。
「あたしたちスノウに何か美味しいものをご馳走してあげたいんだけど、何にしようか迷ってるんだ。スノウって好きな食べ物とかあるのかなあ。セグレトくん知ってる?」
セグレトはあごを擦りながらうーんと唸った。
「好きな、食べ物……? 難しい質問だな。そもそもあの男は食べるものを選り好みすることがない…」
確かに「俺これ好きなんだ」とか言って何かをパクついている副官なんて想像できない。
「どうしましょう。やっぱりここは無難に肉じゃがとかですかね…」
「そんなんじゃあのおばはんには勝てないよ!」
それもそうだ。並みの料理ではおそらく勝てない。
分かってはいても、自分も司令官もそれ以上言葉が出なかった。
すると、そんな状況を待っていたようにセグレトが口を開いた。
「あいつの好き嫌いは分からないが、代わりに良いことを教えてやろう」
「良いこと?」
「この近辺の森にはコロリーニ茸というキノコが生えている」
「キノコ?」
急に出てきたその言葉に、ヒメルは思わず聞き返した。
「とても希少価値の高いキノコで、地元の人間でもなかなか見付けることができないものだ」
「そのキノコが何で『良いこと』なんですか?」
「コロリーニ茸はその昔、惚れ薬の原料になったと言われている……」
「惚れ薬ッ?」
なんだかますます話が胡散臭くなってきたぞ。
「惚れ薬ってあれですか? マンガとかに出てくる? よくピンクとか紫色してる液体みたいな。そんなもの本当に存在するんですかぁ?」
「薬師の間では、ほんの数十年前までは実際に調合していたという記録が残っている……」
そう言うセグレトの表情は真剣そのものだが、それを補って余りあるくらい話が怪しすぎる。
やっぱり関わってはいけない人だ。そう思って司令官に他を当たろうと提案しようとすると、
「それだ! そのキノコを探そう!」
司令官はセグレトの話にがっつり食い付いていた。
「司令官ッ! まさか信じるんですか? こんな荒唐無稽な話ッ!」
「惚れ薬そのものの存在を信じてる訳じゃないよ。昔の話なんだから。伝説みたいなものでしょ?」
ですよねー。
「──でもそのキノコの成分には、原料になったと言う逸話が残るぐらいの何かしらの作用があるってことなんじゃない?」
「えッ? まあ、もしかしたらそうかもしれませんが……」
「だったらそのキノコを使った料理をスノウに食べさせれば、何かいい効果があるかもしれない…!」
あああ……、ヤバい。ヤバすぎる。
もしかして、殺し屋なんかよりこの人が一番の危険人物なんじゃ……。
恐ろしげな笑みを浮かべる司令官の横顔を見つめながら、ヒメルはただ、副官の無事を祈るしかなかった。