第3話 危険人物
副官とシュウが外出先から帰って来た時、ヒメルは司令官と共に玄関広間で彼らを出迎えた。
お客様を数人連れ帰るという連絡は事前に入っていたので、副官たちをと言うよりも、そのお客様を出迎える為だった。
ただ、出迎える相手は単なるお客様ではない。
サイファス翁が銀狼党として交渉を試みた殺し屋組織のボス。間違いなく危険人物である。
それは分かっているつもりだ。だが危険だからこそ余計に好奇心を掻き立てられているという事も否定できない。
いつかシュウが言っていた、裏社会の人間とはどんなものなのか、純粋に見てみたいと思う。
怖いもの見たさと言うのだろうか。なにせ本来はモブもモブ、少女マンガで言うと名前も無いどころか目鼻もちゃんと描いてもらえないような背景キャラの自分が、一生お目にかかれないような業界の人だ。
ドラマの撮影現場に出くわした様な感覚で、ひと目だけでもと首を伸ばしてしまう心理はご理解いただきたい。
一体どんな人だろう。サイファス以上に強面の筋骨隆々なおじさんだろうか。それとも視線だけで人をフリーズさせちゃうような、冷徹無比なスナイパー?
どうしよう。ドキドキしてきた。でも、……会ってみたい。
何だか最近、この刺激的な生活にも染まってきてしまったような気がする……。
なんて考えているところで現れたのは、パンツスタイルが羨ましいほどよく似合う若い女性だった。
若い、と言っても自分よりは年上だろう。だが殺し屋組織のボスと言われて思い描いていた人物像よりは、随分と若いように思えた。
明るい茶色の髪は少し巻いていて、ふわふわと柔らかそう。顔立ちは多少キツそうだけど、全体に凛としていてかっこいい。仕事ができそうなキャリアウーマンと言った感じ。
司令官の影に隠れるようにして相手を見上げていたヒメルはそんな感想を持った。
「彼女は組織の仲間でソールと言います。少々事情があって組織の代表はここに来られないので、代行として彼女に来てもらいました」
謎の美女とこちらとの間に立った副官は、そう私たちに彼女を紹介してくれた。
「つまり今はこの人が代表者ってこと?」
「そう思っていただいて構いません」
意外そうにへえ~っと感心した声を出して、司令官はソールと言うその女性の出で立ちを一通り眺めた。
自分も司令官と同じ気持ちだ。まさか女性だとは思わなかった。何人もの凄腕の殺し屋を束ねる組織のボスが女性だなんて、なんてカッコいいんだろう。
しかしこちらの羨望の眼差しとは対照的に、殺し屋ソールは目をすがめて不機嫌な声を上げた。
「ちょっとスノウ。この子たちは何なの? まさかレジスタンスのメンバーだなんて言わないわよね?」
それに対し副官は、いつものように冷静に、簡潔に答える。
「彼女たちは共和国軍人だ。こちらはハインロット大佐。それと部下のセイジョウ伍長」
簡潔すぎです副官。
紹介するにしたって、もうちょっと何か気の利いた事を言ってもいいと思う。
「大佐……? こんな子供がッ──?」
ソールは心底驚いたようだった。
そう言えば、近ごろ我らが司令官に対してそういうリアクションをする人がめっきり少なくなっていたせいか、外見と肩書きに大きなギャップがあるという事実をすっかり忘れていた。
「ソールもやっぱそう思う? この年で司令官って、やっぱり普通じゃあり得ないんだ?」
そう言ってシュウが仲間に同意を求める。
「当たり前でしょ? どう見ても高校生じゃないッ!?」
「彼女は高校生じゃない。れっきとした共和国軍の基地司令官だ」
「基地司令官ッ? まさか冗談でしょ?」
確かに、司令官には冗談で言っているんじゃないかと思う発言が多々ある。
「えへへ、でもあたし、とっくに職務を放棄してるんだけどねぇ……」
まわりから一斉に注目され、照れ臭そうにハインロット大佐は笑って言った。
しかし、職務放棄の件については本当に何とも思っていないんですね司令官。
「ちょっと待ってよ。大体なんでここに共軍の軍人がいるの? ここは帝国よ?」
「それは──……、まあ、色々あったんだ」
「色々ってなによ」
「分かるように話すと長くなりそうだ。後で説明する。それよりサンダースの方は大丈夫なのか?」
副官に問いを流され、ソールは一瞬不満そうな顔をした。だがすぐに緊張した肩から空気を抜く様に息を吐くと、その後は素直に仲間の疑問に答えた。
「心配しなくても大丈夫よ。アパートを引き払って元締めを送っていくくらい一人で十分。あのサイファスとか言うじいさんの案内に着いて行くだけなんだし」
「ここには来ないのか?」
「来ないわよ。来る必要無いもの。アイツには、アイツにしかできない特別な任務をもう頼んであるの。このアジトには寄らずにそのまま取り掛かってもらった方が効率的だわ」
「特別な任務……?」
「そ。女装趣味のアイツにぴったりな仕事よ!」
アイツって言うのが誰のことなのかヒメルには分からなかった。どうやら他にも仲間がいるらしい。
(その人も殺し屋なのかな……?)
女装が趣味の殺し屋なんて、なんだかすごくアブノーマルな感じがする。
「そんなことを言って、俺にはサンダースを体よく追い払っている様にしか聞こえないが」
「まあ、そうとも言うわね」
ふっと鼻から息を漏らす様にソールが笑う。
「いいじゃない。本人が喜んで引き受けたんだから」
「お前の頼みだからだろ?」
副官が非難を込めて指摘するが、ソールにはまったく効いていないようだ。
「だってえ~、せっかくスノウに会えるって言うのにアイツに邪魔されたくなかったんだもの~」
その言い訳が更に彼女の武器にでもなるのだろうか。ソールは余裕たっぷりの仕草で副官に身体を寄り添わせ、その腕に少ししなだれた。
(この人、何者ッ──?)
さっきまでは確かにあった毅然とした態度がまったくと言っていいほど感じられない。キャリアウーマンがいきなりキャバ嬢になった感じだ。
その豹変ぶりにも驚いたが、副官の平静っぷりにも正直驚いた。
まったく拒んでいないのだ。
ある意味相手にしていないとも言えるが、一人の女性の行動を当然のこととして受け入れているように見えるのだ。
(二人は一体、どういう関係なんだろう。まさか恋人同士……?)
すると不意にソールがこちらを盗み見て口角を上げた。
いや、こちらではない。もう少し前。
ヒメルの目前に立つ、ハインロット大佐に向かってわずかに笑みを見せたのだ。
どうだ。とでも言うように。
(もしかして……、見せ付けてる……?)
自分の方が副官にとってより近い存在なんだって──
そろりと司令官の様子を伺うと、後ろ姿を見る限り特に大きな反応はしていない。
どうしたんですか司令官。
何か。何か返さないと──!
このままじゃ副官をこの人に盗られちゃいますよ──ッ?
「……ねえ」
焦るヒメルをよそに、司令官はおもむろに顔を横に振った。
「そこにいる人もスノウの仲間なの?」
「──へ?」
そこ?
言われて司令官の横顔の先を見ると、その視線は玄関広間の隅に向けられている。
そこにいる人と言われても、どこにも人の姿は見えない。
「失礼しました。仰るとおりあれは私たちの仲間の一人。ですが人前に出る事を極端に嫌うヤツで、他人とまともに会話をしようとしないので無視していました」
落ち着き払った様子で副官が言った。
え、え、ちょっと待って。
仲間の一人? どこかに人がいるの?
「セグレト! いい加減、隠れてないで出てこい!」
副官が部屋の隅に向かって声を上げた。
玄関広間の四隅は大理石の円柱によって支えられているのだが、少し間を置いて、乳白色の柱の影の部分が動いた。かと思ったら、柱の影から人が現れたのだ。
(げ、本当にいたッ──!)
「あれはセグレトと言います。仲間の一人ですが、銀狼党として直接仕事をすることはありません」
「なんで……?」
「まあ、ああいう性格というのもありますが……、そもそもあいつに戦闘技術は備わっていないので」
「殺し屋なのに……?」
司令官と副官が二言三言話しているのを耳にしながら、ヒメルは影から現れた不気味な人物を凝視に近い眼差しで見つめた。
性別は男のようだが、体格は副官に比べるとかなり細い。まるで棒切れのようだ。
おまけに何やら薄汚い白衣のようなものを羽織っていて、背中を丸め小さく縮こまっている。しかも紹介されたにも関わらず、広間の隅にぽつんと立ち尽くしたまま、こちらに近寄ろうともしない。
(なんか、気味の悪い人だな……)
ヒメルは率直にそう思った。
白髪混じりの灰色の頭髪。
中年のおじさんなのかとも思ったが、一体何歳なんだろう。前髪に隠れて顔がよく見えないので、年齢を推測することができない。
「セグレトは薬師なのよ。私たちが仕事で使う毒薬なんかを扱う、ね」
得意気な表情でソールが言った。
「毒薬ッ?」
なに、そのまさにアングラって感じの単語。
ヒメルが顔を凍り付かせていると、副官が特に表情を動かさないまま急に何かを思い出したように言った。
「ああ、忘れるところだった……」
それから腕にまとわりついたソールを羽虫のように追い払い、副官は悠然と広間を歩いた。
何だろう。
そう思って見ていると、副官は見るからにひ弱そうなその気味の悪い男の方にずんずんと近付いていって、男の視界を遮るように目前に立った。
「……お前、また俺を新薬の実験台にしたな?」
そう言うと、覆い被さるようにしてセグレトを威圧する。
声色はいつもと変わらないのに、纏ったオーラが何だか赤黒く見える気がするのは自分だけだろうか。
一方のセグレトはびくりと一層身をすくめた。
「ハッ、何のこと──」
「とぼけるな! シュウを使って開発途中の薬を俺に試しただろう?」
副官は本気で怒っているらしい。しらを切ろうとするセグレトの胸ぐらを乱暴に掴むと、ぐいっと片手で引き上げた。
副官の表情はヒメルの立っている位置からは見えなかったが、相当迫力があるのだろう。セグレトが短い悲鳴のような声を上げる。
「大体なんでお前はいつも勝手に俺の身体で実験しようとするんだッ!」
なんと言うか、色々と大変なんですね副官……。
「まだそれ根に持ってたの? 結果オーライなんだからもういいじゃんどうでも」
面倒臭そうにため息を吐いてシュウが呟いた。本当にどうでも良さそうだ。
「それより僕お腹すいた〜。ソールの作ったご飯が食べたいよ〜」
そう言ってお腹の辺りをさすりながら子供のように甘えた声を出した。
「シュウお前他人事だと思って──」
「だってお腹すいたんだもん! スノウだってソールのご飯食べるの久しぶりでしょ? それとも食べたくないわけ?」
「……別に食べないとは言ってないだろ」
「なにそれ素直じゃないな〜」
「お前にだけは言われたくないッ」
あの副官、そろそろ手を離してあげないとセグレトさん顔が真っ赤なんですけど。
ヒメルがハラハラしながら成り行きを見守っていると、不意にソールが強めにぱんぱんっと手を叩いた。
「はいはい、三人とも仲良くじゃれ合うのはいいけどそのくらいにして頂戴!」
じゃれ合ってない。
というまわりの総意を無視してソールは続ける。
「私達は遊びでこんなとこまで来たわけじゃないの。これは仕事よ。まずビジネスの話が先。食事はそのあとよ。いいわねシュウ!」
「……はぁ〜い」
しゅん、とした様子で小さく返事をするシュウにヒメルは唖然とした。
なにその飼い主に甘える子犬みたいな反応。今まで一度も見たことないんですけど!
「早速だけどスノウ、あのじいさんの言ってた『王子さま』っていうのに会わせてくれる? レジスタンスの総大将なんでしょ? まずは依頼主に挨拶しとかないと」
「…そうだな」
短く返事をすると副官はやっと手を離してセグレトを解放した。
真っ赤な顔をしていたセグレトは苦しそうにごほごほっと咳をしているが、副官はそれにすら温情の欠片も見せないまま、平然とした様子でソールを先導して歩き出した。
たぶん料理長の部屋へ案内するつもりなんだ。
「挨拶はいいが、王子様と聞いて変な期待はするなよ。見た目はともかく中身はただのチンピラだからな」
大真面目な顔をして振り返る副官に、ソールは左右の眉を非対称に歪ませた。
「何それどういう事?」
「行けばわかる」
そんな会話をしながら、副官とソールは玄関広間を去って行った。