第26話 騎士の記憶2
俺はずっと、彼女に会いたかったんだ。
その為にここまで来たのに、何故忘れていたんだろう。
あの時、約束したはずなのに──
もう二度と忘れない。
彼女の名前は……
「ツルギ!」
名前を叫ぶと、少女はこちらを視界にとらえてとびきりの笑顔を見せた。
ああ、彼女だ。
間違いない。
少女は両手を広げてこちらに走り寄ろうとした。だが、体中に細かい破片が付いていることに気付き、もどかしそうにそれを払い落とす。それから階段を駆け下りて来るが、途中で一段ずつ下りるのが面倒になったのか、残り数段残して一気に飛び上がった。
「あぶないッ‼」
捨て身で飛び込んでくる少女を、スノウは慌てて抱きとめた。
少女は力強く首に抱きついてきて、自身の鼻を首筋に擦り寄せてくる。
「会いたかったスノウ‼」
そうだ。俺の名前はスノウ。
殺し屋スノウだ──‼
横目で壁に掲げられた鏡を視界に入れると、レイの姿はもう無かった。代わりにそこにいたのは、見慣れたブラウンの髪の男と、琥珀色の少女──
互いにしっかりと抱き合っている姿だった。
「やっぱり思い出してくれたんだね!」
少女が回した腕に力を込めた。
その圧迫感が、今はとても心地良い。
「一体、何が起きていたんですか?」
抱き上げた小さな背中を支えながら尋ねると、司令官は顔を起こしてこちらに視線を合わせてきた。
くっつきそうなほど近くに、柔らかく笑う少女の顔がある。
「スノウが思い出してくれたから、あたしが元の形に戻れたの!」
俺が思い出した?
元の形?
どういうことだ?
一旦落ち着こうと司令官から身体を離し、彼女を踊り場の床に下ろした。一方で、司令官はまだ離れたくなかったのか、残念そうに眉の端を下げる。
こっちだって、できれば離したくないとは思う。しかし今はまず、状況を把握しなければならないだろう。
「言っていることが分かりません。もう少し詳しく説明してください!」
そう急き立てても、司令官が「ええ〜もういいじゃん」と面倒くさそうな顔をするので、スノウはその憎たらしいほどなめらかな頬に無言の圧力を追加した。
さしもの司令官もプレッシャーに耐えきれなくなったのか「しょうがないな〜」としぶしぶ口を開く。
「んーとね、最初から話すと、あたし、ルディアに捕食されたの。でもルディアは、その後すぐにセシリアに捕食されることを知って、あたしの魂は消さずに、融合することにしたんだよ」
「融合?」
「捕食した魂を消さずに取り込むこと。だから、あたしはあたしのまま、ルディアと一つになったの。融合したあとも、あたしは、赤の魔女のままだった……」
「赤の魔女って?」
「セシリアのことだよ。あたしの魂はセシリアから分かれてるから、色は『赤』なの」
魔女にとって色というものがどんな意味合いを持つのかよく分からない。だが彼女たちはお互いを、その色というもので判別しているようだ。
「魔女は、お互いの同意の上で魂を同化させ、身体を新しく入れ替えたりするんだけど、同意を得られない場合は、捕食することで強制的に相手の魂を取り込むことができるの。大抵の場合は身体を奪うために捕食するから、取り込んだ魂は消してしまうんだけど、捕食者の意志で消さないこともできるんだよ」
「……だから、ルディアに捕食されても、あなたは消えなかった……?」
こくんと小さく頷く少女。
「そのあとすぐに、セシリアの捕食が始まった──。でもね、覚えてる? 『捕食』は同じ色の魔女ではできない」
たしか、『捕食』は違う個体だからこそ為せる術であると、セシリアが以前言っていた。
「セシリアとあたしは同じ赤の魔女。だから合意がないと同化しない。セシリアはあたしたちを捕食したと思ってたけど、あたしはセシリアの中で同化せずに残っていたんだよ」
残っていた──
そうか、だからなのか。
自分の名前さえ思い出せなくなっていたはずのスノウの脳裏に、あの時聴こえた少女の声。
あれは、本当に彼女の声だったのだ。
「しかし、それがなぜ急に表出できたのですか?」
「あなたがあたしの『形』を思い出してくれたから」
「……それだけ?」
「そう、それだけ。でもそれが重要なんだよ。あたしはルディアと融合したから、あたしたちはお互いの境界線がなくなったの。だからあたしだった時の『形』を思い出さないと、元に戻れない。でもそれって、あたしたちにとっては難しいことなんだよ」
「難しい? 何故ですか?」
スノウは金色の、扇のような睫毛に縁取られた司令官の瞳の奥を見た。
見開かれた琥珀は、スノウの姿をまっすぐに映し返している。
「魔女は、本来は実体が無い生き物だからね。器である肉体を離れると、それまでの記憶とか自分の『形』を忘れちゃうんだよ。初期化するっていうことかな」
初期化?
いま、初期化って言ったのか?
魔女というものを説明するには不釣り合いな単語が、少女の口から飛び出した。その歪さに、スノウの思考が一瞬止まる。
「でも、スノウがあたしの顔とかカラダとか、一つ一つを思い出してくれた! すごい、奇跡! さすが、あたしの騎士ね!」
そう言って嬉しそうにスノウの首に抱きついてくる少女。
「ちょ、ちょっと待ってください。騎士がいれば、魔女は自分の形を思い出すことが出来るのですか?」
騎士とは、その為にいるものなのか?
すると、司令官は何故か少し言い淀んでから答えた。
「う~んと、まあ、そうだね。そのためにいるわけじゃないんだけど、魔女が忘れてしまっても、騎士が覚えていれば、その騎士の記憶をリロードできる」
「リロード⁉」
「忘れてしまうのは仕方がないの。魔女は最初からそういうふうに造られているから。大いなる流れに戻ると、記憶が初期化して、それまで自分の騎士に対して持っていた愛情とか、そういう『想い』が消えてしまう。そうすることで、騎士を失った悲しみから自己を防衛するようにプログラムされている」
「プログラム? プログラムってどういうことですか⁉」
次々と出てくる不釣り合いな言葉に、スノウの思考は途中から追いつかなくなっていた。
だが、そういえば、先程の記憶の中のルディアも、同じことを言っていた気がする。
魔女は何者かによって造られた存在だと──…
造られた?
造られたって、誰に?
魔女は、古代から存在するんだろ?
疑問が更に別の疑問を生む。
スノウは呑み込んでいた息を大きく吐いて、混乱する頭を支えるように額に手をあてた。
「すいません。私には、あなたの言っていることが半分も理解できない……」
半ば放心状態でそう呟くと、司令官は一度目を丸くしてから、何が面白いのか吹き出すように言った。
「半分理解できたら上々だよ‼」
あはははッと少女が声を上げて笑う。
いや、半分にも満たないって言っているのだが……。
こちらの気も知らないで、少女は楽しげに笑っている。
彼女の変わらない笑みが見られるのは嬉しいが、今は少し憎らしく思えた。
「あんまり気にしなくていいよ。人間には関係ない話だし」
──関係ない。
確かに、魔女についてすべてを理解できたとして、どうなることでもない。
「……ルディアはどうなったのですか? セシリアは? 二人とも消滅したのですか?」
そう尋ねると、司令官はそっと片手で胸元に触れた。
「いるよ、二人とも。あたしの中に……」
少女の中というのがどういうことなのか分からず、スノウは眉を寄せる。
司令官は、うまく伝わっていないという事は分かっているようだったが、更に詳しい説明はしようとはしなかった。説明したところで、またこちらの理解が追いつかなくなるだろうと思ったのかもしれない。
スノウもそれ以上重ねて尋ねることは諦めた。
少女がいると言っているのだからいるのだろう。そう納得することにする。
「私は何故、自分のことも忘れていたのですか? 姿も、レイになっていた…」
そう尋ねると、司令官はすいっとこちらから視線をはずした。
「セシリアがあなたの記憶を徐々に消していったからだよ。目的はレイだった。人間は生まれ変わると、それまでの記憶を無くしてしまうけど、魂に『記録』としては残っているの。セシリアはレイに会いたくて、それを引き出そうとしたんだよ……」
寂しげに語った少女は、それきり黙ってしまった。
「……あなたは、セシリアの記憶も持っているのですか?」
少女は問いには答えなかった。だが肯定するように静かに、口元をわずかに緩めた。
「魔女は、みんな寂しいの──。人間の時間は短いから、すぐに生まれ変わってあたしたちのことを忘れてしまう──。それが寂しくて、ルディアはイオラの魂に杭を打った──」
「杭?」
杭って、確かセシリアもルディアに対して施したと言っていた。魂を肉体に閉じ込めておく為の術だったはずだ。それと同じものだろうか。
「イオラは死んでも、ずっとそこにとどまり続けているはず。だから探したの。イオラの遺骨を。目覚めてからずっと。でも、今回も見つからなくて……」
「今回も?」
なんのことを言っているのか分からず司令官の顔を覗くと、司令官もまた意外そうな顔をして、こちらを見返してきた。
「スノウたちが持ってきたんでしょう? あの遺骨」
「遺骨?」
「イオラの遺骨だよ。ルディアは王宮で見たよ?」
「王宮?」
スノウはしばらく考えた。
王宮で見た遺骨?
俺が持ってきた?
頭に浮かんだ疑問符は、やがて一つの答えを導き出す。
「──まさか、研究所から持ってきた出土品ですか?」
「そう」
「あれは本当にイオラのものだったのですか⁉」
王宮に潜入するために適当な物を持ってきたのかとばかり思っていたが、本当にルディアが探していたものだったのか。
「うん。ただし石板だけね。一緒にあった遺骨はイオラのものじゃなかった……」
石板? 石板なんてあったのだろうか。
「ルディアは、落胆してしまったの。でも諦めたくなかった。だから、あたしを捕食しようとしたあの時、ルディアはあたしが持ちかけた取引に乗ったんだよ──」
「取引?」
「捕食されたあの時、あたしはルディアにセシリアの手の内を明かしたの。あたしを捕食しても、すぐにセシリアに捕食される。だからあたしを消してしまわないで、手を組もうって──。ルディアはそれをのんで、あたしと融合することにした。イオラに会いたい。それがルディアの願いだったから。その願いを叶える代わりに、あたしはあたしのままで融合できた……」
今の司令官が以前となにひとつ変わらないままなのは、彼女が主体になることをルディアが譲ったからなのか──。
「ルディアとの融合は上手くいったけど、そのあとのセシリアとの融合は賭けだった。パワーバランス的には、捕食者の方が圧倒的に有利だから……」
「でも結果は、あなたが勝った……?」
「うん」
少女はうなずくと、顔を上げて続けた。
「セシリアの敗因は『油断』だよ。まさかあたしが消えていないなんて想像もしていなかったし、あたしが他の色の魔女たちを味方に引き入れていたことにも、気付いていなかった──」
「他の色の魔女?」
次々出てくる聞き慣れない単語に、スノウの頭の中からは尽きることなく疑問符が湧いてくる。
「ああ、そっか。スノウは知らないよね。セシリアの中にはね、ルディアと争う前に同化した、他の色の魔女たちがいるの。自我はもうないんだけどね。あたしがセシリアに勝てたのは、単純に数の力だよ。気付かれないように内側から隷属させていった。そこから先は、スノウも知ってるとおり…」
そう言ってから、司令官は両手を広げて胸を張った。
「今こうしてあたしがあなたの目の前に立っていられるのは、あたしの機転と、ルディアたちの協力のおかげなの!」
どうだ、とばかりに少女が挑戦的な笑みを浮かべる。だがスノウは、素直に感心できるような気分ではなかった。
「あなたは、一体いつからこうなることを予想して──……?」
いつから、セシリアと敵対することを決めていたのだろう。
「ん~、セシリアに、ルディアを封じる方法を提案された時、かな。その時は、あたしが完全に捕食される前に、セシリアとユリヤの二人がかりでルディアを檻に閉じ込めるって計画だった」
「檻に閉じ込める?」
「肉体の檻。あたしの中に封印するってことかな。でも、あたし、なんかその計画を聞いた時、違和感を感じたんだよね」
「違和感?」
「なんでユリヤの時にはそれをしなかったんだろうって…」
確かに。
それが出来るのだったら、ユリヤが狙われた時に同じことができていたはずだ。
「もしかして、セシリアは、それをしなかったんじゃなくて、出来なかったんじゃないかって思ったんだ。ユリヤはきっと、気付いたんだよ。セシリアの目的が、自分の身体なんじゃないかってことに──」
「なッ⁉ じゃ、じゃあユリヤは、セシリアに身体を渡すように言われ、それを拒んで自殺したと⁉」
「うん。ルディアとセシリア、どっちにも取られたくなかった。ルディアに捕食されると消えるのはもちろんだけど、セシリアと同化しても、自我は消えてしまうからね」
「だったら、なぜ今もユリヤは、セシリアのもとで彼女に従っているのですか? 自分の肉体を奪おうとした相手ですよね⁉」
そう尋ねると、司令官は急に困った顔をして言い淀んだ。
「さあ、はっきりとした理由は分からない。ユリヤの記憶は、あたしの中には無いから」
「え?」
どういうことだ?
ユリヤの記憶は無い?
今の司令官の中には、すべての魔女が一体となっているのではないのか──。
「ユリヤは、まだ誰とも同化してないの。だから、彼女の考えてる事は、あたしにも分からない。セシリアが言っていたのは、やり残したことがあるからじゃないかって──」
「やり残したこと?」
確かに、ユリヤにはルディアを封じるということ以外の目的があるようだった。それが何なのか、司令官も、他の魔女も、誰も知らないのか。
腕組みをしてうーんと唸るスノウは、ふと気付いて顔を上げた。
「……? ところで、ユリヤはどこに──」
言いかけて突然、強い力で背中を引っ張られるような衝撃を受け、スノウはその場でよろめいた。
「な、なんだ?」
振り返っても何もない。だが立ち直ったあとも、ずっと引かれるような感覚が途切れないのだ。
両足を強く踏ん張っていなければ、身体が持っていかれそうになる。まるで引力でも働いているかのようだ。
「ああ、きっと呼ばれてるんだね。『向こう』から」
焦るスノウをよそに、司令官は明るく言った。なんでもないことのように軽く。
「向こう?」
「肉体を向こうに置いてきてるんでしょ? それが呼んでいるんだよ」
肉体が呼んでいる?
だとしたら、おそらくソールたちだ。
指示したとおり、セグレトの解毒剤を使って身体を蘇生させようとしているのだ。
「あたしのことは気にしないで。行っていいよスノウ。大丈夫。またすぐに会えるから」
「しかし──」
突然、階段の踊り場だったはずの周りの情景が真っ白に変わった。
白くて、何もない空間。
ただ、立っていることはできているから、足の下には床があるんだろう。
それぐらいしかわからない空間。
スノウは急に不安になり、咄嗟に少女の手を取って引き寄せた。
だがなぜその細い手を取ったのか、自分でもよく分からなかった。
確かにいま肉体に意識が戻ってしまったら、この場所に少女をひとり残してしまう。
しかし、そんなことは杞憂なんだろう。
彼女は魔女だ。この空間でさえも、彼女自身が作り出しているものなのかも知れないのだから。
その証拠に、司令官は周りの風景が様変わりしてしまっても、全く気にする様子がない。
違う。
不安だからじゃない。
俺が、離れがたいんだ。彼女と──
ただそれだけだ。
「ありがとう、スノウ。あたしを信じてくれて……」
少女がポツリとそう言った時には、視界はほとんど無くなっていて、ぼやけてよく見えない。
だが少女の顔が近くにあることだけは分かって、その頬に触れた。
少し冷たくて、さらりとした感触。
できればずっと、触れていたいと思う。
「迎えに行きます。すぐに」
短くも確かな決意を込めた言葉に、少女は頬を薄く色付かせ、花がほころぶように笑った。
その顔は、あの海岸で見せた笑顔と同じ──。
少女の手を取って、共に逃げることを決めた、あの時と同じだ。
スノウはそっと少女を抱き寄せ、少女の唇に自身のそれを寄せた。
これは夢か、現実か──。
自分の願望が見せた幻だったのかも知れない。ずっと彼女に触れたいと思っていたから。
だがそれを確かめることは出来なかった。
唇が重なり合う寸前で、意識が途絶えてしまったから──……




