第25話 騎士の記憶
午後から始まった新司令官の着任式も、その後に予定されていた現況報告会議も滞りなく終了し、現在、司令官には執務室にて休憩を取ってもらっている。
スノウはというと、副官室の自分のデスクで、パソコン画面に目を落としていた。
ハインロット大佐の人事資料をもう一度確認する為だ。
年齢は四十二歳。
歴代基地司令官の就任時の年齢としては、そこまで若い訳では無いが遅くもない。
公開されているこれまでの経歴を見ても、華々しいものは無いが、“堅実”といった印象を受ける。
ますます、司令官に抱いた違和感の正体が分からない。
不審なところが何もないのだ。
意図的に消しているのではと勘繰ってしまうほど何もない。
(俺の考えすぎか……?)
スノウは画面から視線を外すと、目頭を押さえて息を吐いた。
最初に感じる直感にはそれなりに自信があったのだが、今回は思い過ごしだったのだろうか。
「スエサキ。お前、司令官を迎えに行った時、何か感じなかったか?」
送迎車の洗車を終え、鼻歌まじりにデスクに戻ってきたトーマにスノウは尋ねた。
問われたトーマはキョトンとした顔をして、上司からの質問の意味を考えているのか、わずかに沈黙してから答える。
「何かって? え? 俺、なんかやらかしちゃいました? あ、もしかして、操縦訓練の時の走行距離ごまかしてたのバレちゃいました?」
そう言ってペロリと舌を出すトーマ。
「さーせん。途中でわからなくなっちゃったもんで…」
そのふざけた態度は、とても反省している様には見えない。
まったくこいつは。相変わらず不真面目な奴だ。
「そうじゃない。俺が聞いているのは司令官の様子についてだ。何か気になることは無かったか?」
「司令官の様子? いえ、別に何も……。え? なんかあったんすか?」
「どうしたんですか? 司令官、体調でも悪いんですか?」
トーマの向かいの席に座っていたヒメルまでもが、不穏な空気を感じ取って横から会話に入って来る。
揃って困惑した顔を向けられ、スノウは心中で焦った。
まずい。
ただでさえ、今日は朝から何度か怪しまれているのだ。
普段から『エルド・ロウ』に近しい直属の部下二人に胡乱な印象を与えてしまうのは、スパイとして行動する上では得策ではない。
「いや、別に何もないならいいんだ……」
スノウは咄嗟に話題を変えようと、司令官専属ドライバーに向かって口を開いた。
「それよりスエサキ、司令官の自宅への送迎についてだが、今日から俺も同行するからそのつもりでいろよ」
「へ? あ、はい。え? 副官が同行するんですか?」
「ああ。前みたいに変な気を起こされたら敵わないからな」
「え? 変な気って……?」
ぽかんとした顔でトーマが聞き返して来るが、スノウ自身、何を思って自分がそんなことを言ったのか分からなかった。
どういうわけか、この男から司令官を守らなければならないような気がしたのだ。
「……いや、何でもない。気にするな」
なんだか余計に不審がられてしまった気がする。
スノウは取り繕うように立ち上がった。
(何をやっているんだ俺は……)
自分で自分に呆れながら、手帳を持って司令官の執務室へと直接続く扉の前に立った。
丁度、司令官に明日のスケジュールを伝える時間だ。
「ロウ少尉です」
軽くノックをしてから名を告げると、扉を開けて中に入った。
スノウは気付いてはいなかったが、後ろでヒメルとトーマは顔を見合わせた。
「スエサキ軍曹。副官がさっき言った『変な気』って何のことですか?」
「さあ、俺に聞かれても……」
「確かに司令官はかなりのイケオジですけど、いくらスエサキ軍曹が見境ないからって、中年男性にまで粉かけたりしないですもんね?」
「やめてよヒメルちゃん。いくら俺でも、男にまでそんなことするわけないでしょ? 言っとくけど俺、いたってノーマルだからね?」
「……え〜?」
「信じてヒメルちゃん‼」
ヒメルはじっとりとした半眼をトーマに向けた。
執務室の中は、重い空気に満たされていた。
なんだというのだろう。この異様な感覚は。
空気の密度が濃いというか、息をするにも胸が圧迫されるような感じがする。
一瞬だけたじろいだスノウだったが、ぐっとこぶしを握ると、司令官の座る机の方に居住まいを正した。
「失礼します。明日の予定についてご説明を──」
だが次の言葉を言おうとして、喉が詰まり息を止めた。
椅子に背を預けた司令官の瞳が、赤く輝いたように見えたのだ。
「──ッ‼」
思わず身体が硬直する。
暗闇に潜む獣の目のような、危険な赤。
「ロウ少尉?」
ゆったりと腰掛け窓の外を眺めていた司令官が、顔だけをこちらに向け、薄い笑みを浮かべた。
赤い瞳を不気味に細めて──
だがスノウが一度まばたきをすると、司令官の瞳の色は淡褐色に変わっていた。
「ロウ少尉? 何かありましたか……?」
「あ、い、いえ……」
「明日の予定がどうかしたのかな?」
「失礼しました。明日は基地の全体朝礼がありまして──」
スノウは自身の手帳に書かれた事務的な内容を読み上げた。
だがその最中もあの赤い瞳が脳裏から離れない。
見間違いだったのか?
いや、でも確かに見た。
前にも、あの『赤』を、どこかで……
違和感を拭えないまま、新司令官が着任して瞬く間に一週間がたった。
その間には着任式をはじめに、報道機関へのお披露目、基地所属の一般兵士らへの紹介と、予定されていた行事がいくつかあったが、新司令官はなんの問題もなくそれをこなした。
本当に、一つも問題がない。
何をするにも実にスムーズなのだ。それは副官としては喜ばしいことなのだろう。
だが違う。
何かが。
ことがスムーズに行けば行くほど、違和感が拭えない。
自分は、どこかおかしくなってしまったのではないか。真剣にそう思い始めていた昼休み──。
士官食堂のテーブルでひとり昼食を摂りながら、皿の中のスープを見つめていた。
なんとなくスプーンでそれをすくいながら、ぼんやりしている自分に気が付いて陰鬱な気持ちになる。
何をやっているんだろう。
俺は、こんな人間だったか?
スプーンを置くと、くしゃりと髪の毛に手を突っ込む。
ふいに視界の端から白い割烹着の女性が近付いてきた。
この食堂で給仕をしている女性。
食堂のおばちゃんだ。
おばちゃんは隣のテーブルの上を布巾で拭いている。
白い手ぬぐいをかぶった頭の髪はブロンドで、くりっとした緑の目をしている。
意識して見てみると、意外にもおばちゃんというには失礼なほど若い女性だった。
(……どこかで見た顔だな)
この食堂ではなくて、別の場所だった気がする。
だだっ広くて、建物も何もない場所。
砂混じりの乾いた風が吹く、懐かしい場所──
(どこだったっけ……?)
思い出そうとしたが、いくら記憶の中を探ってもそれ以上は出てこなかった。
とても大事な場所だったはずなのに……。
ただ、この男にはいつも苦労をさせられていた。
なにせこいつはタフな上に、救いようのない馬鹿な男で──
(……なんで俺、こいつがこんなナリをしているが男だって知ってるんだ……?)
こいつの名前は……?
どうしても思い出せない。
(戻ろう……)
食事を半分ほど残したまま食堂を出た。
司令部庁舎の裏にある喫煙スペースを通り抜け、裏口から中に入る。
どうしたのだろう。
何かがおかしい。まわりも、自分も。
副官室に戻ろうと、階段を一段一段上がる。
やたらと足が重く感じた。
階段の踊り場に差し掛かり、壁に掛かった大きな鏡が目に入った。
そこに映る自分の姿を見る。
(俺、こんな姿だったか──⁉)
愕然とした。
そこに写っていたのは、長い黒髪を肩に流した細身の男だったのだ。
透き通るような白い肌に、紫色の瞳。
恐る恐る頬に触れると、鏡の中の自分も同じく頬に触れる。
(誰だ? これ。俺なのか?)
いや、そもそも
俺は誰だ……?
名前は……?
エルド・ロウ?
陸軍少尉で、基地司令官の副官で……
違う。それは本当の姿じゃなくて……
じゃあ本当の名前は……?
俺は……何者だ?
「なかなかしぶとい……」
背後から声がして振り返ると、上の階から司令官が階段を降りてきていた。
「司令官……?」
「もはや自分の名前も思い出せんのだろう?」
にいっと嫌な笑みを浮かべて司令官は言った。
その目は、血のように赤く輝いている。
執務室で一瞬だけ見えた目だ。
「もう少しだ。すべて消し去れば、そなたの中には『レイ』だけとなる」
レイ?
俺はレイなのか……?
鏡に写った姿をもう一度振り返った。
鏡の中の自分に手を伸ばす。
ただ冷たいだけの鏡の感触。
これが俺の本来の姿なのか……?
わからない。
教えてくれ、誰か──
──約束して。あたしの事を、絶対に忘れないって……。
誰かの声が聞こえた。
本当に聞こえたのか。
それとも、自分の記憶の中の声なのか。
──あたしの顔とか、カラダとか、全部……!
でも、確かに聞こえる。
──手も、足も、指も。
誰だろう。
──目も、耳も、口も、声も
そんなの無理だよ‼
自分のことも思い出せないのに‼
──絶対、約束ね‼
約束……。
……俺は、約束したんだ。
『彼女』と。
大きく息を吐いて、顔を上げる。
そこは階段の踊り場。
そうだ。
彼女とはこの踊り場で会った。
大きな瞳を見開いて、俺を見上げていた。
本物の宝石のような、琥珀の瞳をして。
何か喋ろうとしていたんだ。
泣きそうな顔をしながら。
あの時は、なんて言いたかったんだろう。
ああ、でも、今なら分かる気がする。
彼女はきっと、こう言いたかったんだ。
「やっと会えたね」って──……
ピキ、パキ、パキッ……
どこからか、薄氷が割れるような細かい亀裂音が聞こえた。
その直後、
「ああ、ああ──ッ‼」
司令官が叫んだ。
見ると彼は、両手で頭を抱えながら苦悶の表情を浮かべている。
どうしたというのだろう。
苦しげに背中を丸める司令官の姿に、こちらの背筋も強ばる。
「なぜだッ!? なぜ出てこようとするッ!? お前はもうわたくしの一部なのだ。勝手な行動は許さん‼」
そう吠えた司令官の顔を、裂ける音とともに縦に亀裂が走った。
司令官はひぃっと小さな悲鳴をあげて、両の手に更に力を入れてこめかみを押さえた。
そう、押さえているのだ。
両手で、頭を。
だがいくら押さえつけても、頭の先から入った亀裂はどんどん体中に広がっていく。
司令官の顔、腕、指の先に至るまで、網の目のように亀裂が伸びていく。
「まさか、そんなッ‼ ルディアお前、ツルギを捕食したわけではなかったのか──⁉」
司令官が仰け反るようにして天に向け言い放った。
その言葉を合図に、鼻先からバラバラと司令官の身体が崩れ落ちる。
いや、崩れているのではない。
剥がれ落ちたのだ。司令官の表面だけが。
そして、まるで羽化をする雛鳥のように殻を破って、中から現れたのは──、
「良くやった! さすがあたしの副官ね‼」
琥珀の少女だった。




