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司令官はまつろわない3〜対決編〜  作者: 綾部みね子


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第25話 騎士の記憶

 午後から始まった新司令官の着任式も、その後に予定されていた現況報告会議も滞りなく終了し、現在、司令官には執務室にて休憩を取ってもらっている。


 スノウはというと、副官室の自分のデスクで、パソコン画面に目を落としていた。

 ハインロット大佐の人事資料をもう一度確認する為だ。


 年齢は四十二歳。

 歴代基地司令官の就任時の年齢としては、そこまで若い訳では無いが遅くもない。

 公開されているこれまでの経歴を見ても、華々しいものは無いが、“堅実”といった印象を受ける。


 ますます、司令官に抱いた違和感の正体が分からない。

 不審なところが何もないのだ。

 意図的に消しているのではと勘繰ってしまうほど何もない。


(俺の考えすぎか……?)


 スノウは画面から視線を外すと、目頭を押さえて息を吐いた。


 最初に感じる直感にはそれなりに自信があったのだが、今回は思い過ごしだったのだろうか。



「スエサキ。お前、司令官を迎えに行った時、何か感じなかったか?」


 送迎車の洗車を終え、鼻歌まじりにデスクに戻ってきたトーマにスノウは尋ねた。


 問われたトーマはキョトンとした顔をして、上司からの質問の意味を考えているのか、わずかに沈黙してから答える。


「何かって? え? 俺、なんかやらかしちゃいました? あ、もしかして、操縦訓練の時の走行距離ごまかしてたのバレちゃいました?」


 そう言ってペロリと舌を出すトーマ。


「さーせん。途中でわからなくなっちゃったもんで…」


 そのふざけた態度は、とても反省している様には見えない。

 まったくこいつは。相変わらず不真面目な奴だ。


「そうじゃない。俺が聞いているのは司令官の様子についてだ。何か気になることは無かったか?」

「司令官の様子? いえ、別に何も……。え? なんかあったんすか?」

「どうしたんですか? 司令官、体調でも悪いんですか?」


 トーマの向かいの席に座っていたヒメルまでもが、不穏な空気を感じ取って横から会話に入って来る。


 揃って困惑した顔を向けられ、スノウは心中で焦った。


 まずい。

 ただでさえ、今日は朝から何度か怪しまれているのだ。

 普段から『エルド・ロウ』に近しい直属の部下二人に胡乱な印象を与えてしまうのは、スパイとして行動する上では得策ではない。


「いや、別に何もないならいいんだ……」


 スノウは咄嗟に話題を変えようと、司令官専属ドライバーに向かって口を開いた。

 

「それよりスエサキ、司令官の自宅への送迎についてだが、今日から俺も同行するからそのつもりでいろよ」

「へ? あ、はい。え? 副官が同行するんですか?」

「ああ。前みたいに変な気を起こされたら敵わないからな」

「え? 変な気って……?」


 ぽかんとした顔でトーマが聞き返して来るが、スノウ自身、何を思って自分がそんなことを言ったのか分からなかった。

 どういうわけか、この男から司令官を守らなければならないような気がしたのだ。


「……いや、何でもない。気にするな」


 なんだか余計に不審がられてしまった気がする。

 スノウは取り繕うように立ち上がった。


(何をやっているんだ俺は……)


 自分で自分に呆れながら、手帳を持って司令官の執務室へと直接続く扉の前に立った。


 丁度、司令官に明日のスケジュールを伝える時間だ。


「ロウ少尉です」


 軽くノックをしてから名を告げると、扉を開けて中に入った。



 スノウは気付いてはいなかったが、後ろでヒメルとトーマは顔を見合わせた。


「スエサキ軍曹。副官がさっき言った『変な気』って何のことですか?」

「さあ、俺に聞かれても……」

「確かに司令官はかなりのイケオジですけど、いくらスエサキ軍曹が見境ないからって、中年男性にまで粉かけたりしないですもんね?」

「やめてよヒメルちゃん。いくら俺でも、男にまでそんなことするわけないでしょ? 言っとくけど俺、いたってノーマルだからね?」

「……え〜?」

「信じてヒメルちゃん‼」


 ヒメルはじっとりとした半眼をトーマに向けた。




 執務室の中は、重い空気に満たされていた。


 なんだというのだろう。この異様な感覚は。

 空気の密度が濃いというか、息をするにも胸が圧迫されるような感じがする。


 一瞬だけたじろいだスノウだったが、ぐっとこぶしを握ると、司令官の座る机の方に居住まいを正した。


「失礼します。明日の予定についてご説明を──」


 だが次の言葉を言おうとして、喉が詰まり息を止めた。


 椅子に背を預けた司令官の瞳が、赤く輝いたように見えたのだ。


「──ッ‼」


 思わず身体が硬直する。

 


 暗闇に潜む獣の目のような、危険な赤。 



「ロウ少尉?」


 ゆったりと腰掛け窓の外を眺めていた司令官が、顔だけをこちらに向け、薄い笑みを浮かべた。

 赤い瞳を不気味に細めて──



 だがスノウが一度まばたきをすると、司令官の瞳の色は淡褐色に変わっていた。


「ロウ少尉? 何かありましたか……?」

「あ、い、いえ……」

「明日の予定がどうかしたのかな?」

「失礼しました。明日は基地の全体朝礼がありまして──」


 スノウは自身の手帳に書かれた事務的な内容を読み上げた。

 だがその最中もあの赤い瞳が脳裏から離れない。



 見間違いだったのか?

 いや、でも確かに見た。


 前にも、あの『赤』を、どこかで……








 違和感を拭えないまま、新司令官が着任して瞬く間に一週間がたった。


 その間には着任式をはじめに、報道機関へのお披露目、基地所属の一般兵士らへの紹介と、予定されていた行事がいくつかあったが、新司令官はなんの問題もなくそれをこなした。


 本当に、一つも問題がない。


 何をするにも実にスムーズなのだ。それは副官としては喜ばしいことなのだろう。


 だが違う。

 何かが。


 ことがスムーズに行けば行くほど、違和感が拭えない。


 自分は、どこかおかしくなってしまったのではないか。真剣にそう思い始めていた昼休み──。


 士官食堂のテーブルでひとり昼食を摂りながら、皿の中のスープを見つめていた。

 なんとなくスプーンでそれをすくいながら、ぼんやりしている自分に気が付いて陰鬱な気持ちになる。


 何をやっているんだろう。

 俺は、こんな人間だったか?


 スプーンを置くと、くしゃりと髪の毛に手を突っ込む。



 ふいに視界の端から白い割烹着の女性が近付いてきた。

 この食堂で給仕をしている女性。

 食堂のおばちゃんだ。

 おばちゃんは隣のテーブルの上を布巾で拭いている。


 白い手ぬぐいをかぶった頭の髪はブロンドで、くりっとした緑の目をしている。

 意識して見てみると、意外にもおばちゃんというには失礼なほど若い女性だった。


(……どこかで見た顔だな)


 この食堂ではなくて、別の場所だった気がする。


 だだっ広くて、建物も何もない場所。

 砂混じりの乾いた風が吹く、懐かしい場所──


(どこだったっけ……?)


 思い出そうとしたが、いくら記憶の中を探ってもそれ以上は出てこなかった。

 とても大事な場所だったはずなのに……。


 ただ、この男にはいつも苦労をさせられていた。

 なにせこいつはタフな上に、救いようのない馬鹿な男で──



(……なんで俺、こいつがこんなナリをしているが男だって知ってるんだ……?)



 こいつの名前は……?




 どうしても思い出せない。




(戻ろう……)


 食事を半分ほど残したまま食堂を出た。






 司令部庁舎の裏にある喫煙スペースを通り抜け、裏口から中に入る。



 どうしたのだろう。

 何かがおかしい。まわりも、自分も。



 副官室に戻ろうと、階段を一段一段上がる。

 やたらと足が重く感じた。


 階段の踊り場に差し掛かり、壁に掛かった大きな鏡が目に入った。


 そこに映る自分の姿を見る。


(俺、こんな姿だったか──⁉)


 愕然とした。


 そこに写っていたのは、長い黒髪を肩に流した細身の男だったのだ。


 透き通るような白い肌に、紫色の瞳。


 恐る恐る頬に触れると、鏡の中の自分も同じく頬に触れる。


(誰だ? これ。俺なのか?)



 いや、そもそも

 ()()誰だ……?



 名前は……?


 エルド・ロウ?

 陸軍少尉で、基地司令官の副官で……


 違う。それは本当の姿じゃなくて……


 じゃあ本当の名前は……?




 俺は……何者だ?






「なかなかしぶとい……」


 背後から声がして振り返ると、上の階から司令官が階段を降りてきていた。


「司令官……?」

「もはや自分の名前も思い出せんのだろう?」


 にいっと嫌な笑みを浮かべて司令官は言った。

 その目は、血のように赤く輝いている。


 執務室で一瞬だけ見えた目だ。


「もう少しだ。すべて消し去れば、そなたの中には『レイ』だけとなる」


 レイ?



 俺はレイなのか……?



 鏡に写った姿をもう一度振り返った。


 鏡の中の自分に手を伸ばす。

 ただ冷たいだけの鏡の感触。




 これが俺の本来の姿なのか……?



 わからない。


 教えてくれ、誰か──







 ──約束して。あたしの事を、絶対に忘れないって……。




 誰かの声が聞こえた。


 本当に聞こえたのか。

 それとも、自分の記憶の中の声なのか。



 ──あたしの顔とか、カラダとか、全部……!



 でも、確かに聞こえる。



 ──手も、足も、指も。



 誰だろう。



 ──目も、耳も、口も、声も

 そんなの無理だよ‼

 自分のことも思い出せないのに‼




 ──絶対、約束ね‼





 約束……。




 ……俺は、約束したんだ。




 『彼女』と。



 

 大きく息を吐いて、顔を上げる。

 そこは階段の踊り場。


 

 そうだ。

 彼女とはこの踊り場で会った。



 大きな瞳を見開いて、俺を見上げていた。

 本物の宝石のような、琥珀の瞳をして。


 何か喋ろうとしていたんだ。

 泣きそうな顔をしながら。



 あの時は、なんて言いたかったんだろう。

 


 ああ、でも、今なら分かる気がする。


 彼女はきっと、こう言いたかったんだ。




「やっと会えたね」って──……








 ピキ、パキ、パキッ……



 どこからか、薄氷が割れるような細かい亀裂音が聞こえた。

 その直後、

 

「ああ、ああ──ッ‼」


 司令官が叫んだ。


 見ると彼は、両手で頭を抱えながら苦悶の表情を浮かべている。


 どうしたというのだろう。

 

 苦しげに背中を丸める司令官の姿に、こちらの背筋も強ばる。


「なぜだッ!? なぜ出てこようとするッ!? お前はもうわたくしの一部なのだ。勝手な行動は許さん‼」


 そう吠えた司令官の顔を、裂ける音とともに縦に亀裂が走った。


 司令官はひぃっと小さな悲鳴をあげて、両の手に更に力を入れてこめかみを押さえた。


 そう、押さえているのだ。

 両手で、頭を。


 だがいくら押さえつけても、頭の先から入った亀裂はどんどん体中に広がっていく。


 司令官の顔、腕、指の先に至るまで、網の目のように亀裂が伸びていく。


「まさか、そんなッ‼ ルディアお前、ツルギを捕食したわけではなかったのか──⁉」


 司令官が仰け反るようにして天に向け言い放った。


 その言葉を合図に、鼻先からバラバラと司令官の身体が崩れ落ちる。


 いや、崩れているのではない。


 剥がれ落ちたのだ。司令官の表面だけが。




 そして、まるで羽化をする雛鳥のように殻を破って、中から現れたのは──、



「良くやった! さすがあたしの副官ね‼」



 琥珀の少女だった。








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