第24話 魔女の記憶2
目を閉じていても、視界は真っ白だった。
それほど強い光だったのだ。
だが、しばらくして光は収まった。
太陽が雲に隠れるように、真っ白だった視界がふっと弱まったのだ。
恐る恐る目を開くと、スノウは一人になっていた。
ルディアも、セシリアも、イオラの姿もない。
あるのは黒いシミのように開いた、洞窟の入口だけだ。
スノウは誘われるように歩を進めた。
洞窟の中へ──。
洞窟の中は細く長い道が続いていた。
岩がむき出しの壁には、松明がパチパチ音をたてて燃えている。
その松明に照らし出され、狩りや儀式の様子を描いた壁画が見えた。
それは以前にも見たものだったが、いま目の当たりにしているものは、たった今描かれたばかりのもののように鮮やかな色をしている。
スノウは一度だけ来た道を振り返った。
不思議なほど静かだ。
迫ってきているはずのバーウ兵士たちの声も、逃げ惑うツラの民の声も聞こえてこない。
まるでこの通路だけが空間から切り離されてしまったかのように、何の音も聞こえてこなかった。
スノウは正面に向き直ると、洞窟の更に奥に向かった。
(この奥は広くなっていたはずだ……)
ホルガルドを探して、洞窟の奥には以前にも行ったことがある。
広場のようになっていて、中央が大きく陥没していた。
「──ッ‼」
広くなった場所にたどり着いたスノウは、目前の光景に目を見開いた。
以前来た時にはあった陥没穴が無かったのだ。当然その周りの安全柵も無い。
穴の代わりにそこにあったのは、青いガラスをはめ込んだかのように透き通る泉。
あの陥没穴は、もともとは水で満たされていたのだ。
そして、その真ん中にたたずむのは──…
「司令官ッ‼」
少女だった。
心の底から会いたいと願った少女。
スノウは躊躇うことなく水の中に足を踏み入れた。
深さは腰のあたりまであるが、水は凍えるほど冷たいわけでもない。むしろ暖かささえ感じるほどだ。
バシャバシャとしぶきを立てながら少女に駆け寄る。
「司令官ッ‼」
司令官の細い両肩を掴み上げると、彼女は驚いた様子で顔を上げた。
「スノウ……?」
彼女の唇が自分の名を紡いでいる。その事実に心の奥から込み上がるものを感じ、スノウは言葉を詰まらせた。
「──ッ、あなたという人は! 一体どれだけ人を振り回せば気が済むのですかッ‼」
もっと他に伝えたい事はあるはずなのに、口から出たのはそんなどうでもいいことだった。
それでも司令官は嬉しそうに、だが少し悲しげに笑みを作り、スノウの腕にすり寄った。
「ごめんね。助けに来てくれたんだね……」
「──ッ‼」
力加減なんか構わず、少女を腕の中に閉じ込めた。
何も言えない。
伝えたい事は、あるはずなのに──。
「……ありがとう。嬉しい。好きだよスノウ」
「──なッ‼」
「あたしが生きてこられたのは、あなたがいたから──」
「こんな時になにを言って──」
「あなたに出会えたから、今のあたしがあるの」
「やめろ──」
「今までたくさんわがまま言ってごめんね」
「やめろ──ッ‼」
抱きしめる腕に更に力を込めてスノウは叫んだ。
頼むから。
まるで永遠の別れみたいなことを言わないでくれ。
「何を言っているんですかッ‼ すぐにここを脱出します‼ セシリアは、あなたもろともルディアを捕食するつもりだ。ぐずぐずしていられません‼」
少女の腕を掴み引こうとするが、何故か少女の身体は少しも動かなかった。
「──ッ⁉」
司令官は胸の下の辺りまで水に浸かっている。だが全く動けないというほどではないはずだ。
スノウはもう一度司令官の両肩を掴んで引き寄せようとするが、やはりまったく動かなかった。
「あたしはいいから、スノウはここから離れて」
「嫌です。あなたと一緒でなければ‼」
スノウはなんの迷いもなく言い放った。その言葉に、司令官が目を潤ませて黙る。
「私はあなたの副官です‼ あなたと一緒でなければ何の意味もない‼」
離れるものか。そんな命令には絶対に従わない。
「……ダメだよ。スノウも言ったでしょ? もうすぐセシリアの捕食が始まる。だから、あたしたちも急いでるの…」
スノウは動きを止め、少女の宝石のような二つの琥珀を見返した。
「……あたし、たち?」
一体誰のことを言っているんだ?
セシリア? いや違う。
ユリヤか──?
「もう、あたしはここから動くことはできないの──」
「え…?」
「半分以上、融合しているから。あたしと……、ルディアは──」
「──ッ⁉」
スノウはその言葉を聞いて気付いた。
司令官の身体は水に浸かっているわけではない。
彼女の胸から下が、水になっているのだ。
「なッ──⁉」
スノウの目の前で、見る間に司令官の肩や顔が色を無くし透明になっていく。
「約束だよ。絶対に忘れないで。あたしのこと」
「司令官ッ‼」
「スノウが忘れなければ、もとの形へ戻れる」
「戻れる? ──ッ‼」
少女の透き通った身体がゆらゆらと揺れ始める。
「ツ──‼」
名を言い終わらぬうちに、それまで少女だったものは完全に液体になった。
掴むことが出来ず、指の間から滑り落ちる。
「ツルギッ‼」
少女は返事を返すこともないまま、池の水と一体となり、ざーっと湖面に消えていった。
そんな。
ここまで来たのに。
せっかく、会えたのに。
まだ何も、伝えられてないのに──……
「ロウ少尉?」
……
「ロウ少尉!」
……ロウ?
「時間は大丈夫ですか?」
……時間?
「起きてください、副官ッ‼」
ばっと身体を起こし上げると、そこはどこかのオフィスのような場所だった。
自分は、執務用の机に突っ伏してうたた寝をしていたらしい。
「副官……? どうかしました?」
目の前には、何故か軍服姿のヒメルが立っている。
「セイジョウ。お前、なんでここに──?」
「私、いつもこの時間には出勤してますよ」
「出勤?」
わけが分からず、スノウは改めて周りを見やる。
卓上には支給品のノートパソコンと電話機。
机の前には黒革のソファーセットが置かれ、部屋の左右に分かれて、向かい合った二つのデスクと、茶器戸棚が設置されている。
ここは──
(──ッ‼ 副官室‼ ガンデルク基地の副官室だッ‼)
そう思った途端、またぐにゃりと世界が歪む。
スノウはふらついて机に寄りかかった。
「わっ、ちょっ、だ、大丈夫ですかッ? もしかして昨日も徹夜だったんですか? 新司令官の着任でお忙しいのはわかりますが、少しは休んだほうが──」
「なんだって?」
新司令官の着任?
「す、すいません。それどころじゃないですよね。もう到着しちゃいますもんね、新司令官」
「どういうことだッ?」
(過去に戻ってる? いや、違う。これは──、俺の記憶?)
「え? あ、いや、すいません。スエサキ軍曹が連絡してきた時間からすると、そろそろ司令部に着く頃かな〜って思ったもので…」
今日、到着する。司令官。
……司令官?
「そうだ。ガンデルク……基地司令官。名前は……」
名前……?
「えっと、はい、ちゃんと資料を見て覚えましたよ。ハインロット大佐ですよね!」
ハインロット?
「あ、ああ。そうだったな…」
スノウは混乱した。頭の中にモヤがかかったみたいだった。
司令官の名前が出てこなかったのだ。
忘れてはいけないはずなのに。
彼女を。
……彼女?
女性なのか……?
司令部庁舎の正面玄関前に、基地司令官専用車が滑り込んだ。
運転席に座るのはトーマ・スエサキ軍曹。
奴には何か言いたいことがあった気がするが、顔を見る前に忘れてしまった。
まあいい。大したことではなかったのだろう。思い出した時に聞けばいい。
車寄せに黒塗りの車両が止まる。
後部座席のドアを開けると、中から将校の軍服をまとった人物が降りてきた。
「ああ、ありがとう」
ガンデルク基地、新任司令官。ツルギ・ハインロット大佐。
ふわふわと揺れる明るめの茶色い髪に、ヘーゼルアイの瞳。年の頃は四十半ばといったところか。すっと通った鼻筋とわずかに上がった口角。誰もが認めるであろう美丈夫だ。
「ようこそガンデルク基地ヘ。私は副官を務めます。エルド・ロウ少尉です」
姿勢を正し、挙手敬礼をしながらスノウは第一声を放った。
「君がロウ少尉か。はじめまして。この度、ガンデルク基地司令官を拝命し着任しました、ツルギ・ハインロットです。よろしく」
──よろしくね。
(……ッ?)
何か頭の中で映像が浮かんだ気がした。
(……前にも一度、同じようなことがあったような……?)
いや、そんな訳がない。そもそも軍に潜入する任務は今回が初めてなんだ。同じようなことなんてあるはずがない。
「ふ、副官?」
ヒメルに小声で声を掛けられ、スノウは我に返った。
困惑した顔のヒメルがこちらを見ている。
(──しまった!)
「失礼しました。執務室へご案内します」
スノウは平静を装い庁舎内へ踵を返した。
(どうしたんだ、俺は……?)
スノウは司令官を先導して階段を上がりながら、胸中で首を傾げていた。
なんだか調子が狂う。
なんだろう。この違和感のようなものは……。
「どうしたんだよ、ぼけーっとして。お前らしくねえな」
士官食堂で昼食をとっていると、真っ白い割烹着に白い長靴。頭に手拭いというなんとも気の抜けた格好のサンダースに遭遇した。どうやら食堂のおばちゃんとして潜入しているらしい。
「……どうしたはこっちの台詞だ。お前、こんな所で何してるんだ?」
「何って、食堂のおばちゃんだけど」
「それは見ればわかる」
情報収集が任務のはずが、こんな所を彷徨っていてなにか役に立つのかという意味だったのだが、どうもこのバカには伝わらないらしい。
「そんなことより、どうなんだよ? 仕事の方は順調なのか?」
サンダースは空いたテーブルを拭きながら、こちらにぎりぎり聞こえる声で言った。
対するスノウも食事の手を止めることなく答える。
「今のところはな。ただ……」
「ん?」
ずっとくすぶっている違和感。
その正体が何なのか、どうにも引っかかる。
だが、
スノウはそれをサンダースにうまく説明することが出来そうになかった。
サンダースの理解力の問題だけではない。
スノウ自身もよく分かっていないこのモヤモヤした感じを、上手く言葉にできないのだ。
「いや、何でもない……」
「なんだよ。変なヤツ」
サンダースはそう言って口を尖らせた。
「おい。そう言えば、ここにはアイツがいただろう」
「は? アイツ?」
「あのガラの悪いエセ王子が──」
言いかけて、スノウは言葉を切った。
(エセ……、王子──? って誰だ?)
自分でも、何のことを言っているのか分からない。
一瞬、脳裏に顔が浮かんだはずなのに──。
「エセオージ? 何だよそれ」
手を止めてキョトンとするサンダース。
だがそれとは目を合わせずに、スノウは席を立った。
そのまま食堂の出口へ向かう。
何かがおかしい。
任務を与えられ、村を出てから今まで順調に来ていたはずなのに、どうしたというのだろう。
士官学校を経て、基地司令官付きの副官に任命され、新任司令官が今日着任した。
おかしなところは何もない。
それなのに、何だというのだろう。この違和感は──
上手くピースがはまらないような感覚。
そして、ふっと頭の中に浮かんではかき消されていく『何か』──
今まで感じたことのない胸騒ぎを覚えながら、スノウはその場を後にした。




