第23話 魔女の記憶
スノウの足は虚空を駆けていた。
地面を蹴っている感覚がない。
前に進んでいるのかいないのか──。
辺りは暗闇に包まれ、一寸先も見えない。
ここはどこなのだろう。
その疑問に答えられる者は、誰もいない。
だがスノウは足を動かし続けた。
とまったら、そのまま落ちていってしまう気がする。
落ちる……?
──どこに?
分からない。でも、どこかへ──。
だから、足はとめなかった。
しばらくして、微かに風の音がするような気がして耳を澄ます。
そうかと思うと、不意に足に何かが触れた。
動かし続けた足が地面を捉えたのだ。
どこかに着いたのだろうか……。
気付くとそこは森の中だった。
視界いっぱいに広がる薄暗い森。
(ここはどこだ……?)
周りを見渡すと、少し離れた場所に何か人工物が点在しているのが見えた。
さほど高さはない。
三角屋根の丸太小屋が、屋根部分を残して地面に埋まっているような、そんな形をした建物だった。
よく見ると屋根の表面には苔や下草がびっしりと生えている。
(これは……、住居なのか?)
やけに原始的な家だな。そう思っていると、突然、その家の扉が乱暴に開いた。
同時に中から女性の悲鳴が聞こえ、屈強な男が飛び出してきた。
男は毛皮のマントを羽織り、皮の甲冑を肩や胸に当てている。それ以外の部分は動物の皮のようなものをまとっただけの格好。
モジャモジャの髭を生やしたその男は、大きなナタのような刃物を振りかざした。
「行け、行け‼ 手を止めるな‼ 全員殺すんだッ‼」
男が建物の中に向かって叫ぶと、中から別の男たちがぞろぞろと出て来た。
皆、最初の男と同じような格好で、それぞれ咆哮を上げながら森の中に散って行く。
そのうちの一人が、スノウの方に向かって近付いて来た。
(見つかったか──⁉)
筋肉の塊のような身体がのしのしと真っ直ぐこちらに歩んでくる。
スノウは自分の腹部に手をやった。
服の下にあったはずの拳銃はない。
当然か。あれは肉体と共に置いてきた。
他に武器になるような物はない。
(素手で戦うしかないな……)
スノウは身構えた。負ける気はしないが、安心もできない。この場所がどういう所なのかも分かっていないのだ。
神経を研ぎ澄ませる。
しかし異変に気付き、スノウは構えた拳を下げた。
甲冑を付けた男が、目前まで近付いても一向に立ち止まろうとはしないのだ。スノウの間合いに入っても、構わず突き進んでくる。
「なにッ⁉」
正面からぶつかるかと思ったが、驚くことに、男とスノウはぶつからなかった。
触れたという感触もない。
まるで幽霊にでもなったかのように、吸い込まれるがごとく身体がすり抜けたのだ。
甲冑の男はスノウの背中側にでると、全く動きを止めることなく歩き去って行く。
(どういうことだ──?)
スノウは自分の身体を見下ろした。
しかし身体には何の異常もない。
(今の俺は、実体がないのか……?)
もう一度住居がある広場の方を見た。
甲冑の男たちが散っていった先では、怒号や悲鳴が飛び交う。
「おいッ‼ 誰かッ‼」
スノウは叫んだ。
しかし誰も、スノウの姿を認識している者はいない。
住居から飛び出してきた女や子供も、逃げ惑う老人も、誰一人スノウの姿を視界に捉える者はいなかった。
(誰も、俺の姿が見えていないのか……)
スノウは呆然とした。
今の自分には、甲冑を纏った男たちが殺戮を行う様を、ただ見ていることしかできない。
やがて三角屋根の住居の一つから火の手が上がった。
燃え上がる炎の爆ぜる音に、断末魔の叫び声が重なる。
何だこれは。
俺は、何を見せられているんだ。
(……見せられている──?)
ふと気付いて、スノウは周りを見やった。
森の木々も丸太の家も、倒れた人々の姿もはっきりと見えるのに、触ることが出来ない。
(そうか、実体がないのは俺じゃない。俺以外だ…‼)
これは、
──誰かの記憶なのだ。
(一体、誰の……?)
丸太を組んだだけの原始的な住居。
皮の服を着た男たち。
明らかに現代の姿ではない。
まるで古代。
セシリアやルディアが生きていた時代のようではないか。
(きっと、どちらかの過去の記憶だ…)
そう思うと、ここがどこか分かった気がしてきた。
スノウは走った。
森を抜け、建物が密集している場所を目指す。
(ここは、……ツラ遺跡なんだ!)
いや、今は遺跡ではない。
実際に生活する者がいる生きた都市。
甲冑の男たちに襲われていた住人は、この古代都市に暮らすツラの民なのだ。
森を抜けると石畳が敷かれた街道に出た。山の傾斜に沿ってくねくねと道が伸びている。
街道脇の山肌には丸太の住居が隙間なく建てられていた。
さっきの甲冑の男たちはここでも暴れ回っていた。しかしツラの民もやられてばかりではない。
ツラの兵士と思われる、こちらも甲冑姿の男たちが、必死の抵抗を見せている。
襲撃者と鍔迫り合いをするツラの兵士の脇をすり抜け、スノウはある場所を目指した。
サンクアラ考古学研究所に侵入した際に見た、遺跡の地形を思い出しながら走る。
目指すのは、切り立った崖の間に造られた、洞窟神殿。
ルディアが発掘された場所だ。
ルディアがいるところに、きっと司令官もいる──‼
「あった。あれだ!」
住居が集まる場所を抜けて街道を登っていくと、先の方に切り立った崖が見えた。
洞窟神殿の入り口は、あの絶壁の岩肌に開いている。
岩の割れ目に入口を見つけた時、中から松明を持った人影が出てくるのが見えた。
何かの儀式の為の衣装なのか、袖や裾の長い服を着た男だった。
先程の惨状の中で見た人々とは明らかに異なる格好をしている。
王族か、神官だろうか。
首からは宝玉でできた数珠を下げており、その先には手中に収まるほどの石板が付いている。
石板には、なにやら文字が刻まれていた。
初めて見るスノウには読むことができなかったが、ステファンがこの場にいたのなら解読することができただろう。その石板は出土品の中にあったものと同じだった。
だがそんなことは知る由もないスノウは、神官のような男をじっと見つめた。
しかしその人物もやはりスノウの姿は見えていないのか、こちらに目を合わせることはない。
その代わり洞窟の中に向かって松明を掲げ、声を上げた。
「さあッ‼ 早くッ‼ じきにここにも敵がやって来ます」
(中に誰かいるのか?)
スノウは目を凝らして洞窟の入口の方に視線を向けた。
「イオラ、待って。一体、なにがあったというの?」
落ち着いた女性の声。
その直後に現れた人物に、スノウは息を呑んだ。
松明の明かりに照らされて浮かび上がったのは、深い青──。
それは髪の毛の色だった。
長く垂れ下がった髪が、女性の身体の外側を包むようにうねりながら流れている。
白い顔には、松明の光が差し込んできらめく青い双眸があった。
(ルディア──‼)
間違いない。
魔女ルディアだ。
そしておそらく、これが『青き女神』として君臨していたときの姿──。
ルディアにも、スノウの姿はみえていないようだった。いくらじっと見つめても視線が合わない。
ルディアは不安げな表情でイオラと呼んだ男のそばに寄った。
「バーウが攻めてきたのです。応戦してはいますが、敵兵の数が多くて防ぎきれない。一旦退却し、形勢を立て直します。兵が足止めしている間に早く‼」
「しかし、神殿の者たちがすべて退却してしまったら、残されたツラの民はどうなる──⁉」
ルディアが追求すると、男は苦渋の表情を浮かべた。
「……お気持ちはわかりますが、すべての民を連れていくことはできません。まずはあなたの身を守らなければ。神であるあなたを失うことがあっては、巻き返すことすら難しくなる!」
「そんな、民を見捨てるというのか……⁉」
「……それも致し方ありません」
ルディアは打ちひしがれた様子で肩を震わせた。だがすぐに口を引き結ぶと、鋭く細めた瞳をして顔を上げる。
「バーウなど、私の魔術の前では取るに足りない……。一人残らず、消し去ってしまえば良い!」
(魔術を使って排除する気か……⁉)
「そうはさせぬ」
ルディアとツラ人の男──イオラは、揃って声のした方へ顔を向けた。スノウも同じく振り返る。
そこには薄暗い森の中でも燃えるように赤く見える、長い髪の女性がいた。
(セシリア──‼)
サラサラと音がしそうなほど真っ直ぐな赤い髪を揺らし、セシリアは悠然と近付いてくる。
だがやはりスノウの姿は見えていない。スノウの前を通り過ぎ、ルディアとイオラの前に立った。
「人間への過剰な干渉は害を生む。魔術で滅ぼそうなど、許すわけにはゆかぬ」
「過剰な干渉、だと? 笑わせるな。バーウを焚き付けたのはお前なのだろう──⁉」
(──なんだって?)
焚き付けた?
バーウ、というのがあの甲冑をまとった屈強な男たちのことだとしたら、奴らにツラを襲撃させたのはセシリアだということなのだろうか。
セシリアは無言のまま答えない。
「バーウの兵士にツラを襲わせて、ツラと共に私を消すつもりなのだろう⁉」
ルディアになじられても、氷のように冷たい笑みを見せるセシリア。あの目は、スノウにも見覚えがある。
ルディアを封じるには、司令官を犠牲にするより他にないと言った、あの瞳だ。
「……消しはしない。一つになるだけだ」
「同じことだ‼ ここを離れなければならないのなら、今の私が消えることと変わらない‼」
「……なぜだ? なぜそこまでこの場所にこだわる? さして暮らしやすくもない、こんな辺鄙な場所に…」
「場所の問題ではない‼ ここは…、ここには、私の愛する者がいる‼」
「愛する……?」
理解できない。という顔でセシリアが眉を寄せた。
「──そんなものは錯覚だ」
いま目の前に立つセシリアは、まだレイと出会う前。この時の彼女に、人間に対する愛情はない。
だからこんなにも冷たく感じるのだろう。
今は、対峙するルディアの方がよほど血がかよった人間に見える。
「わたくしたち魔女に、そんな感情は必要ない。お前のその感情が本当に愛だとしても、大いなる流れに戻ればすぐに消えて無くなる。わたくしたちは、もとよりそういう生き物だろう」
そう語るセシリアの表情は静かな湖面のように凪いでいる。
何処か、造り物に感じるほど──。
「私は…、今の私を無くしたくはない。この感情を…、イオラを…、忘れたくはない……‼」
言葉をつまらせながら、ルディアが何回もかぶりをふる。
スノウは呆然とその様子を見つめた。
そして耳から入ってきた言葉を反芻する。
忘れる……?
そういう生き物?
なんの話をしているんだ?
「彼のそばにいれば、私は私でいられる……」
ルディアは愛おしげにイオラを見つめる。
「例え身体を失っても、彼が私を忘れない限り、私の心は、ずっと今の『形』を保っていられる…」
「ルディア様……」
どちらともなく、二人は寄り添った。
それを見て、セシリアの眉がひくりと跳ねる。
「愚かな……。一時保っていたとて、それがなんだというのだ。特定の人間に執着したところで、人間とわたくしたちとは時間の長さがあまりに違う。ずっとそばにいることなど、できるわけがない」
「いいえ、できる」
「どうやって? 死んだ人間の魂は、地上に留めておけぬのだぞ!」
「だが杭を打てば、留めておける」
「なッ!? あの術は禁呪だ! それを人間に使うというのか? 魂の生まれ変わりを阻害するぞ! いや、それよりも。留めてどうするというのだ? 魔女と同じように、新しい器を用意するとでも言うのか!?」
「見つける。必ず見つける! 新しい器を!」
強い決意をにじませた口調でルディアが言い放った。
だが対するセシリアは、ルディアと言葉を交わすたびに不機嫌な顔になっているようだった。苛立たしげに眉間に縦皺を刻む。
「セシリア。私たちの地上での役目は終わったと言うのなら、私はこれから、魔女としてではなく、人間として生きる。ここで永遠に、彼と一緒に──‼」
「そんなことは許されないッ‼」
セシリアの言葉に、ルディアは吹き出すように息を吐いた。
「許されない? 一体、誰の許しが必要なのだ? 『大いなる流れ』に許しを請うとでも? とっくの昔に使用者のいなくなったガラクタに……?」
「──ッ‼ おのれッ……‼」
「セシリア。お前も心の奥底では気付いているのだろう? 魔女の役目など、すでに無意味…」
「うるさい、黙れ‼ 意味があるかどうかなど、わたくしたちの考えるところではない。与えられた使命を果たす。魔女にできることはそれだけだ‼」
「……そうだな。我々は本来、そう考えるように造られている」
(造られている──?)
誰に……?
哀れみの目を向けられたことに、セシリアはますます歯ぎしりが聞こえてきそうな表情を見せた。
だがふっと顔の筋肉を緩め、冷たく低い声を吐く。
「考えが変わった。お前のような思想を『大いなる流れ』の一筋に入れるのは危険だ」
「どうすると言うのだ?」
「ここに封印する。案ずるな。誰の目にも触れぬよう、わたくしが監視し続ける──永遠にな‼」
そう叫んだセシリアの身体が急激に発光しだした。青白い光はやがて突き出した手のひらに収れんしていく。
「ルディア様ッ‼」
ルディアを守ろうと、イオラが彼女の前に出る。だがセシリアは構わずに、更に光を圧縮していく。
(──駄目だ、はじける‼)
次の瞬間、目の前が白い光であふれ、何も見えなくなった。




