第21話 少女の元へ
どうする。
どうしたらいいんだ。
スノウは砕け散った鏡の破片を見つめながら必死に考えていた。
破片を集めたらなんとか繋げられないかと思った。
壁には、枠だけになった鏡の残骸が残されている。隅に割れ残った部分があるのが見え、咄嗟に触れてみたが、何も変化しない。ただの鏡に戻ってしまっていた。
アジトとの空間的つながりは完全に絶たれてしまったのだ。
「クソッ──‼」
ドンッ‼ とスノウは壁にこぶしを打ち付けた。
(落ち着け‼ 焦ってはダメだ…!)
こんなことをしている間にも、司令官に危険が迫っている。
(どうする。今から陸路でアジトに戻ったところで間に合うわけがない。他に何か方法がないか──…)
はっと気付いてスノウは顔を上げた。
(確かここにはヘリポートがあったはず‼ そこに配備されている航空機を使うか──?)
だがすぐに頭を振って考えを打ち消す。
(いや、それでも間に合わない──‼)
どうする⁉
焦るばかりで考えがまとまらない。
「スノウ──‼」
女子トイレに駆け込んできた人物に名を呼ばれた。息を切らせて駆け込んできたのはソールだ。
「もう‼ なんなのよいきなり‼ ちゃんと説明してよ‼ ……って、なにこれ」
そう言いながら、ソールは室内の状況を見渡す。
下見に来た時とは様子がだいぶ変わっていた。
床のタイルの上には砕け散った鏡。
中央には見知らぬ男が仰向けに倒れている。
「どういうこと? 何があったの?」
眉間に深いシワを刻みつつソールが尋ねる。
だが問い掛けられても、スノウには答える余裕が無かった。
「うああッ‼ なにこれ、どうしたの⁉ 鏡が割れてんじゃん‼」
ソールに遅れて現れたシュウが、室内の状況を見るなり驚いた様子で言った。
「……こっち側からじゃない。向こう側から割られた」
「えっ?」
ソールとシュウは揃って声が聞こえてきた方に視線を移した。
仲間の声ではなかったからだ。
声の主は、短いうめき声を漏らしながら、痛む身体をできるだけゆっくりと動かして起き上がる。
「どうする殺し屋。お前が来る前に、魔女はすでにここを通って行ったぞ。司令官の身体を奪いに──」
半身だけをなんとか起こし、トーマは告げた。
「魔女に喰われた魂は完全に消滅する。魔女はそう言っていた…。いいのか? 急がないと、お前の大事な司令官は、この世から完全に消えることになるぞ……」
トーマの顔は嘲るでもなく、かと言って気遣うわけでもない。
一刻を争うこの状況で、相手がどういう行動をするのか、ただ単純に興味があるというような顔だ。
「──クッ……‼」
スノウは唇を強く噛んだ。
(そんなことはわかってる……‼)
言われなくても、そんなことは百も承知だ。
だから、こうして考えているんじゃないか。
少女のもとに、今すぐ駆けつける方法を──‼
「……待って。魔女が、ここからアジトに行ったってこと? スノウ、どうするの⁉ アジトにはセグレトがいるわ‼」
戦闘能力がないセグレトの身を案じて、ソールが訴えた。ソールにとっては、司令官よりも仲間の命の方が優先される。
スノウだって、少し前だったらソールと同じことを考えただろう。
だが、今は違う。
自分は、魔女の騎士だ。
──いや、違う。そんなのはただの肩書きにすぎない。
魔女の騎士としてではない。ツルギという一人の少女を想う一人の男として、彼女と共に有りたいと願ったんだ──。
少女が、自分を忘れないでほしいと言ったあの夜、俺は離してと言われても、本当は握りしめた手を離したくなかったんだ──‼
『魔女に喰われた魂は完全に消滅する』
司令官がこの世から完全に消える?
彼女が消えたら、俺はどうするんだ?
また元の生活に戻るのか?
村に戻って、
今までどおり殺し屋の仕事をするのか──?
無理だろ。そんなの。
俺にはもう、彼女が消えてしまった世界になんて、何の意味も見出だせない──‼
「司令官の元へ行く方法は、……一つだけある──」
スノウは独り言のように小さく言葉をこぼすと、ソールに向かって右手を差し出した。
「ソール、お前なら持っているだろう」
「えっ…? なにを?」
ソールは面食らったように目を見開いた。
「お前なら、いつも持ち歩いているはずだ。それを、俺にくれないか?」
「は? いつもって……? なッ⁉ なに言ってるの⁉ アレを何に使うつもり⁉」
「もちろん、飲むんだ。俺が」
「あなた正気なの!?」
「ああ、俺は正気だ。どう考えても、それしか方法がない」
「ふざけないで‼ それしかって、そんなことしたらスノウ──‼」
「ちょっ、ちょっと待って‼ なに、どういうこと? 二人ともなんの話をしてるの?」
話の内容が掴めないシュウが、慌てて割って入ってくる。
ソールは困惑した表情のまま、目だけをシュウに向けた。
「私がいつも持ち歩いているって言うのは、……自決用の毒薬よ‼」
「はあッ⁉ どういうこと⁉」
「スノウ‼ あなた死ぬつもりなの⁉」
シュウとソール、二人に揃って詰め寄られても、スノウは怯まなかった。
「ああ、俺はそれしか方法が無いと思ってる。肉体を捨てるにはな」
「肉体を、捨てる、ですって……⁉」
何を言っているのか理解できない。
ソールの見開かれた茶色の目は、そう物語っている。
「魔女は、肉体を捨てても魂だけで生き続けられる。だったら、魔女の騎士も同じことができる気がするんだ」
「気がする!?」
「ああ、そんな気がする。肉体を捨てたら、司令官のところに行けるんじゃないかってな。やるだけやってみるしかない。どのみち、ただここにいるだけでは打つ手がないからな」
声にならない声を上げて、ソールが口をぱくぱくさせた。
凄い理屈だと我ながら思う。
でも確信もしている。
少女が俺を呼んでいる。そんな気もしている。
呼んでいる。俺の、魂を……。
「死ぬだけなら拳銃で頭を撃ち抜くこともできるが──」
撃ち抜くって本気で言ってるのか、という顔のシュウを一瞥し、スノウは続ける。
「身体に損傷ができると蘇生が難しいからな」
「蘇生……? そうか! セグレトが持ってる薬!」
合点がいったソールは表情が少しだけ和らぐ。
しかし置いてけぼりのシュウは仲間の顔を交互に見やった。
「え、ど、どゆこと?」
「いま私が持ってるものも含めて、セグレトが作った毒薬はすべて、アイツが持ってる薬で解毒することができる。時間制限はあるらしいけどね……」
万が一任務に失敗した時、組織の情報を漏らさないようにと持っている毒薬は、殺し屋全員が持っている訳ではない。
実際、スノウは持っていない。イカれ薬師の毒薬なんて持ち歩きたくないから。
セグレトの毒薬に解毒薬があることが判明したのは最近だ。
ターゲットと内通してた組織の裏切り者を問い詰めた際、目を離した僅かなスキに、そいつは持っていた毒を含んで自殺してしまった。
まだ聞き出したいことが残っていた為、しくじったと思った。秘密の漏洩を見過ごすと組織の崩壊に繋がる。
だが不意に現れたセグレトが、取るに足りないことだとでも言うように何かを飲ませると、しばらくして死んだはずの裏切り者が息を吹き替えしたのだ。
そのあと、ソールが盛大にセグレトを叱りつけていた。そういうのがあるのだったら早く言え、と──。
「そういうことだ。その間、俺は仮死状態になる。お前らは直ぐに陸路でアジトに戻り、セグレトから解毒薬をぶんどって来て俺に飲ませてくれ」
「そんなことできるわけないでしょ⁉ いくら解毒薬があるからって──」
ぶんぶんと首を振って拒否するソールは、言葉の後半を萎ませた。
無言でスノウが彼女の茶色い瞳を見据えたからだ。
心の中で念じた「頼むから了承してくれ」という思いが、口に出さなくとも通じる。それぐらい、ソールは日頃からスノウの考えを理解してくれる。
少し不憫なくらいに──。
「……分かったわ」
長く息を吐き出したソールは、胸元からペンダントを取り出し、チェーンの先に付いたロケットを開けて小さな丸薬を取り出した。
それを受け取ると、スノウはシュウ、その次にソールと順に顔を見た。
「後のことは任せた」
スノウはそれだけ言って壁際に移動すると、背中を壁に預けて床に腰を下ろした。
丸薬を口に含み、奥歯で噛み潰す。
味は良く分からない。
感じる前に、強烈な吐き気と頭痛、めまいを覚えた。
だがすぐに体中のすべての感覚が霧散していく。
その直前。
わずかに感じたのは、人の気配だった。
シュウでもなく、ソールでもなく、ましてやトーマでもない。
微かになびく長い黒髪。
あれは、
(……レイ?)
そこでスノウの意識は途切れた──……。