第16話 影の正体
控室に戻ると、先程の文官の男が戻ってきていて、室内に入ってきたスノウをジロリと睨んできた。
「こちらでお待ち下さいとお願いしていたはずですが、この者は今までどちらに?」
青白い顔に猛禽類の様な目をした文官がスノウの目をしっかりと捉えたまま言った。
しかしスノウに対して発した言葉ではない。
主人であるホルガルドに対して発した言葉だということは、言い回しで分かった。
「やあ、すまない。手洗いに行きたいと申したのでな。私が許可して行かせたのだ」
ホルガルドがわざとらしい身振りと声量で文官に返した。
学者であるホルガルドにそれほど期待していた訳ではないのだが、なかなかの演技力だ。
「王宮内を無闇に出歩かれては困ります!」
「わかっている、だからこうして謝っているではないか」
文官が槍玉にあげたのはスノウだけのようだ。ステファン&フローレンス役のシュウとソールは、貴族社会とは関係のない人間なので不問らしい。
トイレに行っていたのは事実なので、スノウ自身が弁明することもできるのだが、従者に扮している以上、この国の貴族の慣習では主人の許可無く勝手に喋ることができない。
黙したまま身を屈め、壁際に並んで立つジェイスとサイファスの隣に移動した。
案内役とは言っても、この文官も身分は貴族なのだろう。平民だとわかっている従者には恐ろしい形相を向けるが、上位者であるホルガルドに対してはそれ以上言えないのか、舌打ちでもしそうな渋い顔をし、わざとらしくため息を漏らした。
「陛下への拝謁が許可されました。ご案内いたします。私は外で待っておりますのでご準備を…」
そう言うと、文官の男は背を向けて部屋を出ていく。
「いいですか。これから先、勝手な行動は厳に慎まれますようにお願いいたします!」
バタンッと扉を閉め、文官の男は消えた。
「相変わらず、厭わしい方ですな…」
勢い良く閉められた扉を鬱陶しげに見やりサイファスが呟いた。
「サイファス、アイツのこと知ってんのか?」
ホルガルドの従者役の一人であるジェイスは、カラーコンタクトレンズのお陰で平凡な茶色に変わった目で隣に立つサイファスを見上げる。
「ええ。あの方はベラード伯爵。ヘンリーク国王の腹心と言われている方です。ベラード伯爵家は宮中伯を務めるお家柄。私が近衛隊長であった時にも、王宮で度々見かけたことがあります」
「え、ってことは向こうもお前のこと気付いてたんじゃねえの?」
「それはどうでしょう。ベラード伯爵は貴族の身分を持たぬ者を一様に卑しいと蔑むような方でしたからな。グラールの民に対する態度も同じ。私の顔など覚える価値もないと思っておいででしょう。それにしても、格上であるローゼス卿に対するあの態度。王の腹心と言えど、無礼が過ぎます。実に不愉快です!」
と、ぷんすか憤慨するサイファス。しかしぷんすかしているのはサイファスだけで、ホルガルドは呆けた顔をしているだけだ。
「叔父貴はどうなんだ。アイツのこと知ってんのか?」
「いえ、まったく存じ上げません」
きっぱりはっきり言い切るホルガルドに、ジェイスは生暖かい目を向ける。
「まあ、あれだな。山奥の古代遺跡に好きで籠もってるような叔父貴が知ってる訳ねえよな…」
それ以前に、このホルガルドという男は貴族社会自体に興味が無いのだろう。とスノウは思う。
「ねえスノウ。あんないけ好かない男よりも、僕はこのお城の中に全然人の気配がしないことの方が気になるんだけど」
感覚の鋭いシュウが天井を見上げながら言う。その視線が、単に天井に施された装飾を見ている訳ではなく、その先の天井裏を意識していることにスノウは気付いた。
「いるのか?」
「いや、いない。だから不気味なんだよ。こういう所は、大抵天井裏とかに人の気配の一つでもするもんじゃん? それがまったくしない。不自然なくらいに」
「確かに私も気になってたのよ。ここに来るまでに誰ともすれ違わなかったわ。全く誰とも。おかしくない?」
腕を組みながら傍らにやって来たソールも頷く。
確かに、裏どころか表にも、人の気配がしない。
「ああ、それな。なんかここの王様、他人に王宮をうろつかれるのが嫌いらしくて、最低限の人員しかいないんだと」
続き部屋の衝立の陰から何くわぬ顔で現れたサンダースを、ソールが睨みつけて責め立てる。
「ちょっとサンダースッ。あんた、今までどこ行ってたのよ!」
スノウたちがこの部屋に入ってきた時には、いつの間にか居なくなっていたのだ。
「いやあ、流石にメイドの俺が官吏のおっさんにサボってんの見つかっちゃまずいと思って」
そう言ってにへらぁと笑う殺し屋仲間に、ソールは舌打ちを食らわす。
しかし当のサンダースは「ああ、その感じ久しぶり!」と妙に喜び、恍惚とした表情をするものだから、ソールを更に苛立たせた。
「くだらないことをやってないで行くぞ。ここからが本番だ」
スノウが声を掛けると、ソールはふんっとサンダースに向けた顔を背ける。
そんな態度を取ったところでこの男は少しも堪えないのだから無駄だろうに。
「そうですな。スノウ殿の言うとおり。ここからが本番。皆様、油断召さるな」
サイファスはジェイス、ホルガルドと順に視線を投げかけながら言った。
ベラード伯爵の後について行くと、通されたのは謁見の間だった。
室内には赤い絨毯が道を作るように敷かれ、縦に長い部屋のその先には玉座の間より簡素ではあるが、それでも十分豪奢に見える椅子が置かれている。その場所は床よりも一段高くなっていて、王の威厳を無言で主張していた。
どこもかしこも圧倒されてしまうほど豪華な造りだったが、それでもやはり玉座の間に比べると狭く、装飾も簡素なのだという。
そう小さな声で教えてくれたのはサイファスだ。
玉座の間は儀式や式典の際に用いられるのに対し、謁見の間は国王が客人と対話をする為の部屋らしい。そのため室内には壇上に向かって逆ハの字に長椅子が並べられていて、ひとまずそこに掛けるようにとベラード伯爵は言った。
ホルガルドが王の椅子に一番近い場所に座り、以降序列順に椅子に座る。
スノウは最後尾の椅子に座った。
王の椅子の後ろには、床と同じく赤い色のカーテンが垂れ下がっていて、左右に分けてゆるく纏められている。緞帳の様な房飾りの付いたそのカーテンの奥には木製の扉があった。
「国王陛下をお迎えする時は立ち上がっていただきます」
ベラード伯爵はそう言うと部屋の隅に移動し、王の到着を待っているのかすました顔をして押し黙った。
この男自身は武器は持っていないようだが、騒がれると面倒だ。国王を捕らえる際には同時にこいつも黙らせなければならない。
反対側の長椅子に座ったジェイスを見やると、緊張しているのか実に神妙な顔をしている。
普段、粗野な物言いはするが、スノウたち殺し屋とは違い、もともと荒事には不慣れなはず。この先の行動を考えて、ナーバスになってしまうのは仕方がないだろう。
とは言っても、ここでジェイスにやってもらわなければいけない仕事は何もない。あるとすれば銀狼党の頭目としてこの場に立ち会い、仇敵の姿を自身の目でしっかりと見ておくぐらいだ。
やがてカーテンの向こうの扉がゆっくりと左右に開き、開いた先に誰かが立っているのが見えた。しかし扉の向こう側にも垂れ下がった紗のカーテンが邪魔をして顔までは見えない。
「ヘンリーク国王陛下のおなりです」
ベラード伯爵のその言葉に、ホルガルドは椅子から立ち上がる。それを見て、シュウとソール、スノウたち従者役3名も立ち上がった。
背を真っ直ぐにしたまま腰を折り、美しく頭を垂れるホルガルドに習って、スノウたちも頭を下げた。
ついにヘンリークと対面する事になるのか。
スノウは唇を引き結んだ。
カーテンの衣擦れの音がして、数歩足音が聞こえる。前方の面々が頭を上げる気配がしたので、スノウも顔を上げると、壇上の椅子の隣に非の打ち所がないほど洗練されたスーツを纏った男が立っている。
柔和に微笑む目元。口周りから顎にかけて短めに刈り揃えた髭がある。まさに好々爺。といった感じの男だった。
(この男が国王ヘンリーク!)
だが本物かどうかはわからない。
サイファスが言っていた様に影武者かも知れない。
(どうやって確かめるか……)
どの程度かはわからないが、ホルガルドはヘンリークが考古学研究所の責任者だった頃に関わりがある。ホルガルドに当時のことをそれとなく尋ねてもらい、本物かどうか見極めるか──
スノウが考えあぐねていると、遅れて顔を上げたサイファスがほんの少しの悲壮感を含んだ声で言葉を発した。
「やはり、そなたであったか…」
その場の全員が声の元に注目した。
サイファスはその視線を受けながら、真っ直ぐ国王を見つめている。
その姿から、サイファスの中には既に疑惑を確信に変える何かがあるのだとスノウは直感で分かった。
「この者は真の国王陛下ではありません。影人です」
そう言い切ったサイファスの声に迷いの色は無かった。さっき感じた悲壮感も、まるで最初から無かったように感じ取れない。
「影人? とは影武者のことか。それは本当なのかサイファス」
「なッ──何を言う無礼者がッ‼」
ホルガルドが真偽を確かめようとサイファスの名を呼ぶが、それに覆い被せる様に、ベラード伯爵は引き攣った声を上げた。
「陛下の御前で影武者などと、何という暴言…‼ 閣下‼ これは一体どういうことか‼ 貴殿の従者は何を考えている⁉ ことと次第によっては不敬罪で侯爵家もろともお取り潰しですぞッ‼」
怒りにわななきながらベラード伯爵は目を血走らせた。しかしサイファスは一向に怯むことなく、それどころか伯爵のことなど視界にも入れないで、国王ヘンリークの影武者と思しき男を見つめる。
つられてスノウも影武者の様子を伺い、そして一瞬目をむいた。
サイファスと同じくらい、影武者の男も動じていなかったのだ。
偽物だと言い当てられているというのに、先程と同じ柔和な笑顔を浮かべたまま身じろぎさえもしない。
どういうことだ?
本当に影武者だったとしてもこの泰然とした態度。この男、何者だ?
「これ以上は無理ですよベラード様」
不意に国王が口を開いた。
その声には困ったようなため息と、それでいて少しの笑みが混ざっていた。
「陛下ッ、何をおっしゃって──」
「この方々の前で、私はこれ以上国王陛下のふりをすることはできません。と申し上げたのです」
それを聞いたベラード伯爵の顔が見る間に赤くなる。口をぱくぱくとさせ、今にも怒りが爆発しそうだ。
どうしたのだろう。
影武者が職務を放棄しているのだろうか。
「おい、どういうことなんだ?」
じっと黙っていたというよりは状況が掴めていなかったのだと思われるジェイスが、訝しげにサイファスに問い掛けた。
「グラールの影人がいかに主に成り切ろうとも、私がこの者を間違えるはずがありません。何故なら、私の弟なのですから」
「はッ⁉ 弟⁉」
「はい。彼は私の七つ年若の弟、ルーファスです」
そう言って、サイファスはにこりと笑った。
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