第11話 忘れ得ぬ者
司令官とヒメルが玄関広間から去っていくのを見届けたスノウは、ひと息つこうとサイファスと共にリビングに場所を移した。
丁度いい。今朝方見たレイの夢から分かった事をサイファスに話しておこう。
今後の行動に大きく影響するだろう。
「親衛隊がツラ遺跡を管理している理由が分かったとは、一体どういう事なのですか?」
サイファスはリビングの中央にあるテーブルの上に、手ずから淹れたコーヒーを二つ載せたトレーを置いた。
ツラ遺跡とは、ローゼス侯爵ホルガルドが代表を務めるサンクアラ考古学研究所のことだ。
サンクアラ考古学研究所は、六千年以上前に存在していた古代都市ツラの遺跡に隣接して建設されている研究所で、先代国王の実弟ヘンリークが国王になってからは、国王直属の組織である親衛隊が厳重に管理するようになっている。
「ああ。あの遺跡は古代、ルディアが庇護していた場所だとセシリアが言っていた。ツラ人は魔女ルディアを神として崇めていたんだ…」
「それと、親衛隊が遺跡への立ち入りを禁止しているのと、どういった関係が?」
持ってきたコーヒーの片方を手渡しながらサイファスは言った。それを受け取るとカップの温かさがじんわりと手に伝わってくるのが分かる。
極寒の中を歩いて冷え切ってしまった身体にはこれだけでも生き返る心地がする。
スノウは立ったままコーヒーカップに口を付けた。
「ルディアにとってあの遺跡は重要な場所のはずだ。あの場所に留まり続けたいが為に、ルディアはセシリアと争うことになったんだからな……」
カップの中の焦げ茶色の水面が波立つ。
スノウの脳裏に、夢の中で見たセシリアの跪く姿が浮かんだ。
「結果、魔女ルディアは敗れ、地中深くに封印された…ということでしたな。あの場所が重要とは、一体あの遺跡には何があったのです?」
テーブルに掛けたサイファスは、自身もカップを手に取るとゆっくりと口元へ運ぶが、中身を含む前に尋ねた。
「俺もそれは疑問に思っていた。何がルディアをそこまでさせたのか。本来、魔女は人間自体にあまり興味はないはずなのに…。だが違ったんだ。何かが“あった”わけじゃない。そこには“いた”んだ。魔女ルディアの騎士が──」
「──? 騎士、ですか?」
元近衛隊長のサイファスにとって騎士という単語はスノウよりは身近に感じることだろう。それでも白髪の交じる眉毛を歪ませて彼は繰り返した。
「魔女の騎士が何の為にいるのか、はっきりした事は俺にも分からないが、ルディアはその騎士と特別な関係だったらしい…」
「特別な関係…? 特別…とは、例えば、恋仲だったとか?」
「そう考えていいと思う。ルディアは恋仲だったその騎士と離れる事を拒んだ。だからセシリアと敵対することになった」
「なんと…! しかし、本当にそのような個人的な感情で…?」
得心がいかないような表情でサイファスが言葉を切った。
王宮近衛騎士として個人的感情を常に押し殺してきたサイファスにとっては共感しがたい部分なのだろう。
だが、ルディアは魔女だ。
魔女は元より直情的な生き物なのではないかと、セシリアや司令官を見ていてスノウは思う。
「魔女の頭の中なんて、俺たち人間が推し量れるものじゃない」
「……そう、ですな。確かに…」
難しい顔で腕を組むサイファス。
魔女は人間とは違う感覚を持っている。ということには納得したようだ。
「セシリアはルディアを地中に封印する時、側にいた騎士をその場から吹き飛ばしたと言っていた。だからその後どうなったのか分からないと……。もしかしたら、それはルディアも同じなんじゃないか?」
「同じ…? と、言いますと?」
更に難しい顔をしてサイファスが顔を上げた。理解しようと必死に思案を巡らせる姿に、スノウは素直に好感を持つ。
「ルディアにも、自分の騎士がどうなったのか分からなかった。もちろん生きてはいない。六千年前の話だからな。自分が居なくなった後あの遺跡で死んだのか、それとも生き残って別の地に移り住んだのか分からなかったルディアは、自身の騎士を探した。その為に研究所に遺跡発掘を続けさせ、騎士の痕跡を探しているんじゃないのか…?」
「じゃあ、親衛隊が遺跡への立ち入りを厳格にしているのは?」
「……まだ目的のものが見つかっていない、ということもあるだろうが…、単純に、不用意に荒らされたくないからじゃないか。ルディアにとってあの遺跡は大切な場所だから…」
「しかし、騎士の痕跡とは具体的に何でございましょう。その場で果てていたのなら、人骨、でございましょうか?」
それはスノウにも分からなかった。
仮に騎士の骨が何処かに残っていたとして、それを探し当ててどうするつもりなのだろう。
「──もしかしたら、ローゼス侯爵なら何かご存知かもしれません。一度連絡を取ってみましょう」
「そうだな。それと、それに関連して侯爵に頼みたい事があるんだ」
「頼みたい事? 一体何です?」
「ルディアの目的が騎士を探すことだとしたら、俺たちはそれを利用するんだ。侯爵から親衛隊に上手く情報を流せば、あちら側から王宮へのお誘いが来るかもしれない。誘いがあれば、潜入しやすくなる……」
やはり難しい顔で、サイファスはこちらを見返した。
◆◇◆
研究室に籠もっていたステファンは、いつもの様に作業台の上に並べられた出土品の分別整理をしていた。
土器の破片や、ボロボロに錆びた装飾品の一部。生き物の亡骸と思われる塊。
見つかった場所ごとにまとめられた物を作業台に広げ、一つ一つ管理番号を付けていく。
冬のこの時期は、発掘作業自体は休止している為、外に出て行う仕事は殆ど無い。代わりに、今までに見つかった出土品を分類ごとに分けて整理をする、地味で細かい作業に一日の殆どを費やすのだ。
「ステファンくーん。終わりマーシタヨー」
コンテナボックスを抱えながら、部屋に赤毛の長身女性が入ってきた。
彼女の名前はフローレンス。ステファンの同僚だ。
研究員としては対等だが、正直、私生活では色々と尻拭いをさせられることも多い。
「これはドコに置きマースカー?」
独特のイントネーションでフローレンスが問う。
片言の共通語。これはもう彼女の個性と言っていい。
「ありがとう。そこに置いといて」
作業台の上にコンテナボックスを置くと、フローレンスがステファンの手元を覗き込んできた。
「何してるんデースカ?」
「何か、ここに文字みたいのが彫り込まれているんだよね…」
「文字…?」
ステファンの手元には手の平に収められるほどの、おそらくは石で出来た板がある。
数回ブラシで撫でてはみるが、現状はさほど変わらず、何が刻まれているのか非常に読み取りにくい。
「装飾品の一部みたいなんだけど、ここの文字、読める?」
「えー? ツラの文字デースカ?」
持っていたルーペを手渡すと、フローレンスは「それホントに見えてるのか」と突っ込みたくなるような近さでルーペを覗き込んだ。
「ウ~ン、読めまセーンネー」
「部分的には読み取れるんだけど、肝心な部分がよく見えないんだ」
「えーっと……ヲ、忘レエヌ…モノ?」
「やっぱそう読めるよね。何かを記憶して忘れないようにしておく人。記録官って事かな?」
「記録官? なにを記録スルのデースカ?」
「そうなんだよ。何を記憶しておくのかって部分が読めないんだよね。何にせよ、そういう国の役職の一種かな。これが役人の身分証明書みたいなものだったのかも…」
「始めの部分が読めるとイーノデースガ…」
「そうなんだよね〜……。あ、もしかしたら、ホルガルド教授なら判別できるかも!」
「オウ! そうデースネ」
フローレンスがぱっと顔を明るくする。と同時に、誰かが部屋のドアを開けて入ってきた。
「ギデラック。ちょっといいか」
「ホルガルド教授!?」
ステファンは心底驚いた。
まさに噂をすれば影がさす。たった今フローレンスと話していた当人がいきなり現れたのだ。
だが驚きの要因はそれだけではなく、普段、自分の研究室から全くと言っていいほど出ようとしない上司が前触れ無く姿を現したものだから、ステファンは妙に上ずった声を出してしまった。
「ど、どうしたんですか? 何か問題でもあったんですか?」
ステファンは焦った。問題が起きたのでなければ、彼がわざわざこんな所に出向いて来るはずがない。
「いや、別に、問題があった訳ではない」
「えッ? ……なら良いのですが……。では、何かボクに御用で……?」
問題が起きたからではないとすると、一体何だろう。ステファンは困惑した。
すると、何故かホルガルド教授までもが困惑した表情で頭を掻いた。
「先程サイファスから電話があって…」
「サイファスさんから…?」
サイファス・オズバントは、先代アルフ・アーウ国王時代の王宮近衛隊長で、レジスタンス組織『銀狼党』を創設した人物だ。
ホルガルド教授は表向きはサンクアラ属領の統治を任された高位貴族だが、裏では銀狼党の支援者として無償で屋敷の一つを提供している。
銀狼党とは最近まで絶縁状態だったのだが、親衛隊の監視の目を掻い潜って潜り込んで来た彼らと、なんやかんやあって和解し、今はサイファスさんとも連絡を取り合うようになったらしい。
「サイファスが発掘に関して親衛隊から何か指示を受けていないかと言うんだが……」
「指示?」
「具体的に何かを探すように言われていないかと聞かれた。親衛隊からの指示なんて私にはよくわからないから、後で連絡すると言って電話を切ったんだが──」
「教授、ご自分の研究以外の事はまったく興味ありませんもんね…」
普段の上司の行動を思い浮かべつつステファンは呻く。
興味のない事は自身の事であってもとことん疎かにしてしまう。ホルガルド教授はそういう人間である。
「ギデラック。以前、出土品のことで親衛隊とやり取りをしていただろう。その時、何か言っていなかったか?」
サイファスさんが何を知りたがっているのかイマイチ的を得ないが、とりあえず親衛隊との過去のやり取りを思い返す。
「何かって言われても……」
親衛隊の人たちはこの研究所の管理をしているだけで、研究内容に口を出してくる事は無い。
だが、そう言われてみれば一度だけ、おかしなことがあった。
氷漬けの遺体が過去に発掘されたという洞窟神殿から、少し斜面を下った場所で人骨が発見された事があった。
その人骨は他の物と違い、装飾品をたくさん付けているようだった。加えて発掘された場所が神殿の近くだったことなどから、儀式などを執り行う神官のような地位にいた人物の骨ではないかと、自分なりの見解をその日の業務日誌に記載した。
親衛隊は業務日誌の内容は確認はするものの、いつもは特に反応を示さない。しかしこの時は、数日後親衛隊側から、視察という名目で特別な人員が派遣されてきたのだ。
一人は親衛隊の隊員。隊員には珍しく女性だったけれど、揃いの制服を着ていたから分かった。
だがもう一人。女性隊員と一緒にやって来た人物は、どういった関係の人だったのか最後まで分からなかった。
腰が大きく曲がり、背中が異常に盛り上がっていて、杖を付いて歩いて居るから、老人なのかと思ったが、長いローブの袖から見える手の甲には老人だったらあるはずのシワがなく、寧ろ若々しかった。
奇妙なその人物と女性の親衛隊員とがどういう関係なのか一切説明がないまま、業務日誌にあった人骨を見たいと彼女が言うので、ステファンは二人を保管場所に案内した。
だがいざ保管場所につくと、老人のような人は違うと言って踵を返し、なにもせず帰ってしまったのだ。
ステファンは訳が分からなくて、呆然と後ろ姿を見送ったのだが、あの老人のような人は何だったのか、何の為にやってきたのか、今でもよく分からない──。
「…違う、と言ったということは、親衛隊は何か特定の人骨を探しているということなのか…?」
思い当たる出来事を話すと、ホルガルド教授は低く呟くように言った。
「あの変な老人みたいな人が親衛隊かどうかは分かりませんよ。親衛隊の人と一緒にいただけですから。でも一緒にいた女性隊員よりも、立場は上だったと思います。女性隊員がすごく気を使っていたので…」
「だとしたら、その老人はおそらく現国王に近い人物だろう。親衛隊は国王直属の部隊。その親衛隊が付き従う人物となると、国王本人か、何らかの密命を受けた国王の代理者以外にはあり得ない」
「国王の代理者? その割には…何と言うか…ものすごい、気味が悪いというか、得体の知れない感じの人でしたが……」
今思い出しても背筋が寒くなる。あの異様な感じ。
思わず顔が歪んでしまっているのが自分でも分かる。
「その人物はともかく、親衛隊は特定の人骨を探しているのではないかという事だな。おそらくは神官クラスの権力者の…」
「だと、思います…」
ステファンはそれしか言えなかった。
自分が思い当たる事と言えばそれくらいしかない。
「ああああああッーー‼」
突然、すぐ近くで叫び声が上がった。
声の主はフローレンスだ。自分とホルガルド教授以外の人間と言えば彼女しかいない。
「なに? どうしたの?」
フローレンスが奇声を発することは割と頻繁にあるので、うんざりして彼女の方を見ると、先程自分が手渡したルーペを通して何かを凝視している。
それはさっきまでステファン自身も縦にしたり横にしたりしながら眺めていた出土品の石板だった。
「わかりマーシタ‼ これマジョデースヨ‼」
「は?」
「ここ、『マジョヲ忘レエヌモノ』って書いてアリマース‼」
自分からフローレンスに尋ねはしたのだが、まさか彼女が解読するとは予想してなかったステファンは、慌てて作業台の石板を覗き込んだ。
「……本当だ。『魔女を忘れ得ぬ者』…確かに読める‼」
「どうした? 何の話だ?」
「教授! これ、神殿の近くで見つかったものなんですが、ここに文字が刻まれてるんです! それが……魔女って……」
興奮気味にホルガルド教授に詰め寄ってしまったが、はたと気付いてステファンは言葉を詰まらせた。
「ギデラック?」
「もしかして……親衛隊が探してるのって…、これ?」
作業台の上に広げられた出土品の数々を見渡して漏れた言葉に、続く者はいなかった──