第10話 伝えられない思い2
副官から司令官のお世話を任されたヒメルは、司令官と連れ立って充てがわれている部屋に向かった。
司令官の容態に特に問題はなく、慌てる必要はなかったが、コートの上からでも分かるくらい身体が冷え切っている。部屋に戻ったらすぐにお風呂に入ってもらおう。副官にもそこは特に強く言われているのだ。
銀狼党のアジトであるこの洋館で、ヒメルと司令官は同室だ。それほど広くはないが立派な家具が置かれた客室にベッドが二つ、ナイトテーブルを挟んで並べてある。
どうやらゲストルームだったようで、部屋には隣接してバスルームが付いており、小さいながらも猫脚のついた上品なバスタブが鎮座している。
ヒメルはまっすぐバスルームに向かうと、金色の蛇口を勢い良く回してバスタブに湯をはった。
「ゆっくり温まってくださいね」
司令官にバスタオルを渡してヒメルは言った。
さっきから司令官は膨れ面をしている。しかしヒメルはそのことには触れずに浴室を出た。きっと副官にこってり絞られたに違いない。
浴室を出たヒメルはふう、と息を吐いた。
さて、とりあえずこれで司令官は大丈夫だろう。
あとは……、そうだ、お茶の準備もしておこう。
そう思い立つとすぐに、ヒメルは部屋を出て厨房に向かった。
今のヒメルは、とにかく司令官の役に立つ事を何でもしたかった。司令官が危険を顧みず毒キノコの捜索に行ってしまった責任は、自分にも少なからずある……はず。
もっと真剣に思い留まらせていれば、こんな事にはならなかったかも知れないのだ。
そもそも銀狼党のメンバーでもなければ殺し屋組織の一員でもないヒメルは、本来この場所に居ていい人間ではない。
そんなことを言ったら、他の人たちに今更なにを部外者ヅラしてるんだと言われてしまうかも知れないが、実際そうなんだから仕方がない。いくら現役の共和国軍人として訓練を積んでいるとは言え、中身はごく普通の一般人なのだ。
(これから本格的に帝国と事を構えることになったとして、私に出来る事って、なんにもないよなぁ……)
何か特殊な能力でもあれば役に立てるのだろうか。
天才的頭脳とか、比類なき戦闘力とか。
(そんなもんあるわけ無いけどね……)
もし最初からそんなものが備わっていたとしたら、故郷のイルムガードを離れ、このアルフ・アーウ国にすら来ていなかっただろう。たぶん。
なんて事を考えながらそのまま階段を降り始め、踊り場まできた時。階下の玄関広間の真ん中に誰かが仰向けに倒れているのが見えた。
(──えっ? なに?)
どうしたのだろう。何か事件だろうか。
こんな古めかしい洋館で殺人事件だなんて、なんておあつらえ向き……と思うのは少々不謹慎だが、いかにも事件が起きそうな雰囲気なのは確かだ。
そんな場所で何だろうかと足早に近付いてみたヒメルは、すぐに近付いた事を後悔してしまった。
倒れて居たのは、白髪混じりの頭に白衣姿のひょろっとした男。セグレトだったのだ。
(あ、なんか。関わっちゃいけない感じがする。ものすごくする……)
そう言えばさっき、副官に思いっきり殴り飛ばされていたような……。
おそらく毒キノコの件を咎められてだと思うが。何にせよ、関わらない方が身のためだ。それに自分は司令官のお茶の準備で厨房に向かう途中なのだ。こんなところで油を売っているわけにはいかない。
(起き上がりませんように……!)
そう願いながらヒメルは音を立てないようにゆっくりと一歩下がった。
それからその場を離れようときびすを返したところで、不意にセグレトがむっくりと起き上がった。
「くっ、いてて……スノウの奴め、無抵抗な人間に手加減のひとつもしないとはなんて奴だ!」
頬を押さえながらそう言うと、セグレトが懐から小さな小瓶を取り出すのが見えた。
「天才薬師を怒らせるとどうなるか、この超強力痺れ薬で存分に思い知らせてやる。ヒッヒヒヒッ……」
なんだか知らないが不気味な笑い声をあげている。
それにしても、なんでこうもタイミング良く起き上がるのだろうか。常人には無い第六感的な感覚で何かを感じ取ったとしか思えない。
しかしまだこちらには気付いていない様だ。このまま何も無かったように立ち去ってしまえば逃げられる。
ヒメルは背を向けたままそろりそろりと歩いてセグレトから離れた。大分離れた所まで来てやっと普通の歩き方に戻り、ほっと息をつく。
ふう、なんとか逃げられた。
そう安堵して厨房へと続く扉のノブに手を掛けた瞬間。
誰かがヒメルの肩をがしっと掴んだ。
「これは良いところで居合わせたな、共軍司令官の腰巾着……!」
振り返れば(振り返るまでもないけど)、そこにはセグレトが凶悪な微笑を浮かべながら居た。
「滋養に良い薬があるのだ。このところスノウも疲れている様だし、渡せばきっと喜ぶと思うのだがどうだ?」
セグレトは手にした小瓶をちゃぷちゃぷと揺らして見せながら言った。
(……それいま自分で痺れ薬って言ってたヤツじゃん!)
「非常に高価ではあるが、まあ、お前と私の仲だ。格安で譲ってやろう」
(え、もしかして売り付けようとしてる?)
掴まれた肩を払って、ヒメルはセグレトに向き直りキッと睨み付ける。
「要りませんよそんなのッ! どうせまた副官を実験台にしようと企んでるだけでしょッ?」
「うむ、その通りだ」
何故かセグレトは少しも隠そうとしない。
「なんでいつもそうやって副官を陥れようとするんですか? 同じ組織の仲間なんですよね?」
「ふん、安心しろ。スノウはこのくらいで死んだりはしない」
ソールと同じこと言ってるし。
「それはそうかも知れないけど、だからってなんで副官ばっかり狙うんですか? 副官も副官であなたには一切手加減しないみたいですけど、お二人とも仲間なんですよね? ……副官は、厳しい所もあるけど、理由もなく手を挙げるような人じゃありません! あなたがそうやって副官ばかりを狙うからですよね? 何か恨みでもあるんですかッ?」
「……そんな矢継ぎ早に質問されてもな……。よし、わかった。ならば教えてやろう。私が何故スノウを狙うのか」
あ……、しまった。
「いや、あの、別に、どうしてもって訳では──」
「そうか、どうしても知りたいのか」
「ち、違います! 別に知らなくていいです!」
「そう、あれはまだ私がゴルダに入る前…」
(ひ~、この人ぜんぜん話聞いてくれない!)
関わらないようにそっと立ち去るつもりだったヒメルだが、時、すでに遅し。
それからその場でしばらく、セグレトの身の上話を聞くハメになってしまった。
その後、ひたすらどうでもいい話ではあったが、ヒメルは黙って最後までセグレトの話を聞いた。
走って逃げる、という選択肢も有るにはあったが、それはさすがに、と思い止まる。
(こちらから質問を投げ掛けたのに、その答えを聞きもしないで逃げるというのは無いよね、一社会人として…)
こんな時、つくづく日本人って損な性分だなと思う。
対人恐怖症で引きこもりと聞いていたはずなのに、実際のセグレトはなんだか話と随分印象が違った。
ただ最初に抱いた気味が悪いという印象はやはり払拭できず、話の途中で時々上げる引き笑いに、いちいちビクビクしながら聞くことになってしまったが、まあそこは仕方がないだろう。話の内容も内容だったのだ──
セグレトは生まれながらにサイコパスだった。
物心のつく頃には、生命を死に至らしめる『毒』という物に異常な興味を持っていて、それが実際どのように人や動物に作用するのか、知りたくて仕方がなかった。
だが、まだ小さな子供だったセグレトにとって、その知りたいという欲求がどうやったら満たされるのか、もしその欲求が満たされたらどうなるのか、何一つ分からなかった。
分からない。分からないが、とにかく知りたくて知りたくて仕方がない。
仕方がないから、まず身近な人物で試してみることにした。
ある日の夕食、自分の両親の皿にトリカブトの毒を入れた。
トリカブトの毒は植物性の毒の中でも最強の強さを誇る猛毒で、即効性が高い。
──と、書籍にはあるが、一体どのくらい早く人体に作用するものなのか、どうしても実際にこの目で見てみたかったのだ。
「み、見てみたかったって……、それだけの理由でご両親を殺しちゃったんですかッ?」
「ちゃんと致死量は計算していたから、それほど苦しみはしなかったと思うが」
「そういう問題ッ? ……それ、いくつぐらいの時の話ですか?」
「初等教育を受ける前だったから、6歳、ぐらいか?」
「このお~サイコパスがああ~!」
その後、大人たちの間では色々あったようだが、結果としてセグレトが罪に問われることはなかった。何故そうなったのかはよく分からない。
保護者の居なくなったセグレトは、児童養護施設に身を寄せることとなった。だがそこは、児童養護とは名ばかりの随分と酷い所だった。
子供同士の暴力が蔓延していて、養護員からの虐待も多々あった。特に酷かったのが学園長と呼ばれる男からの性的虐待で、閉鎖的な施設内で長年に渡って繰り返されていたらしい。
心に一生の傷だけを残し、救われずに施設を卒業していく子供も数多くいた。まあこれは後で知った話だが。
何故後で知ったのかと言えば、セグレト自身はまったく経験しなかったからだ。
何せ、経験する前に学園長を殺してしまったから──。
「また殺しちゃったんですかッ?」
「同じトリカブト毒だが、今度は致死量よりも少なくしてみた」
「え、致死量よりも少なかったら、死なないんじゃないですか?」
「死に至るかどうかは致死量だけで決まるわけではない。毒性の強さと摂取量、それと時間に大きく関係するのだ。つまり致死量に達していなくても、時間を掛ければ十分死に至らしめる事ができる。加えてトリカブト毒には解毒剤がない。一度摂取すれば、死ぬまで苦しみ続ける事になるのだ」
「うえぇ、死ぬまで……?」
「もちろん治療をすれば別だが。それをさせないように、臨海学習で離島に来ている時を狙った。その男が子供たちを虐待しているのは知っていたからな。まあちょっとした仕返しだよ。ヒッヒッヒ……」
「いやいや、全然ちょっとじゃないし……」
驚愕の表情で見上げてくる学園長先生を眺めて、セグレトはしばらく楽しんでいた。
激しい嘔吐と呼吸困難でもがき苦しむ先生の姿は、どこか野性動物を見ているようで、躍動感にあふれて見えた。
この男はいま確かに生きている。
生きているからこそ、苦しみながら死んでいくのだ──。
不思議な少年が現れたのは、そう思った直後だった。
「──それは、お前がやったのか……?」
どこからともなく問いかけられ、セグレトは回りを見渡した。
自分の他に誰かいただろうか。室内に人が入ってきたような感じはしなかったはずなのに。
気付くと、いつからそこにいたのか、カーテンの影に隠れるようにして誰かが立っていた。
「誰……?」
それは黒い服装をした子供だった。背丈がそう変わらないから、年齢は自分と同じか、違っても一つ上ぐらいだろう。黒いパーカーを羽織り、黒いマスクをした少年だった。
セグレトが何も言わずにいると、少年はポケットに両手を突っ込んだまま近付いてきて、感心するように続けた。
「……お前、すごいな……」
すごい?
何がすごいと言うのだろう。
この部屋には自分と、脂汗を垂らした薄汚い学園長しかいない。
何を言っているのか分からず、セグレトは少年の顔をじっと見つめた。
マスクで顔の半分が見えないからか余計に、濃い青色の瞳が印象的だ。
「俺の仕事がなくなってしまった……」
少年は動きの鈍くなってきた学園長を見下ろしながら、抑揚のほとんどない声音で呟くように言った。
「仕事……?」
「俺は依頼を受けて、その男を殺しに来た殺し屋だ」
「殺し屋って、人を、殺す仕事……?」
「そうだ」
自分が学園長に毒を盛った事で、この少年の仕事を奪ってしまったらしい。それは悪いことをした。
だがそんな事よりも、人の命を奪うことが仕事になるのか。セグレトにはそちらの方が目から鱗だった。
ただどうなるのか知りたいと思ってやって来ただけで、セグレト自身は人を殺したいと思った事はない。だが、それを仕事にしている人間がこの世には存在するのだ。
「──すごい、なんて言われたのは初めてだ」
「そうか……? 俺は、すごいと思う……」
そう言ってマスクのずれを直す仕草をする少年。
表情は特に変わらないのに、セグレトにはそれが、少年の照れ隠しのように見えた。
「えっと……」
何だかこちらも照れ臭い。
凄い、なんて誰も言ってくれなかった。
今なら、それは当然の事だと分かる。自分の欲望に任せて、いやそれでなくても、他人の命を奪うことはやってはいけない。でもこの当時は本当に、分かっていなかった。
スノウはきっと分かっていただろう。十分わかった上で、殺し屋になったのだろう。
それでも、凄いと言ってくれた。認めてくれた。
セグレトにはそれが、何よりも嬉しかった──。
「──……で、結局なんで副官にばっかりちょっかい出すんですか?」
一応話を最後まで聞いてみはしたが、イマイチその辺が良く分からなかった。
するとセグレトは呆気に取られたような表情を返して、またあのヒヒヒという不気味な笑い声を上げる。
「何故って、また凄いと言って貰う為に決まってるじゃないか」
……は?
「そ、それだけ……?」
「それだけだ。他に何がある?」
「何があるって……」
「だから新薬を開発すると必ずスノウに試しているんだ。別に誰に試しても私は構わないのだが、他の仲間にやるとスノウが物凄い剣幕で怒るからな」
「はあ、でしょうね……」
諦める様な表情でヒメルは目を細めた。
ソールがチラッと言っていた『セグレトは副官が好き』と言う話は冗談ではなかったらしい。好き、と言う感情がどう言った部類の好きなのかはよく分からないが。
(や、ヤンデレって言うのかな、こういうの……)
しかも同性で。
何と言うか本当に、色々大変ですね、副官……。
遠くを見つめながら、ヒメルは今後も苦労が続くだろう上司に思いを馳せた。