005 最初のテスターと、領収書の通らない公務員たち
カランコロン
「いらっしゃいませー! 究極のツルツル体験、スライムエステへようこそ!」
ハルが満面の営業スマイルで頭を下げる。
スライムエステの、記念すべき最初のお客様のご来店だ。
「矢良内先輩。本当にここなの? 入り口があまりにも怪しすぎない?」
「マジエアコン強すぎないッスか? 冷たい風吹いてきてパネェんスけど」
入り口の鉄扉を恐る恐るくぐってきたのは、パリッとしたスーツを着た三十代の女性と、目の下に濃いクマを作った二十代の若い男だった。
二人とも、首から入館証のようなIDカードを下げている。
「黙って入れ。お前たちには、国家プロジェクトの極秘テスターとして来てもらったのだからな」
受付カウンターの横で腕を組んでいた矢良内が、鋭い声で言い放つ。
「ヤラさんの知り合い?」
「元同僚と、後輩だ。連日の激務で肌も荒れているだろう。実験台にはちょうどいい」
矢良内の紹介に、女性官僚がため息をついた。
「実験台って人聞きの悪い。でも、確かに最近徹夜続きで、お肌の手入れなんて行く暇もなかったわね」
「俺なんて、風呂すら三日入れてないッスよ。髭剃り負けで顎から血が出てるし」
若い男が、自分の青白い頬をさすって自嘲する。
「お任せくださいませ」
ふいに、鈴を転がしたような声が響いた。
パーティションの奥から、白いキャミソール姿のリンが優雅な足取りで現れる。
「っ!」
官僚の男女が、息を呑んで硬直した。
暴力的なまでの美貌。
輝く長い金髪が、きちんと結われて頭のうえにまとめられている。
発光しているかのように透き通った、一切のくすみもない白い肌の少女、リンだ。
「こちらへどうぞ。わたくしどもが、極上の癒やしを提供いたします」
リンが微笑み、マッサージベッドへと二人を案内する。
女性官僚は吸い寄せられるようにベッドへ歩み寄りながら、震える声で呟いた。
「な、なんて綺麗な肌! 毛穴が存在しないじゃない!」
「さあ、お二人とも。靴を脱いで、ベッドに横になってください」
ハルが二人を寝かせると、足元のバケツから、ピンク色のゼリー状の物体を両手ですくい上げた。
ポヨン
「ひっ!? マジなんなんスかそれ!? 動いてるんスけど!?」
若い男が悲鳴を上げる。
「立派なエステティシャン、スライムですわ。さあ、大人しくしてくださいませ」
リンが指を鳴らすと、スライムは二つに分裂し、男女の顔や腕へと飛び乗った。
「うわああああっ! 食われるっ、俺の顔が溶かされ──あれ?」
男が目を丸くする。
「ひんやりしてて、チョー気持ちいいッス」
「本当ね。お肌に吸い付いて、汚れだけを吸い取ってくれてるみたいだわ」
二人はみるみるうちに表情を緩ませ、恍惚とした吐息を漏らし始めた。
スライムは彼らの皮膚の上を這い回り、古い角質、毛穴の汚れ、そして不要なムダ毛を、無痛で物理的に『捕食』していく。
十分後。
「はい、終了です! 鏡を見てみてください!」
ハルが手鏡を差し出す。
「うそっ!?」
女性官僚が絶叫した。
「ムダ毛、ツルツルになってるわ! 医療脱毛でも抜けきらなかった産毛まで一本もない! それにこの透明感、二十代の頃より綺麗じゃないの!」
「俺の青髭も消滅してるッス! カミソリ負けの赤みも引いて、なんかゆで卵みたいにピカピカッスよ! ヤバい、これなら明日の合コン絶対に勝てるッス!」
男も自分の頬を何度も撫で回し、歓喜の声を上げる。
ピコン、ピコン、ピコン!
リンの頭上のパネルで、DPの数値が跳ね上がっていく。
「素晴らしいですわ! あなたたちの喜びの感情が、とめどなくダンジョンに還元されています!」
リンが両手を合わせて喜ぶ。
ハルも口角を吊り上げ、矢良内と視線を交わした。
(よし、完璧だ。この効果なら、口コミで客は無限に釣れる!)
ハルがガッツポーズをした、その時だった。
ぺたぺた。
パーティションの裏から、足音が聞こえた。
「……あ」
ハルが振り返る。
壁の隙間から、緑色の皮膚を剥き出しにしたゴブが、ひょっこりと顔を出していた。
その手には、ひび割れた粗末な石の盆と、二つのブリキのカップが乗っている。
中には、泥水のように濁った『コケ茶』がなみなみと注がれていた。
「ゴブ!(お茶、持ってきた!)」
「おいバカ! お前は裏で隠れてろって言っただろ!」
ハルが血相を変え、パーティションの裏へと飛び込む。
ゴブの首根っこを掴み、物理的なプロレス技でねじ伏せようとする。
「ゴブゴブ!(お客様におもてなしするー!)」
「暴れるな! せっかく良い雰囲気なのに、そんなドブ川の泥水みたいなの出したら一発で営業停止に──」
「まあ、ゴブったら。気が利きますわね」
ハルがゴブを羽交い締めにしている間に、リンがスッと手を伸ばし、お盆を優雅に受け取ってしまった。
「あっ」
「施術後のお飲み物ですわ。特製のハーブティーでございます」
リンはブリキのカップを、官僚の男女へと差し出す。
「あ、あざッス。でもこれ、なんか色が緑っていうか、泥水ッスよ」
男が引きつった顔でカップを覗き込む。
ハルがパーティションの裏で頭を抱えた。矢良内は眼鏡を光らせて静観している。
官僚の二人は、リンの圧倒的な美貌と笑顔に見つめられ、断りきれずにカップに口をつけた。
ゴクッ
「美味しい!」
「え?」
ハルが顔を上げる。
「なにこれ、すごく美味しいわ! 最高級の玉露みたい!」
「マジだ! 飲んだ瞬間、徹夜の疲労がスッと消えていくッス! なんだこの深い香りは!」
男女は目を輝かせ、あっという間に泥水──コケ茶を飲み干してしまった。
「コケは魔力が豊富ですから、人間にとっては極上の滋養強壮剤になりますのよ」
リンが誇らしげに胸を張る。
「リンちゃん、お前そういう有益な情報はもっと早く言えよ! これも別料金で売れるじゃんか!」
ハルは立ち上がり、ゴブの頭を撫で回した。
「いやあ、素晴らしい体験だったわ! 絶対に省庁の女子たちに教えるわね!」
「俺も同期の連中に宣伝しておくッスよ!」
すっかり満足した二人が、財布を取り出す。
「お一人様、一万円になります!」
ハルが揉み手で近づく。
女性官僚が一万円札を渡し、ビシッと背筋を伸ばした。
「ハルくんと言ったわね。領収書を頼むわ。宛名は『内閣府・迷宮生態調査費』でよろしく!」
男も続く。
「あ、俺もそれでお願いするッス! 但し書きは『フィールドワーク機材代』で!」
ハルがボールペンを握った瞬間。
「却下だ」
矢良内の冷酷な声が、ダンジョンに響き渡った。
「個人の美容目的に、国家予算が落ちるわけがないだろう。経費の私的流用だ。自腹で払え」
矢良内が眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、後輩たちを見下ろす。
「そ、そんな殺生な! 今月の小遣い、もう残ってないッスよヤラ先輩!」
「私だって、今月は推しのライブでカツカツなのに! 経費で落とせるって言うから来たんじゃないの!」
「俺は『極秘のテスター』と呼んだだけで、経費で落ちるとは一言も言っていない。一万円だ。さっさと払え」
矢良内の容赦ない取り立てに、官僚たちはポロポロと涙を流しながら、自腹で一万円札をハルに手渡した。
「……公務員の世界も世知辛いんだな」
ハルは同情しながらも、受け取った二万円の感触をしっかりと指先で楽しんだ。
現金二万円と、パネルに表示されたDP、4ポイント。
「完璧なスタートダッシュだ。公務員のネットワーク、恐るべしだね」
ハルが悪魔のように笑い、矢良内が眼鏡を光らせ、リンが優雅にコケ茶をすする。
どん底から始まった異世界ダンジョンの街づくりは、こうして初日から成功の産声を上げたのだった。
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