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004 ツルハシと肉体労働と、国家予算を喰い物にするプロデューサー

「お前は黙ってろ世間知らず!」

 

ハルの叫びが、狭い密室に虚しく響き渡る。

開店前夜。

スライムエステは、本物のファンタジーモンスター・ゴブリンの隠し場所が存在しないという、物理的かつ致命的な問題に直面していた。

 

ハルは頭を抱えてしゃがみ込む。

 

「終わった。客に見つかったら保健所どころか自衛隊が来るよ。ボクのボロ儲け計画がオープン前に頓挫するなんて」

 

「諦めるのは早いぞ、ハル。というか、国家プロジェクトなので警察も自衛隊も一応味方だ」

 

矢良内が眼鏡の位置を直し、冷静な声を落とした。

 

「そもそも異世界ダンジョンに人間を呼ぶのが目的だからな。魔物がいること自体は何の問題もない」

 

「じゃあいいじゃん! そのままエステ手伝わせようぜ!」

 

「だが、ここは若い女性やセレブ層をターゲットにしたエステサロンだぞ。ゴブリンが徘徊していては、衛生面とイメージ悪化で客が二度と来なくなる」

 

「やっぱりダメじゃんか! どうすんだよ!」

 

矢良内は受付カウンターの下に置いてあった、細長い黒いバッグのジッパーを引き開けた。

 

ガチャリ

 

重い金属音が鳴る。

中から出てきたのは、ホームセンターのシールが貼られた、新品のツルハシだった。

ご丁寧に四本もある。

 

「……ヤラさん。それ、なにに使うの?」

 

「ダンジョンは、空間を拡張できると聞いた」

 

矢良内はツルハシの木柄を握り、パーティションの奥──黒々とした岩壁の行き止まりを睨みつける。

 

「ここは物理的な洞窟でもある。広げるのにDPが足りないのなら、人間の手で直接岩を削り、バックヤードとなる空間を切り拓けばいい。そうだろ、リン?」

 

玉座に座るリンが、ぱちぱちと目を瞬かせた。

 

「え、ええ。採掘用のコボルトたちを使役して、そうやって階層を広げるのはポピュラーですけれど。ご自身で掘るおつもりで?」

 

「そうだ。金はないが、腕力と時間はある。やるぞ、ハル、リン、ゴブ」

 

矢良内はスーツのジャケットを脱ぎ捨て、ネクタイを緩めながら、ハルの足元にツルハシを放り投げた。

 

ゴトン

 

「ウソだろ!? 今から土方作業やんの!?」

 

「やらないなら、ゴブが客前に出るだけだ」

 

「……ちょっと待って。ゴブって誰? こいつの名前?」

 

ハルがゴブリンを指差す。

 

「ゴブリンだからゴブだ。俺がさっき名付けた」

 

「安直! ていうか、リンちゃんもやるの!?」

 

「やりますわ! 同胞のゴブの窮地を見過ごせません!」

 

リンが玉座から立ち上がり、フンスと鼻息を荒くする。

ハルは目を丸くした。

 

「……はい? いまなんて?」

 

「ですから、同胞のゴブの──」

 

「違う、その前! 同胞って、リンちゃん、ゴブリンだったの!? ただの超絶美少女じゃないの!?」

 

「失礼な。わたくしは誇り高きゴブリンクイーンですわ。リンという名前も、ゴブ『リン』から取りましたのよ」

 

「ネーミングセンス、ヤラさんと同レベルじゃんか!」

 

ハルのツッコミを無視し、矢良内がワイシャツの袖をまくり上げる。

ハルは足元のツルハシと、涎を垂らしてモップを握るゴブを交互に見比べた。

 

「……やるしかないじゃんか!」

 

ハルはヤケクソ気味に叫び、ツルハシを拾い上げた。

残る二本は、リンとゴブに手渡す。

 

「おら、ゴブ! お前の部屋を作るんだから、お前も手伝え!」

 

「グルァ!」

 

ゴブはモップを放り出し、嬉しそうにツルハシを受け取った。

かくして、開店前夜の地下ダンジョンに、場違いな金属音が響き渡ることになる。

 

ガァン! ガキン!

 

ハルがツルハシを振り下ろすたび、硬い岩肌から火花が散る。

手のひらにビリビリと痺れが走り、すぐに水ぶくれができそうだった。

 

「くっそ、硬え! なんだよこの岩、コンクリートより頑丈じゃないか!」

 

「文句を言うな、手を動かせ。腰を入れて打ち込めば崩れる」

 

矢良内が的確なフォームでツルハシを振るう。

ガキン、ゴロッ。

彼の足元には、ハルよりも一回り大きな岩の欠片が次々と転がり落ちていく。

 

「ヤラさん、なんでそんな肉体労働に慣れてるのさ。あんた公務員だろ?」

 

「昔、少しばかり現場に出ていた時期があってね。それに、この程度は筋トレの延長だ」

 

ワイシャツの下で盛り上がる大胸筋を見せつけながら、矢良内が淡々と壁を崩していく。

その横では、ゴブが小さな体で一生懸命ツルハシを振るっていた。

 

カキン、カキン

 

だが、ゴブリンの腕力はせいぜい人間の子供程度しかない。

岩の表面がほんの少し削れるだけで、まったく穴が広がる気配はなかった。

 

「……ゴブ、お前全然使えねえな!」

 

ハルが悪態をつく。

 

「わたくしにお任せなさい!」

 

リンが前に出た。

華奢な腕でツルハシを高く振りかぶり、一切の躊躇なく岩壁へと叩き込む。

 

ドッゴォォン!

 

けたたましい爆音が鳴り響いた。

ツルハシが突き刺さった岩盤が大きくひび割れ、一気に崩落していく。

 

「うおおっ!? リンちゃんすげえ!」

 

「ふふん! ゴブリンクイーンの腕力、とくとご覧あそばせ!」

 

リンは嬉々としてツルハシを振るい、猛烈なスピードで縦穴を形成し始めた。

 

     ◇

 

数時間後。

 

「……ぜぇ、ぜぇ……はぁ……」

 

ハルはツルハシを杖代わりにして、膝から崩れ落ちた。

全身汗だくで、手のひらはマメが潰れてヒリヒリと痛む。

 

矢良内も額の汗を拭い、荒い息を吐いていた。

 

「よし……。これだけ奥行きがあれば、パーティションで完全に目隠しをして、奴の控え室兼、備品置き場にできる」

 

四人の労働の結果、硬かったダンジョンの壁は四畳半ほど削り取られ、いびつながらも新たな小部屋が誕生していた。

 

「やった……! これでゴブ隠せる……ボロ儲け計画の障害は消え去った……!」

 

ハルが床に仰向けに転がり、天井の白い蛍光灯を見上げる。

達成感と疲労で、手足が鉛のように重い。

 

だが、矢良内は眼鏡を押し上げ、足元に広がる光景を見て眉をひそめた。

 

「喜ぶのは早いぞ、ハル」

 

「ええ? まだなんかあんの?」

 

ハルが体を起こす。

矢良内の視線の先には、壁を削り取ったことで発生した、大量の残骸があった。

 

人間の頭ほどある岩の塊から、砂利のような細かい破片まで。

四畳半の空間を掘り抜いた分の体積が、そのまま山となってダンジョンの床を占拠している。

 

「……これ、どうすんの?」

 

ハルが引きつった顔で尋ねる。

 

「捨てるしかないだろう。だが、ここは東京都心のど真ん中だ。こんな大量の岩石や土砂を、その辺のゴミ捨て場に出せるわけがない」

 

矢良内が岩を蹴り転がす。

 

「不法投棄で捕まるのは御免だ。指定の産業廃棄物処理業者に回収を依頼するしかないが」

 

「いくらかかるんだよ」

 

「これだけの量だ。車両の手配や処理費用を考えれば、安く見積もっても十五万から二十万は飛ぶな」

 

矢良内の残酷な宣告。

 

「はああああ!?」

 

ハルが頭を抱えて絶叫した。

 

「また金減るの!? 自分で汗水垂らして掘ったのに、そのゴミ捨てるだけで二十万!? 東京の物価どうなってんだよ!」

 

「これが現実の事業というものだ。ランニングコストと見えない経費が、常に首を絞めてくる」

 

矢良内が冷徹に言い放つ。

ハルは岩の山にすがりつき、ポロポロと嘘泣きを始めた。

 

「ヤダヤダヤダー! ボクの二十万! モヤシがさらに遠ざかる! 誰かこの岩、タダで持ってってくれないかな!」

 

バンッ

 

ハルが岩を叩いた瞬間、ピタリと泣き止んだ。

 

「……ん? ちょっと待てよ」

 

ハルは岩の表面を撫で、それから矢良内を見上げた。

 

「ヤラさん。この岩って、元々は異世界のダンジョンの壁なんだよね?」

 

「そうだが、それがどうした」

 

「つまりこれ、現代日本には存在しない成分とか、未知の魔力みたいなのが含まれてる『超貴重なサンプル』って言い張れないか?」

 

ハルの邪悪な笑みに、矢良内の目が細くなる。

 

「ヤラさんの政府のツテを使ってさ、国の研究機関とか大学の偉い学者に『特区ダンジョンで採取された未知の鉱物を、特別に研究用として提供します!』って連絡してよ。向こうの予算で回収にこさせてさ」

 

「……なるほど」

 

矢良内が眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。

 

「解析の結果、ただの無価値な石ころだったとしても、処分するのは向こうの機関だ。研究名目なら運搬費も処理費も向こう持ちで引き取らせることができる。こちらに処理費用は一切かからない、か」

 

「そう! 分析に時間もかかるだろうし、邪魔な岩の山を体よく押し付けられる! これで実質タダだ!」

 

ハルがガッツポーズを決める。

 

「あの……ハル? ヤラさん? さっきから何を話しているのです?」

 

玉座の前で、リンが不思議そうに首を傾げていた。

 

「ニホンの偉い人が、こんなただの石ころを喜んで持って帰ってくれるのですか?」

 

「そうだよ。大人の世界ってやつさ」

 

ハルが親指を立てる。

 

「よし、ヤラさん、急いでトラック手配して!」

 

「わかった。すぐに内閣府の科学技術担当に連絡を入れよう。ダンジョン研究の最前線という名目で、運搬業者を向かわせる」

 

矢良内はスマートフォンを取り出し、深夜の霞が関へと強引な電話をかけ始めた。

 

こうして、ダンジョンの瓦礫という名の産業廃棄物は、「国家の貴重な研究サンプル」という名目で華麗に処理されることになった。

パーティションの裏にゴブを押し込むスペースも無事確保され、ダンジョン内は再びセレブリティなエステサロンの姿を取り戻す。

 

準備はすべて整った。

いよいよ、スライムエステの開店の朝がやってくる。

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