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番外編

【1.初出勤】


「……なんでアンタは、こんなところなのにそんなにその服が似合ってるんだよ」

 

ハルは、自分の首をきつく締め付けるネクタイを指で引っ張りながら、恨めしそうに呟いた。

 

一応、初出勤の日ということで、面接の時にも着ていた安いスーツだ。

剥き出しの岩肌と湿った土の匂いが漂うこの地下空間において、ポリエステルの安っぽい黒スーツは、絶望的なまでに場違いだった。

 

「社会人の基本は身だしなみだろう、常識的に考えて」

 

隣に立つ矢良内が、銀縁眼鏡を中指で押し上げる。

 

彼は仕立ての良いダークスーツを着こなし、革靴のつま先には曇り一つない。


背後にはゴツゴツとした岩壁が迫っているというのに、彼がそこに立つだけで、この殺風景な洞窟が丸の内の一等地のオフィスに見えてくるから不思議だった。

 

矢良内は涼しい顔で、ジャケットのボタンに手をかけた。

 

 

【2.DPの使い道】


ガァン!

 

ツルハシの先端が硬い岩盤に弾かれ、ハルの両腕に痺れが駆け抜ける。

 

「いてて……なぁ、リンちゃん」

 

ハルは赤く腫れた手のひらをさすりながら、玉座の主を振り返った。

 

「ダンジョンには、DPという便利なエネルギーがあるんだろ? それを使って、パパーッとこの岩壁を消し飛ばして、部屋を広くできないの?」

 

ハルの期待に満ちた問いに、リンは小指を立ててコケ茶をすすり、静かに首を横に振った。

 

「もちろん、可能ですわよ。1DP消費するごとに、おおよそ1立方メートルの空間を確保できますわ」

 

「1立方メートル……?」

 

「ええ。2DP使って、ようやく人が一人、真っ直ぐ立てるだけの縦穴が開く計算ですわね」

 

リンの言葉に、ハルは自分の足元から天井までの高さを目で測った。

この四畳半の空間をもう一つ作るだけで、いったいいくつのDPが吹き飛ぶのか。

 

「……よし、掘ろう」

 

ハルは無言でツルハシを握り直し、再び岩壁へと向き直った。

 

     ◇

 

【3.最初期のやりとり】


「うおっ、冷たっ! でも気持ちいい!」


足首から太もも、そして腹の上を、青いゼリー状の魔物がウニョウニョと這い回っている。

ひんやりとした粘膜のような感触が、素肌に直接張り付いていた。

 

「スライムすごいね。汗のベタつきがどんどん消えていく。これ、絶対に美容エステとして使えるよ!」

 

ハルは自分の腕を撫で回し、そのツルツルとした仕上がりに目を輝かせた。

 

「ですが……ハル。さっきから、変な声を出して身をよじるのはやめていただけませんこと?」

 

リンが、呆れたようにため息をつく。

 

「いや、だって……これ、全身がスースーして落ち着かないんだけど。その、特に、股間のあたりが……」

 

ハルはズボンの上から股間を押さえ、内股になってモジモジと震えた。

スライムの冷気が、薄い布地を越えて直接下半身の熱を奪っていくのだ。

 

「……すぐ慣れますわよ」

 

リンは、少しだけ頬を赤く染めてコケ茶のカップで視界を遮った。

 

 

【4.三六協定】


カキン、カキン

 

「俺はもう帰るぞ。霞が関に戻って、明日のための資料をまとめなければならん」

 

矢良内がツルハシを置き、ワイシャツの袖のボタンを留め直す。

 

「ちょっと待ってよヤラさん! ボクももう腕が上がらないくらい疲れたんだけど! 時計見てよ、これ絶対に労働基準法の残業時間オーバーしてるって! 違法じゃないの!?」

 

ハルがツルハシを杖代わりにして立ち上がり、泣きつくように叫んだ。

 

矢良内はジャケットを肩に引っ掛け、冷酷な視線を落とす。

 

「労働基準法は、国家公務員と、法人の代表取締役──事業主には適用されない。お前は株式会社ダンジョンの社長だろうが。自分の会社のために、死ぬまで岩を砕け」

 

「鬼! 悪魔! 霞が関のブラック官僚め!」

 

ハルの叫びを背に受けながら、矢良内は振り返ることなく鉄扉の向こうへと消えていった。

 

 

【5.一つ上のグレードのサービス】


「おお……これは、すごい……」

 

ハルは目を閉じ、恍惚とした吐息を漏らした。

 

首から下の全身が、巨大に成長した青いスライムの体内にすっぽりと沈み込んでいる。

冷たいゼリーの圧力が、全身の筋肉を均等に締め付け、そして緩めていく。

 

「あらハル。どうしたんですか、スライムに捕食されて消化を待つ哀れな獲物みたいですけれど」

 

リンが不思議そうに覗き込んでくる。

 

「これ、最高だよ。でっかいスライムに顔以外全部包まれてると、なんかお風呂みたいだ! 水風呂に浸かってるみたいに気持ちいい!」

 

「なるほど。これなら、スライムをお湯の代わりにして、新しい入浴体験を提供できるということになりませんこと?」

 

リンがぽんと手を打つ。

 

「それ、エステの新サービスにした方がいいですわね。全身の毛穴の汚れを、くまなく食べ尽くせますわ」

 

「……うわ、本当だ。勝手にジュルジュル吸い取って食べてる……」

 

ハルは、スライムの内部でうごめく微かな吸引力に身を委ね、そのまま深い眠りへと落ちていった。

 

 

【6.これまで】

「なぁ、リンちゃん。最初のスライムを呼んで、ゼリーのベッドができるまではどうやって寝てたの?」

 

ハルがスライムベッドの上で跳ねながら尋ねる。

 

リンは、玉座に座ったまま不思議そうに首を傾げた。

 

「どう、とは? 普通に、床に横になって寝ていましたわ」

 

「床って……ここ、土とかじゃなくて、真っ平らでカッチカチの岩盤だぞ? 布団もなしで、背中痛くならないの?」

 

「わたくしはダンジョンボスですから、この空間そのものが我が家ですの。床の硬さなど、気にしたこともありませんわ」

 

リンは平然と答えたが、ハルは彼女の透き通るような白い肌と、足元の黒々とした岩肌を交互に見比べ、なんとも言えない不憫さを感じていた。

 

ゴブも床に寝ていたことは、何も気にならなかった。

 

 

【7.ゴブリンとは】


「……なぁ、リンちゃん。どうしても納得いかないんだけど」

 

ハルは、玉座に座る金髪碧眼の見目麗しい妖精のような超絶美少女と、その足元でモップを握っている見目はまったく麗しくないタイプの妖精を交互に指差した。

 

「リンちゃんとゴブ、見た目全然違うよね。どう見ても同じ種族には見えないんだけど」

 

「そうでしょうか? 手と足の本数は同じ二本ずつですし、顔や体、大きさなんかもそれほど違わないでしょう? 確かにわたくしはひときわ美しいですけれど、個体差の範疇ですわよ」

 

リンが誇らしげに胸を張る。

 

「いや、さすがにそれは無理があるでしょ! 肌の色から骨格から、遺伝子レベルで別物じゃんか!」

 

「見た目の話をするのでしたら、ハルとヤラさんだって、全然違うじゃないですか。髪の整い方も、着ている服のシワの数も」

 

「……うーん、そう言われると、そうかなぁ……?」

 

ハルは首をひねり、ファンタジー世界の「個体差」という言葉の懐の深さに、無理やり納得するしかなかった。

 

 

【8.採用条件】


「そういやヤラさん、ボク以外の人もあの面接に来たりした?」

 

岩を運ぶ休憩中、ハルがふと思い出して尋ねた。

 

「いたが、全員不合格にしたぞ」

 

矢良内はペットボトルの水を飲み、無表情で答える。

 

「どうして? もっと体力ありそうなヤツとか、経営の知識があるヤツとかいたんじゃないの?」

 

「採用の絶対基準は、身寄りが完全にないことと、社会的影響力がゼロであることだった。要は、この得体の知れない空間で、もし魔物に食われて突然消滅したとしても、社会で一切問題が起きない人間を探していた」

 

「……ヤラさん、それ本人を目の前にして言うことじゃないよね?」

 

ハルが引きつった顔で後ずさりした。

 

 

【9.政府の方針】


ハルが採用された直後。

霞が関の無機質な執務室で、矢良内は一人、窓の外の夜景を見下ろしていた。

 

(彼がこの数日間、あの空間で無事に生き延びることができれば、他の人間を入れても安全だと判断できる。政府が、未知の魔物であるリンという少女を疑い、警戒するのは必要なことだ)

 

矢良内は、冷たい窓ガラスに額を押し当てた。

 

(……最悪、彼が魔物に殺されても、それはそれで問題はない。そういう人選をしたのだから)

 

そして、ガラスに映る自分自身の無機質な顔を見つめ返す。

 

(……それは、監視役としてあの密室に入る、俺も同じことだ。俺が消えても、国は回る)

 

「……まったく、政府の仕事は楽じゃない」

 

矢良内はネクタイを乱暴に引き緩め、深くため息をついた。

 

後日。

 

「ヤラさんとリンちゃんって、なんか妙に距離感あるよね?」

 

ダンジョンの隅で、ハルが塩ビパイプを繋ぎながら小声で言った。

 

「そうか? まあ、そうかもな」

 

矢良内は眼鏡を押し上げ、岩壁を見つめたまま短く返した。

 

「人間と魔物の間には、いろいろありましたものね」

 

リンが、意味深な微笑みを投げかけていた。

 

 

【10.初めての夜】


(……眠れない)

 

ハルは暗闇の中で、パチリと目を開けた。

 

隣のスライムベッドからは、規則正しい柔らかな寝息が聞こえてくる。


ほんの数十センチ先に、透き通るような肌をした金髪の美少女が無防備な姿で横たわっているのだ。

 

微かに漂う、石鹸のような、甘い花のような香り。

 

底辺フリーターの粗末なアパートでは絶対に嗅ぐことのなかった匂いが、ハルの鼻腔をくすぐり、脳髄を覚醒させていく。

 

実際には、スライムの発生させている香りであり、それをリンのものだと感じるのはただの錯覚だったが。

 

(ボクのすぐそばで、超絶美少女が寝ている……! こんなの、健全な男なら煩悩爆発するっての!)

 

ハルは何度も寝返りを打ち、耳を塞いだり羊を数えたりしたが、心臓の早鐘は一向に収まらなかった。

 

翌朝。

 

「どうしたんですの、ハル? 朝だというのに、目の下に酷いクマができていますわよ」

 

リンが不思議そうにハルの顔を覗き込む。

 

「……いや、ちょっと環境が変わって寝付けなくてさ」

 

ハルは充血した目をこすりながら、力なく笑うしかなかった。

 

 

【11.ダンジョンの拡張限界は?】


カキン、カキン

 

「ねえリンちゃん。これ、ボクらがこのまま奥に向かってツルハシで壁掘ってたら、そのうちビルの外にぶち当たって通じちゃうんじゃないの?」

 

ハルが岩肌を削りながら、ふと疑問を口にした。

 

「心配いりませんわ。ここはダンジョンの地下一階ですから、外にぶつかることはありませんの」

 

「いや、地下一階って言っても、物理的に掘り進めばいつかは外の土に……」

 

「ここは地面の下ですので、大丈夫ですわ」

 

リンはコケ茶をすすりながら、ハルの疑問をきっぱりと切り捨てた。

 

「そういうもんなの?」

 

「ええ、ダンジョンですので。そういうものなのですよ」

 

ハルはツルハシを持ったまま、数秒間フリーズした。

 

物理法則や三次元の座標系すらも、「ダンジョンだから」という一言でねじ伏せてしまう異世界の力。

 

「……そっか、ダンジョンなら仕方ないな!」

 

ハルは深く考えることを放棄し、再びカキンカキンと単調なリズムで岩を叩き始めた。

 

 

【12.スライムエステは一回20分一万円】

 

「じゃあ三万円払うから、一時間やってちょうだい!」

 

女性客が、ハルの顔に一万円を三枚突きつけた。

 

「お客様、効果自体は二十分で十分でして。それ以上吸わせても、美容効果は良くならないのですが……?」

 

ハルは困惑して、お金と女性客の顔を交互に見比べる。

 

「それは別にいいのよ。私は毛穴の汚れじゃなくて、ただ癒やしが欲しいの!」

 

女性客はハルの静止を振り切り、ジョイントマットの上に仰向けになった。

 

結局その客は、一万円札を追加し続けて、五時間ぶっ通しで顔と腕に青スライムを乗せ続けた。

 

「……お大臣だなあ。いいんだろうか、これ」

 

ハルは、巨大化したスライムを突っつきながら呆れ顔で呟いた。

 

後日。

 

「はやく宿泊サービスを完成させろ、という要望が霞が関のおえらいさんから来ているぞ」

 

矢良内が、無表情だがどこか疲れた顔で言う。

 

 

【13.準備不足】

 

「はい、次のお客様! ……え、カード? あ、すみませんお客様、クレジットカード、対応してないんですようち! え、電子マネー? スマホ決済? それもちょっと……ああ、ヤラさん助けて!」

 

ハルがレジの前で、頭を抱えて悲鳴を上げる。

 

サービスは先払い制なので、ひとまずは現金を用意していただくためにお帰りいただいた。

 

「ということが頻発してるんだけど」

 

「その程度はすぐに用意できる」

 

どこかへ行ったかと思うと、すぐ戻ってきた矢良内が、最新型の白いキャッシュレス決済端末を持ってきた。

 

「おお、さすがヤラさん!!」

 

「さあ、あとはこの機器の電源をコンセントに繋ぐだけだ」

 

矢良内は端末の黒い電源コードを伸ばし、周囲の岩壁を見渡した。

 

「……コンセントなんて、この洞窟にあったっけ?」

 

「……」

 

矢良内はコードを握ったまま、数秒間フリーズした。

 

「……プランの修正が必要だな」

 

数分後。

 

ギュイイイイイン!

 

ダンジョンの入り口である104号室の鉄扉に、矢良内が持ち込んだ電動ドリルが容赦なく突き立てられていた。

 

開けられた不格好な穴から、オレンジ色の延長コードがビルの廊下へとズルズルと引き込まれていく。

 

「電気の問題は、すぐ何とかしないとな……」

 

今の彼らは、まだ知らない。

 

後日、広げられたゲートのルートから電信柱が通ることになるなんて。

 

 

【14.エステスライム】

 

パリッ

 

ハルはスライムベッドに寝そべりながら、ポテチをかじっていた。

 

指先についた塩と油を舐めとり、なんの気なしに、自分の腹の上でくつろいでいる青スライムに尋ねる。

 

「キミも食べる?」

 

ハルがポテトチップスを差し出す。

 

フルフルッ

 

スライムが小刻みに震え、ハルの耳元にへばりついた。

空気の振動で、骨伝導イヤホンのように、言葉が直接伝わってくる。

 

「え? これ以上食べたら太っちゃうから要らない?」

 

こくこく。

スライムは、はっきりと縦に震えた。

 

「……」

 

ハルはポテトチップスを持ったまま、自分の腹の上のゼリーを見つめる。

 

(スライムが、美容意識に目覚めた……?)

 

 

【15.幸運の星】

 

リンは、薄暗かった過去に思いを馳せていた。

 

一か八かで、現代日本へと繋がるゲートを開いた時のこと。

 

矢良内と出会ってから、ハルが現れるまで、DPがほぼゼロのまま耐えていた日々。

 

硬い岩盤の冷たさと、カビの匂いだけが充満していたあの空間。

 

それが今や、どうだろう。

 

「はい次の方ー! スライムご案内しますよー!」

 

ハルの声が響き、大勢の人間が落とす熱気と、紙幣のインクの匂いが洞窟を満たしている。

 

(わたくしは、幸運ですわ)

 

リンは、濁った苔茶をすする。

 

(それとも、ハルが、幸運なのでしょうか?)

 

 

【16.もう知る前には戻れない】

 

ハルはスライムの特性を活かし、次々と新しいアイデアを出し、設備を整えていく。

 

リンは、その恩恵を誰よりも享受していた。

 

(もう、かつての生活には戻れませんわ)

 

リンは静かに目を閉じ、小さく息を吐いた。

 

特に、ハルが考案した、ピンポイントで細い水流を放つ『スライムウォシュレット』のあの冷たい刺激と正確な水圧を、知る前の体には。

 

 

【17.ジャパニーズソーシャルワーカー】

 

ガキン、ガキン

 

「ヤラさん、ツルハシ振るのめちゃくちゃ上手いし早いけど、元々の仕事とか体力は大丈夫なの?」

 

ハルが、岩を砕き続ける矢良内に尋ねた。

 

矢良内はツルハシを止めず、淡々と答える。

 

「たまには、肉体労働もいいもんだ。……霞が関のデスクワークと違って、岩を砕いても胃は痛くならない」

 

「……もし公務員辞めるなら、ウチのダンジョンで雇うよ?」

 

「考慮しておく」

 

 

【18.答えは潰れたラーメン屋】

 

「ヤラさん、手が回らないんだけど。特に接客を任せられるレジの人が。札束数えすぎて、指先の油分が全部吸い取られてカサカサなんだよ」

 

「任せろ。すぐに解決してやる」

 

翌日。

 

「……中古の自動券売機なんて、どこから持ってきたんだよ」

 

ハルが、入り口にドカンと設置された巨大な機械を見上げて目を丸くする。

 

「気にするな。知人の伝手だ」

 

無骨な金属のボディに、プラスチックのボタンがずらりと並んでいる。

 

各ボタンは、白いテプラで『スライムエステ20分』と雑に上書きされていた。

 

 

【19.独白】

 

「ダンジョンの魔物は、ボスの知能に比例しますのよ。ええ、わたくしは賢いので」

 

リンが誇らしげに胸を張る。

 

「さすがリンちゃん!」

 

ハルが純粋な尊敬の眼差しを向ける。

 

(……)

 

リンは、ハルには見えないように、ほんの少しだけ視線を泳がせた。

 

(とはいえ。ニホンの人たちに比べると、わたくし、もしかしてそれほど賢くないのではないかしら……?)

 

リンがこれまでに会ったことがある人間は、ハル以外はすべて、異常な処理速度で書類をさばき、法律の網の目を縫って特例を通す、霞が関のバケモノエリートばかりだった。

 

 

【20.開店前の一幕】

 

ビラを作ったり、エステ店としてのホームページなどを作成しる。

 

「リンちゃんの写真かなんかをSNSに掲載して、客を釣ろう!」

 

翌日。

 

「……写真の端っこに写ってた、頭にスライム乗せてモップがけしてるゴブがバズってる……」

 

 

【21.黒目妹紅の仕事内容】

 

黒目妹紅の面接合格後、初出勤の日。


「改めまして、ボクは社長のハル。ボクたちは、異世界でダンジョンを作ってるんだ」

 

ハルが、胸を張る。

 

「はあ……。ところで社長。私の具体的な仕事内容は何でしょうか?」

 

「好きに過ごしてくれていいよ!」

 

ハルが満面の笑顔で親指を立てる。

 

「……本当にそれでいいんですか?」

 

「もちろん。やりたいことがあれば何でも言ってくれていいよ。お家にいるみたいにくつろいでもらって構わない。何か欲しいものや必要なものがあれば準備するから、何でも言ってね」

 

「……」

 

黒目の足元は青いゼリーが床を這い回り、パーティションの向こうからは岩盤を砕く爆音が絶え間なく響いてくる。

 

空調設備のない地下空間には、湿った土とカビの匂いが充満している。

 

「私、悪い人に騙されてない……?」

 

妹紅の口から、蚊の鳴くような、しかし切実な声が漏れた。

 

 

【22.顔合わせ】

 

カキン、カキン

 

「新入りですか。よろしくお願いします」

 

矢良内が、ツルハシを振り下ろす手を休めて、後ろを振り返り言った。

 

その後ろを、セメント袋を二つ抱えた夜会服姿の女──パイが、通り過ぎていく。

 

妹紅は、その異様な光景に怯えながら、壁際を伝って歩み寄った。

 

「あ、あの……ツルハシで何をされているんです?」

 

「ダンジョンを広げている。気分転換にいいぞ。キミもやってみるか?」

 

矢良内が、岩の欠片を払い落としながら、予備のツルハシを差し出す。

その姿を見て、パイがつぶやく。

 

「矢良内さんも、お好きですねえ」

 

黒目は戸惑いながらも、その重い木の柄を受け取った。

 

見よう見まねで高く振り上げ、目の前の真っ黒な岩壁へと叩きつける。

 

カァン

 

硬い手応えとともに、岩の表面がパラパラと崩れ落ちる。

両腕にビリビリとした振動が駆け抜けた。

 

カァン、カァン

 

「……なんか、楽しくなってきた気がする」

 

日々の面接で溜め込んでいた鬱憤が、硬い岩を破壊する感触に少しだけ溶けていく。

 

黒目は無心になって、ツルハシを何度も振り下ろした。

 

     ◇

 

(……久々に運動した。このスライムベッド、最高だな)

 

全身の筋肉痛が、冷たいゼリーの感触に吸い込まれて消えていく。

 

(……………………いかん、寝てた。もう帰る時間か?)

 

妹紅は薄目を開け、天井の蛍光灯を見た。

 

(……アパートに戻るの、面倒だな)

 

     ◇

 

「あの、私も、社長たちのように、ここで住まわせてもらえませんか?」

 

黒目が、ハルたちに向かって頭を下げた。

 

「わたくしは歓迎しますわ。モコウがここに住むなら、寝ている間もDPが増えますし」

 

リンが身を乗り出し、パッと顔を輝かせる。

 

だが、その歓迎ムードを、矢良内が冷ややかな声で止めた。

 

「……それは少し難しいだろう。常識的に考えて」

 

「どうして?」

 

ハルが首を傾げる。

 

「ここの住所は、あくまでも日本の雑居ビルの一室だ。そしてハルは既にここに住民登録している。つまり、若い男女が恋人でもないのに、同棲することになる」

 

矢良内は眼鏡の奥の目を細め、極めて真面目な顔で告げた。

 

「お前は何を言っているんだ」

 

ハルが間髪入れずにツッコミを入れた。

 

「わたくしやパイもここに住んでますけれど」

 

リンが不思議そうに小首を傾げる。

 

「今のところ、異世界人に日本国籍はない」

 

矢良内が淡々と切り捨てる。

 

そのやり取りを聞いていた黒目が、ぽかんと口を開けた。

 

「えっ、異世界って本当のことだったんですか? そういう設定のテーマパークかと……」

 

結果、住民票は移さないということで、妹紅も一日中この地下空間で寝泊まりしていいことになった。

他のアルバイト作業員たちと同じ扱いだ。

 

(みんな、良い人だったなあ。見た目完全に魔物とかいたけど。……最近、実家に帰ってないな)

 

妹紅はスマートフォンの画面をタップし、耳に当てた。

 

コール音が数回鳴る。

 

「……あ、もしもしお母さん。うん、新しい仕事、決まったよ」

 

 

【23.信頼と実績とツルハシ】

 

「そういえば、ここってキッチンとかないよね。飯はいつも外で買ってくるし」

 

ハルがコンビニおにぎりの包装をゴミ袋に放り込みながら言った。

 

「ちょっと前まで、水道も電気もなかったしな」

 

矢良内が答える。

 

「というわけで、ヤラさん、キッチンの手配、頼めるかな?」

 

「任せろ。できる限り協力する」

 

「……いや、待って。ヤラさん、どうせカセットコンロの買ってくるだけで、キッチン名乗るつもりでしょ」

 

ハルがジト目で矢良内を睨む。

 

「鋭くなってきたな、ハル」

 

矢良内が、悪びれもせず眼鏡を押し上げる。

 

「お金は会社から出すから、ちゃんとしたものを頼んでくれるかな。水洗いできて、火が使えるやつ」

 

     ◇

 

数日後。

 

ダンジョンの岩壁が四角くくり抜かれ、そこにシルバーに輝く最新型のシステムキッチンがすっぽりと埋め込まれていた。

 

三口のIHコンロ。広いシンク。上部には、どこに繋がっているのか分からない巨大な換気扇のダクトが、岩肌を這うように伸びている。

 

「……」

 

IHコンロのスイッチを押す。

赤いランプが点灯し、ブゥンという低い駆動音が鳴る。

 

「やればできるじゃん。……いや待てよ、前回と同じで、コンセントがないとか、排水管が繋がってないとかのオチがあるんだろ?」

 

ハルがシンクの下の扉を開けて覗き込む。

灰色の塩ビパイプが、完璧な傾斜を描いて下水ドレンへと接続されていた。

 

「全部使えるね。……どうしてボクは、少しガッカリしてるんだろうか」

 

ハルは、自分が理不尽なトラブルを少しだけ期待してしまっていたことに気づき、複雑な顔で頭を掻いた。

 

 

【24.料理】

 

「じゃあ、キッチン完成記念に、ごちそうを作ろうかな」

 

ハルが、スーパーの袋から買ってきたばかりの材料を取り出した。

 

「人間の方は、食事にさまざまな道具を使うんですねえ」

 

リンが玉座から降りてきて、興味深そうにハルの手元を覗き込む。

 

「ダンジョンのモンスターは違うの?」

 

「ええ、基本的には生のまま、丸ごと食べますよ。あら、これはほぼそのままですね?」

 

リンが指差したのは、まな板の上の生魚だ。

 

「スシと、刺身だよ。包丁で切るだけ」

 

ハルは、百円ショップで買ってきた包丁を握り、魚の身に刃を当てる。

スパッときれいに、魚は薄切りになった。

 

「ハルは料理上手だな」

 

矢良内がハルの料理風景を観ながら言う。

 

「自分で食べるため練習したんだよ。主にモヤシ料理だけど。ヤラさんは料理は?」

 

「いや、実は俺は全くダメだ」

 

矢良内が、珍しくバツの悪そうな顔をする。

 

「へえ、そうなんだ。じゃあ、クロさんは料理できる?」

 

ハルが、黒目に包丁を差し出す。

 

「普通、だと思いますけど」

 

黒目はためらいながらも、包丁の柄を握った。

 

     ◇

 

数分後。

 

まな板の上には、透き通るほど薄く均等に削ぎ切りにされた白身魚が、芸術的な扇の形を描いて並べられていた。

 

「……プロの方ですか? 上手すぎる。クロさん、すごい!」

 

ハルが、醤油をつけた刺身を口に放り込み、目を丸くする。

 

「ええと、特別なことは何もしてませんよ?」

 

妹紅が首を傾げる。

 

「手際もすごかったし、完全に料理漫画の包丁さばきみたいだったぞ」

 

「あー、ほら、私、外科医ですから。それでかもしれませんね」

 

妹紅は、メスを握るような手つきで包丁を弄りながら、ボソリと答えた。

 

「ウマかった。カンドウしたゴブ」

 

背後でゴブが、涙を流しながらプルプルと震えていた。

 

「レンシュウしたら、ゴブもツクれるようになるゴブか? コンビニのパンってヤツ、ツクれるようにナリたいゴブ!」

 

ゴブの目指す頂点は、かつてまさ矢良内の持ってきていた、大量生産の工業製品へと向かっていた。

 

 

【25.彼が来た】

 

「ダンジョンもどんどん広くなる。そうだ、もっと人を呼ぶために、飲食サービスも始めようよ」

 

ハルが、刺身の乗ったプラスチックの皿を片付けながら提案した。

 

「飲食店経営には、食品衛生責任者の資格が必要だろう。誰か持ってるのか?」

 

ハルと妹紅が顔を見合わせた。

リンとゴブリンは論外だ。

 

「……また、新人を雇用しようか」

 

     ◇

 

数日後。

 

「さあ面接だ! 飲食の経験豊富な、いい人来るかな?」

 

ハルがパイプ椅子に座り、入り口の扉を見つめる。

 

ギィィ……

 

扉が開き、面接希望者が姿を現した。

 

「……」

 

ハルと矢良内は、同時に息を呑んだ。

ハルが、引きつった顔で呟く。

 

「あの、一つ聞いてもいいですか?」

 

ハルは、パイプ椅子に座る人物へと尋ねた。

 

「……なぜ、ピエロの格好を?」

 

黄色と赤の縞模様のツナギを着た、背の高い大柄な男。

 

履歴書には、誰もが知る名前が載っていた。

 

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