016 外の世界はオススメできません。今は、まだ
カキン、カキン
「オーライ。その鉄骨は第三エリアへ。パイプの束は壁際に固めろ」
大浴場の拡張エリア。
グリーンのスリーピーススーツを着こなすオークが、図面を片手に低いバリトンボイスで的確な指示を飛ばす。
その声に従い、アースゴーレムたちが文句一つ言わずに重い資材を運んでいく。
「……すげえな、オーク。現場の回りが段違いだ」
ハルは、塩ビパイプの切れ端に腰掛けながら、その光景を感嘆の面持ちで見つめていた。
「なあ、リンちゃん。あいつ一匹で50DPだろ? いっそあと十匹くらい追加で呼ぼうぜ。人間のアルバイトなんて全員クビにして、オークたちで回せば人件費もタダだし、建設スピードも今の十倍になるぞ」
ハルがニヤリと口角を吊り上げて提案した。
しかし。
「ハル。それは残念ながら、お断りいたしますわ」
玉座代わりのパイプ椅子に座るリンが、冷たい視線をハルへと向けた。
「えっ」
「わたくしが最も優先すべき利益とはなんですの? ニホンの紙切れですか?」
リンは、カップに入った苔茶を優雅に一口すすり、カップを置いた。
「違うの? ああ、リンちゃんは違うか。そうか、DPか」
「そうです。では、そのDPはどうやって発生しますの? 人間の精神活動、そして肉体的な疲労や感情の起伏から還元されるのですわ」
リンは立ち上がり、白く細い指で、汗だくになってセメントを練る人間の作業員たちを指し示した。
「あの者たちが重いセメントを運び、汗を流し、筋肉を痛め、『疲れた』『帰りたい』と切実に願う。お風呂とエステで日々の疲れを癒す。その感情の揺れ動きこそが、この空間に極上のDPを落としていくのです。魔物に労働を代わらせて、どうしてDPが貯まりますの?」
リンの言葉に、ハルは頷いた。
「ニホン人の考える『効率』は、いかに時間と労力を削るかでしょうけれど。ダンジョンの『効率』は、いかに人間に負荷をかけ、DPを絞り取るかですわ。わたくしが未だに、ツルハシを使った手作業の拡張をやめさせないのも、そういうことですのよ」
「なるほど。魔物で全自動化しちゃったら、本末転倒ってことか」
「はい。だからわたくしは、もっともっと、人間をダンジョンに呼び込みたいのです」
人間がこの地下空間で汗と涙とストレスを流すほど、ダンジョンは豊かになる。
あまりにもブラック企業的で、あまりにも理にかなった生態系だ。
ハルは顎に手を当て、ダンジョンの奥深く、まだ闇に包まれている未開拓の岩壁へと視線を向けた。
「なあリンちゃん。話は変わるんだけど、一つ気になってたんだけどさ」
「なんですの?」
「こっちの世界のダンジョンの外ってどうなってんの? 本物のファンタジーの世界。こっちにも人間はいるんだろ? 今は鉄板でふさいでるけど、解放しようとか思わないの?」
ハルの提案に、リンの碧い瞳がわずかに見開かれた。
「……おすすめしませんわね」
リンは再びパイプ椅子に腰を下ろし、静かに首を横に振った。
「なんでさ? 向こうの人間を呼べば、もっとDP稼げるかもしれないだろ」
「向こうの世界にゲートを開けば、間違いなく『冒険者』たちが武器を持って雪崩れ込んできますわ。わたくしたちを殺しにね」
「殺しに!? なんでだよ、ボクたちただのお風呂屋さんだぞ!」
「冒険者にとって、魔物は倒すものですもの。魔物を殺せばレベルが上がりますし、その魔物の召喚DPに応じたお宝を落とすからですわ」
リンの口から飛び出した単語に、ハルの思考が数秒間フリーズした。
「……は? レベル? お宝ドロップ?」
「ええ。強さを数値化した概念と、魔力の結晶化による報酬。ですから、彼らは血眼になってダンジョンを攻め落としに来るのです。彼らを迎え撃つだけの防衛戦力──高位の魔物を多数揃えるまで、入り口の解放は自殺行為ですわ」
「レベルとかあんのかよ、この世界……」
ハルはこめかみを指で押さえ、大きなため息をついた。
ファンタジー世界の野蛮なルールが、現代日本の常識とあまりにもかけ離れすぎている。
「わかった、異世界ゲートは一旦保留だ。命がけの防衛戦なんてやってる暇はない」
ハルはすぐに思考を切り替え、コンクリートの床をスニーカーの底で叩いた。
「今はまず、この地下空間に『街』を作るのが先だ。手始めに、宿泊施設を作ろう」
「宿泊施設、ですか?」
「そう。スライムベッドの宿を作るんだ。うちの社員、アルバイトの人たちなんかや、お客さんを、地上に帰さずにこのダンジョンの中で寝泊まりさせる」
ハルの口角が、ニチャァと邪悪に吊り上がった。
「人間は寝ている間も呼吸して、夢を見て、脳を動かしてる。つまり、夜の間もボクらのダンジョンにDPを落とし続ける『24時間稼働の養分』になるってわけだ!」
「……素晴らしい提案ですわ、ハル! あなたって、頭いいんですわね!」
リンが両手を叩いて歓喜の声を上げる。
底辺フリーターの強欲さと、ダンジョンボスの搾取ロジックが、最悪の形でハイタッチを交わした瞬間だった。
◇
その頃。
ビル一階の奥、パイプ椅子と長机と簡易寝台だけで作られた簡素な医務室の前に、泥だらけの作業着を着た男たちがずらりと列を作っていた。
「先生、親指ハンマーで叩いちゃって、爪が割れちまった!」
「俺はセメント袋落として足首捻った! 早く見てくれ!」
荒くれ者たちの怒号と呻き声が、狭い廊下に反響している。
「ひぃぃ……順番に……順番に入ってください……」
白衣を着た小柄な女──黒目妹紅が、震える手でアルコール消毒液のボトルを握りしめていた。
目の下の隈は以前よりも濃く、ボサボサの黒髪はピンで無造作に留められている。
ダンジョンの拡張工事が始まってからというもの、彼女の仕事量は爆発的に増え続けていた。
慣れない岩盤の採掘、重い資材の運搬。アルバイトの人間たちは次々と生傷を作り、この粗末な医務室へと駆け込んでくるのだ。
「あーもう、痛えな! 先生、早く絆創膏でもなんでも貼ってくれよ!」
丸刈りの若い作業員が、パイプ椅子にドカッと座り、血の滲んだ腕を机に突き出した。
ビクッ
クロさんの肩が大きく跳ねる。
かつての彼女なら、男の大声を聞いただけで過呼吸を起こし、机の下に丸まっていたはずだった。
しかし。
「……うるさいです」
「あ?」
「大声出しても、傷の治りは早くなりません……。それに、絆創膏じゃ無理です……縫わないとダメなくらい、パックリいってます……」
黒目は、焦点の合わない死んだ魚のような目で男の傷口を一瞥し、手元のトレイから金属製のピンセットと縫合用の針を無造作に掴み上げた。
「ぬ、縫う!? ちょっと待て、麻酔とか──」
「うち、そういう高い薬、置いてないんで……。我慢してください」
ブスッ
「ぎゃああああっ!?」
作業員が絶叫し、パイプ椅子から転げ落ちそうになるのを、クロさんは容赦なく腕を押さえつけて縫合を始めた。
「応急処置ですから、あとでちゃんとした病院へ行ってくださいね。はい、次……足首捻った人……そこに青いスライムいるんで、患部吸わせて冷やしといてください……。動くと悪化しますよ」
次から次へと、患者への指示を的確に飛ばす。
極限の忙しさと、荒くれ者たちとの強制的なコミュニケーション。
その過酷な環境は、コミュ障だった彼女の心を破壊するのではなく、謎の図太さとふてぶてしさを持たせるように適応進化させていた。
「あー……早く帰って、寝たい……。なんで私、ブラック企業で野戦病院みたいなことやってるんだろ……」
クロさんは、作業員の悲鳴をBGMにしながら、虚無の表情で大きなため息を吐き出した。
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